第2話
文字数 15,042文字
SHAM
君の証明
人間は弱いようで、強い生き物なんです。
斎藤 茂太
人生あまり難しく考えなさんな。暗かったら窓を開けろ、光がさしてくる。
中村 天風
第二我【君の証明】
「なあ黄生」
「なんだ?」
「俺達こんな悠長にしてていいのか?」
「悠長なことって?」
「美味い飯食って、昼寝して、また美味い飯くって、また寝てを繰り返してることだよ。また行く心算なんだろ?あいつんとこ」
「・・・・・・」
耶納華を連れて戻ったことを後悔しているわけではなかった。
何杯カツ丼を食べただろうか、何杯ラーメンを食べただろうか。
鮎の塩焼きも食べて餃子も食べて、ナポリタンもハンバーグも焼肉も白飯も、腹がはち切れそうなほどに食べたというのに、それでも満たされないのは、胃袋だけが原因ではないのかもしれない。
「来たくないなら来なくて良いぞ」
「別に行きたくねえなんて言ってねぇだろ?どうせ俺がいねぇと、お前は辿りつくことさえ出来ねえんだから」
「俺を馬鹿にしてるのか」
「馬鹿にしてねぇよ。事実を言ってんだ」
「・・・・・・」
一瞬ムスッとした表情になった黄生だが、チョコレートパフェとモンブランパフェとコーヒーゼリーが運ばれてくると、すぐに頬を緩ませた。
ちなみに、全部黄生が食べる分だ。
「けどよ、この前みたいに行ったって、また同じように眠らされて同じじゃねえのか?入口も分からねえんだからよ」
「入口なら分かった」
「はあ?」
何を言ってるんだと思っていると、黄生はぐしゃぐしゃになった一枚の紙を出した。
ずっとポケットに入っていたからか、紙を広げるのに苦労した。
そして広げることに成功すると、そこにはあの研究所の正式な入口であったり、見取り図が描かれていた。
「おい、これどうしたんだよ・・・」
「拾った」
「いつ!?」
「んー、さっき。男殴ってたらその男の懐から出てきて、拾った」
拾ってと言うか、半分強奪のような方法ではあるが、結果オーライとしよう。
そんなことを淡々と言いながらもパフェを美味しそうに頬張っている黄生を他所に、咲明はその地図を頭に入れる。
どの位置から入るのが良いのか、そしてどうやって中を探索するのが良いのか。
「咲明、咲明」
「んー?」
「変装しよう」
「お前はまた何を言って」
黄生が言うには、多分監視カメラとかがついてるだろうから、まずは変装して潜入しようということだった。
白衣でも着てればバレ無いんじゃないかという黄生の提案に、珍しく咲明も乗った。
白衣を調達してくると、2人は白衣を身に纏う。
「おー。これならいけそうだな」
「じゃあこれもつけよう」
「なんだそれ?」
白衣を着て準備完了かと思いきや、黄生が差し出してきた謎の液体に、咲明は思わず顔を引き攣らせた。
「なんで硫黄?」
「いや、なんか臭いついてた方がよりリアルになるかと思って」
なんとか黄生を説得して硫黄をつけることは回避すると、脳裏に焼きつけた地図の場所を目指して歩き出す。
「ばれなければいいが、ばれたら一貫の終わりだな」
「ばれたら暴れるしかないな」
どれだけの人数がそこにいるかも分からないというのに、黄生は平然とそう言った。
入口まで来ると、以前とは違って男たちにお出迎えされることもなく、暗証番号も内緒の方法で突破すれば、中には簡単に入ることが出来た。
「炎涼様、よろしいので?」
「ああ、面白そうだからな。しばらく放っておけ」
「わかりました」
モニターを見ていた炎涼には、すぐに不審者の侵入が分かったが、退屈凌ぎに泳がせておくことにした。
そうとも知らない黄生と咲明は、白衣姿で研究所内を歩きだす。
「黄生、こっちだ」
「分かってる。トイレを探してただけだ」
「トイレのマークもそっち向いてないだろ」
まあいつものことながら、黄生が何処かへ行かないようにと目を見張らせながらも、耶納華がどこにいるか探していた。
「君たち見かけないけど、新人かな?」
「え・・・!?」
「はい、そうなんです。ここは広いですね。迷ってしまいそうです」
「やっぱりですか。広くて誰もが一度は迷子になりますよ。何かお探し中でしたか?」
急に声をかけられ、咲明は驚いてしまい喉をつまらせるが、隣にいた黄生は初対面のその男と何のこともなく話している。
その男の名は忘れてしまったが、わりと最近入ってきたらしく、自分も最初はよく迷子になったと笑いながら言っていた。
「クローンとは実にすばらしい科学の進歩です!!あなたたちとも一緒に仕事が出来ると思うと嬉しいです!是非とも、頑張りましょうね!!!」
