第4話 一月目 其の二 今ここに俺が来なかった?②

文字数 5,679文字

「――今ここに俺が来なかった?」

 思いがけぬ質問に、慧乃と顔を見合わせる。
 この男は一体何を言い出すのか。とても正気とは思えない――

 しかし、直ぐにそんな疑いは意味をなさないことを思い出した。
 この男が正気でないのなら、慧乃だって正気じゃあないのだ。

 ――ここは人成山。呪いをかけられた人間が集まる山だ。この男にも、何らかの呪いがかかっているのは間違いない。

「えーっと、あなたなら、ここにいるじゃない」

 慧乃の答えは率直なものだった。その通りかも知れないが、男の求める答えはそうじゃないだろうよと内心で呟く。
 このままでは男が不憫なので、横から口をはさむことにした。

「実際どうなんだか分からんが、あんたによく似た男がついさっきここを通って下山していったよ」
「そうか、ありがとう。急いで下山してみることにするよ」

 男は礼を言って、「追いつけたら良いけど」と呟くと、足早に下山していった。

 慧乃は男に何か言いたげな様子だったが、結局口をつぐんで男の背中を見送った。
 男の姿が見えなくなると、登山を再開し石造りの階段を歩く。

 ふと、隣を歩く慧乃が口を開き、質問を投げかけてきた。

「さて問題です。一人目の男の人と今会った男の人、どちらがルパンでしょうか?」

 白く細い人差し指をぴんっと立てた手を真直ぐにこちらへ突き出して、表情は何処か楽しげであった。

「どっちもルパンじゃねえ」
「正解」

 間髪入れずに答える。こんな山中にルパンがいてたまるか。そもそも実在する人物じゃねえ。

「では第二問」

 突き出された手の中指が立ち上がる。

「待て待て、続くのかよ」

 問うと、慧乃は肩を落とし、ぴんっと立てていた二本の指も元気なくしおれてしまった。
 されど慧乃は微笑んで答える。

「第一問があるのに第二問がなかったらおかしいと思わない? それにね、せっかく考えたのだから、後一問だけ付き合って貰えると嬉しいな」

 一つ、ため息をつく。
 答えを待つ慧乃は、鳶色の瞳を爛々と輝かせこちらを見つめている。
 仕方なく、ぶっきらぼうに返答した。

「歩いているだけで退屈だからな。付き合うさ」

 了承を得られると分かっていたのだろう。慧乃はそれはどうもと軽く頭を下げると、再び細く真白な指を二本ぴんっと立てて問いを口にした。

「あの人の呪いはどういったものでしょう?」

 答えようとしたが、そこでようやくはっとして、問いに見合う答えを自分が持ち合わせていないことに気がついた。

 あの男が呪われているのは間違いない。
 しかしそれがどういった呪いかときかれるうと、答えることが出来なかった。
 今し方起こった出来事。登山の途中で出会った二人の男について思考を巡らせる。

「ちょっと考えても良いか?」
「もちろん。私も私なりに考えてみようかと思うよ。ああ、でもあまり夢中になりすぎたら駄目だよ。ほらそこ、階段が一段飛んでいるからね」

 言われるまでもなく足下にも注意して――というのはおかしな話だ。元々登山を目的としているのだから、おまけは慧乃の出した問題の方だ。

 慧乃も何か考えているようだし、それに習い思考を巡らせる。

 一番印象に残っている出来事は、二人目の男が口にしたあの一言だろう。
 『今ここに俺が来なかった?』だなんて、どう考えてもおかしな台詞だ。――隣を歩いている女がそれと同等なくらいにおかしな台詞を大声で叫んだりしていたわけだが……。

 とにかく、この一言は確実にあの男の呪いと関係があるだろう。
 だが慧乃と同じタイプの、特定の台詞を他人に向かって言うだけの呪いではなさそうだ。

 二人目の男は『俺』を探していた。そして似ている男が通ったと伝えると「追いつければ良い」と口にして足早に下山していった。
 要するに二人目の男にとって、一人目のよく似た男は『俺』――つまり自分自身と言うことなんだろう。
 そして追いつければ、と急いで下山したのだからこれらの意味するところは――

「解答良いか?」
「もちろん。是非頼むよ」

 考え込んでいた慧乃に声をかけ、了承を得てから口に出す前にもう一度考えをまとめ直し、それからようやく答えを口にした。

「二人目の男が、一人目の男を追いかけていた。つまり、一人目の男は二人目の男にとって自分の分身とか、ドッペルゲンガーみたいなものだったんだろう。それを何とかして捕まえない限り――」
「――ない限り?」
「――そこまでは分からんが、まあどうだって良いだろう」
「その通り! どうでも良い! 君は凄いね。初日でそこに気がつくだなんて、意外としっかり考えているのね」

