第3話

文字数 644文字

火葬を終えて参列者を見送り、五十嵐は消灯されたリビングにいた。
遺影になるとは思っていなかった笑顔の写真が、テーブルの上に立てかけられている。
疲労でおかしくなりそうだ。全く寝ていないのに、寝る気にもならない。

なぁ、どうすればいいんだよ、教えてくれよ――。
脱いだジャケットのポケットに、なにかが入っていた。手を突っ込むと、昨晩の観戦チケットだった。もう夜の7時だから、あと1時間ほどで終わるだろう。
五十嵐は振り返った。何度も2人で食事をし、他愛のない会話を交わしたテーブルに、いまは妻の写真が立てかけられている。晴れやかな笑顔だ。
どうして。
何度も繰り返した問いを、五十嵐はまた考えてしまう。
「せっかくだから、行こうよ」
写真の奥で、妻がそう言った気がした。

****

試合はもつれ、延長に入っていた。
目前で優勝を決められたくないから、相手チームも必死だ。ベンチの端で腕組みをしている監督の大野も、いらだたしげに足を揺する。
ウラの攻撃。2アウトを取られてから、2人続けて出塁した。1、2塁のチャンスだ。前田は首を左右に振り、心に喝を入れた。
大野が振り向いて目で尋ねてくる。
「いけるか」
もちろん。
前田はすでにバッティンググローブを手にはめていた。生前の妻が買ってくれたものだ。もうボロボロに穴が空き放題になっている。
あと一振り分だけ、頑張ってくれ。
前田はグローブを見つめ、呟いた。
ベンチから出ると、カッと照明が照りつけてくる。
一歩ずつ、踏みしめて、打席に近づく。
野球に全てを賭けてきた、男たちの聖域に。
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