「そうですね。それよりも」
感激のあまり、黄生の手を両手で包みこんでギュッと握っている男に対し、黄生はこう尋ねる。
「耶納華、という男を連れて来るよう頼まれたんですが、今どこにいるか聞くのを忘れてしまって。御存じですか?」
「耶納華ですか?ええ、知ってますよ!」
男は口が軽いのか、それとも自分よりも新人になる黄生たちに会えたのが嬉しいのか、ペラペラと教えてくれた。
どのあたりにいるのかを聞いたところで、2人はそっちに向かって歩き出そうとすると、男は何かを思い出したように「あ」と言う。
なんだろうと思って男の方を見ると、こんなことを言った。
「急遽、耶納華は別室に連れて行くって言ってたな。けど、そこは別名”処分室”って呼ばれてる場所で・・・」
最後まで聞く前に、2人は走っていた。
男に教えてもらったとおりの場所まで辿りつくと、部屋を開けてもそこにはもう耶納華はいなかった。
遅かったかと、黄生と咲明は男が言っていたもう一つの場所を目指した。
白衣がバサバサと邪魔にも感じたが、今は脱いでいる暇もない。
「見ろ!あそこ!!」
咲明が指さした先には、数人の男たちに連れられて歩いている耶納華と思われる背中があった。
顔は見えないが、服装からしてきっと耶納華だと確信した。
「待て!!!」
「なんだ、お前たちは」
「どこの研究室だ?」
息を軽く切らせながらも耶納華を連れて行こうとしている男たちの足を止めることに成功した。
耶納華はこちらを見て驚いてはいるが、暴れようとしようにも、男たちに強く腕を掴まれているからか、身を捩ることしか出来なかった。
「お前等・・・なんで!!」
「取り囲め」
誰かの声がしたかと思うと、黄生と咲明の周りを男たちが取り囲んだ。
男たち、といっても屈強な格好の男ではなく、白衣を来た男たちだ。
「ここに入ってきたときから見ていたが。お前達にこいつの居場所を教えたあの研究員には、後でしっかりと躾をしておこう」
「・・・・・・」
黒髪の男が現れると、みなその男に向かって一礼をする。
その男がここでどれだけ偉い立場にいるかが分かるような、そんな光景だった。
「そいつをどうしようと?」
「・・・ここから逃がそうかと」
「それは困る。耶納華は今から大事な実験をするにあたって、必要なんだ」
その男は白衣を着ておらず、黒いワイシャツに黒いネクタイを締めている。
そのネクタイを上までキュッとあげながら黄生たちの前まで歩いてくると、今度は耶納華に視線を向けた。
「耶納華、お前にも教えておいてやろう」
「何をだよ炎涼・・・!!おかしいんだよお前等!!こんな陽のあたらない場所で暮らして、クローン作って・・・!!人間を人間とも思っていねえくせに!!!」
噛みつくような耶納華の言葉にさえ、炎涼は鼻で笑った。
「耶納華お前、クローン人間を不要なものだと考えてるのか?」
「当然だ!!!俺は俺1人で充分だ!!俺以外の俺なんていらねえ!!こんなとこぶっ潰して、世の中に公表してやる!!」
「確かに、俺がもう1人いたらなんか気持ち悪いな。なんて呼べばいいんだ?」
「黄生、問題はそこじゃねえからな」
ちょっとズレた黄生のことは良いとして、耶納華のきっぱりとそう言い放った言葉に、炎涼は呆れたようにまた笑った。
なぜ笑われているのか分からない耶納華と、同じように理解出来ていない黄生と咲明。
「クローンは不要なものか・・・。それならば耶納華、やはりお前は足を進めるべきだ」
「なんだ・・・?」
「お前は正真正銘、クローンなんだからな」
「・・・へ?」
耶納華は、理解出来なかった。
いや、理解は出来ていたのかもしれないが、理解したくない、受け入れたくない、という気持ちが大きかったのだ。
確かに、小さい頃の記憶なんてあまりないが、それは良い思い出が無かっただけの話であって、最近のことなら何を聞かれてもちゃんと答えられる。
朝日を浴びて起きれば朝食が準備してあって、それを口に運ぶ。
顔を洗って歯を磨いて髪を梳かして、いつもの洋服に着替える。
後はだらだらと過ごしていれば、そのうち研究員から呼ばれて部屋に行って、血液が必要だと言われれば採血して、脳波を調べると言われれば大人しく寝た。
怪我をしても赤い血が出てくるし、耶納華という名で生きてきた。
そんな日常が全て、自分であって自分でないもの。
「嘘だ・・・そんなの・・・」
「嘘じゃない」
