第一天 【異】
文字数 9,173文字
人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ。
リチャード・ニクソン
第一天【異】
「おい黄生、そっちじゃねえって」
「わかってる」
「わかってねぇだろ」
「わかってるって。西に向かってるんだから」
「ならなんで朝陽が出てる方に向かって歩いてるんだよ」
「え、だって朝陽が昇る方が西だろ」
「お前そこまでやべぇのか」
「何言ってんだ。これはちゃんと数え歌的な感じで教えてもらったんだからな」
「誰になんて」
「確か【西から昇ったお日様がー東ーへーしずーむー、大変!】みたいな感じで」
「大変!って言ってんじゃねぇか。それ間違ってるやつだからな。忘れろ、今すぐ記憶から抹消しろ」
「せっかく覚えたのに」
「間違ったこと覚えても仕方ねえだろ」
「腹減ったな」
「この自由人め」
咲明は、隣で自ら進んで迷子になりに行こうとした黄生の首根っこをつかむ。
とはいえ、黄生も大の大人なわけで、首根っこをつかんではいるものの、ちょっとだけ前側の服が首に引っかかっている程度だが。
苦しくはないだろうに、黄生は「うえっ」と小さな唸り声を出していた。
咲明はそれを気にすることなくしばらくの間、黄生が好き勝手に動けないようにとそのまま歩き続ける。
少しして徐々に腕にかかる負担が重くなり、何かを引きずる形となったため、咲明は後ろを振り返ってみる。
すると、黄生は引きずられながら寝ていた。
「よくこの状態で寝られるな」
呆れていると、近くに宿を見つけたためそこに一旦泊まることにする。
黄生を適当に寝かせると、咲明は窓を少しだけ開けて外の様子をうかがう。
誰かにつけられている感じもなかったから大丈夫だとは思ったが、それでも油断できないのは確かだ。
黄生は自分が狙われているのがわかっているのかいないのか、緊張感も警戒心もほとんど持ち合わせていない。
静かに窓を閉めると、咲明は呑気に寝ている黄生の顔を見てため息を吐く。
「ったく」
夜になりお腹が空いてきた頃、宿からご飯はどうするか聞かれたため、お願いすることになった。
それでも黄生はなかなか起きない。
「おい、いい加減起きろ」
「え?寝てないけど」
「嘘つけよ」
「眠い。まだ眠い。なんで咲明は眠くならないの。不思議だね。人間じゃないのかな」
「むしろなんでお前がそんなに寝られるのか俺は不思議だ」
「人間だもの」
「その一言で済ますな」
「みかん食べたい」
「今ご飯用意してくれてる」
「みかんは」
「知らねぇよ」
起きてからも自分のペースの黄生は、ご飯が運ばれてくるまでの少しの間、二度寝を始める。
これも一種の才能なのかと咲明が感心しそうになったとき、ご飯の準備が出来たと声が聞こえてきた。
「あ、ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
「わーい、ご飯だー」
「ちゃんと座って食べろ」
運ばれてきて早々、黄生は刺身を手づかみで食べる。
席に座らせると、黄生は両手を合わせて「いただきます」をする。
とにかく一口一口が大きいため、黄生はあっという間に食べてしまい、まだそこに残っている咲明のご飯をじっと見つめる。
自分の分を食べたというのに、ぎゅるるるる、と盛大にお腹の虫が鳴っていた黄生に、咲明は目を合わせることなく静かに言う。
「ちゃんと嚙んで食べろ」
「もう無い」
「味わって食べろ」
「もう無い」
「感謝して食べろ」
「もう無い」
「ごちそうさましろ」
「まだ入る」
「まだ入る、じゃねえよ。まだ入ろうとなかろうと、お前の分はもうねぇの。諦めて風呂入って静かに寝てろ」
「あと三人前は入る」
「どんだけ食うんだよ」
「三人前は無理かも。二人前くらいかな」
「どっちでもいいわ」
「実は三人で来てるんでもう1人分くださいって言ってこようかな」
「勝手にしろ。そんときは宿泊料プラスはお前が払うんだからな」
「現実的な話をする男ってどうかと思うよ。もっとロマンを話そうよ」
「ロマンじゃ金は払えねえ」
「咲明は俺が餓死してもいいと思ってるんだ。酷い」
「一人前食った奴が餓死するわけねえだろ。お前昼間だってどんだけ食ったと思ってんだよ。むしろ夜食わなくてもいいくらいは食っただろ」
「食べるって本能じゃん。本能ってことは無意識じゃん。ってことは覚えてないよね」
「んなわけねえだろ。食べる行為は意識的だろうが」
「咲明、茶碗蒸し食べてあげるよ」
「結構だ」
なんとかして咲明のご飯をおすそ分けしてもらおうとした黄生だったが、どうにもこうにも無理だったようだ。
黄生は諦めて先に温泉に入る。
髪、顔、体を洗って温泉の湯に浸かると、ぼーっと、そこから見える夜空を眺める。
温泉から出て体を拭いていると、黄生はなんとなく体が火照ったままで気持ち悪かったため、扉を開けて誰もいないことを確認すると、下部分だけ服を身に纏い、上半身部分は被らずに裸のまま部屋に戻る。
咲明に怒られるかな、と欠伸をしながら部屋に戻ると、そこにはご飯を食べ終えて体を横にして寝ている咲明がいた。
珍しいな、と思っていると、黄生も眠気に襲われる。
黄生はいつものことなのだが。
「眠い・・・」
「黄生、黄生」
「まだ眠れる」
「そういう状況じゃねえ。起きろ」
「どういう状況だろうと俺はまだ寝る。俺の睡眠を妨げるなんて許さない」
「黄生、声が出るなら一旦目ぇ開けろ。そうすりゃわかる」
「えー、もうなに・・・」
咲明に起こされた黄生が、言われた通り仕方なく目を開けてみると、そこには椅子に座らされている咲明と、隣で同じように椅子に座らされて縛られている自分がいた。
「わかったか」
状況が読めたようだと、咲明が確認のため黄生に声をかける。
しかし、黄生から聞こえてきた返事は思いもよらないものだった。
「なんだ、こんなことか。まだ寝れる」
「おいおいおいおいおいおいおい、冗談だよな?冗談だろ?俺もお前も捕まってんだけど。拘束されてんの。殺されるかもしれねぇんだぞ。寝られる寝られないの話じゃねえの」
「だってこんなの正直何回かあるし。小さい頃からあるし。こんなので驚く俺じゃないし。俺は腹ペコな上に眠いし」
「一回まともに起きてろ。少しでいいから。んで、これがどういう状況で、俺たちがどうなっていくのか聞いて、それから寝ろ。それでいいだろ」
「咲明、それは違う」
「何が」
「睡眠って波があるじゃん。眠いな、って思ったときに寝るのと、眠くないな、って思ったときに寝るのとじゃ寝る気持ちよさが違うじゃん。俺は気持ちよく寝たいの。だから今じゃなきゃダメなんだ、わかってくれ」
「久しぶりだな、黄生」
「・・・・・・」
聞こえてきた声に、黄生はようやく目を開けて声の方向へと目線を動かす。
そこにいたのは、見たことがあるような。ないような。あるような。・・・あるのかな?ないかもしれないかな?
