8章―1
文字数 3,834文字
ミルド島の郊外を、銀色のキャンピングカーが駆け抜ける。
時刻は間もなく夕暮れだが、休憩を取らずにこのまま走り続ける予定だった。
――ガタン!
「なっ、なんだッ⁉」
しかし、突如大きな音と共に、車体が激しく縦に揺れた。運転席のノレインは盛大に慌てている。徐々に蛇行を始め、道路脇の街灯に激突しそうになったところで間一髪、停車した。
シートベルトをして皆無事だったが、何が起こったか分からず言葉を失う。
「もしかして、これは……」
ノレインは顔面蒼白のまま、車外に飛び出した。アース達もふらふらとついて行く。幸い、行き交う車は一台もない。片側一車線の小さな街道で、元々通行量が少ないようだ。
運転席側のタイヤの前でノレインは跪き、何やら確認している。彼の薄い後頭部を見ないようにして皆が覗きこむと、落胆した呟きが聞こえた。
「駄目だ、パンクしてる」
「ええええええぇ⁉ どうするんすか!」
ノレインの耳元でモレノが悲鳴を上げた。案の定飛び上がった夫を見て、妻がモレノの頭をひっぱたく。
「耳元で叫ぶんじゃないわよおおおおおおぉぉ‼」
「ぎゃああああああああ‼」
その大音量の怒号に、ノレインは更に飛び上がった。メイラは慌てて謝り、地面に伸びた夫を助け起こす。
「し……仕方ないが、この辺で停められる場所がないか、引っ張っていくしかない」
目を白黒させながら、ノレインは溜息をついた。
アースは途方に暮れ、思わず辺りを見渡す。ここは道路のど真ん中であり、見える限りのところに空き地はない。停車出来る場所まで、人力で引っ張るしかないだろう。
すると、ナタルが自信たっぷりに腕まくりをした。
「私に任せて。[潜在能力]を使えば簡単よ!」
ナタルは車内に駆けこみ、ロープを手に戻ってきた。
前方に取りつけると、担ぐようにしてロープを持ち、ぐっと踏ん張る。一見大型バスのような車体は徐々に動き出し、人が歩く速度で前進を始めた。皆歓声を上げ、静かに拍手する。
「あたしも手伝うわ!」
いてもたってもいられなくなったのか、メイラも前に飛び出した。ナタルと一緒に引っ張ると、スピードがぐんと増した。
「二人共凄いぞ、私達の力は必要なさそうだなッ!」
ノレインは小走りで追いかけながら笑い出す。更にスピードが増す勢いになり、開けっ放しの玄関に全員が乗りこんだ。
「ちょっと、皆乗ったら重くなるじゃない!」
「大丈夫っすよ、がんばってくださーい!」
メイラが文句を飛ばす中、窓から身を乗り出したモレノが気楽に手を振る。怒りで更にスピードアップし始めた様子に、[家族]は一斉に笑い出した。
張りつめた雰囲気が一気に和らぎ、アースは安堵した。彼の隣では、ラウロが屈託のない笑顔を見せている。そのことが、特に嬉しかったのだ。
地平線の向こうに、太陽が沈んでゆく。消えかけた夕日に向かって、銀色のキャンピングカーは再び爆走を始めた。
人力移動を続けて十分後。ようやく小さな空き地を見つけ、そこに停車した。
辺りはすっかり暗くなった。ノレインは修理道具を探しに、屋根裏の収納スペースを引っ掻き回している。メイラとナタルは椅子に腰を下ろし、肩で息をしながらコップの水を飲み干した。
「はぁ、はぁっ……何で皆手伝ってくれないのよ……」
メイラの力ない苦情に、全員が口ごもる。人並み外れた怪力の持ち主二人にはとても敵わない、とは言いにくい状況だった。
そこに、悲しみに打ちひしがれたノレインがよろよろと梯子を降りてきた。
「こないだの故障で、備品を全て使い切ったんだった……」
「もしかして、修理するには買い物に出なきゃならないってこと⁉」
ノレインは椅子に座り、なだれるようにテーブルに突っ伏した。メイラは夫の肩を激しく揺さぶるが、反応は鈍い。
ラウロ救出のために休みなく飛ばし続けた結果、キャンピングカーは何度か故障していた。壊れる度に元自動車整備士のノレインが応急処置を施していたが。今は修理道具どころか、食料すら買えない事態となっていた。
フィードに見つかった以上一刻も早く移動したかったが、これでは何も出来ない。
真剣な表情で考えていたラウロは、おもむろに立ち上がった。上着を羽織り、そのまま玄関に向かう。
「ラウロ、どこ行くの?」
ナタルは慌てて呼び止める。ラウロは振り返ると、きっぱりと言い切った。
「俺、ちょっと稼いでくる」
ナタルは血相を変え、彼の両腕をがっちりと掴んだ。
「ば、馬鹿じゃないの⁉ 今外に出たら、フィードに捕まるかもしれないのよ?」