 どうも褒められている気がしない。ってかこれ馬鹿にされてるよな。

「つまり君は、二人目の男が一人目の男――つまり二人目の男の分身を捕まえようとしていると考えたわけだ」
「まあ逆もあるかもな」
「逆?」

 慧乃が解答の確認をしている最中に考えついたことがあったので付け加える。

「一人目の男が自分の分身である二人目の男から逃げてる場合、とか」
「ああ、そういうことか。それにしても、君の考えだとどちらにしても二人の自分というものが同時に存在することになるね」
「そんなことあり得ないか?」

 念を押されたので解答が否定されたのかと勘ぐってしまう。何しろ人成山に来るのは今日が初めてなのだ。どんな呪いがあるのだかさっぱり分からないので、そんな呪いはあり得ないと言われたらどうしようもない。

「ううん。言ったでしょう。人成山では何が起こってもおかしくないって。それに、私もあの二人は同一人物だと思うよ」
「どうしてそう思うんだ?」

 尋ねると、慧乃は肩の上の辺りの中空で手をくるくると回す。

「条件を満たすとこの辺りにカウントが表示されるの」
「ああ、言ってたな」
「それがさっきの――二人目の男の人に会ったときはカウントがされなかった」
「ん? それってつまり――」

 カウントが正常にされないということは、条件が満たされなかったということだ。

「確認するが、お前の呪いは回数じゃなく人数なんだよな」
「その通り。同じ人に対しては一回きり。複数回カウントされることはない。そういうルールだからね」
「ってことは二人目に関しては以前あの台詞を言ったことがあると」
「そうなるね」
「実は会ったことあるの忘れてたりは――」
「しないよ。今までに会った701人の顔はしっかり覚えているもの」

 そりゃあ大した記憶力だ。だがそうなると、慧乃は二人目の男には会ったことがないにも関わらず、呪いはその男をカウントしなかったことになる。

「ならあの二人は同一人物だったと考えて問題なさそうだ」
「私もそう感じたよ」

 先程の仮説を裏付ける根拠となりそうだ。

「下山した後に凄い早業で着替えて道のない山中を走って再び私たちの前から現れた可能性も否定できないけれどね」
「そんな芸当出来る奴がいるのか?」

 一人目に会ってから二人目と会うまでの時間はそう長くなかった。そんな無茶苦茶な話は……。いやでも人成山は何が起こってもおかしくないんだよな。しかしそんな真似しようとしたら道なき道をかなり走ることになる。二人目の男は確かに登山ウェアこそ着ていたがそこまで体力があるようには見えなかった上、顔色も至って普通で疲れている様子なんて微塵も感じさせなかった。
 第一あの二人は――

 思考が詰まった。

 今まで考えてきたことの大前提を失ってしまった。
 自然と俯いていた顔が上がる。
 その顔を、慧乃の鳶色の瞳が見上げるようにしてのぞき込んでいた。

「何だよ」

 どうして気がつかなかったのか分からないくらいに慧乃の顔が近くにあり、思わず顔をしかめて後ずさる。あと一瞬身を引くのが遅かったら呪いに目か鼻を痛めつけられていただろう。

 そんなこと知ってか知らずか、鳶色の瞳はしかめっ面をした男の顔を捕らえて放さなかった。瞳に映る男の顔を見ていると、何もかも見透かされているような気持ちになった。

「君の考えた通りだよ。あの二人は違いすぎる。性格もだけれど、外見もね」
「いやしかし、お前も二人が同一人物だと思ったんだろ? あのまるで性格の違う二人を同じとする根拠は一体どこから来たんだ? お前の呪いがカウントしなかったってだけなのか?」

 まくし立てるように喋ったが、慧乃は落ち着いたままで、柔和な笑みすら浮かべていた。

「君はどうして二人が同じ人物だって考えたのかな?」

 質問を質問で返されむっとしたが、これは自分で考えてみろということなのだろう。
 少し考えて、その考えを口にした。

「――二人目の男の、あの台詞からそう考えた。あいつは「今ここに俺が来なかった?」と言った」
「そう。その通り」

 慧乃は解答に納得しているようだが、こちらはまだ何も納得できていない。

「なあ慧乃。確かにあの二人はよく似ていたと思う。顔の作りとか、声の調子とか……。だがやっぱりあの二人が同一人物だとは思えない。お前の考えをきかせてくれよ」
「私の考えね」

 呟いて、慧乃は短く幾つか自分に頷いて、手を突き出した。その手の細く真白な人差し指をぴんっと立てると考えを――いや、質問を口にした。

「君はいくつもの自分から、一人選べるとしたら、どうする?」

 繰り出された新たな問いにどう答えて良いのか――それ以前にどう考えたら良いのか戸惑う。
 とても正気とは思えない、素っ頓狂な質問だ。しかしこれまでのやりとりを思い返してみると、慧乃はまるで意味のない質問はしていないように思える。となるとこの質問にも何らかの意味があるのだろうか。