黄生がなかなか口を開かないことと、目は合ったものの、キョトンとしていたためか、男から声をかける事態だ。
「・・・覚えていないのか」
「・・・・・・」
「黄生、なんとか言え」
「忘れるわけないよな」
「・・・・・・えっと、あれだよ。あの、あれ。なんだっけ。覚えてるよ。名前をど忘れしちゃっただけで覚えてるよ、あのね・・・」
「じゃあどこで会ったか言ってみろ」
「確かあれは七年前。俺はトイレに行こうと思ったんだけど近くには民家しかなくて、そこで借りてすっきりして出ていくときに俺を泥棒と勘違いした近所の人がいたような気がする」
「・・・残念だがそれは俺じゃない」
「えっと、じゃああれだ。確かあれは十年前。俺は昼寝をしようと思ったんだけど急に雨が降ってきたから外で寝られなくて、しょうがないから近くの小屋で寝ることにしたんだ。雨が止んで外に出たときに俺を盗賊と勘違いした近所の人がいた気がする」
「違う」
「じゃあ・・・えっと・・・」
「黄生もういいよ。こいつに直接聞いた方が早そうだ」
「え、頑張って思い出そうとしたのに」
咲明に止められたため、黄生は思い出すことを止めた。
一方、黄生が自分のことを覚えていなかったことに対して、特に表情にイラつきを出すこともなく話を聞いていた男。
笑みを浮かべながら黄生に近づくと、男は黄生が座っていた椅子の足元を思い切り蹴り飛ばした。
ガタン!と大きな音を出して黄生が椅子ごと倒れると、黄生の頭に足を乗せてグリグリと踏みつける。
「黄生!!!」
「お前も五月蠅いぞ。静かにしろ」
「ッッッ!!!」
黄生のことを心配した咲明だったが、その咲明の声に対し、男は一切躊躇することなく咲明の足に銃弾を撃ち込む。
止血もすることなく、それどころか、男は咲明のことなど一切気にすることなく、自分の足元にいる黄生へ向けてため息を吐く。
「黄生、やっと見つけたよ。昔は仲良くやってたじゃないか。なのになんで逃げたりしたんだ?お前には期待していたのに」
「嫌気がさしたんだ。それにちゃんと届は出した。逃げたわけじゃない」
「逃げたも同然だろ。俺と一緒に未来に向けて研究を続けることより、賞金稼ぎになって命狙われる道を選ぶなんて、馬鹿になったのか?それともこいつに唆されたのか?」
そういうと、男はまたしても咲明に向けて銃を撃つ。
一発目の傷が痛む中、咲明は再び声をあげる。
「可哀そうに。お前のせいでこいつは死ぬんだ」
「・・・ッ」
「ああ、そうか。こいつはあの男の片割れだったな。上手くいけば交渉に使える。人質として役に立つなら生かしてやってもいい。まあ、生かしたまま交渉するかは俺は知らないが」
男の言っている”あの男”が誰なのか、黄生はすぐに理解した。
「さて、黄生。選ばせてやろう」
男は黄生の頭から足をどかせると、今度は黄生の髪の毛を鷲掴みする。
ぐいっと強引に顔をあげると、男は両ひざをまげて黄生の顔をのぞき、その表情に少しだけ顔を緩ませる。
「俺と一緒に研究室に戻るか。こいつと一緒にあの世に逝くか。どうする?」
黄生と咲明が出会ったのは、本当にただの偶然だった。
それからどういう縁なのか、なんとなくだが、これまで見てきたり会ってきた奴とは違う感じがして、ずっと一緒にいた。
咲明は黄生のことをほとんど知らない。
黄生も咲明のことをあまり知らない。
互いのことは知らなくても、色んな繋がりがあってここまで来た。
黄生はちらっと咲明の方を見ると、男はその視線に気づいて咲明に銃口を向ける。
すでに二発撃ち込まれている咲明だが、深呼吸を繰り返してなんとか意識を保っている
。
「そんなに大事か?」
「お前には関係ない」
「俺たちのことは簡単に裏切ったのにな?覚えてすらいなかったのにな?」
「裏切ったわけじゃない。辞めたことを裏切りなんて言わない。俺の人生だ。どうするかは俺が決める」
「じゃあ、お前が持って逃げた情報だけでも渡せ。そしたら・・・まあ、殺さないかもしれない」
「情報?何の話だ」
「知らないとは言わせねえぞ。お前は特別な仕事を任されてた。それを俺に教えろ」
「何の話かさっぱりな上に、知りたいなら直接聞けばいいだろ。それともお前クビにでもなったのか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・え、図星?なんかごめん。本当にそんなことになってるとは。え?じゃあ一緒に研究室に戻ろうって言ったのは、俺を連れていけば戻れると思ったから?」
「お前が研究所を出てからのことも調べさせてもらった」
「うわ、話しすり替えたんだけど」
男が話を続けようとしたそのとき、黄生は体を動かして椅子を背負うようにして胡坐をかく。
「俺のこと調べんのはいいけど、だからって関係ない奴を傷つけるのはどうかと思う」
「関係ない?なら気にすることはない。あいつがどれだけ拷問されようと、どんな死に方しようと、お前には関係ない。だろ?」
「・・・・・・お前みたいな奴が沢山いたから嫌になったんだ」
「じゃあ、答えが出せないならまずはあいつを痛めつけてみるか」
「・・・やってみろよ。出来るならな」
「あ?」
「うわああああ!!!!」
「なんだ!どうした!!」
男の仲間の声のうめき声が聞こえてきて、男は思わず振り返る。
その瞬間、黄生は体を浮き上がらせながらひねり、背中の椅子を男にぶつける。
いきなりやってきた衝撃に、男は思わずよろけるが、すぐに黄生を拘束しようと腕を伸ばすが、今度は黄生の蹴りが側頭部に入る。