「嘘だ!!!!俺は、本体だ!!俺のクローンを作るためにここに連れて来られて、俺はクローンなんかじゃない!!!でたらめ言うな!!!」
「やれやれ」
耶納華と炎涼という男のやりとりを聞いていた黄生と咲明の2人も、耶納華がクローンの方だったと知ると、互いの顔を見る。
それが本当かどうか、2人には確かめる術はないが、炎涼という男の表情からしても、それは嘘ではないだろう。
だからといって、耶納華がクローンだとすぐに受け入れるのもまた難しいことだった。
当の本人である耶納華は、絶望した表情になり、顔色は真っ青で、愕然と項垂れてしまった。
「そう落ち込むな。クローンとはそういうものだ。いや、本体であってもな。自分こそが本物だと思いこんでしまう。それがクローンという実験だ。自分を本体だと思いこんでいるのは何もお前だけじゃない。クローンに細工をして洗脳させる実験もしているがな」
「嘘だ・・・嘘だ・・・」
「お前は本物から派生した生き物に過ぎない。だが本物同様の価値がある。ただお前は少々勝手が過ぎた。ここから逃げ出し、こいつらのような無関係の人間にまでクローン実験のことを話してしまう口の軽い奴は、ここで処分するしかないだろう」
「それもまた、身勝手だな」
「黄生、止めておけよ!」
炎涼に喧嘩を売った形になったのは、黄生の言葉だった。
きっと黄生本人はそんな心算は全くないのだろうが、炎涼という絶対的権力の象徴に口応えや刃向かうなど、心の中では思っていても口には出来ないことだ。
それがなぜ出来るのかと聞かれれば、炎涼という男とも、その男が持っている権力や地位とも、関係無いところで生きてきたからだろう。
黄生を制止しようとする咲明だが、止められそうにないことを悟ると、身構えて辺りの様子を窺う。
「ほう、俺たちが身勝手だと?」
「ああ、そうだ」
「どういうところが身勝手なのか、説明願おうか」
いつもなら口喧嘩さえまともにしようとしない面倒臭がりな黄生だが、ここまで炎涼に喰ってかかるのは、黄生の中で曲げられない何かがあるからだ。
それを知っているからこそ、咲明も強引には止められないのだ。
「耶納華がクローンでも本体でも、それは関係ない。耶納華という存在がこの世にあることは確かな事実であって、その事実がある以上、生きるも死ぬも、耶納華の意思だ。お前が決めることじゃない」
「クローンはクローンだ。クローンはあくまで本体から産まれたものであって、個人として認めるには難しいだろう。こいつが言ったように、不要なものとも言える。だがクローンにも役目がある。本体の代わりになることだ」
「クローンを代替品とするなら、それは本体に対する冒涜だ」
「冒涜?古来より、代替品とする習慣はどこの世界にもあっただろう」
似ている人間を本人だと思わせることによって命を守ろうとする影武者であったり、高級な宝石が手に入らない場合、近くにある美しいもので満足しようとしたり。
手に入らない時、満足出来ないとき、自分を守る時、必要な時にないとき、状況は様々であっても、代替品というものはこの世に幾つも存在していた。
炎涼が近くの研究員に掌を上にして腕を軽く曲げて出せば、研究員は炎涼の手の上に飴玉を出した。
それを口に放り込んですぐ、ボリボリと噛み砕く炎涼は、まるで見下すかのように黄生を見て、そして続ける。
「本体だって、クローンがいれば楽になるだろ?面倒なことは全部やってもらえばいい。嫌なことも、苦痛なことも、人間関係だって仕事だってな。これほどまでに効率よく、且つ自分と同等の代わりとなる存在はいないだろうな。お前はクローンの何を赦せねえんだ?」
自分がもう1人いる。
そうすることによって、きっと多くの人間が助かるのかもしれない。
同じ顔、同じ体格、同じ臓器、全て同じなのだから、良き友にも成り得るかもしれない。
しかし、代替品とはまたわけが違う。
「存在意義を見失うな」
「あ?」
「双子であっても、個々は違う。それなのに、まったく同じものを作りあげて世に産まれさせ、代替品としてのみ存在価値を見出すなんて、あまりにも無情だ」
「・・・ふん。それは関係ねえんだよ。要するに、どうやって利用するか。それを目的としてこの実験は行われてんだよ」
「理解出来ない」
「お互いにな」
やばい雰囲気になってきたな、と心配していた咲明の予感は的中してしまう。
「頭が良いと、やっぱり人徳から外れた考えがポンポン浮かんでくるんだな」
「ああ?お前俺に喧嘩売ってんのか?」
「喧嘩なんて売るだけ時間の無駄。それに今褒めたんだけど、あれ?気付かなかった?」
