聖女の名前
文字数 1,977文字
次の日、徹は昼休みに一年生の教室に出向いた。例の阿部さんに会うためだった。
昨日の、気詰まりと不安と恐怖が混じり合う帰り道で、同じ言葉が徹の頭の中をグルグル回っていた。
イスカリオテのユダ。
帰ってからスマホで検索してみたが、それは聖書に出てくる言葉だった。
そして真っ先に思い出したのが、先日出会った少女のことだった。
聖書研究会を発足していた少女。
このタイミングで出会ったことが、何かの因縁か、運命のようにしか思えなかった。
徹は聖書やキリスト教について何も知らない。
だから由梛が何を言っているのかが理解できなかった。
そもそも、由梛からクリスチャンだというような話も聞いたことがなく、わけのわからないことだらけだった。
しかし、彼女に何か聞くことができれば、何か少しでも光明が見えるのではないかと思えた。
彼女は今だにチラシを配っていたので、徹はそれを受け取った。彼女のクラスが思い出せなかったためだ。
徹の他に、チラシを受け取る人はいなかった。
そして、徹は彼女の教室のところまで来た。
しかし、他の学年の教室を訪ねたことがなかった徹は、どう声をかけるべきかわからなかった。
そこで、ちょうどその教室に入るところだった女生徒のグループの一人に声をかけた。
「あの、阿部さんって人いるかな?」
珍しい名前でもないし、下の名前がチラシに表記されていないから、何人かいたらどうしようかと思った。
しかし、その心配はなかったようだ。
その女生徒たちはニヤリと唇を歪めると、口々に教室の中へ叫んだ。
「アベマリアー」
徹は耳を疑うと同時に、下の名前が表記されていない理由を理解した。彼女が先日、徹に対して態度を変えたわけも。
彼女は自分の席から立ち上がり、そそくさときまり悪そうに廊下に出てきた。
女子のグループとすれ違う時も、眼を合わせなかった。
彼女が初めて顔を上げ、徹を見ると驚いた顔をした。
「あ、先日の」
徹はなんとなく気まずい思い をした。
しかし、徹には明確な目的があったのだ。
気を取り直して訪ねる。
「その時はどうも。今、ちょっと時間いい?」
「ええ。問題ありません」
「そっか。じゃあちょっと」
そう言って、徹は教室の入口から離れ、廊下の端に移動した。
彼女もついてくる。
「なんでしょうか?」
「この前、聖書研究会を作るって言ってたじゃやない?」
「ええ」
「じゃあ、聖書のことに詳しいんだよね? ちょっと聞きたいことがあるんだけど、なんて言ったらいいかな。あのさ…」
徹が話を続けようとすると、彼女は手でそれを遮った。
「申し訳ありません。私、詳しいわけではないんです」
「え、そうなの?」
彼女は慌てたように続ける。
「ええ。だからこそ、研究会を作りたいんです。一緒に詳しいなってくださる方たちがいたらいいなと思って…」
「そうなんだ…」
正直拍子抜けではあったが、彼女の言い分も筋が通っていたし、納得するしかなかった。
徹は気持ちを切り替えて言った。
「わかった。ありがとう。ちょっと聞きたいことがあったんだけど、自分で調べてみるよ。わざわざ呼んでごめんね」
そう言って、徹は彼女に背を向けたが、その腕の裾を引っ張るものがあった。もちろん、彼女だ。
「あの、それでしたら、聖書研究会に入りませんか?」
「え?」
「私と一緒に詳しくなりましょう!」
「いや、でも」
「一人で学ぶより、きっと詳しくなりますよ!」「でも、あの…」
「是非!」
ずいぶん強引な押しである。
「…もしかして、まだ一人も部員が集まらないの?」
「…ええ、まあ」
彼女は認めたくなさそうに、 目線を逸らす。
しかし、考えれば当たり前の話だ。研究会の内容にしても、あのチラシにしても、彼女の性格にしても、部員が集まりそうな要素はひとつもなかった。
徹は少し考える。
一人で調べることも、もちろん可能だろう。
しかし複数で調べれば、その過程で疑問に思ったことも解決しやすいかもしれない。
何より、この問題と一人で向き合うのは、とてつもない恐怖心がある。
研究会に入ってみるのも、ひとつの手かもしれなかった。
「わかったよ。研究会に入ってみることにする」「本当ですか?!」
徹の答えを不安そうに待っていた彼女は、瞳を輝かせた。
いつも自信なさそうにしている彼女の心からの笑顔は、とても魅力的だった。
なんだか恥ずかしくなって、目を直視しないようにしながら尋ねる。
「もしかすると、もう一人、入れたい人がいるんだけど…」
「人数は多ければ多いほどいいです!」
