第8話 一月目 其の三 そのセーラー服の少女は②

文字数 7,038文字

 どうも少女の呪いは深刻らしい。
 呪いを解くまで帰る場所が思い出せないが、そもそも呪いを解く方法すら思い出せない。

 一種の記憶障害だろうか。たちの悪い呪いもあったものだ。
 少女を連れて建物の方へと歩いて行くと、集落の奥にあるこじんまりとした木造の家の前で慧乃が立ち尽くしているのが目に入った。

「おい、慧乃」
「あら。着いてきたのかい? あれ、その子は――」

 声をかけると、慧乃はめざとく少女の姿をとらえ、手にしていた杖でどんと地面を叩くと、思いっきり息を吸い込んで――

「ここを通――」
「こいつ、山には詳しいらしい」
「あ、ちょっと君、絶好のチャンスが……」

 行く当ても分からず困っている少女にあの台詞は危険だと判断して強引に割り込んだ。
 慧乃は初めむすっとした表情を浮かべたが、直ぐに笑顔に戻って少女の手を取った。

「私は六宮慧乃。一月前から人成山にいるの。そちらの彼は今日初めて山に来たばかりの新人さん――で、あなたも今日が初めてで間違っていないかな?」
「はい。気がついたら山の中にいました」

 慧乃は何も説明せずとも状況を良くくみ取って少女に挨拶した。

「気がついたら山の中、ね。条件を満たすまで山から出られない、なんて呪いの場合は、呪われた瞬間に山のどこかに移動してくることが多いみたい」
「へえ、そうなのか」

 そういえば自分探しをしていたあの男も、なんだか目茶苦茶な格好をしていたな――なんてあまり人の事をとやかく言える服装でもないが。

「それで、あなたの呪いは何かしら? お名前も併せて教えて貰えると嬉しいよ」

 いつになく柔和で優しい、我が子を前にした母親のような笑みを浮かべて慧乃が尋ねると、少女も安心したのかぱっと表情を明るくした。

「わたし、伊与田(いよた)ハナっていいます。呪いは、えーっと、帰る場所が思い出せないのですが、どうしたら呪いが解けるのかも思い出せなくて、ですね……」
「帰る場所が思い出せない――か。しばらくは山に住む必要があるね」
「住めるのか?」
「ええ。人成山の呪いは様々だからね。呪いを解くまで山から出られないって人も多いし、そんな人のために住む場所は結構用意されているよ」
「言われてみれば、確かに住む場所がないと困るな」

 考えもしなかったが住居があるのも当然なんだろう。慧乃の話をきく限り700人は山に人がいるみたいだし、そういったのも必要なのだろう。

「それで、伊与田さん。ハナちゃんって呼んで良いかな?」
「はい! 是非呼んでください、六宮さん!」
「私の事は慧乃って呼んで貰えると嬉しいわ。ここじゃみんなそう呼ぶの。――ところでハナちゃん、”いよたはな”ってどんな字を書くのかしら」

 ハナに質問する慧乃は鳶色の瞳をこれまた爛々と輝かせていた。だけれどもその輝きは、自分を探す男の呪いを追っていた時の輝きとは、また別の輝きのように感じた。

「えーっと、紙、あります?」
「書いた方がわかりやすそうだね」

 慧乃が鞄からメモ帳と万年筆を取り出して手渡すと、ハナは見かけによらず整った綺麗な字で自分の名前を書いた。

「へえ、ハナはカタカナなのね」

 『伊与田ハナ』と書かれたメモ帳を眺めていた慧乃に、ハナも笑顔を返した。
 慧乃は続いてメモ帳に自分の名前を大きく書いてハナに示した。慧乃ってのはこんな字を書くのかと、ここにきてようやく知った。

「にしてもカタカナでハナって、おばあさんみたいだな」
「えへへ、よく言われます」

 何気ない呟きにハナは明るい笑顔で答えた。

「いいじゃない。私は可愛らしいと思うわ」
「そうかねえ。で、慧乃、今のでハナの呪いについて何か分かったのか?」
「え?」

 慧乃は首をかしげる。

「いやいや、意味があるから質問したんだろう?」
「まさか。ただの興味本位だよ」
「――つまり、質問には何の意味も意図もなかったという訳か」
「全くないという訳でもないけどね」