男たちの動きが止まった隙に、黄生は力づくで自分の体を拘束していたロープを解くと、咲明のもとへと駆け寄る。
「足は」
「大丈夫じゃねえ」
「だろうな」
そういうと、黄生はひょいっと咲明を担ぐ。
「おまッ!何してんだよ!!」
「え、だって大丈夫じゃないっていうから。担いで走ろうかなって」
「置いていけ!弾抜けてねえから、どうせ使いもんにならねえ!!」
「なら余計背負うよ」
「お前一人で行けって!!」
「え、俺が一人でここから無事に逃げおおせると思ってるの?」
黄生の方向音痴を思い出した咲明だったが、それでも身軽で怪我もしていない黄生だけの方がいいと判断する。
しかし、黄生は一向に咲明を下ろそうとしない。
「おい!!お前本当に話聞かねぇな!!起きてるだけマシだけど!!!」
「え?なに?風の音で聞こえない」
「爆走しすぎなんだよ!!つかどこ向かってんだお前!!」
「なんとなく出口の方」
「気絶してたのに出口なんてわかるわけねえだろ!!あ、だからなんとなくか。いやいやそうじゃねえだろ!!!」
「咲明なにノリツッコミしてるの。重症だね。あ、窓がある」
「やめろ。窓があるだけで出口じゃねえからな。一階とは限らねえからな」
しかし、咲明の助言を聞くこともなく、黄生はどんどん加速していく。
黄生に担がれている咲明は、黄生を止めることも行く先を確認することも出来ないまま、ただ自分の体に襲いかかる浮遊感を受け入れるしかなかった。
「お前のこと一生恨むところだった」
「着地した衝撃で摩訶不思議と銃弾が足から抜けてよかったね」
窓は一階のものだったようで、黄生と咲明はなんとか無事だった。
黄生は自分の腰に巻いてある布を外すと、咲明の怪我の部分にあてがって止血を試みる。
二人を追ってきている男たちの声が聞こえる。
「・・・黄生、俺はいいから。お前先に行け」
「やだ」
「子供か。いいから行けって。正直俺は走れねえ。だからといって俺を担いだままじゃいずれ逆戻りだ」
「・・・・・・咲明を置いていくくらいなら、俺も残る。残って、あいつらぶっ潰してから一緒に逃げる」
「そんな聞き分け悪い奴じゃねえだろ。どうしたんだよ」
「・・・・・・」
「足手まといになるくらいなら、ここで散ってやるよ」
「・・・・・・」
怪我をした部分に巻いた布が、徐々に赤みをおびえていく。
咲明は足を引きずりながら立ち上がる。
そのあと、黄生もゆっくりと立ち上がると、お互い顔を見ることなく、じっとしていた。
男たちの声が大きくなる中、二人は何も話さずに立ちすくむ。
風が気持ちよい。こんなときになんだが、優しいそよ風に現実を忘れそうになる。
咲明は自分一人男たちの前に向かおうとしたとき、黄生がその腕を掴んだ。
「黄生、今お互いにやれることをするぞ。それが、最善だ」
「・・・・・・」
「大丈夫だ。あいつらくらいボコボコにしてすぐ行くから」
「・・・・・・」
「黄生」
「・・・最善かどうかなんて、わからないだろ」
「・・・・・・」
いつもの感じとは違う黄生に、今度は咲明は黙ってしまう。
「お前と会う前に、そう言って分かれて、二度と、会えなくなった奴がいる」
ぎゅっ、と咲明の腕を掴む黄生の力が少しだけ強まる。
「あいつも、笑ってた。今思えば、あいつの手は震えてた。わかってたんだ。自分がどうなるかってこと。その恐怖を見せないように、あいつは笑ってた。・・・今のお前みたいに」
「・・・・・・」
自分の腕を掴んでいる黄生の腕が小刻みに震えていることに気づいた咲明は、掴まれていない方の手で黄生の頭を撫でる。
思ってもいなかった行為に、黄生は思わず目をぱちくりとさせる。
「なに」
「いや、なんとなく」
「シリアスなシーンだったのに」
「俺たちには似合わねえだろ?んなのはな、別の奴らに任せりゃいいんだよ」
咲明がいきなりケタケタと笑い出したため、黄生は何事かと眉を潜ませる。
男たちには聞こえていないだろうが、こんな状況で笑うなど、それこそどうかしてしまったのかと心配になる。
「俺たちは、お互いのこと思ったより知らねえよな」
「・・・・・・」
「別に知りてえとは思ってねえし、無理に話してほしいわけでもねぇ。お前がいつか俺に話す気になったら、そんとき聞いてやる」
「・・・・・・」
「お前は色んなもん背負って生きてんだろうから、少しくらい俺も背負ってやるよ」
気づけば、咲明の腕を握っていたはずの黄生の腕は、反対に咲明に握られていた。
その腕はしっかりと黄生の腕を掴み、まるでそれは、迷子になりそうな弟の手を握っている兄のように優しくて。
思わず小さく笑ってしまった黄生に、咲明は念のため、と言って付け足す。
「俺まじで走れねえからな。それだけは覚悟しておけよ。足ひっぱっても知らねえからな」
「うん、知ってる。重かった」
「この野郎」
一瞬の間の後、二人は互いの顔を見て笑いあった。
その時、男たちが現れる。
「やれやれ。あまり手間を取らせないでくれるか」
ぞろぞろと現われた男たちに向かい、黄生と咲明は笑うしかない。
「こっちも手間取らせるのは悪いから、諦めてどっか行ってくれると助かるんだけどな」
「まともに歩けもしない奴を連れて、俺たちから逃げるつもりでいるのか、黄生?」
男の狙いはあくまで黄生一人のようで、咲明の方などあまり見ず、黄生のことだけを見て話し続ける。
止血したとはいえ、咲明はこうして立っているだけで必死な状態だ。
それをわかっているからこそ、男たちは咲明には目もくれずに黄生だけを注意しているのだろう。
