第八狐 【化】
文字数 9,118文字
義を見て為さざるは、勇なきなり。
孔子
第八狐【化】
「瑞希、お前そろそろ自分の運転で酔うのやめろよ。慣れろ」
「慣れるって意外と難しいよな」
「あーあ。萌流ちゃんは今頃どこで何をしてるんだろう。俺とデートしたいんじゃないかな。なんで連絡してきてくれないんだろう。あ、わかった。照れちゃってるんだ。そうだよな。こういうことは男の俺から連絡しなきゃだよな!」
そう言って相裏が元気いっぱいに携帯をいじろうとしたとき、崎守が味噌汁を飲みながら言い放つ。
「お前のことなんて忘れてどこぞの男ひっかけて儲けてるだろうよ」
「お前!!!萌流ちゃんのことなんだと思ってんだよ!!清純だろうが!!」
「どこがだよ」
「俺に一途なとこ」
「一途じゃねえだろ。相裏の連絡先なんてもう消してると思うぞ」
「そんなことねえし。絶対ぇ残ってっし」
「なら電話してみろ。番号も変えてる可能性があるな。携帯自体変えてるかも」
「お前な、幾ら俺と萌流ちゃんが仲良しだからって妬くもんじゃねぇぞ」
「面倒臭ぇだけだ」
崎守と話をしながら携帯をいじり出した相裏は、言われたようにその女に電話をかけているようだ。
相裏は電話をかけてはすぐに切り、またかけては切り、と何度か繰り返した。
そして十回ほど繰り返したところで、相裏はいきなり崎守の胸倉を掴み上げてものすごい形相でまくしたててくる。
「どういうことだよ!!!全然萌流ちゃん電話に出ないんだけど!?なんで!?携帯が壊れちゃったのかな?!忙しいのかな?!それとも俺に何回も電話してほしくてじらしてるのかな?!でも変なんだよ!何回かけてもプープーって鳴るんだよ!!そもそも繋がらねえの!やっぱり携帯壊れたのかな?!それとも何か事件とか事故に巻き込まれてるのかな!俺心配だからちょっと出かけてこようと思うからお前付いてこい!萌流ちゃんのところまで飛ばせ!!!」
「落ち着け。吐く」
崎守の胸倉を掴んでいたかと思っていた相裏だったが、話しているうちに崎守の両肩を掴んで前後に激しく揺らし始める。
首をがくんがくんと動かされている崎守は、今しがた飲んだ味噌汁が胃から出てきそうだと訴える。
ようやく崎守を解放したかと思うと、車の鍵を渡してきた。
「一人で行け」
「萌流ちゃんの一大事だぞ!」
「お前が嫌われただけの話だろ。どこが一大事なんだよ」
「いいから早くしろ!!」
「つか何処にいるのかわからねえのにどうすんだよ。どこに向かうんだよ」
「萌流ちゃんの気配がする方!萌流ちゃんの匂いがする方!」
「・・・気持ち悪ィ」
「気持ち悪いわ」
「気分が悪いの!?大丈夫!?やっぱり一大事だったね。よかったよ無事で」
「だから言ったろ。お前のことなんか忘れてるって」
以前協力をしてもらった女性、七海萌流は、突如として自分の前に現れた二人の男を見てあからさまに怪訝そうな顔を見せ、さらには舌打ちをする。
「萌流ちゃんさぁ、酷いじゃない。なんで俺の電話に出てくれないの」
「二度と関わりたくないから携帯変えたのよ。もともと定期的に変えてるっていうのもあるけど」
「足がつくからな」
「そうよ。わかってるじゃない。ならこの馬鹿にも教えてあげなさいよ」
「こいつに通じるとでも思ってるのか」
一切相裏の方を見ない七海は、相裏の隣で頬杖をついて呑気に欠伸をしている崎守に文句を言う。
崎守が相裏の方を指さしながら七海と話せば、ちらっと相裏を見た七海は呆れたようにまたため息を吐く。
「で?何の用なのよ」
「相裏、本題は」
「え、萌流ちゃんの顔を見に来る以外の何が目的だっていうの」