「分かってる。けど、このままじゃ皆揃って捕まるかもしれないだろ?」
大声で捲し立てるナタルをなだめるように、ラウロは強い口調で言い聞かせる。その瞳に迷いはない。
「今はどうしても金が必要だ。もたもたと迷ってる暇なんてないんだ」
ラウロは背を向ける。ナタルの両手は、するりと離れた。
「なーに、大丈夫だ。パッと済ましてパッと帰ってくるから」
[家族]全員におどけた笑顔を見せ、ラウロは夜の闇に消えてゆく。
ドアが閉まる音が響く。誰も口を開かない。彼に対して過保護なまでに気にかけるナタルでさえ、黙っていた。
そんな中、モレノは「ラウロさん、なんか急に強くなったっすね」と呟いた。
――――
時刻は間もなく午前六時。辺りはほんの僅かに明るくなってきた。
ラウロはまだ帰って来ない。彼の帰りを待つため、リビングの明かりは点けたまま。
アースとミックは座席に寄りかかり、すっかり眠っている。二人に毛布をかけようとしたのか、モレノがアースの膝の上で力尽きていた。夜更かしすることが多い双子でさえ、テーブルに突っ伏している。
ノレインはナタルに「君も寝てていいんだぞ」と声をかけたが、ナタルは「大丈夫」と宣言し、目を擦りながらラウロの帰りを待ち続けた。
――コン、コン
突然、玄関から静かなノックの音が聞こえた。ノレインは訝しみつつ、ドアを開ける。外に立つ人物を目にした瞬間、眠気を帯びた目が一気に開かれた。
「やぁ、ルイン。突然すまないな」
優しげな柔らかい声。それが耳に入るや否や、メイラが反射的に立ち上がった。
急な物音にアース達は目が覚め、音のする方向へ顔を向ける。その先には、いつか目にした長身の男の姿。それは紛れもなく『変態』、いや、国際犯罪捜査員のヒビロだった。
「ヒビロ! あんた、何でこの時間に……」
メイラはずかずかと前に出るが、彼の横にいたラウロを見て、口をつぐんだ。
ラウロはどこかぼんやりとしており、顔面蒼白だった。自力で立っていられないのか、ヒビロが体を支えている状態だ。出先で何かが起きたのだ、と、誰もが思った。
メイラが口を開いた瞬間、ノレインが急にヒビロの襟元に掴みかかった。
「お前、ラウロにいったい何をした?」
「悪いことは何もしちゃいないさ。俺はただ……」
「とぼけるなッ! その様子はどう見ても、
メイラが慌てて宥めるものの、ノレインは注意も聞かずに激昂している。すると、ラウロが口を開いた。
「フィードに襲われかけたところを、ヒビロさんが助けてくれたんだ」
はっきりとした口調だが、まだ焦点が合わない。ノレインは我に返り、ヒビロの襟を離す。
「ラウロから全部聞いた。改めて、皆の話も聞かせてくれないか?」
ノレインは黙って横にはける。二人が車内に入ると、ナタルはラウロの前まで駆け寄り、その頬をおもいっきり平手打ちした。
「……ごめん」
ラウロはぼんやりとした目でナタルを見て、声を震わせる。ナタルは目に涙を溜めながら、ラウロに抱きついた。
――
「なるほど、同窓会から一週間もたたないうちに起きたんだな」
ヒビロは話を聞きながら、事件の詳細を手帳に記している。使いこまれた黒い万年筆の動きを目で追いながら、メイラは首を捻った。
「そういえば、シドナとシドルは一緒じゃないのね?」
「あぁ、あいつらとは別行動中だ。この後合流するつもりさ」
一通り書き終えたのか、ヒビロは万年筆をテーブルに置く。
「さて。俺達が追ってる事件とは関連が薄そうだが、あの野郎がしたことはまぁ、ちゃんとした犯罪だよな。それでも、捕まえるためにはやっぱり、証拠が必要なのさ」
その言葉に、双子はためらいながらも進み出る。
「ヒビロさんならそう言うと思って、あの日、録音してたの。ラウロさん、ごめんなさい……」
テーブルの上に、小型のボイスレコーダーが置かれる。何かあった時のために、と、同窓会の日にシドナが貸してくれた物だ。ラウロは一瞬顔を強張らせたが、頭を真横に振って苦笑した。
「大丈夫だ。事件解決のためなら仕方ねぇよ」
「ラウロ。すまないが、確認のため聞かせてもらうぜ」
ラウロは頷く。ノレインからイヤホンを受け取り、ヒビロはボイスレコーダーを手に廊下の奥に向かった。
それから五分後、ヒビロは悲痛な表情のまま戻ってきた。
「ラウロ、ナタル、そして皆。良く頑張ったな。まだ安全とは言えないが、俺達も全力を尽くす。だから絶対に、諦めるなよ?」
全員が互いに顔を見合わせる。ラウロは誰よりも力強い眼差しで、頷いてみせた。
(ログインが必要です)