「あ、思い出したかも」
この場にふさわしくないような、緊張感のない声が聞こえる。
どうやら、黄生が男の名前を思い出したようだ。
「山田くんだ」
「・・・・・・」
「よかった。やっと思い出した。一仕事終えた感じ」
「・・・・・・」
「山田くん久しぶりだね。随分出世したみたいで、おめでとう。でもいきなりこんなことをする人には見えなかったから驚いたよ」
「・・・・・・」
「どうしたの山田くん」
「黄生、多分山田くんじゃないぞ」
「え・・・・・・」
やっちまった、と思った黄生だが、もう遅かった。
男が手をあげると、周りの男たちは一斉に銃を構える。
「黄生、お前をハチの巣にしたくないんだ。出来れば無傷のまま研究所に連れていきたい。そしてまた一緒に働こう。お前が必要なんだ」
「ハチの巣にしたくないならすぐに銃を下ろして欲しいし、もっと言えば銃なんて持って俺に会いに来てほしくなかったなって思います」
「お前が賞金稼ぎになっていて、しかもあの男の片割れと一緒にいると知って、そんなのんびりとしていられなくなったんだ。悪く思わないでくれ」
「生きていくために頑張ってたらいつの間にか勝手に賞金稼ぎになっててさらに賞金首にまでなってて驚きました。あれってどうしたら取り消してもらえますか?それと、さっきから”あの男””あの男”って濁した感じで言ってますけど、俺知ってるんで大丈夫です。え?誰?知りたいなーってならないんで」
「そうなのかい。知ってるってことは、やっぱりお前もあっち側の人間ってことか」
「あっちとかそっちとか言われてもわかりません。右とか左で言ってください」
「どうしてさっきから敬語なんだ?俺とお前の仲じゃないか。もっと気さくに話してほしいものだよ」
「銃を向けられてる時点で仲良くないし、そもそも気さくに話した記憶がないからわかりません。あなたは誰ですか。整形でもしましたか。そしたらわかりません。帰らせてください」
「仕方ない。お前は少し痛めつけて、あいつは・・・手土産にはなるから死なない程度に痛めつけておくか」
男がくるりと黄生たちに背を向けると、銃声が鳴り響く。
数人の男たちの苦しそうな声を背後に聞きながら、男はポケットに入っている煙草に手をつける。
それに火をつけようとしたとき、ふと、咥えた煙草を再びケースに戻す。
「なるほど。賞金稼ぎは伊達じゃないってことか」
男が黄生たちの方を見ると、そこには男たちから銃を奪った黄生と咲明の姿があった。
二人は他の男たちを銃で威嚇しながら距離をとっていくが、男は平然と携帯を取り出すと、応援を呼ぶ。
「これ以上増えたらまずいぞ」
「ん、だから最終手段」
「最終手段?」
咲明が黄生にこそっと話しかけると、黄生は銃を男たちに向かって投げつけ、またしても咲明を担ぎあげる。
まじか!と思っていた咲明だが、言葉を発するよりも先に黄生が走り出したため、黙って担がれることにした。
後ろから追いかけてくる男たちに対し、持っている銃を撃つ。
「追いかけろ!」
「早く捕まえるんだ!!!」
「たった二人だぞ!しかも一人は負傷してる!!なにしてるんだ!!」
「・・・・・・」
小さくなっていく背中に、男は焦ることなく男たちに命令する。
「どんな手を使っても構わない。最悪死んでなければなんでもいい。例え腕がなくても、目玉がなくてもな」
「黄生!!無茶すんじゃねえぞ!」
「・・・・・・」
「聞いてんのか!?おい!!」
「・・・咲明、俺さ」
「あ!?なんだ!?」
「最期まで、お前といるから」
「・・・・・・」
「何があっても最期まで一緒にいる」
「・・・しょうがねえな。お前みたいな方向音痴、一人にしておくわけにはいかねえし」
その時、黄生の脇腹を銃弾がかすめる。
「黄生!」
「平気、当たってない」
しばらく走り続けるも、男たちはずっと追いかけてくる。
黄生に担がれながら、咲明は男たちの動きを見る。
大男を担いで走るなど、体力を相当使うはずなのに、黄生はとにかく走ることに必死で疲れを感じていないようだ。
そんな黄生を見て、咲明は笑う。
「一蓮托生ってやつか」
「ん?なに?」
「なんでもねえ。頼んだぜ、黄生」
「頑張る」
二人を待ち受ける未来もまた、【一蓮托生】が誘う希望と絶望の分かれ道。
リチャード・ニクソン
第一天【異】
「おい黄生、そっちじゃねえって」
「わかってる」
「わかってねぇだろ」
「わかってるって。西に向かってるんだから」
「ならなんで朝陽が出てる方に向かって歩いてるんだよ」
「え、だって朝陽が昇る方が西だろ」
「お前そこまでやべぇのか」
「何言ってんだ。これはちゃんと数え歌的な感じで教えてもらったんだからな」
「誰になんて」
「確か【西から昇ったお日様がー東ーへーしずーむー、大変!】みたいな感じで」
「大変!って言ってんじゃねぇか。それ間違ってるやつだからな。忘れろ、今すぐ記憶から抹消しろ」
「せっかく覚えたのに」
「間違ったこと覚えても仕方ねえだろ」
「腹減ったな」
「この自由人め」
咲明は、隣で自ら進んで迷子になりに行こうとした黄生の首根っこをつかむ。
とはいえ、黄生も大の大人なわけで、首根っこをつかんではいるものの、ちょっとだけ前側の服が首に引っかかっている程度だが。
苦しくはないだろうに、黄生は「うえっ」と小さな唸り声を出していた。
咲明はそれを気にすることなくしばらくの間、黄生が好き勝手に動けないようにとそのまま歩き続ける。