「ああ悪いが、褒められたようには思えなかったな。むしろ逆だ。貶された気分だ」
「そんな心算はなかったんだ。ただ、こういうところのトップともなると、俺とは違って非人道的な考えがベースになってるんだなーって勉強になったと、遠まわしに言った心算だったんだけどなー」
「なんかお前ムカつくな。久しぶりにカチンてきたよ俺。なあ、時間なるなら名前くらい名乗って行けよ。後でボコボコにしてやるから」
「生憎だけど俺暇じゃないんだ。お宅と仲良くなる心算もこれっぽっちもないし、晴れてる日よりは雨の日が好きだけど、それでもたまには太陽に光を思う存分浴びないと、体内時計が狂っちまいそうだし。こんなじめじめしたところで長い間生活出来るなんて尊敬しちゃうよー。ミミズみたいな感覚の持ち主なんだな」
「黄生、ずれてきてる」
「奇遇だな。俺もお前とは仲良くする心算なんて毛頭なかったよ。まあ、俺は風さえ強くなけりゃあ晴れでも雨でもいいがな。それには、確かにここは地下だが、冷暖房完備してるし、除湿も出来る。シャワーも浴びれるしモニターという名のテレビもついてるからお前が思ってる以上に快適なんだよ」
「炎涼様、ずれてきてます」
なんだか論点がずれてきてしまっていることに気付いた咲明と波幸が口を挟むが、なかなか話は戻らない。
炎涼のそんな姿が珍しいのか、周りの研究員たちは少し楽しそうにしていた。
いつもなら怖いというイメージ、もしくは口では勝てないというイメージが強かった炎涼が、こんな子供のような口喧嘩をしていると、クスクス笑っている声まで聞こえてくる。
それに気付いた炎涼が軽くそちらを見ると、決して睨みつけたわけではないのだが、それだけで研究員たちは大人しくなってしまう。
「だいたい、若い連中が毎日毎日こんなところで研究ばっかりなんて、身体に悪いと思うよ。もっと外で元気に動き回った方がいいんじゃない?」
黄生が元気に走り回っている姿なんて、滅多に見た事がないが。
「確かにこいつらは顔も白いし不健康に見えるがな、検診ではほとんどの奴が問題なしだ。まあ、コレステロールで引っかかってる奴とか、血圧で引っかかってる奴はいるが、特別大きな病気をしてるわけでもねえから、それは問題なしと一緒だ」
「みんな頭が固そうだな。こうと決めたらそれしか考えることが出来ない子供にだけは育ってほしくないもんだな」
「それはお前の育て方次第だろ。それに、研究をしてる奴は頭が固いわけじゃない。ただ理屈が通らないことや文献に載っていない事実を認められないだけだ。決して頭が固いわけじゃない。ただちょっと融通がきかねえがな」
「それを頭が固いっていうんだ」
「なんだお前さっきから。やっぱり俺に喧嘩売ってんじゃねえか」
「売って無いって言ってるのに、なんでそうなるかな。おたくも頭が固い系?」
「黄生、その辺にしておけよ」
なんでこんなことになったのかと、咲明は黄生の肩に手を置いた。
まだ何か言いたそうな顔をしている黄生をなんとか止めると、炎涼の方も耶納華を迎えに来ていた波幸といかいう男が止めていた。
「こいつらを取り押さえろ」
炎涼がそう言うと、周りの研究員たちは一斉に黄生たちを捕まえようと襲いかかってきた。
だが、それを簡単にひょいっと避けると、黄生は耶納華を捕まえている男の顔面を蹴飛ばし、耶納華を解放した。
「行くぞ!」
咲明の叫び声とともに、男たちが倒れて行く。
倒れて行く男たちもいるが、ほとんどは2人に手を出すことも出来ずにただ逃げるだけだった。
その間、黄生たちは耶納華を連れて出口まで一直線に走って行く。
3人の姿が見えなくなったあと、炎涼は身を屈めて何かを拾った。
「・・・・・・」
「炎涼様?」
無言で拾ったそれを波幸に渡せば、波幸はそれを持ってすぐに研究室へと向かった。
「炎涼様、何をお渡しで?」
「髪の毛だ。あいつらのな」
「ああ、そうでしたか」
先程までここにいた黄生と咲明の髪の毛。
珍しい緑色の髪はきっと黄生のものだろう。
そして、もう一人の男が首に巻いていたマフラーについていた髪の毛はきっとその男のものだ。
それを波幸に渡したということは、DNA検査などをするということだろう。
陸に渡しても良かったのだが、陸は研究全体を見ているため、見た目以上に忙しいのだ。
遺伝子を調べて利用できそうであれば、それのクローンを作ることになるが、そうなると、細胞を複製するにはか、もしくはその細胞を持っている人間を捕えるしかない。
そのための検査を陸に頼んだのだろうと、陸はすぐに理解した。
