第2話

文字数 2,679文字

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 店内は満席だった。隅のふたり掛けの席にエクレアは座っていた。
 黒のコートに黒のスカート。黒のブラウスに黒の靴。ストッキングも黒だ。いつものスタイルのエクレアは店内で異彩を放っていた。
 店内の客は、モデルのような容姿と近寄りがたいオーラを放っている彼女に、なんだか圧倒されているような感じだった。それもそのはず、彼女は冥府導使、つまりは死神だった。
 私は自分のコーヒーをテーブルの上に置き、エクレアの前の席に座った。
 店内の視線が私にそそがれているのを感じた。たぶん羨望と好奇の視線だ。
「意外と早かったわね」
「あたり前だ。飯も食わずに出てきた」
「どうせ二日酔いで食べられなかったんでしょう」
 反論できなかった。
「それで、用というのは?」
「慌てないで、まずはコーヒーを飲んでよ」
 急がせておいてそれはないだろう、と思ったが、言われる通りコーヒーをひとくち飲んだ。
「どう? おいしい?」
「まあまあだな」
「それはよかったわ」
 こういう態度のときが危ない。私は身構えた。
「師走のせいかしらね。なんだかみんな忙しそうね」
 今日は十二月の最初の金曜日。たしかにみんな忙しそうだ。
「もっとも私は年がら年中忙しいけど」
「もしかして話し相手がほしくて呼んだのか?」
「違うわよ。頼みごとがあって呼んだのよ。あなたにしか頼めないことよ」
 エクレアが私をみて微笑んだ。頭のなかで警報音が鳴った。この微笑みは危険だ。私は何度も痛い目に遭っている。
「それで、用というのは?」
 警戒しながらもう一度聞いた。
 いきなりエクレアが顔を寄せてきた。化粧品と香水の香りが鼻を刺激した。くしゃみが出そうになった。
「マカロンのことよ」
 エクレアが小声でそういった。
 聞きたくない名前が出た。
「まさかマカロンの相手をしろというんじゃないだろうな。それだったらお断りだ」
「大きな声を出さないでよ。まわりに聞こえるじゃない」
「ごめん」
「相手をしてほしいということではないのよ。実はね、調べてほしいのよ」
「調べる?」
「そう。身辺調査よ」
「身辺調査? だれの?」
「だからマカロンよ」
「意味がわからないな。どういうことだ」
「様子がおかしいのよ」
「様子がおかしい?」
「ええ」
「あのマカロンが?」
「そう、あのマカロンが」
「たとえば?」
「深刻な顔でため息をついたりしている。かと思ったら、じっと考え込んだりしている」
「そんなことか」
「そんなことってなによ」
「そんなときってだれにでもあるだろう」
「マカロンに限ってそれはないわ。いままであんな様子をしたことがないもの」
「つまり、なにか悩みごとを抱えているようだということか?」
「ええ」
「それがなんだかわからないということだな」
「そういうこと」
「曖昧だな……なにかないのか。具体的に」
「それがないのよ。だから困っているのよ」
「……わかった。ではこうしよう。マカロンにはあんたが事情を聞く。それで一件落着だ」
「一度聞いたのよ。なにか心配ごとでもあるのかって。そうしたら、なにもないわっていう返事よ。それで終わり」
「本人がないというんだから、なにもないんじゃないのか」
「いや、なにかあるわ。絶対に。様子がおかしいもの。それであなたに調べてほしいのよ。餅は餅屋というでしょう」
 やはり嫌な頼みごとだった。できれば断りたい。
「そうしてあげたいのはやまやまだが、なにせいまは忙しい」
「そうでしょうね。デキる男は忙しいんでしょう。でも私のお願いは聞いてくれるわね」
 エクレアに睨まれた。圧がすごかった。気圧された。私は蛇に睨まれたカエル状態だった。
「もしかして、なんとか逃げようとしていない?」
 眼の前にいるのが死神というのをつい忘れていた。私は逃げられないことを悟った。
「見損なってはいけないな。私は恩知らずではない」
「もちろん知っているわ。ではやってくれるのね」
「そうだなあ……」
 エクレアが睨んでいる。腹をくくるしかなかった。
「わかった。なんとかやってみよう」
「嬉しいわ。お願いね」
「そうと決まればいくつか質問だ」
「いいわ。なんでも聞いてちょうだい」
「仕事は普段どおりか?」
「普段どおりよ。問題はないわ」
「様子がおかしいと気づいたのはいつからだ?」
「四日前よ」
「ほかの連中で気づいている者はいるか?」
「たぶん私だけね」
「なるほど……ところで、お上は気づいているのか?」
 お上とは、死神がいる世界に君臨する絶対的な支配者のことだ。
「気づいていないと思う。気づいていれば私に相談するもの」
「わかった……さて、ではどう動くか……」
「それなんだけど、いまから、そうね、三十分後にここの東口からマカロンが現れるはずなのよ。だから、あなたは彼女のあとをつけてほしいの」
「それはいいが、その情報は間違いないのか?」
「あなたも知っているとおり、私は彼女の行動をだいたい把握しているから、いつどこに現れるかわかるのよ」
 マカロンのボスはエクレアだ。だからエクレアがマカロンの行動を知っていても不思議ではない。
「実をいうと、きのうなんだけど、私があとをつけようとしたのよ」
「ん? どういうことだ」
「現れるだろうなと思って、蒲田駅の東口を見張っていたのよ」
「現れたのか?」
「ええ、現れたわ。でも失敗した」
「なんで?」
「つけようとした矢先に運悪く電話がかかってきたのよ。電話が終わったときには見失っていた」
「ちょっと待ってくれ。そうすると、一回でもう諦めたのか? 今日もう一度チャレンジしようとは思わなかったのか?」
「やはりこういうことはプロにまかせたほうがいいと思ったのよ。そのほうが確実でしょう」
 物は言いようだ。
「なにかいった?」
「いや、なんでもない」
「じゃあ、あとはよろしくね」
「ああ、わかったよ」
「わかっていると思うけど、ほかの連中に私が依頼したこと、話さないでね。それから、マカロンに気づかれないように気をつけてね」
「わかっているって。まかせろ」
「頼もしいわね」
 エクレアが残りのコーヒーを飲み干した。私も残っていたコーヒーを飲み干した。
「なんだかんだいっても、あんたはマカロンのことが心配なんだな。いいところあるじゃないか」
 ちょっとからかってやろうと思った。
「だってなにかあると私がお上に怒られるじゃない。だからよ」
 素直じゃないところがエクレアらしい。嫌いではない。
 エクレアが席を立った。私も続いた。
 コーヒーショップを出たところでエクレアが立ち止まり、バイバイといった。顔に、してやったり、と書いてあった。私は、ああ、と答えた。顔に、してやられた、と書いてあった。
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