少しして徐々に腕にかかる負担が重くなり、何かを引きずる形となったため、咲明は後ろを振り返ってみる。
すると、黄生は引きずられながら寝ていた。
「よくこの状態で寝られるな」
呆れていると、近くに宿を見つけたためそこに一旦泊まることにする。
黄生を適当に寝かせると、咲明は窓を少しだけ開けて外の様子をうかがう。
誰かにつけられている感じもなかったから大丈夫だとは思ったが、それでも油断できないのは確かだ。
黄生は自分が狙われているのがわかっているのかいないのか、緊張感も警戒心もほとんど持ち合わせていない。
静かに窓を閉めると、咲明は呑気に寝ている黄生の顔を見てため息を吐く。
「ったく」
夜になりお腹が空いてきた頃、宿からご飯はどうするか聞かれたため、お願いすることになった。
それでも黄生はなかなか起きない。
「おい、いい加減起きろ」
「え?寝てないけど」
「嘘つけよ」
「眠い。まだ眠い。なんで咲明は眠くならないの。不思議だね。人間じゃないのかな」
「むしろなんでお前がそんなに寝られるのか俺は不思議だ」
「人間だもの」
「その一言で済ますな」
「みかん食べたい」
「今ご飯用意してくれてる」
「みかんは」
「知らねぇよ」
起きてからも自分のペースの黄生は、ご飯が運ばれてくるまでの少しの間、二度寝を始める。
これも一種の才能なのかと咲明が感心しそうになったとき、ご飯の準備が出来たと声が聞こえてきた。
「あ、ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
「わーい、ご飯だー」
「ちゃんと座って食べろ」
運ばれてきて早々、黄生は刺身を手づかみで食べる。
席に座らせると、黄生は両手を合わせて「いただきます」をする。
とにかく一口一口が大きいため、黄生はあっという間に食べてしまい、まだそこに残っている咲明のご飯をじっと見つめる。
自分の分を食べたというのに、ぎゅるるるる、と盛大にお腹の虫が鳴っていた黄生に、咲明は目を合わせることなく静かに言う。
「ちゃんと嚙んで食べろ」
「もう無い」
「味わって食べろ」
「もう無い」
「感謝して食べろ」
「もう無い」
「ごちそうさましろ」
「まだ入る」
「まだ入る、じゃねえよ。まだ入ろうとなかろうと、お前の分はもうねぇの。諦めて風呂入って静かに寝てろ」
「あと三人前は入る」
「どんだけ食うんだよ」
「三人前は無理かも。二人前くらいかな」
「どっちでもいいわ」
「実は三人で来てるんでもう1人分くださいって言ってこようかな」
「勝手にしろ。そんときは宿泊料プラスはお前が払うんだからな」
「現実的な話をする男ってどうかと思うよ。もっとロマンを話そうよ」
「ロマンじゃ金は払えねえ」
「咲明は俺が餓死してもいいと思ってるんだ。酷い」
「一人前食った奴が餓死するわけねえだろ。お前昼間だってどんだけ食ったと思ってんだよ。むしろ夜食わなくてもいいくらいは食っただろ」
「食べるって本能じゃん。本能ってことは無意識じゃん。ってことは覚えてないよね」
「んなわけねえだろ。食べる行為は意識的だろうが」
「咲明、茶碗蒸し食べてあげるよ」
「結構だ」
なんとかして咲明のご飯をおすそ分けしてもらおうとした黄生だったが、どうにもこうにも無理だったようだ。
黄生は諦めて先に温泉に入る。
髪、顔、体を洗って温泉の湯に浸かると、ぼーっと、そこから見える夜空を眺める。
温泉から出て体を拭いていると、黄生はなんとなく体が火照ったままで気持ち悪かったため、扉を開けて誰もいないことを確認すると、下部分だけ服を身に纏い、上半身部分は被らずに裸のまま部屋に戻る。
咲明に怒られるかな、と欠伸をしながら部屋に戻ると、そこにはご飯を食べ終えて体を横にして寝ている咲明がいた。
珍しいな、と思っていると、黄生も眠気に襲われる。
黄生はいつものことなのだが。
「眠い・・・」
「黄生、黄生」
「まだ眠れる」
「そういう状況じゃねえ。起きろ」
「どういう状況だろうと俺はまだ寝る。俺の睡眠を妨げるなんて許さない」
「黄生、声が出るなら一旦目ぇ開けろ。そうすりゃわかる」
「えー、もうなに・・・」
咲明に起こされた黄生が、言われた通り仕方なく目を開けてみると、そこには椅子に座らされている咲明と、隣で同じように椅子に座らされて縛られている自分がいた。
「わかったか」
状況が読めたようだと、咲明が確認のため黄生に声をかける。
しかし、黄生から聞こえてきた返事は思いもよらないものだった。
「なんだ、こんなことか。まだ寝れる」
「おいおいおいおいおいおいおい、冗談だよな?冗談だろ?俺もお前も捕まってんだけど。拘束されてんの。殺されるかもしれねぇんだぞ。寝られる寝られないの話じゃねえの」
「だってこんなの正直何回かあるし。小さい頃からあるし。こんなので驚く俺じゃないし。俺は腹ペコな上に眠いし」
「一回まともに起きてろ。少しでいいから。んで、これがどういう状況で、俺たちがどうなっていくのか聞いて、それから寝ろ。それでいいだろ」
「咲明、それは違う」
「何が」
「睡眠って波があるじゃん。眠いな、って思ったときに寝るのと、眠くないな、って思ったときに寝るのとじゃ寝る気持ちよさが違うじゃん。俺は気持ちよく寝たいの。だから今じゃなきゃダメなんだ、わかってくれ」
「久しぶりだな、黄生」
「・・・・・・」
聞こえてきた声に、黄生はようやく目を開けて声の方向へと目線を動かす。
そこにいたのは、見たことがあるような。ないような。あるような。・・・あるのかな?ないかもしれないかな?