「ふざけないで。あんたから急に連絡来るときは私から何か情報を仕入れたいときでしょ。何を知りたいのよ」
「萌流ちゃんてばそういう勘が良いところも大好きよ」
先ほどまでのお茶らけた感じを出して二ッと笑った相裏は、飲み干してしまったアイスコーヒーのおかわりを頼む。
「でも萌流ちゃんの顔を見に来たっていうのも嘘ではないんだけどな」
ケタケタ笑いながらそんなことを言う相裏に、七海は組んでいた足を組み替える素振りを見せながら蹴とばす。
アイスコーヒーのおかわりが届くと、少しだけそれを口に含んでから、相裏はぐいっと上半身を乗り出して七海に近づく。
「ある人物と合流して、あとはそいつの指示に従って情報収集してほしいんだよね」
「はあ?随分曖昧ね」
「そうなんだけどね。肉弾戦ももちろんこれから起こるんだろうけど、それと同じくらい情報が欲しんだよ。でも俺たちは目をつけられてる。正直動きにくい」
「・・・このご時世に戦でも起こるのかしら?」
「似たようなものが起こるかもね。でも極力したくはない。だから、穏便にことを済ませたい。それには情報が必要。だから萌流ちゃんが必要」
「今ここであんたたちと話してる時点で私も目をつけられてると思うんだけど」
「今日はねぇ、ちゃんと瑞希の運転でまいてきたから大丈夫なんだよ」
「腹減った。俺が頼んだパフェはいつくるんだ」
お腹をぐーぐーと鳴らせながら、崎守はテーブルに顔をくっつけていた。
ようやくパフェが届くと、崎守は目をキラキラさせながらパフェを食べ始め、その間に相裏は七海に何かを手渡す。
「そいつの連絡先と合流場所ね」
「まともなんでしょうね、その人」
「うん。俺に似てるよ」
「変わってるのね」
「相裏、そろそろ行かないと」
「萌流ちゃんそいつに惚れないでね」
「あんたに似てるなら惚れないから安心して」
相裏と崎守が会計を済ませて車を停めている方へと歩き出す。
残された七海は、渡された番号をしばらく見つめると、灰皿に入れて燃やしてしまう。
そこでしばらくティータイムを楽しんでから、携帯を取り出すとおもむろに指を動かす。
「ったく。人使い荒いんだから」
「相裏、俺たちはどうする?」
「そうだなー。あんまり派手には動けねぇけど、とりあえず、あの人が戻ってきてから有利に動けるように準備はしておかねえとな」
「波幸たちに連絡とるか?」
「いや、あいつらは俺たちより動けねえから。無理に動かせば勘づかれる」
「”たぬき”は今不在らしい。別件で動いてるんだろうな」
「・・・そういや、最近できた”いたち”ってのはどうなってんだ?機能してんのか?」
「一応してるみたい」
「なんだ一応って」
「だって会ったこともないし」
「一気に雲行き怪しくなったけど、迎撃くらい出来ねえとな。なんのためにここにいるのかわかったもんじゃねぇよ」
「・・・・・・」
「・・・なあ瑞希」
「なに」
「お前さ、俺と一緒に地獄に行く覚悟あるか?」
「・・・は?」
冗談でも言っているのかと、隣に座っている相裏の顔をちらっと見た崎守。
相裏は笑っていたものの、それは決して冗談などではないということはわかった。
それは、何年も一緒にいるからだろう。
「お前と一緒に、ってのは勘弁だ」
そう言いながら、崎守はギアをチェンジする。
「だが、それがあの人のためになるなら構わねえ」
「おー、妬けるねぇ」
喉を鳴らしながら楽しそうに笑う。
まるでこれから楽しい楽しい遊園地にでも行くかのようだ。
「ま、地獄ってもんがあんならよ、あいつら道連れにして逝かねえとな」
「・・・・・・」
「そんくらいしたって、罰は当たらねえよな?」
「・・・相裏」
「どうした?」