一人では抱えれないことも、何人かいれば抱えて向かいあうこともできるのではないかと思ったのだった。
昨日の、気詰まりと不安と恐怖が混じり合う帰り道で、同じ言葉が徹の頭の中をグルグル回っていた。
イスカリオテのユダ。
帰ってからスマホで検索してみたが、それは聖書に出てくる言葉だった。
そして真っ先に思い出したのが、先日出会った少女のことだった。
聖書研究会を発足していた少女。
このタイミングで出会ったことが、何かの因縁か、運命のようにしか思えなかった。
徹は聖書やキリスト教について何も知らない。
だから由梛が何を言っているのかが理解できなかった。
そもそも、由梛からクリスチャンだというような話も聞いたことがなく、わけのわからないことだらけだった。
しかし、彼女に何か聞くことができれば、何か少しでも光明が見えるのではないかと思えた。
彼女は今だにチラシを配っていたので、徹はそれを受け取った。彼女のクラスが思い出せなかったためだ。
徹の他に、チラシを受け取る人はいなかった。
そして、徹は彼女の教室のところまで来た。
しかし、他の学年の教室を訪ねたことがなかった徹は、どう声をかけるべきかわからなかった。
そこで、ちょうどその教室に入るところだった女生徒のグループの一人に声をかけた。
「あの、阿部さんって人いるかな?」
珍しい名前でもないし、下の名前がチラシに表記されていないから、何人かいたらどうしようかと思った。
しかし、その心配はなかったようだ。
その女生徒たちはニヤリと唇を歪めると、口々に教室の中へ叫んだ。
「アベマリアー」
徹は耳を疑うと同時に、下の名前が表記されていない理由を理解した。彼女が先日、徹に対して態度を変えたわけも。
彼女は自分の席から立ち上がり、そそくさときまり悪そうに廊下に出てきた。
女子のグループとすれ違う時も、眼を合わせなかった。
彼女が初めて顔を上げ、徹を見ると驚いた顔をした。
「あ、先日の」
徹はなんとなく気まずい思い をした。
しかし、徹には明確な目的があったのだ。
気を取り直して訪ねる。
「その時はどうも。今、ちょっと時間いい?」
「ええ。問題ありません」
「そっか。じゃあちょっと」
そう言って、徹は教室の入口から離れ、廊下の端に移動した。
彼女もついてくる。
「なんでしょうか?」
「この前、聖書研究会を作るって言ってたじゃやない?」
「ええ」
「じゃあ、聖書のことに詳しいんだよね? ちょっと聞きたいことがあるんだけど、なんて言ったらいいかな。あのさ…」
徹が話を続けようとすると、彼女は手でそれを遮った。
「申し訳ありません。私、詳しいわけではないんです」
「え、そうなの?」
彼女は慌てたように続ける。
「ええ。だからこそ、研究会を作りたいんです。一緒に詳しいなってくださる方たちがいたらいいなと思って…」
「そうなんだ…」
正直拍子抜けではあったが、彼女の言い分も筋が通っていたし、納得するしかなかった。
徹は気持ちを切り替えて言った。
「わかった。ありがとう。ちょっと聞きたいことがあったんだけど、自分で調べてみるよ。わざわざ呼んでごめんね」
そう言って、徹は彼女に背を向けたが、その腕の裾を引っ張るものがあった。もちろん、彼女だ。
「あの、それでしたら、聖書研究会に入りませんか?」
「え?」
「私と一緒に詳しくなりましょう!」
「いや、でも」
「一人で学ぶより、きっと詳しくなりますよ!」「でも、あの…」
「是非!」
ずいぶん強引な押しである。
「…もしかして、まだ一人も部員が集まらないの?」
「…ええ、まあ」
彼女は認めたくなさそうに、 目線を逸らす。
しかし、考えれば当たり前の話だ。研究会の内容にしても、あのチラシにしても、彼女の性格にしても、部員が集まりそうな要素はひとつもなかった。
徹は少し考える。
一人で調べることも、もちろん可能だろう。
しかし複数で調べれば、その過程で疑問に思ったことも解決しやすいかもしれない。
何より、この問題と一人で向き合うのは、とてつもない恐怖心がある。
研究会に入ってみるのも、ひとつの手かもしれなかった。
「わかったよ。研究会に入ってみることにする」「本当ですか?!」
徹の答えを不安そうに待っていた彼女は、瞳を輝かせた。
いつも自信なさそうにしている彼女の心からの笑顔は、とても魅力的だった。
なんだか恥ずかしくなって、目を直視しないようにしながら尋ねる。
「もしかすると、もう一人、入れたい人がいるんだけど…」
「人数は多ければ多いほどいいです!」
一人では抱えれないことも、何人かいれば抱えて向かいあうこともできるのではないかと思ったのだった。