 ふふん、と鼻を鳴らして慧乃は上機嫌だ。

「ほう、ならどういう意味があったのか、是非教えて頂きたいね」
「あら、君には言ったはずだよ。ほら、ずっと妹が欲しかったって」
「ああ、言ってたな」

 適当に相づちを打って返す。

「だからハナちゃんと仲良くなりたかったの。――というわけだからハナちゃん! 私のことは姉だと思って頼ってくれて良いんだからね!」

 ハナの小さな手を宝物のように握って慧乃が告白した。
 ハナはどうやってこの変人から逃れるかと思案したが、ハナの返答は意外なものだった。

「本当に良いんですか? 実はわたし、一人っ子でずーっと姉妹が欲しいと思っていたんです!」
「それは良いわ! 今日からハナちゃんが呪いを解くその日まで――ううん、呪いを解いた後もずっと、私の事は姉だと思ってちょうだい!」
「はい! 分かりました!」

 何故か芽生えてしまった女二人の友情――

「いやいや、そんな変人を姉にして本当に良いのか? 考え直すなら今のうちだぞ」
「変人とは、君は時々さらっと酷いことを言うね」
「事実だろう。で、ハナ、考え直すなら今のうちだぞ」
「全然気にしません! むしろ慧乃さんみたいな綺麗な方がお姉さんだなんて、とっても嬉しいです!」
「ありがとうハナちゃん! あなたならそう言ってくれると信じていたわ!」
「綺麗な方ねえ……」

 確かに慧乃は胸を除けば大人びていて、見た目だけなら清楚な女性といった印象も受ける。だが実際は好奇心に突き動かされる質問魔で、何かに興味を持ったときは子供より子供っぽい。

「うふふ。ではハナちゃん! 分からないことがあったらお姉ちゃんに何でもきいてね!」

 薄い胸を精一杯に張って宣言する慧乃に、ハナは明るい笑顔を向けて尋ねた。

「では慧乃さん――」
「待って」

 言いかけたハナの目と鼻の先に、慧乃が手のひらを突き出して制止した。ハナはきょとんとして首をかしげる。

「その、もし良かったら、お姉ちゃんって呼んで貰えないかしら」
「またおかしなことを言い始めた……」

 だがハナの方はと言うとまんざらでもないらしく、とろけるような笑みを浮かべてぱあっと表情を明るくした。

「えへへ、分かりました。これからはお姉ちゃんって呼ばせて貰いますね!」
「ありがとうハナちゃん! そう、私が求めていたのはこれなのよ!」
「お前は一体何を求めているんだ……」
「じゃあお兄さんはお兄ちゃんですね!」
「そうだな――いや待て」

 慧乃の発言にため息ついていたらハナの笑顔の矛先が知らぬ間にこちらへと向いていた。

「どうしてそうなるんだ」
「よろしくお願いしますね! お兄ちゃん!」

 有無を言わさずハナがぺこりとお辞儀したのでその先はなんだかううやむやになってしまった。顔を上げたハナの満面の笑みがまりにも眩しくて、否定するのをためらったというのもある。――とりあえずこの件については置いておいて、話を元に戻すとしよう。

「で、ハナは慧乃に何をききたかったんだ?」
「そうでした! 忘れてしまうところでした! あの、お姉ちゃん、1ついいですか?」
「もちろん! 何でもきいて!」
「はい! あの、わたしはどうしたらいいのでしょう?」
「ハナちゃんはどうしたいんだい?」
「え、えーっと……」