黄生がなかなか口を開かないことと、目は合ったものの、キョトンとしていたためか、男から声をかける事態だ。
「・・・覚えていないのか」
「・・・・・・」
「黄生、なんとか言え」
「忘れるわけないよな」
「・・・・・・えっと、あれだよ。あの、あれ。なんだっけ。覚えてるよ。名前をど忘れしちゃっただけで覚えてるよ、あのね・・・」
「じゃあどこで会ったか言ってみろ」
「確かあれは七年前。俺はトイレに行こうと思ったんだけど近くには民家しかなくて、そこで借りてすっきりして出ていくときに俺を泥棒と勘違いした近所の人がいたような気がする」
「・・・残念だがそれは俺じゃない」
「えっと、じゃああれだ。確かあれは十年前。俺は昼寝をしようと思ったんだけど急に雨が降ってきたから外で寝られなくて、しょうがないから近くの小屋で寝ることにしたんだ。雨が止んで外に出たときに俺を盗賊と勘違いした近所の人がいた気がする」
「違う」
「じゃあ・・・えっと・・・」
「黄生もういいよ。こいつに直接聞いた方が早そうだ」
「え、頑張って思い出そうとしたのに」
咲明に止められたため、黄生は思い出すことを止めた。
一方、黄生が自分のことを覚えていなかったことに対して、特に表情にイラつきを出すこともなく話を聞いていた男。
笑みを浮かべながら黄生に近づくと、男は黄生が座っていた椅子の足元を思い切り蹴り飛ばした。
ガタン!と大きな音を出して黄生が椅子ごと倒れると、黄生の頭に足を乗せてグリグリと踏みつける。
「黄生!!!」
「お前も五月蠅いぞ。静かにしろ」
「ッッッ!!!」
黄生のことを心配した咲明だったが、その咲明の声に対し、男は一切躊躇することなく咲明の足に銃弾を撃ち込む。
止血もすることなく、それどころか、男は咲明のことなど一切気にすることなく、自分の足元にいる黄生へ向けてため息を吐く。
「黄生、やっと見つけたよ。昔は仲良くやってたじゃないか。なのになんで逃げたりしたんだ?お前には期待していたのに」
「嫌気がさしたんだ。それにちゃんと届は出した。逃げたわけじゃない」
「逃げたも同然だろ。俺と一緒に未来に向けて研究を続けることより、賞金稼ぎになって命狙われる道を選ぶなんて、馬鹿になったのか?それともこいつに唆されたのか?」
そういうと、男はまたしても咲明に向けて銃を撃つ。
一発目の傷が痛む中、咲明は再び声をあげる。
「可哀そうに。お前のせいでこいつは死ぬんだ」
「・・・ッ」
「ああ、そうか。こいつはあの男の片割れだったな。上手くいけば交渉に使える。人質として役に立つなら生かしてやってもいい。まあ、生かしたまま交渉するかは俺は知らないが」
男の言っている”あの男”が誰なのか、黄生はすぐに理解した。
「さて、黄生。選ばせてやろう」
男は黄生の頭から足をどかせると、今度は黄生の髪の毛を鷲掴みする。
ぐいっと強引に顔をあげると、男は両ひざをまげて黄生の顔をのぞき、その表情に少しだけ顔を緩ませる。
「俺と一緒に研究室に戻るか。こいつと一緒にあの世に逝くか。どうする?」
黄生と咲明が出会ったのは、本当にただの偶然だった。
それからどういう縁なのか、なんとなくだが、これまで見てきたり会ってきた奴とは違う感じがして、ずっと一緒にいた。
咲明は黄生のことをほとんど知らない。
黄生も咲明のことをあまり知らない。
互いのことは知らなくても、色んな繋がりがあってここまで来た。
黄生はちらっと咲明の方を見ると、男はその視線に気づいて咲明に銃口を向ける。
すでに二発撃ち込まれている咲明だが、深呼吸を繰り返してなんとか意識を保っている
。
「そんなに大事か?」
「お前には関係ない」
「俺たちのことは簡単に裏切ったのにな?覚えてすらいなかったのにな?」
「裏切ったわけじゃない。辞めたことを裏切りなんて言わない。俺の人生だ。どうするかは俺が決める」
「じゃあ、お前が持って逃げた情報だけでも渡せ。そしたら・・・まあ、殺さないかもしれない」
「情報?何の話だ」
「知らないとは言わせねえぞ。お前は特別な仕事を任されてた。それを俺に教えろ」
「何の話かさっぱりな上に、知りたいなら直接聞けばいいだろ。それともお前クビにでもなったのか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・え、図星?なんかごめん。本当にそんなことになってるとは。え?じゃあ一緒に研究室に戻ろうって言ったのは、俺を連れていけば戻れると思ったから?」
「お前が研究所を出てからのことも調べさせてもらった」
「うわ、話しすり替えたんだけど」
男が話を続けようとしたそのとき、黄生は体を動かして椅子を背負うようにして胡坐をかく。
「俺のこと調べんのはいいけど、だからって関係ない奴を傷つけるのはどうかと思う」
「関係ない?なら気にすることはない。あいつがどれだけ拷問されようと、どんな死に方しようと、お前には関係ない。だろ?」
「・・・・・・お前みたいな奴が沢山いたから嫌になったんだ」
「じゃあ、答えが出せないならまずはあいつを痛めつけてみるか」