「炎涼様、お部屋にお戻りください」
「ああ、戻るよ。なんだか疲れたからな」
そう言って首を回しながら、炎涼はモニターが沢山ある部屋に戻って行く。
その頃、なんとか逃げ出すことに成功した黄生たちは、息を切らせていた。
というか、本当に切らせていた。
「も、俺、走れない・・・」
「走らなくて大丈夫だよ。最初から誰も追って来てねぇから」
「ふん。耶納華は体力がないな」
「黄生、お前それ、大の字に寝ながら言う台詞じゃねえからな」
逃げることに必死で、追手が来てるものだと思いこんで走っていた3人だったが、追って来ていないことに気付いたのは咲明だった。
黄生にそれを教えようと顔を前に戻すと、もうすでに黄生は変な方向に走っており、耶納華は耶納華で咲明の声など全く聞こえていなかった。
そんな厄介な2人をなんとか捕まえた咲明よりも、なぜか疲れた様子の黄生と耶納華。
「・・・俺が、クローンだなんて・・・。信じられねえ・・・!!!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
耶納華の気持ちも分からないではないが、だからといってどうすることも出来ない。
それが事実だとしてもそうじゃないとしても、耶納華同様、自分達もあいつらに狙われてしまったのかもしれないのだ。
落ち込んでいる耶納華に何か声をかけようとした咲明だったが、耶納華は次の瞬間にはなぜか怒っていた。
「だーーーー!!!むかつく!!なんなんだよ!俺はクローンだとしたら、じゃあ本体はどこにいんだよ!?宥海と結羽実みたいに一緒にいねぇからわかんなかったぜ・・・。だとしても、本体がいるなら、会ってみようじゃねえか!!!なあお前等!!!」
急に元気に叫んだ耶納華に対し、黄生と咲明は何も答えない。
テンションというか、温度差が激しいようで、耶納華からは体内から何か燃え上がるようなものが見えるが、黄生と咲明には今それが全くない。
耶納華が口にした“お前等”に対し、辺りをキョロキョロと見渡してみる。
「もしかして、お前等って、俺達のこと言ってる?」
咲明が自分のことを指さしてそう言うと、耶納華は咲明の肩をがっしりと掴んだ。
そして目をキラキラさせながら、こう言った。
「他に誰がいるんだ!!!」
逃げるにも逃げられない状況に、咲明は黄生に助けを求めようとしたが、黄生はそーっと逃げようとしていた。
しかし、それも耶納華によって阻止されてしまうのだった。
「なあ頼むよ!!!お前等しか頼りがねえんだよ!!!俺のこと助けてくれたじゃん?ってことは、俺のこと助けたいんだよな?な?ってことは、手を貸してくれるよな!?」
「・・・いや、なんていうか、確かに助けたかもしれないんだけど、まさかこんな面倒なことになるとは思ってなくて」
「俺も」
「そう言うなって!お前たちが強いのもよーく分かった!!!あいつらは所詮武闘には向いてないんだよ!まあ、護衛もいるが、人数は大したことねえから平気だろ!それに、お前等強いしな!ああ、俺は戦えないからな?だって普通の人間だからな?クローンだけど、普通の人間だから」
「俺達だって今度捕まったらどうなるか分かんねえだぞ?そんなリスク背負ってまで、お前の本体に会わなきゃならねえのか?正直嫌だね」
「俺も」
「えー!!嘘だろ!もっとやる気だしてみろよ!心の声に耳を傾けてみろよ!!」
だんだんと面倒になってきた黄生と咲明だったが、耶納華をこのままにしておくことも、1人で行かせることも出来ないと考えていた。
いや、考えていたのは咲明だけかもしれない。
黄生は隣でうとうとしていたし、先程から返答してきたと思っても「俺も」だけだ。
そんな状況に深いため息を吐くと、咲明は少し休んでからにしようと提案した。
それもそうだと、納得した耶納華は誰よりも先に寝てしまった。
「炎涼様、あの3人を追わなくてよろしいので?」
「あの3人?ああ、さっきの連中か」
耶納華と、耶納華をわざわざ助けに来たと思われる男2人。
敵の蟻の巣に、たった2匹だけで挑んでくるとは命知らずも良いとこだ。
「ねー炎涼」
「なんだ、またお前等か。ここには来るなと言ったはずだ」
「いいじゃない。耶納華逃げられたくせに。なんで私達に教えてくれなかったのよ」
「どうしてお前たちに教える必要があるんだ。耶納華のことも、あいつらのことも、関係ないだろう」
椅子にどっしりと座ると、炎涼はデスクの引き出しからなにやらお菓子を取り出して、それを口に運んだ。