「すっげぇ吐きそう」
無事職場に戻ってきた相裏と崎守。
ぐったりしてしまっている崎守に、相裏はミネラルウォーターを買ってきて渡せば、崎守はそれを少し口に含むと目を瞑る。
自分のデスクに腰を下ろした相裏は、パソコンを開いて何やらカタカタ始める。
「ブルーライトが俺に襲い掛かってくる」
「お前目ぇ瞑ってんだろ。ブルーライトだってお前に襲い掛かってるつもりはねえと思うぞ」
「お前パソコン替えた?」
「替えてねえよ?」
「じゃあそれ誰のだ。お前のパソコンには変なステッカーが貼ってあっただろ」
「これ碧羽の」
「なんで碧羽のがここにあんの」
「別件で任務行く前に俺んとこに置いていったから」
「お前ら仲良かったのか?」
「別にそういうんじゃねえけど。慣れ慣れしく『ゆっきー』と呼んだのが運の尽きだったのかな」
「・・・何が運の尽きなの?」
沢山あるファイルをひとつずつ開いていき、今必要な情報が無いかを探している。
その時、一本の電話が鳴る。
電話の近くにいるのは崎守なのだが、電話に一切出ようとせず、まるで電話など鳴っていないかのように目を瞑っている。
「瑞希、電話鳴ってる」
「電話かけてくる奴ってなんなの?こっちの都合も考えないでかけてくるって迷惑じゃない?人の時間削ってるのわかってかけてきてるの?それって嫌がらせじゃん」
「気持ちはわかるけどな。つーか切れちまったじゃねえか」
「切れるまで待ったからな」
「待つな」
「え、まただ。誰?信じられない。どういう神経してるんだろう。俺だって暇じゃないのに。電話口で色々言われるの嫌いなんだよ」
「しょうがねえな」
一度は切れた電話だったが、またかかってきたため、今度は仕方なく相裏が椅子をすいーと動かして移動し受話器を取る。
「はーい、どちらさま?」
「誰だった?」
受話器を置いた相裏に尋ねると、相裏は深くため息を吐く。
「鬧影・・・」
「・・・え、まじ?なんで?」
「今あいつ軟禁状態で、携帯も自由に使えないらしい」
「大変だな。で、なんて?」
まるで他人事のように言う崎守は、大きな欠伸をする。
「俺たちはまだ自由に動けてるのかの確認だろう。炉冀んとこにも監視が入ってるみてぇだし、こっちにもそろそろ来るかもな」
「えー、やだよ。監視とか最悪。ストレス半端ないじゃん。相裏どうにかしろ。お前が囮となって一人で監視されろ」
「萌流ちゃん無事だといいけど」
「危険なことさせてねぇくせに」
「バレた?」
にしし、と笑う相裏に、崎守はデスクの引き出しからお菓子を取りだし、それをつまみながら聞く。
「大我って今どこいんの」
「知らね。けどまあ、あいつと一緒にいりゃなんとかなんだろ」
「あいつ前に将烈さんの部下だってバレたんじゃなかったか?大丈夫なのか?」
「大丈夫と信じてるぞ、俺は」
「それでいいのかよ」
「しょうがねえじゃん。俺が連絡先知ってて尚且つ今自由に動けそうなのあいつしかいなかったんだから」
そういうと、相裏は唐突に携帯を取り出し、何か操作をしたかと思うと、それをコーヒーメーカーに放り込んだ。
いきなり何をしているんだと思った崎守だが、それからすぐに男たちが部屋にやってきたことですぐに相裏の行動の意味を理解する。
すでに本体も中のデータもおじゃんになっている携帯を男たちに手渡すと、崎守も携帯を出すように言われる。
男たちはこちらは壊れていないようだと操作をするのだが、なんと、崎守の携帯に入っている登録先が、なんと相裏のものしかなかったのだ。
どういうことかと男たちは互いの顔を見合わせていると、相裏はケタケタ笑いながら答える。
