マリアとの邂逅

文字数 3,408文字

 高校二年生になって数日が過ぎた。
 一年から二年に上がったところで特に変化はない。部活に入っていない徹はなおさらだ。
 唯一変わったところと言えば、クラスメートくらいだった。
 由梛とはクラスが別れてしまったが、この一年で人との距離の作り方がわかってきた徹は、それなりにクラスメートと上手くやれている。
 由梛は忌引きで休みのままだ。
 両親を亡くすということは、子供にとっては生活全てに及ぶことだから、落ち着くまで時間がかかるのだろう。
 どんな声をかけるべきかわからず、連絡もとっていなかった。

 そんなある日の朝。
 登校する生徒たちがごった返すなか、徹は一人校門に入り、下駄箱へ向かおうとしていた。
 すると、「ひゃあ」という声と、何かに躓く感触があった。
 紙をぐしゃぐしゃと自分の足が踏み潰す音がそれに続く。
 慌てて徹が下を見ると、女生徒がうずくまっていた。
「あ、すいません。怪我してませんか?」
 徹は彼女が怪我をしたためうずくまっているのかと思ったが、彼女の視線は徹の足元にあった。 徹は恐る恐る右足を浮かす。その下には,徹に踏みつぶされて足跡のついた紙束があった。
 右足を後ろに置き、さらに左足も上げると、そこにも同じような無残な紙束がある。
 一枚にだけ足跡がついたならまだいいが、扇子のように広がった紙に、満遍なくついてしまっている。
「す、すいません」
 徹はそう言って、自分がダメにしてしまった紙を拾い集める。
「いえ、落としたのは私なんです。気になさらないでください」
 芝居がかって聞こえるほど上品な口調で女生徒は言った。
 その口調に違和感を覚え、徹は紙を拾って立ち上がると、その女生徒を見下ろした。
 彼女は数枚の紙を持ち、徹を見上げた。
 どことなく、ハーフのような印象を抱かせる少女だった。髪と肌、目の色素が薄いことがその原因だろう。
 小柄に見えるが、背がそこまで小さいわけでもなさそうだ。高さより幅が全体的に小さい人だ。細い、というよりは、その幅が彼女の体の構造に合っているように見える。 
 きれいな三つ編みが、彼女を誰の眼にも優等生に見せた。
 そして、その印象を証明するかのように彼女は言った。 
「本当に気になさらないでください。ごきげんよう」 
 膝下丈の制服のスカートをなびかせ、背を向けて去っていこうとする。
「ちょっと待って」
 徹は思わず、彼女の腕を引いて呼び止めた。
 彼女が驚いたように振り返る。
 徹は手元の紙を見た。そこには、『聖書研究会発足の知らせ』とある。
「これ、まだ余りはたくさんあるの?」
 彼女は徹を見つめたまま首を振る。
「じゃあ、コピーとらなきゃいけないよね。僕が汚したんだから手伝うよ」
 その言葉を聞くと、彼女はふっと体の力を抜いた。