「炎涼ってば可愛いもの食べるのね」
「見た目は関係ないだろ。好みの問題だ」
炎涼が食べていたのは、可愛らしい見た目でもあるグミだった。
しかも、チョコレートがコーティングしてあるものだ。
「私にも頂戴」
「やだ」
「ケチね。炎涼ともあろう男が随分とケチね。グミ一個くらい」
「お前は一個から始まって喰い尽くすまで終わらないからだ」
そんな炎涼と宥海のやりとりを、ただじっと見ているだけの結羽実。
「あーあ。でも、耶納華とももう少し一緒に同じ世界で生きられるのね。炎涼たちに殺されなければ。あ、違うかな。解剖されなければ?」
「用がないなら出て行け」
冷たくそう言い放つ炎涼に、宥海はため息を吐きながら結羽実の手を繋いだ。
人の体温を感じられるその手を強く掴むと、じんわりと汗を感じる。
「炎涼」
「なんだ」
「解剖なんて止めてよね。クローンだからっていったって、解剖しても何も変わらないんだから」
「俺に異論か。なら、お前が代わりに解剖実験の対象になるのか?」
「・・・・・・」
宥海は頬を膨らませて炎涼を睨みつけると、炎涼にさっさと出て行けと言わんばかりにシッシッとされてしまったため、結羽実の手を引っ張ってそこから出て行った。
耶納華とは別に友達なわけでもないが、部屋が近かったからか、頻繁に話すことがあった。
クローンといえども、一つの個体。
感情というものも存在すれば、意思というのも存在する。
「宥海、大丈夫?」
「大丈夫よ。ごめんね、不機嫌になったりして」
結羽実はそっと宥海の頬に手を添える。
「大丈夫よ。私はあなた。共有するのが私達でしょ」
「・・・ありがとう。そうね」
宥海と結羽実がいなくなった部屋には、陸が来ていた。
次から次へとなんだと、炎涼はもうひとつグミを口にする。
「先月始めたナンバー002978ですが、何か拒絶反応がありまして、オリジナルとは全く異なる遺伝子が発生しましたので、解剖と検査に回してます」
「やっぱり奇形が出たか。遺伝子には何かあったか?」
「今のところまだ何も。けど、遺伝子を使って生殖するのはまだ難しいですね。上手く授精もしないし、授精したと思っても生まれてすぐ死んだり、今回みたいに奇形が生まれたり。まだまだ改良の余地があるかなと」
陸に渡された写真つきの資料を眺めながら、炎涼は陸にコーヒーを淹れるようにと指だけを指してそれを伝える。
長くいるからなのか、それとも陸の察しが良いのか、それとも炎涼が分かりやすいのか、とにかく陸はすぐに行動に移した。
しかし、コーヒーメーカーはお世辞にも綺麗になっているとは言えず、研究をしている陸としては、こんな汚い状態で使い続けたらいつかこの人病気になるな、と思っていた。
軽く洗ってからコーヒーを淹れると、その間、炎涼はまた何かを食べていた。
いつものグミかと思っていると、どうにも臭いが気になって、何を食べているのかと聞けば「チーズタラ」と言っていた。
食べたことがない陸にとっては、それがどういった味がしてどういったものなのかは知らないが、炎涼が美味しそうに食べているのだけは分かった。
「陸、他には何かあったか?」
「はいはい、他ですね」
上司に向かってはいはい、と軽口を叩く陸だが、まだ以前解剖した失敗作についてのことを話した。
「臓器が腐ってた?」
「はい。死んでからすぐに解剖に回したはずなのに、ですよ。なんでかなーと思って、血液検査もしたんですけど、これといったものが見つからなくて。一応苦労してるんですよ?」
「別に苦労してねえとは言ってねぇだろ」
たまにひねくれたことを言う陸に対し、炎涼は軽く否定をしながら返答をすると、陸は少し満足したように微笑んだ。
陸は研究者としてはとても優れているのだが、友人とするならば幾分か、いや、すごく難ありな性格をしている。
正直いって、普通の生活を送るだけならば、決して関わり合いたくない相手だ。
しかしこうして関わっているのは、それほどまでにこの男がこの研究においては重要な知識や技術を持っているからだ。
全ての資料を見終わる頃には、丁度コーヒーが淹れ終わった。
それをまた陸にカップに注がせると、炎涼はブラックのまま口に運ぶ。
「あちっ」
「そりゃ淹れたてですから」
二回ほど息を吹きかけてから、炎涼はまたコーヒーに口をつけるが、そっと、そーっと飲む。
しかしまだ熱かったのか、眉間にシワを寄せながら、見終わった資料を陸に返すと、陸は何か思い出したかのように、無造作に白衣のポケットに入れていたソレを渡した。
「・・・よく写ってるな」
