二.

文字数 1,430文字

 山茶花の垣根に囲まれた庭も、この家と同様にさして広いものではない。彼がちょっと視線を巡らせば、庭の総てを一望できる。
 芝生も何もない赤茶けた地面に、幾つかの木が植えられている。緑の残る葉先は不揃いで、あまり手は掛けられていないようだ。
 母屋から距離を空けて、物置風のつましい離れがひっそりと建っている。低い軒下には、どことなく萎れかけた鉢植えが、幾つも並べてある。そして、その質素な離れの脇に佇むのは、一人の男。病的に痩せた後ろ姿が、彼の目に痛々しい。
「美野さん」
 彼の声に、美野と呼ばれた男がゆっくりと振り向いた。
 年配の、白髪の男だ。落ち着き払った雰囲気、物静かな眼差し、それが彼の人柄によるものなのか、それとも病み上がりで疲れているからなのかは、判然としない。
 しかし美野は歩み寄ってくる彼を見て、血の気のない頬をほころばせた。
「おお、孝君か。よく来てくれたね」
 年季の入った微笑には、心からの嬉しさが滲む。だがその青ざめた顔には、何とも形容のしようがない翳が覗く。
「何をしているんです」
 孝。
 まだ十七、八の高校生、卜部孝は彼の四倍は齢を重ねていようかという美野に向かって、眼鏡越しに軽い非難の視線を送る。
「寝てなくていいんですか? 医者も、無理はするなと……」
 だが美野は、卜部がくれたお説教にも、掠れた声で笑うだけ。
「なに、大丈夫だよ。うん、大丈夫」
 しかし十一月の風は、冷たく肌を刺す。薄汚れたパジャマの上にくたびれたガウンを羽織っただけの美野を気遣い、卜部は真剣な眼差しと言葉を注ぐ。
「また倒れますよ。本当に、何をしているんです?」
 卜部の堅い口許を見てから、美野が意味ありげな仕草で自分の足許に視線を落とした。
 卜部も美野の目線を追うと、地面に小さな塚がある。ドーム型に盛った土の上に、小さな赤い碑を立てた、つましくも厳かな塚だ。
「何の塚ですか?」
 卜部も、美野と並んで膝をかがめた。
 鶏冠石らしい六角柱の碑は、高さは二十センチばかり。表面には抽象的な幾何学模様と様々な象徴とともに、二つの漢字が深く刻み込まれている。
「『神槍』? 沼矛のことかな?」
 卜部の呟きを耳にして、美野はかすかに笑った。
「そうか、孝君は神職の家系だったな。でもそれは横文字で読んでくれ」
「横文字?」
 数秒の思案の果てに、卜部は弾かれたように立ち上がった。
「……『グングニル』!」
 はずみでずり下がった眼鏡を押し上げて、卜部は美野の横顔を見つめた。
「そうだ、グングニル。美野さんの犬が、そんな名前でしたね」
 卜部は足許の塚と、揺らめくように立つ美野を何度も見比べた。
「死んだんですか……?」
「うん」
 たった一言こう答え、美野が卜部の目をレンズ越しに正視する。
「まあ上がっていきなさい」
「いえ、すぐに失礼します。お邪魔しては悪いから。医者の言葉もありますし……」
 美野の誘いに首を横に振った卜部だったが、当の美野は彼の遠慮を笑って遮った。
「いいんだよ。“雇われ顧問”のくせに、ずっとさぼっていた私だ。君たちの話も聞いておきたい。それに……」
 言葉を切った美野が、伏し目がちに“神槍”の塚へと視線を戻した。老成した口許に思わせ振りな微笑を湛え、美野は呟くように洩らす。
「君になら、話してもいいだろう」
 この謎めいた一言に強く惹き付けられ、卜部は美野の後について物置風の離れに上がり込んだ。
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