第1話 序章
文字数 1,423文字
「
色の失せた真白な顔をした女の大きな憂いのある瞳の奥に、青白い顔をした男の姿がゆらりと映る。
女と出会ったのは一月ほど前のことだった。
つまらない事故で怪我をして入院することになった大学の春休み。治療の甲斐あって怪我は順調に回復へ向かい、梅の花が散る頃には病院内を一人で出歩けるようになった。
そんな折、一人病室を抜け出して外のベンチで咲き始めたばかりの桜を見ていた時のことだ。
ふと顔を上げ、真上の窓に目を向けると、ぼうっとした、消え去りそうな視線で外を眺めていた女の姿が眼に入った。
その女が気になって、看護師が離れた隙にこっそり病室を訪れた。
女とは、年が近かったせいもあるだろうが、少し話しただけですっかり打ち解けた。まるで遠い昔からの知り合いだったような感覚さえ覚えた。
柄にもなく、運命なんて言葉すら頭に浮かんだものだ。
去り際にまた訪ねてきても良いかと尋ねると、女は是非来て欲しいと答えた。女は身寄りが無く、話し相手が欲しかったらしい。
それ以降、毎日のように女の病室を訪れた。
ある日、看護師に女の病室を訪ねるところが見つかってしまったが、看護師は喜んで、是非話し相手になってあげて欲しいと言った。
何でも他人にあまり心を開かず、とても口数が少ないらしい。
確かに弱々しい見た目そのままに、大人しく静かな女だった。それでも病室を訪れると、表情豊かに楽しそうに話してくれた。
退院の日、別れの挨拶をするため女の病室を訪れた。
退院すると告げたとき、少し表情を曇らせて、寂しくなるねと呟いた。
たまに見舞いに来るよと伝えると、やんわりと微笑んで、是非来て欲しいと喜んだ。
そしていくつかくだらない話をした後、いよいよ病室を去ろうという時に、女は自分はもう死にますと口にした。
今、こんなにも元気でいろいろ話していたのに死ぬのかときくと、それでも死ぬのだから仕方がないと答えた。
半ば呆れて病室を後にした。
それでも、女の様子が気になり、数日後、見舞いの品を抱えて女を訪ねた。
病室に女は居なかった。
顔見知りの看護師に見つかった。慌てた看護師に袖を引かれ、訳も分からずに辿り着いた先は、手術室だった。
そこで、こうして数日ぶりに女と対面した。
血の気の引いた、真白な顔をしていた。
女はまだ息があり、最期に会えて良かったと口にした。
最期だなんて言わないで欲しいと返したが、女は首を振って、死ぬのだから仕方がないと答えた。
女は来てくれて本当にありがとう、と弱々しく口にするとゆっくり目を閉じた。
何か声をかけようと思ったが、言葉は詰まり、何も言うことが出来なかった。
医師が白い布を手に取る。それを女の顔へ掛けようという時――
――ぱちり。
女が突然、目を見開いた。
その真黒な瞳の奥のゆらゆらと揺れる波間の間に、驚愕した男の顔が鮮やかに浮かび上がった。
「
女は確かに、口を大きく開き、先程とはまるで違う明瞭な口調で、その瞳に映る男に向かってそう告げた。
その場に居合わせた全員が、あっけにとられ、ぽかんとしていた。
我に返り、女にどういうことなのか尋ねようとしたが、女の真黒な瞳は波の奥へと沈んでしまい、そのまま目を閉じてしまった。
しばらく待ったが、二度と目を開けることはなかった。