「・・・やってみろよ。出来るならな」
「あ?」
「うわああああ!!!!」
「なんだ!どうした!!」
男の仲間の声のうめき声が聞こえてきて、男は思わず振り返る。
その瞬間、黄生は体を浮き上がらせながらひねり、背中の椅子を男にぶつける。
いきなりやってきた衝撃に、男は思わずよろけるが、すぐに黄生を拘束しようと腕を伸ばすが、今度は黄生の蹴りが側頭部に入る。
男たちの動きが止まった隙に、黄生は力づくで自分の体を拘束していたロープを解くと、咲明のもとへと駆け寄る。
「足は」
「大丈夫じゃねえ」
「だろうな」
そういうと、黄生はひょいっと咲明を担ぐ。
「おまッ!何してんだよ!!」
「え、だって大丈夫じゃないっていうから。担いで走ろうかなって」
「置いていけ!弾抜けてねえから、どうせ使いもんにならねえ!!」
「なら余計背負うよ」
「お前一人で行けって!!」
「え、俺が一人でここから無事に逃げおおせると思ってるの?」
黄生の方向音痴を思い出した咲明だったが、それでも身軽で怪我もしていない黄生だけの方がいいと判断する。
しかし、黄生は一向に咲明を下ろそうとしない。
「おい!!お前本当に話聞かねぇな!!起きてるだけマシだけど!!!」
「え?なに?風の音で聞こえない」
「爆走しすぎなんだよ!!つかどこ向かってんだお前!!」
「なんとなく出口の方」
「気絶してたのに出口なんてわかるわけねえだろ!!あ、だからなんとなくか。いやいやそうじゃねえだろ!!!」
「咲明なにノリツッコミしてるの。重症だね。あ、窓がある」
「やめろ。窓があるだけで出口じゃねえからな。一階とは限らねえからな」
しかし、咲明の助言を聞くこともなく、黄生はどんどん加速していく。
黄生に担がれている咲明は、黄生を止めることも行く先を確認することも出来ないまま、ただ自分の体に襲いかかる浮遊感を受け入れるしかなかった。
「お前のこと一生恨むところだった」
「着地した衝撃で摩訶不思議と銃弾が足から抜けてよかったね」
窓は一階のものだったようで、黄生と咲明はなんとか無事だった。
黄生は自分の腰に巻いてある布を外すと、咲明の怪我の部分にあてがって止血を試みる。
二人を追ってきている男たちの声が聞こえる。
「・・・黄生、俺はいいから。お前先に行け」
「やだ」
「子供か。いいから行けって。正直俺は走れねえ。だからといって俺を担いだままじゃいずれ逆戻りだ」
「・・・・・・咲明を置いていくくらいなら、俺も残る。残って、あいつらぶっ潰してから一緒に逃げる」
「そんな聞き分け悪い奴じゃねえだろ。どうしたんだよ」
「・・・・・・」
「足手まといになるくらいなら、ここで散ってやるよ」
「・・・・・・」
怪我をした部分に巻いた布が、徐々に赤みをおびえていく。
咲明は足を引きずりながら立ち上がる。
そのあと、黄生もゆっくりと立ち上がると、お互い顔を見ることなく、じっとしていた。
男たちの声が大きくなる中、二人は何も話さずに立ちすくむ。
風が気持ちよい。こんなときになんだが、優しいそよ風に現実を忘れそうになる。
咲明は自分一人男たちの前に向かおうとしたとき、黄生がその腕を掴んだ。
「黄生、今お互いにやれることをするぞ。それが、最善だ」
「・・・・・・」
「大丈夫だ。あいつらくらいボコボコにしてすぐ行くから」
「・・・・・・」
「黄生」
「・・・最善かどうかなんて、わからないだろ」
「・・・・・・」
いつもの感じとは違う黄生に、今度は咲明は黙ってしまう。
「お前と会う前に、そう言って分かれて、二度と、会えなくなった奴がいる」
ぎゅっ、と咲明の腕を掴む黄生の力が少しだけ強まる。
「あいつも、笑ってた。今思えば、あいつの手は震えてた。わかってたんだ。自分がどうなるかってこと。その恐怖を見せないように、あいつは笑ってた。・・・今のお前みたいに」
「・・・・・・」
自分の腕を掴んでいる黄生の腕が小刻みに震えていることに気づいた咲明は、掴まれていない方の手で黄生の頭を撫でる。
思ってもいなかった行為に、黄生は思わず目をぱちくりとさせる。
「なに」
「いや、なんとなく」
「シリアスなシーンだったのに」
「俺たちには似合わねえだろ?んなのはな、別の奴らに任せりゃいいんだよ」
咲明がいきなりケタケタと笑い出したため、黄生は何事かと眉を潜ませる。
男たちには聞こえていないだろうが、こんな状況で笑うなど、それこそどうかしてしまったのかと心配になる。
「俺たちは、お互いのこと思ったより知らねえよな」
「・・・・・・」
「別に知りてえとは思ってねえし、無理に話してほしいわけでもねぇ。お前がいつか俺に話す気になったら、そんとき聞いてやる」
「・・・・・・」
「お前は色んなもん背負って生きてんだろうから、少しくらい俺も背負ってやるよ」
気づけば、咲明の腕を握っていたはずの黄生の腕は、反対に咲明に握られていた。
その腕はしっかりと黄生の腕を掴み、まるでそれは、迷子になりそうな弟の手を握っている兄のように優しくて。
思わず小さく笑ってしまった黄生に、咲明は念のため、と言って付け足す。