「でしょ?より鮮明になるようにって、大地に頼んで綺麗にしてもらいましたからね。感謝してください」
「ああ。あとで大地に感謝しておくよ」
陸から渡されたのは、研究所に乗り込んできた2人の顔だった。
緑の髪の男と、青い髪の男。
因縁があるわけでもなく、研究所に関係があるわけでもないだろうかと、調べるために監視カメラの映像を解析させ、印刷させていたのだ。
「その2人は特に研究所とは関係なかったですねー。というか、おたずねものだったんで、名前を割りだすのは早かったですけど」
「おたずねもの?」
「ええ。なんでも賞金稼ぎらしくて。それで耶納華も捕まえてきてくれたみたいですよ。えっと、こっちの緑の髪の男が黄生って名前で、こっちの青髪の男が咲明って名前みたいですね」
「・・・・・・」
その2人の写真をじーっと見ていた炎涼だったが、ぽいっと放り投げるとコーヒーに手を伸ばした。
そして陸も研究の続きがあるため部屋から出て行くと、炎涼はデスクの引き出しからチョコスティックのお菓子を取り出し、コーヒーをそれで混ぜながら飲んでいた。
「ねー、私達何かすることないのー?」
「ない」
「大地ってば酷い。ねえ、波幸はー?マスク男いないのー?」
「波幸は仕事中。だから相手してる暇はない」
「みんないじわるね」
「いじわるとかじゃなくて」
誰か遊んでくれる相手はいないかと、宥海と結羽実は研究所内を歩き回っていた。
他のクローンたちはみな各自部屋に籠っているため、なかなか宥海たちと出会う機会がない。
どうして部屋に籠っているのかと聞かれると、部屋の中で寝てきり状態になっている人たちがほとんどだからだ。
完全なオリジナルのコピーとなるまでには、相当な実験数が必要となる。
宥海と結羽実に関しては、それほど犠牲は多くなかった。
こうして平気で2人で出歩けるのも、奇形になっていないのも、オリジナルの身体に何か特殊な遺伝子でもあったのか。
ホクロの位置も性格も違うが、見た目も接し方も普通の人間同様となれば、実験は成功に等しい。
陸たちも今は他のことで忙しく、それほど宥海たちの実験を進めてはいないのだが、きっと時間が出来れば、また宥海と結羽実を別々にして何か実験をするのだろう。
「結羽実、ここから出られたら、何処に行きたい?私、調べておいてあげる」
「私は別に」
「そんなこと言わないの!明日だってちゃんと迎えられるか分からないんだから、今日を楽しく過ごさないと!!」
生まれてすぐ死んだ人もいた、寿命が短くなってしまった人もいた。
目の前で次々に死んでいって、解剖に回されて身体を刻まれてもまた実験されて、最初の頃は吐いてしまったのを覚えている。
今となっては慣れてしまったが。
「可哀そうだったね、みんな。けど、私達は頑張ろうね、結羽実」
「うん。私も、宥海となら頑張れる」
そう言いながら、2人は寄り添う。
「寝すぎた!!!!」
ちょっと休もうという咲明の提案に乗ったのは良かったのだが、起きたら夕暮れになっていた。
ちょっと肌寒くなってきており、耶納華は身体を丸めて温まろうとした。
「・・・その格好で俺の近くにいるの止めてくれるか」
耶納華の隣には、マフラーをしているのに上半身はさらしを巻いただけの状態の咲明が腕組をしていた。
見ているだけでも寒いのに、この男の皮膚の感覚はどうなっているんだ。
それには黄生も同じ意見のようで、咲明の身体にペンで洋服を描こう、なんて言っていたが、咲明は断固拒否した。
「よくそんな格好で耐えられるな。尊敬したくないけど思わず尊敬するよ」
「だろ?こいついつもこの格好だけど、全然寒くないんだってさ。夏はまあ分かるよ?夏はマフラーいらないと思うけど、トレードマークらしいから、あんまり突っ込まないでおくけどさ」
「雪が降ってもああなのか?びっくり人間コンテストとか出られそうだな!」
「その手があるな。それで稼ぐってのも良いかも・・・」
「良くねえよ」
咲明のマフラー談議をしている黄生と耶納華の口を一旦閉じさせると、今日は何処で寝ようかと聞いた。
黄生はとてつもなく面倒臭いのか、ここで野宿でいいんじゃないかと言えば、耶納華はこんなところで寝るのは嫌だと言いだし、それに対してまた黄生が動きたくないと駄々をこねる。
「黄生、金なら耶納華を連れて行ったときのがまだあるし、探せば近くに宿の一つくらいあるんじゃないか?俺達は野宿に慣れてても、こいつは慣れてないだろうし・・・」
「やだーーー!!!俺は絶対フカフカのベッドで寝るんだーーーー!!!」