 質問をそのまま返されて、ハナは困惑する。
 それでも慧乃は笑顔を崩さず、暖かな微笑みをハナへと向けている。

「迷うだろうけれど、まずはしっかり迷ってごらんよ」
「しっかり、迷う、ですか……。難しいです」
「かもしれないね」

 慧乃はのほほんとした様子で返すが、ハナの表情は暗い。
 それを察してか、慧乃はハナに優しい言葉をかけた。

「しっかり迷って、それでもどうしたら良いのか分からなかったときは相談に乗るよ」
「はい! そのときはお願いします!」

 ハナは顔を上げるとぱっと表情を明るくして、慧乃の言葉に大きく頷いた。

「おや、面白そうな子が来たときいたけど、2人もいたのかえ」

 家の扉が開き、腰の曲がった老婆が出てくると、外見通りのしゃがれた声で慧乃に話しかけた。

「はい、グランマ。この子とは今知り合ったの」
「1日に2人も新人が来るとはねえ。こっちの男はさっき話していた子だね。確かに面白そうな子だよ」

 老婆はしわくちゃの顔に浮かんだ目を見開いて人の事を一瞥した。
 一体どんな話をしたらこの見ず知らずの老婆にそんな認識をされるというのか。

「ほら、これを持っておいき。余分に持ってきて丁度良かったねえ」

 老婆は後ろ手に持っていたペットボトル入りの水を2つ差し出した。
 そういえば慧乃は元々水をもらいにここに来たのだと思い出す。

「どうも、ありがとうございます」

 2つとも受け取って、1つをハナへと手渡した。
 水筒を受け取る慧乃に対して視線で説明を要求すると、慧乃は頷いて手のひらで老婆を示した。

「こちらはグランマ。山頂に昔から住んでいて、人成山に訪れる登山者達を見守ってくれているの」
「へえ、そういう呪いなのか?」
「趣味さ」

 老婆はきっぱりと言い切った。
 趣味とは何か。こんな不便きわまりない山頂に、好きで住んでいると言うことか。

「こうやってお節介を焼くのが楽しくて仕方がなくてねえ。気がついたら山から降りられなくなってしまったのさ」
「そんな人もいるのか、この山は」
「みたいだねえ。呪いが解けなくて永住する人もいるし、呪いを解いた後も山に住み続ける人もいるよ」
「そりゃまた一体どうしてだ?」
「人それぞれだろうねえ」

 慧乃のその答えには、まあそうだろうな、以上のことは返せなかった。
 教えて欲しかったのは目の前の老婆がどうしてそこまでして山に残っているのかという事だったのだが、どうしても知りたいわけでもないし追求するのはやめておこう。

「お嬢ちゃん、足は大丈夫かね?」
「わたしですか? まだ大丈夫です!」

 ハナが老婆の問いに答える。
 そういえばハナの足下はローファーであった。あの山道を登ってきたのだから、多少なりとも足に負担がかかっていただろう。

「下りもそれじゃあ大変だろう。生憎靴はないけれどねえ。せめてこれだけ持って行くといい」
「わあ、ありがとうございます! おばあちゃん!」

 ガーゼと包帯を受け取ったハナはそそくさと石段の上に腰掛けてローファーを脱ぐと、早速破れたタイツの上にガーゼを貼って包帯を巻き始めた。
 口では大丈夫と言っていたが、実は結構痛かったのだろう。

「それじゃあ慧乃や。気をつけて行ってらっしゃい。ちゃんと2人の面倒を見るんだよ」
「はい。お任せください」

 老婆はそれだけ言うと杖をつきながらのろのろと家の中へと戻っていった。
 扉が閉まってから、小さな声で慧乃に話しかける。

「あんな人もいるもんなんだな」
「グランマは世話を焼くのが好きなんだって。それにグランマは皆のグランマだからね。もし君が本当に困ったときは、グランマに頼ると良いよ。何から何まで頼るのは考え物だけれどね」
「そりゃあそうだ」
「そうだ。話は変わるけれど、君の呪いはどうなったのかな?」
「ん? ああ、そういえば、何ともないな。まだ条件を満たしてないって事だろうか」
「どうだろうねえ。一応あそこが人成山で一番標高の高い場所だよ」

 慧乃が手のひらで示した先には土が盛られ小さな丘が作られていた。その丘の上には四角柱の大きな石碑が建っていて『人成山山頂 標高一〇一〇米』と彫り込まれている。

 痛む体を動かし石碑の元まで歩いてみたが、特にこれと言って変化はない。
 石碑に手を触れてみても、手のひらがほんの少しひんやりしただけであった。

「何も起こらないが、何故だ」
「何故だと思う?」
「そのまま返すなよ」
「だって君の呪いじゃないか」

 言われてみればその通り。慧乃は善意で着いてきてくれている。決して観光案内のお姉さんじゃあない。態度は何となく気にくわないが、感謝こそすれ責めるいわれはない。

 だが頼れぬとなると自分で考えなければならない。
 ――ちょっと考えてみよう。
 呪いは十月十日の間人成山に登り続けること。
 されど山頂に辿り着いたにもかかわらずカウントされない。そもそもカウントとかいう存在が疑問ではあるが、慧乃が嘘をついているとは考えづらい。
 やはり何かまだ満たしていない条件があるのだろうか。
 山頂まで登った。されど登山に足りないもの――

「――下山するまでが登山、とかか?」
「確かに、それはありそうだね。ハナちゃんは住む場所を決めないとだね」
「そうですけれど、どうやって決めるのです?」
「中層に役所があるの。ハナちゃんを私の妹として山民登録しないといけないし、住む場所も一緒に探そうか」

 住む場所、か。
 今となって考えがおよんだが、近くの町にホテルをとったものの、十月十日の間泊まり続けると宿泊料だけでとんでもないことになりそうだ。町までそこそこ距離もあるし、山の付近で住む場所を探す必要があるのかも知れない。