「俺まじで走れねえからな。それだけは覚悟しておけよ。足ひっぱっても知らねえからな」
「うん、知ってる。重かった」
「この野郎」
一瞬の間の後、二人は互いの顔を見て笑いあった。
その時、男たちが現れる。
「やれやれ。あまり手間を取らせないでくれるか」
ぞろぞろと現われた男たちに向かい、黄生と咲明は笑うしかない。
「こっちも手間取らせるのは悪いから、諦めてどっか行ってくれると助かるんだけどな」
「まともに歩けもしない奴を連れて、俺たちから逃げるつもりでいるのか、黄生?」
男の狙いはあくまで黄生一人のようで、咲明の方などあまり見ず、黄生のことだけを見て話し続ける。
止血したとはいえ、咲明はこうして立っているだけで必死な状態だ。
それをわかっているからこそ、男たちは咲明には目もくれずに黄生だけを注意しているのだろう。
「あ、思い出したかも」
この場にふさわしくないような、緊張感のない声が聞こえる。
どうやら、黄生が男の名前を思い出したようだ。
「山田くんだ」
「・・・・・・」
「よかった。やっと思い出した。一仕事終えた感じ」
「・・・・・・」
「山田くん久しぶりだね。随分出世したみたいで、おめでとう。でもいきなりこんなことをする人には見えなかったから驚いたよ」
「・・・・・・」
「どうしたの山田くん」
「黄生、多分山田くんじゃないぞ」
「え・・・・・・」
やっちまった、と思った黄生だが、もう遅かった。
男が手をあげると、周りの男たちは一斉に銃を構える。
「黄生、お前をハチの巣にしたくないんだ。出来れば無傷のまま研究所に連れていきたい。そしてまた一緒に働こう。お前が必要なんだ」
「ハチの巣にしたくないならすぐに銃を下ろして欲しいし、もっと言えば銃なんて持って俺に会いに来てほしくなかったなって思います」
「お前が賞金稼ぎになっていて、しかもあの男の片割れと一緒にいると知って、そんなのんびりとしていられなくなったんだ。悪く思わないでくれ」
「生きていくために頑張ってたらいつの間にか勝手に賞金稼ぎになっててさらに賞金首にまでなってて驚きました。あれってどうしたら取り消してもらえますか?それと、さっきから”あの男””あの男”って濁した感じで言ってますけど、俺知ってるんで大丈夫です。え?誰?知りたいなーってならないんで」
「そうなのかい。知ってるってことは、やっぱりお前もあっち側の人間ってことか」
「あっちとかそっちとか言われてもわかりません。右とか左で言ってください」
「どうしてさっきから敬語なんだ?俺とお前の仲じゃないか。もっと気さくに話してほしいものだよ」
「銃を向けられてる時点で仲良くないし、そもそも気さくに話した記憶がないからわかりません。あなたは誰ですか。整形でもしましたか。そしたらわかりません。帰らせてください」
「仕方ない。お前は少し痛めつけて、あいつは・・・手土産にはなるから死なない程度に痛めつけておくか」
男がくるりと黄生たちに背を向けると、銃声が鳴り響く。
数人の男たちの苦しそうな声を背後に聞きながら、男はポケットに入っている煙草に手をつける。
それに火をつけようとしたとき、ふと、咥えた煙草を再びケースに戻す。
「なるほど。賞金稼ぎは伊達じゃないってことか」
男が黄生たちの方を見ると、そこには男たちから銃を奪った黄生と咲明の姿があった。
二人は他の男たちを銃で威嚇しながら距離をとっていくが、男は平然と携帯を取り出すと、応援を呼ぶ。
「これ以上増えたらまずいぞ」
「ん、だから最終手段」
「最終手段?」
咲明が黄生にこそっと話しかけると、黄生は銃を男たちに向かって投げつけ、またしても咲明を担ぎあげる。
まじか!と思っていた咲明だが、言葉を発するよりも先に黄生が走り出したため、黙って担がれることにした。
後ろから追いかけてくる男たちに対し、持っている銃を撃つ。
「追いかけろ!」
「早く捕まえるんだ!!!」
「たった二人だぞ!しかも一人は負傷してる!!なにしてるんだ!!」
「・・・・・・」
小さくなっていく背中に、男は焦ることなく男たちに命令する。
「どんな手を使っても構わない。最悪死んでなければなんでもいい。例え腕がなくても、目玉がなくてもな」
「黄生!!無茶すんじゃねえぞ!」
「・・・・・・」
「聞いてんのか!?おい!!」
「・・・咲明、俺さ」
「あ!?なんだ!?」
「最期まで、お前といるから」
「・・・・・・」
「何があっても最期まで一緒にいる」
「・・・しょうがねえな。お前みたいな方向音痴、一人にしておくわけにはいかねえし」
その時、黄生の脇腹を銃弾がかすめる。
「黄生!」
「平気、当たってない」
しばらく走り続けるも、男たちはずっと追いかけてくる。
黄生に担がれながら、咲明は男たちの動きを見る。
大男を担いで走るなど、体力を相当使うはずなのに、黄生はとにかく走ることに必死で疲れを感じていないようだ。
そんな黄生を見て、咲明は笑う。
「一蓮托生ってやつか」
「ん?なに?」
「なんでもねえ。頼んだぜ、黄生」
「頑張る」
二人を待ち受ける未来もまた、【一蓮托生】が誘う希望と絶望の分かれ道。