「こいつは人づきあいなんて面倒臭ぇことはしねぇの。もちろん友達なんていやしねぇぞ」
それに納得したのかは知らないが、相裏と崎守は男たちに付いてくるよう言われたため、おとなしく付いていく。
男たちに付いていくと、相裏と崎守は別々の個室へと案内される。
相裏が部屋に入ると、そこにはあちこちに監視カメラや何かのセンサー、そして部屋の隅にぽつんと置かれたトイレ。
壁などが特に用意されていないため、カメラから完全に見える仕様だ。
「息苦しいったらありゃしねぇ」
一方、崎守が連れて行かれたのは監視カメラが一台だけある、相裏の部屋と比べると殺風景な部屋だ。
「・・・冷蔵庫は?」
「食事は朝7時、昼12時、夜8時に提供する」
「は?そんなんで足りるわけないだろ。お前らふざけてんの。味噌汁は出るんだろうな。洋食ばっかり出しやがったら許さねえぞ」
「おとなしくしてるんだな」
「テレビもないのにどうやって時間潰せって言うんだよ。お前らも同じ環境で生活してみろよ」
「おとなしくしてるんだな」
「あー、下の奴らに言っても仕方ねえのか。上の奴連れてこい。そいつと直接交渉してやるよ。自由に飯くらい食えるようにしろよって言うから」
「おとなしくしてるんだな」
男は同じことを言うと部屋に鍵をしめてどこかへ行ってしまったようだ。
「・・・・・・おやつは」
「暇・・・」
あれから2時間も経っていないが、崎守はぐだぐだしていた。
昼寝でもしようと思っていたようだが、見張られている状況に慣れていないためか、なかなか寝付くことが出来ずにいた。
何度目かの欠伸をしたとき、崎守の部屋の鍵が開いた。
静かに開いた扉をじっと見ていると、そこから見たことがあるような、ないような顔が覗く。
「出ろ」
「え、出るの。なんで」
「いいから出ろ」
勝手だな、と思っていると、その人物は先ほど奪われた崎守の携帯を見せ、それから床にわざと落とす。
「・・・・・・」
人の物を無下に扱うその人物は、扉を閉めると崎守に近づく。
そして、いきなり崎守を蹴り飛ばす。
床に尻もちをついてしまった崎守のことを心配することもなく、その人物は崎守に近づいていき今度は顔を蹴とばす。
眉間にしわを寄せて相手を見る崎守だが、相手はその視線を適当に交わす。
「前もって初期化でもしたのか。相変わらず用心深い奴だな」
「俺はもともと連絡はあんまり取らねえの。そういうのは相裏に任せてる」
「二人ともすぐに出してやる」
「なんで?絶対裏あるじゃん」
「裏があると思うと何か行動が違ってくるのか?やましいことでもあるのか?」
「あー、そういうの本当に嫌だ。だから組織は嫌いなんだよ」
「なんとでも言うんだな」
相裏と崎守はいとも簡単に部屋から出ることができた。
自分たちの部屋でおちあうと、相裏はすぐに自分たちが出された理由をなぜか崎守に聞いてくる。
「罠なんだって」
「罠だってわかってて俺たちはどうしたらいいのよ」
「知らない」
「そういうことな。わざわざ俺たち泳がせようって腹か。ったく。だから組織ってやつは嫌いなんだよ」
「・・・・・・」
「なんだよ」
「別に」
「ま、何言われようと何されようと、俺たちがすることに変わりはねえけどな」
「上手くいけばまだバレてない奴らも芋づる式で捕まえられるってことだな。けど、相裏どうするつもりだよ」
「俺たちはな、反撃なんて大それたことしなくてもいいんだよ。ただ、切り札になればいい」
「切り札?」
相裏はいつものように口角をあげて笑う。
デスクの引き出しを開けてみるが、そこに目的のものは入っていなかったようだが、相裏は平然とこう言った。
「あちゃー。やっぱ押収されちまったか」