「ありがとうございます、お姉ちゃん! ところで中層って何です?」
「ああ、人成山には大きくまとまった居住地域は上から上層、中層、下層、それと山の外にある外層の4つあるんだよ。この山頂周辺の集落は上層だね。中層は一番人が多くて、役所や学校もあるの。私は外層に住んでいるけれどね」
「人成山ってのは案外広いんだな」

 登ってくる途中小さな集落はいくつか見たが、役所や学校が必要なほど人が住んでいるのか。

「君は山を小さく見積もりすぎだよ。――とにかく、ハナちゃんは帰る場所を思い出せるまでは山に住まないといけないからね。私の所に泊めてあげても良いのだけれど、山の中でいろいろするなら中層に住むことをお勧めするよ」
「そうですね。分かりました!」

 ハナは慧乃の提案を受け入れて元気よく返事をした。

「ハナちゃんは山民登録と住む場所を探しに中層に。君は呪い解除のため下山だね。中層までは一緒に行こうか。帰り道の途中だし、休憩がてら寄り道ということで構わないだろう?」
「ああ、是非そうして貰えると嬉しいよ」

 慧乃の問いかけに肯定の意を示す。
 もういくらでも休憩したいほどに足が痛い。途中で何度も休むことになるだろうし、集落のようなものがあるのならばありがたい。

「それじゃあゆっくりと下山しようか。2人とも、辛くなったらいつでも言ってくれて構わないからね」
「はい! 分かりました!」
「了解。今度は遠慮せずに言わせてもらうよ」

 慧乃は返答に満足し、出発の合図をすると先頭に立って元来た道を引き返し始めた。



 登山道を下りながら、慧乃とハナはいろいろと話をしていた。
 というより慧乃がハナを質問攻めにしていた、というのが正しいだろう。
 だが、それらの質問は先程自分を探していた男にしていたものと異なり、明らかに興味本位のものばかりだった。

 髪の手入れの仕方、好きな花、好きなお菓子、得意なスポーツ、最近読んだ本――そんな質問には元気にあれこれ答えるハナだったが、家族構成、出身地、通っていた学校の話しなどになると悲しそうな顔をして俯いて、思い出せませんと首を振った。

 それでも慧乃が気を利かせたのかどうでもいいような質問をすると、めいっぱいの笑顔でその質問に答えていた。
 ハナは健気で良い子だ。
 慧乃じゃないが、こんな子なら是非妹に欲しいと思ってしまったくらいだ。

「そういえばハナは誰に呪いをかけられたんだ?」

 ゆるやかな下り坂の途中で、ふと気になっていたことを尋ねた。

「誰、ですか? 誰と言われても、気がついたら山の中にいて、頭の中に呪いをかけたーって言葉が響いていたんです」
「そんなパターンもあるのか」
「呪いの前後で記憶が飛ぶこともあるみたいだよ。何が起こってもおかしくないのが人成山だからね。そういうこともあるさ」
「そうだったな」
「私も一度で良いから瞬間移動ってのをやってみたいのだけれど、今のところ巡り会えていないんだ。君も一度はやってみたいと思わないかい?」
「いや、ありゃそんないいもんじゃないぞ」
「え!? もしかして君、瞬間移動したことあるのかい? いったいどういう状況だったのか、是非詳しく教えて欲しいよ!」
「どういう状況って……」

 まさかこの人を疑うことを全く知らない女と、純真なハナの前で、呪いが本物か確かめるために風俗行って、いざ本番という所で素っ裸のまま野外に飛ばされたなんて話を語れるはずがなかった。

「どうでもいいだろう」
「えー、気になるなあ」

 不機嫌そうな態度をとって突っ返したが慧乃の好奇心は収まっていないようだった。仕方なく別の話題を振る。

「そういやハナは頂上に来る前に誰かに会ってたんだよな」
「はい。山に来て直ぐ、お兄ちゃんと同い年くらいの男の人に会ったんです。とても面白い人で、山についていろいろ教えてくれたんですよ」
「慧乃の他にも親切な人間がいたもんだ」
「私は別に親切でやっているわけでもないけどね」

 照れた様子で、慧乃はそんなことを口にした。

「じゃあなんで人助けなんてするんだ?」
「人助けしてるってわけでもないのだけれど、強いて言うなら好奇心だろうねぇ」
「ああ、凄い納得した」
「そういう顔してる」

 こいつにとっては人助けだって好奇心の一部に過ぎないのだ。
 そもそも人助けに理由なんて求める方がこいつにとっちゃおかしな事なんだろう。
 なんて、馬鹿なことを考えてる場合でもなさそうだ。今は何においても、気がついたら突入していたこの飛び飛びの石段をどうやったら安全に降りられるかに集中しなければならない。
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