双方譲らない展開になるかと思いきや、黄生が耶納華にこう言った。
「なら1人で研究所に戻れば」
「・・・・・・」
黄生のその一言で身体を硬直させてしまった耶納華は、泣きそうな顔をして咲明を見るのだった。
やれやれと、咲明は黄生の好物でもある甘いものを餌にして、なんとか近くの宿に泊まることが出来た。
しかし宿は部屋が一つしか空いていなくて、野郎3人で同じ部屋になってしまった。
3人で寝るには充分な広さの部屋だったが、咲明には心配なことがあった。
それは、黄生の自由な性格だ。
野宿のときには気にしなくて済むのだが、寝相が悪いわけではないのだが、寝るまでに時間がかかるというか、眠りが浅いためか、黄生はよく布団の上をゴロゴロと転がる癖があるのだ。
それは例え人が寝ていたとしても、遠慮なく上を転がって行く。
成人男性、しかもそれなりに背もあって体格も良い男が全体重をかけてくると、それなりに重い。
それに何より、時折その拍子に悪夢を見るのだ。
何度魘されたことか分からないが、今日は耶納華がいるため、同じようなことになって寝る暇もないくらい、耶納華が夜叫んだりするのではと思っている。
「俺ここー!!!」
そう言って、いの一番に場所を陣取ったのは、耶納華であった。
「なんで窓際?寒くねえか?」
窓から一番遠い布団を選ぶと思っていた咲明がそう尋ねると、耶納華はこう答えた。
「研究所って、外と直接繋がってる窓がほとんどないんだ。炎涼様の部屋にあるくらいかな。他は風景画とかはかかれてるけど、実際には全部室内だから、なんか新鮮な空気が近い方が良いなーって思って」
「まあ、俺は構わないけど。黄生は?」
「俺はどこでもいいー」
そういうと思ったよ、と付け足すと、耶納華は早速温泉に入ってくると言って準備を始めた。
咲明も向かおうと準備をし、黄生も誘おうと顔をそちらに向けたのだが、その時にはもう珍しく黄生は寝息を立てていた。
また食事もしていないし、布団にすら入っていない状態で、しかも布団と布団の隙間に顔を埋めると言う器用なことをしていた。
苦しくないのかと思っていた咲明だったが、起こすのは悪いと、耶納華と2人で温泉の方に歩いて行った。
「ぷっはーーー!!!気持ちいいなー!!温泉最高!!!!これが温泉ってんだな!俺初めてだけど、なんか熱いんだな!!!」
「耶納華、温泉ってのは泳ぐとこじゃねえんだぞ。こうして頭にタオル乗っけて、ゆっくりと風景を眺めるのが粋ってもんだ」
「楽しいぜー!!!さすがにクロールは泳げねえな!!!」
「おい」
静かに入るように言ってみるが、耶納華はまったく大人しくなる気配がない。
なぜこんなにもはしゃいでいるのか、それは咲明には分からなかったが、とにかく、耶納華がまあ楽しそうだから良いかと思っていたが、やはり回りから迷惑そうな顔を向けられたため、耶納華を連れて隣の小さな温泉に移動した。
「あー、なんかすっげー身体あったまってきたー。温泉ってすげーな」
「温泉に入ってこんなに疲れたのは久々だ」
疲れを癒す場所で、耶納華の世話をするのに疲れてしまった咲明だったが、これが初めてではなかった。
黄生と初めて同じ湯に浸かったときも、なぜか疲れた記憶がある。
耶納華のように泳いだとかは無かったのだが、温泉の中で寝てしまって気付けば沈んでいたり、顔が赤いからもう出た方が良いと言ったのになかなか出て行かず、最後には逆上せてしまって歩けなくなり、黄生を背負って部屋まで歩いたことがあった。
それはまだ可愛い方だったかと、咲明はまだ隣ではしゃいでいる耶納華を見て思うのだった。
「そろそろ出よう」
「へーい」
咲明の後ろを大人しく着いてくる耶納華と部屋に着くと、寝ていたはずの黄生は起きていて、用意されていた食事に手をつけていた。
「おい、俺の分のゼリーにまで手をつけるな」
「え?これ咲明の分だったのか?てっきり全部俺の分だと思ってた!」
「わざとらしい驚き方をするな。がっちりデザート3人分抱えてるじゃねえか」
3人分用意されていた食事だったが、デザートだけがなぜか黄生のところにだけ用意されていた。
しかも3個分だ。
耶納華は気付いていないのか、食事だと喜んでいた。
今日はなんだか疲れる日だと、咲明は胡坐をかいて座り、味噌汁を飲むのだった。
そしてその夜、やはり咲明の思った通り、寝られない黄生は人の上をごろごろ転がるのだったが、耶納華は一度寝るとなかなか起きない性質のようで、結局寝不足になったのは咲明だけだったとか・・・。