第24話

文字数 1,868文字

       24

 さて帰るか。ひとりごとが出た。重い腰を上げた。そのとき、背中がザワザワとした。身構える間もなくマカロンがノックもせずにいきなり事務所に入ってきた。
「いるのね」
「ああ、いま帰るところだ」
「コーヒーが飲みたいのよ」 
「ここは喫茶店ではない」
「あたり前じゃん。こんな汚い喫茶店があるわけないでしょう」
 クソ。どいつもこいつも。
「なにかいった?」
「いや、なんでもない」
 コーヒーを飲むまで帰りそうもない。そう思った私はキッチンに足を向けた。
「いいわ。私がやる」
 マカロンは私を制してそういうと、キッチンに行った。
 コーヒーの香りがしてきた。やがてマカロンは普段は使わないでしまってあるとっておきのコーヒーカップと私のマグカップを持って戻った。
 私はマグカップを受け取り、デスクの椅子に座った。マカロンはソファーに座った。
「私が淹れたコーヒーも捨てたもんじゃないでしょう」
「豆がいいからな」
「素直じゃないわね」
 私たちは同時にカップを口に運んだ。
「桜井といったかしら。あのあとどうなった?」
 半分ほど飲んだところでマカロンが口を開いた。
「あのあと身柄を警察に引き渡した。ヤツは素直に自供しているようだ。犯行に使われたナイフを押収してあるから、DNA検査で早晩犯罪が立証されるだろう」
「そこで一件落着ね」
「まあ、そうだ。これでやっと私も解放される」
「それは警察から? それとも私から?」
「どっちもだ」
「そうはいかない」
「嘘だろう」
「嘘よ」
 クソ。楽しんでやがる。
「警察といえば、おもしろい話がある」
「なに?」
「桜井が、取り調べで、小学生ぐらいの少女にやられた、といって捜査員を困らせているらしい」
「あっ、ヤバイ」
「大丈夫だ。捜査員は真に受けていない」
「そうじゃないのよ。ミスったのよ」
「なにがだ?」
「そのときの記憶を消すのを忘れた」
「そんなことができるのか?」
「もちろんよ。ためしてみる?」
「いや、結構」
 マカロンがニヤッと笑った。
「本当は気にしていないんだろう?」
「まあね。だってその記憶は桜井だけでしょう。どうってことないわ」
 いつしか本人も、あれは幻覚だったのかも、と思えてくるのかも知れない。
「だけど、今回の影浦の働きは立派よ。見直しちゃった。案外やるじゃん」
「本心か?」
「もちろん」
「だけど、結局はあんたが、じゃあなかった、マーちゃんの働きだ」
「結局はそうなんだけど、それはここだけの話。みんなには影浦だけで犯人をやっつけたということにしてある。話のネタとしてはそのほうがおもしろいでしょう」
「迷惑千万だ。今回の事件をペラペラとみんなに喋ったんだってな」
「そうよ。いけなかった?」
「あたり前だ」
「場を盛り上げるためにウケる話をした私を責めるわけ」
「そういう問題じゃないだろう。あん?」
「頭にきた。桜井がいまにもナイフを振り下ろそうとしているシーンまでタイムスリップしてやる」
「そんなことができるのか?」
「できるわけがないじゃん」
 マカロンがはははと笑った。
 クソ。このごろはからかいの手口が巧妙になってきた。
「それはそうと、このことをお上に報告したのか?」
「一応ね。いきさつを知っているから報告だけはしないとね」
「なんていったんだ?」
「ピンチヒッターが頑張って解決した、といったわ」
「お上はなんと?」
「よくやった」
「なんだって?」
「だから、よくやった」
「それだけか」
「不服なの? お上からのありがたいお言葉よ」
「褒美は?」
「言葉だけじゃ満足できないの」
「それで腹は膨れない」
「呆れた。最低ね」
「武士は食わねど高楊枝。美徳は結構だが、私には合わない」
「わかった。しようがない。お上に伝えてあげる」
「なんて?」
「ピンチヒッターが褒美をほしいと駄々をこねていると」
 最後のほうは笑い声だ。
「余計なことをいうなよ。しかたがない。言葉だけで満足するさ。ピンチヒッターが感激していたと伝えてくれ」
「オーケー。コーヒーも飲んだからそろそろ失礼するわ」
「くるなといってもどうせまたくるんだろう」
「コーヒーが飲みたくなったらね」
「ここは喫茶店ではない」
「汚いところだけどコーヒーだけはおいしいからね。それにロハだし。あら、もう十二時ね。油を売っている場合ではない。仕事に戻らなきゃ」
 時計をみた。たしかに十二時だ。エクレアから呼び出しを食らってから二十四時間が経ったわけだ。
「長い一日だった……」
「影浦」
「なんだ?」
「グッジョブ」
 マカロンがウインクをして事務所を出て行った。

                             了
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