 だがこの質問に対していくら思考を巡らせてみても、そもそも質問の内容が理解不能という結論に行き着いてしまい、いよいよ答えを出せなかった。

「いくつもの自分って何だ」
「それはもちろん、君のことだよ」

 慧乃は真顔だ。
 きっと何が分からないのか分からないとでも思っているのだろう。
 おかしな質問だっただろうか。そんなはずはないと思うのだが。

「全然分からん。なあ――」
「ごめん、少し後でも良い?」

 お前が出した質問について話しているのに後で良いとは何事か、なんて腹を立てそうになったが、慧乃の視線の先を追ってみるとその言葉にも納得できた。

 またしても前方から人がやってきていたのだ。
 それに、今度はあの男とは関係なさそうだ。何しろやってきたのは若い女性――少女と言っても良いくらいの女の子なのだ。

 小柄で可愛らしい外見で、薄茶色の髪を後ろで二つにまとめて流している。その髪に包まれた顔にはくりっとした大きな瞳が輝いていた。
 女の子はブラウスにプリーツスカート、靴はローファーという格好で、とても登山に来たようには見えなかったが、そんな見た目の通りおぼつかない足取りでゆっくりと坂道を下っていた。

「――あの子にもやるのか」
「当然」

 それだけ返すと、慧乃は山の間を流れる小さな川にかかった木の橋の上に仁王立ちし、前からやってくる女の子を待ち構えた。
 何も知らない女の子が橋にさしかかり、目の前で胸を反らせて立ちはだかる慧乃の姿に目を留めた。

「ここを通りたければ、この私を倒してからにすることね!」

 その叫びには命にかけてでもここから先へは通すものかという強い意志を感じ取れた。
 こんな小川、わざわざ橋を渡らずともちょっと回り道すればいくらでも渡れる場所なんてありそうなものだが、そんなこと言うのは野暮なんだろうな。役に成り切っている慧乃に対して失礼ってもんだ。

「え、ええっと……。どうしましょう……」

 回り道しようとは思いつかなかったらしく、女の子はその場でおどおどしてうろたえてしまっていた。

「そ、その……あんまりお金は持っていないのですが……」

 女の子がおずおずと財布を取り出す。

「そんなんじゃあここを通すわけにはいかねえなあ! ぐへへへ」
「おいおい」

 今までの相手に対しては普通に道を譲っていたのに、何故か今回は道をふさぎ続け、あろうことかあくどい山賊風の演技か汚い笑い声を発する慧乃。

「うう……それじゃあどうしたら……」

 おびえる女の子に対して、慧乃は声を低くして言い放った。

「私の問いに答えて貰おう」
「は、はい。何でしょう」

 恐る恐る尋ねる女の子に、慧乃は演技をやめて、いつもの笑みを浮かべると優しい声で問いかけた。

「あなたの呪いは何かしら」

 ――これが目的か。しかしこんな女の子にきかなくてもいいだろうに。するならさっきの男にしておけば良かったんだ。

「呪い、ですか? 私の呪いは、自分を見つけるまで人成山から出られない呪いです」

 解答に、思わず息をのんだ。

 この山で出会った二人の男の姿を思い出す。その二人とおそらくだが同じ呪いにこの女の子はかかっている。
 これはどういう偶然だろうか。まさかと思いもしたが、この女の子には二人の男の面影というものは一切ない。同一人物であるはずがないのだ。

「いつから山にいるのかな?」
「最近……だけどいつからだったかな? 思い出せない」
「無理に思い出そうとしなくても良いのよ。足止めして悪かったね、通って良いよ」
「はい。ありがとうございます」

 深く頭を下げて慧乃に礼を言うと、女の子は橋を渡り下山していった。
 隣を通るときに女の子の様子を観察したが、やはり二人の男との共通点を見いだすことは出来なかった。

「なあ慧乃、今の子――」
「小さくて可愛い子だったわ。実を言うとね、私は小さい頃からずっと、妹が欲しかったんだよ」
「お前より今の子の方が胸は大きかったがな」
「えっ!? 嘘でしょ――あ、呪いのせいだわきっと」
「いやいや元からだろ――ってそんな話はどうでも良いんだ」
「どうでも良くない!」

 何故そこに食い下がる。何も考えずに適当なことを口にするのではなかった。

「いいから慧乃。お前が女の子にした質問の意図を教えてくれ」

 口を尖らせ「そこまでじゃあないと思うんだけどな」なんてぶつくさ言っていたが、それでも直ぐに頭を切り換えたのか、自分の胸を見下ろしていた顔を上げると、右手の指を三本ぴんっと立てて突き出した。

「では第三問」
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