「・・・ああ、碧羽のパソコン?」
「そ」
有益な情報が入っているであろうパソコンが持っていかれてしまったというのに、相裏はケタケタと楽しそうだ。
椅子をくるくる動かすと、うーんと伸びをする。
「はてさて、どうなることやら」
「楽しそうだな」
「瑞希だって楽しそうじゃん」
「どこが」
「さて、罠とわかってて動きますか」
「きつねが動いたようです」
「早いな」
「囮でしょうか」
「・・・様子を見よう」
相裏と崎守は早速二人そろって出かける。
いつもの巡回かもしれないが、二人は車に乗った。
そしていつものように崎守の運転で走り出す。
何人か取り締まりをしたところで、ふいに車を停めると、そこから崎守が気持ち悪そうに出てくる。
近くのお手洗いに駆け込むと、しばらく出てこなくなってしまった。
その間、相裏は特にすることなくシートを倒して寝ようとしている。
五分ほどしてようやく崎守が顔を下に向けてまだ気持ち悪そうに口元も手で押さえた状態でゆっくり歩いてくる。
相裏はその状態で車に乗り込んだ崎守を見て大笑いしている。
運転を再開すると、その日は何事もなく仕事を終えたようで、そのまま”きつね班”の部屋まで向かった。
「特に変わったことはありませんでした」
「油断はするな」
「はい」
崎守はずっとうつ伏せになっており、相裏に至ってはそんな崎守を見てずっと笑っていた。
それから何日経っても、相裏たちが特別な行動に出ることはなかった。
泳がせられないと思ったのか、相裏に携帯を返すと、相裏は「ゲームの連続ログインで貰えるアイテムがもらえなくなった」と文句を言っていたようだ。
しかし、携帯を渡したところで状況が変わることはなかった。
押収したパソコンを調べてみたようだが、パスワードがわからずしばらくその画面を眺め、それから解析に回したのだが、どういうわけか、データが何も残されていなかったという。
毎日毎日相裏たちの監視を続けてみるが、相裏はほとんど携帯でゲームでもしているようで、崎守はやることがないととことん寝ているらしい。
一体自分たちは何を見張らされているんだろうとさえ思うような感じに襲われていることだろう。
「まだ監視するのですか」
「どうしてだ」
「正直、あいつらは見張る意味がないかと。他の奴らと比べると、その・・・」
「あの男が捕まるまではしっかり見張っておけとのお達しだ」
「・・・わかりました」
数日後のことだ。
痺れを切らしたのか、数人の男たちが相裏の前に現れると、相裏を連行する。
「崎守瑞希は奥の部屋か」
「・・・瑞希ー、呼んでるぞ」
「・・・・・・」
「昨日俺のゲームやったらその画面で酔ったみたいなんだよな。ずっと目が回ってるってさ。そっとしといてやってくれよ」
「そうはいかない」
男はずっと下を向いている崎守の腕を引っ張るが、それでも崎守は下を向いたまま。
それでもなんとか歩くため、そのまま相裏と一緒に連れて行くことにした。
二人はとある部屋に連れていかれると、着いた瞬間、いきなり相裏が殴られる。
「お前たちが動くのを待とうと思っていたんだが、こうするのが早いと判断した。悪く思わないでくれ」
相裏はペッと口から血を吐き出すと、目の前にいる男たちに向けて、まるで挑発するかのように口を開けた状態で唇をぺろりと舐め上げる。
それを見て、男はさらにもう一発相裏を殴る。
「どのみち、あの男さえ捕まえればお前たちはみな一斉に反逆罪で捕まる。だがもし今、こちらに有益な情報を渡すのであれば、死刑は見逃してやってもいいんだが」
「要するに、まだ有益な情報が手元にねえってわけか」
再び殴られ、相裏は自分の口の中に溜まる血を集めてから外へ出す。