 二人は図書室を目指して廊下を進む。
「自腹でコピーとるの?」
「まだ部員も私以外にいませんし、部活の体をなしていませんから、部費も出ないんです」
 彼女はゆっくりと徹の隣を歩きながら言う。
「じゃあ、コピー代は僕が出すよ」
「そんな、申し訳ないです。もともとチラシをばらまいてしまったのは私で、そこにあなたが通りかかられただけなんですから」
「でも、汚したのは僕でしょう?」
 そう言うと、彼女は俯いて考えこんだ。
 そして顔を上げて徹を見た。
「では、お言葉に甘えさせていただきます。20枚ほど、コピーをとっていただけないでしょうか?」
「いいけど、少なくない? 遠慮しなくていいよ」
「いいえ。あまり受け取ってくださる方がいないのです」
 彼女は悲嘆も苛立ちも感じさせない声で、静かにそう言った。
 徹はどう答えるべきかわからず、無事だった数少ないチラシを眺める。
 藁半紙に几帳面に文字が並ぶだけの紙だ。
よく見れば、天使や聖書のエピソードを表したような絵も余ったスペースに描かれている。しかしそのどれもが、居心地悪そうに遠慮がちにしていて、とても華を添えているようには思えない。
 『聖書研究会発足の知らせ』の下には、『聖書を読んだことがない方も大歓迎! この機会に、聖書に触れてみませんか?』とあるが、いまいち活動内容が掴めない。
 一番下に『詳しくは1-2安倍まで』とあるが、ということは彼女が安倍さんなのだろうか。
「僕は二年の蓮見徹だけど、君は一年の安倍さん?」 
 徹がなるべくフランクに聞こえるように言うと、彼女は急に表情を堅くした。
「ええ、そうです」 
 そして小走りに図書室のドアに近づき、先に中に入ってしまった。
 徹は不信に思いつつも、急いで彼女に続く。
 入り口近くにあるコピー機を彼女が開いているところに、徹はきれいなチラシを置いた。
「本当に20枚でいいの?」
「ええ」
 彼女は徹と眼を合わせずに頷く。
 徹は枚数を入力し、小銭を投入した。
 彼女はコピー機が動く様をじっと眺めていた。
 どことなく話しかけずらい雰囲気を放っていて、徹は気まずい思いをしつつ、彼女の顔を横目で見た。よく見れば、とても整った顔をしている。しかし、それが余りに整い過ぎているために、不思議と存在感のない印象を与えた。
 彼女の顔のパーツは、どれも主張をしていなかった。きれいな二重まぶたはあくまでもちょうどよい形と大きさであったし、手を入れているようには見えないが細い眉も、筋の通った鼻も、小ぶりな口も、全てがそうだ。
 そして、彼女自身もどこか遠慮がちに身を縮めているように見え、存在感の無さに拍車をかけている。こうしてじっと見る機会でもなければ、彼女が紛れもない美人であることに気付かなかっただろう。
 すると徹の視線に気付いたか、彼女がちらりとこちらを見た。
 徹は内心慌てたが、徹が目線を逸らすより早く、彼女から目線を外した。
 折りよくコピーが終わり、彼女は完成したコピーを両腕に抱える。
 徹はコピー機を開いて元の紙を取り出すと、彼女に渡した。
 彼女はそれを受け取ると、いかにも立ち去りたげにしていたので、徹は話をふってみることにした。
「聖書研究会って、どんな活動をするの?」
 よく考えれば、べつに彼女がここを去りたければ、そうしてあげてもよかったのだった。
 しかし、徹はなぜか声をかけることを選んだ。それは、理由もわからず気まずい空気になったことが気になっていたからかもしれないし、良くも悪くも、彼女に興味をもったからかもしれない。 彼女はまるでコピーがきちんととれているかどうかが最大の問題かのように確かめながら、徹のことを見ずに答えた。
「その名の通りです。聖書の内容を研究する会で、宗教色の強くない活動をする予定ですので、どなたにでも広く門戸を開いています」 
 コピーの確認を終えると、彼女は図書室の外に向かって歩き出した。徹もそれに続く。
「どうして発足する気になったの?その言い方だと、クリスチャンってわけでもないんだよね?」
 廊下を行きよりも早足で進む彼女は、相変わらず徹を見ようとはしない。
 しばらく沈黙があったので、徹はその質問には答えたくないのかと思った矢先だった。
 ふいに彼女が口を開く。 
「その通りですが、私のことは関係ないのです。今は活動を始めるために、人を集めることが先決です」
 そこは、ちょうど階段にさしかかったところだった。一年と二年では教室の階が違う。
 彼女はそこで振り向いた。彼女と真っすぐに視線が合う。
「それとも、先輩が研究会に入ってくださるんですか?」
 それは怯えのない強い眼だった。口調こそ冷静なものの、そこに憤りの感情があることを徹は悟る。
「わかった。興味本位でいろいろ聞いたことは謝るよ」
 すると、彼女は頭を下げた。
「いいえ。こちらこそ、個人的なことでしたのに付き合っていただき、あげくお金まで出していただいて、申し訳なく思っています」
 彼女が顔を上げる。さっきよりは幾分柔和な顔だった。
「それではごきげんよう」
 そう言って、振り返りもせず行ってしまった。
 徹はその場に取り残され、しばらく彼女の後ろ姿を見つめていた。
 風変わりな美少女といえばそれまでだが、なんだかとっつきにくい女だった。徹は、とても友達にはなれそうもないという感想を抱いた。

 



 
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