そのあと傷口を確認するように口の中で舌を動かす。
「図星だからって殴るなよ」
「お前たちに勝算はない。なぜなら、お前たちが頼りにしていた一番の綱である男は死に、二番目の綱である男は組織に追われている。ここから生き延びるのは至難の業だ」
「そうか?」
「負けの決まっている博打だ」
「全員が全員勝ちに賭けたらつまらねぇだろ。負ける方に賭ける奴もいるから博打ってのは面白ぇんだぜ?」
「お前たちは負ける方に賭けるのか?負けるとわかっているなら勝ちに移行することもまた賢明な生き方だと思うが」
「そもそも負けると思っちゃいねぇから賭けてるんだぜ?」
「・・・理解しがたい」
「理解してほしいなんざ思っちゃいねぇ。俺たちは、俺たちのことを受け入れてくれた人たちに恩を返したいだけだ」
「無駄死にするぞ」
「無駄死にはならねぇよ。俺たちが例えどんな死に方したって、無駄にならねぇように誰かが生きてくれる。だから絶対に無駄にはならねぇし、無駄にはさせねぇ」
「・・・それは、今ここで殺されてもいい、という解釈でいいかな?」
「ぶっ飛んだ解釈だな」
くくく、と喉を鳴らしながら笑う相裏を見て、男はずっと下を向いている崎守へと視線を移す。
すると崎守の後頭部に銃を突き付ける。
「・・・・・・」
こつん、と後頭部に銃口が当たっているため、崎守の頭は少しだけ前に動く。
「ならばまずお前の右腕でもあるこの男を殺そう。それからもう一度だけ答えるチャンスをやろう」
「どのみち答えは変わらねえからやめておけ」
「仲間をかばうか。ならばなおのこと殺しておこう」
男が引き金に指をかけ、少しだけ力を込める。
「お前なんでここにいるんだ」
「なんでって、しょうがないじゃん。少しでも自由に動き回るにはこれしか方法なかったんだから」
「いや、あいつは?大丈夫なのか?」
「なんとかするんじゃない?そのために康史に変装してもらったんだし」
「で、昌史はなんて?」
「『簡単にハッキング出来るようにしてもらったからよろしく』って言ってた」
「・・・ふう。それだけか」
「な。お前がそういうのそこまで得意じゃないってわかってて頼んでた」
「そうだな。吾朗ちょっといいか」
「あいよー」
黒髪に赤メッシュが入っている男と、その男に似ている少女が現われる。
「お前宛てだ。昌史からだと」
吾朗と呼ばれた男は、正直言うとあまりそういう類のものは得意ではなさそうなのだが、部屋からパソコンを持ってくる。
吾朗はそれから何やらパソコンをいじりだす。
「炉端仕込みのカタカタさばき!とくと見ろ!」
「こういうところ馬鹿なんだよな」
「・・・相裏が気に入るわけだ」
「なんだ?お前は」
銃声は確かに鳴り響いたのだが、相裏の頭に風穴が開くことはなかった。
そこに出現した異様な存在に、男たちは思わず後ずさる。
「これは、現実か?」
「もう少し耐えるつもりだったが仕方ないな。死んだら元も子もない」
ずっと下を向いていた男は、ここでようやくゆっくり顔をあげた。
「お前は、誰だ?」
「そんなことは今どうでもいいよ。俺は平凡に生きたいだけなのに、こんなことに巻き込まれて至極迷惑してるところだ」
「捕らえろ。こいつも殺せ」
「普段ならこういうことは言わないけど、今回だけは言ってみようかな」
何を言うつもりだと思っていると、男は少しだけ笑う。
「やれるもんならやってみな」
彼らの胸にあるのは『緊褌一番』。
失ったものを取り戻すのは困難であるが故に、諦めてしまう者もいるだろう。
それでも、弱い心のままではいられない。
なぜなら、彼らにはまだ見えるのだ。
恍惚と輝く、その太陽が。