11章―1
文字数 3,585文字
外はからりと晴れた秋空。絶好の散歩日和だというのに、アース達は本に囲まれた窓のない空間にいた。
ここは『家』の書斎である。壁一面に本棚が敷きつめられ、どの棚にも分厚い背表紙の本がぎっしりと並んでいる。
積まれた本の山や資料が床に散らばり、足の踏み場もない。モレノは足で資料を掻き分けながら「レント先生、片づけがめっちゃ苦手なんだよ」と、アースに耳打ちした。
朝食後、この場所で毎日約一時間、授業が行われている。
普段は生徒のみだが、今日は新しい[家族]のための特別授業だ。ノレインとメイラや、ソルーノ達助手も参加したいと言い出し、元々狭い書斎が更に狭苦しい。
アース達は、キャスターつき黒板の周りに着席する。レントは黒板裏で忙しなく動き、時折ばらばらと何かが崩れ落ちる。それからすぐに、彼は正面に移動した。ずれた眼鏡をかけ直し、咳ばらいをひとつ。レントは聴衆を前に感慨深く微笑んだ。
「こんなに人が多いと緊張するね。さて、今日は新しい[家族]になった三人のために、大事な話をしようと思う。[潜在能力]についてはルインから聞いているかな?」
ナタルが手を挙げ、質問に答える。
「普段は私達の中で眠っているけど、命の危機に目覚めることがある力だと聞いています」
「あとは[潜在能力]は一人ひとり違っていて、ミルド人は生まれた時から目覚めてることもある……だったっけ?」
ラウロも続いて発言すると、レントは大きく頷いた。
「その通り。何故潜在なのか、何故命の危機に目覚めるのか、そして何故、ミルド人だけが目覚めている場合があるのか。残念ながら、その全てはまだ分かっていない。まだまだ謎の多い、興味深い事象なんだ」
レントの口調は穏やかながらも、熱意を感じる。彼は哀しげに、目尻を下げた。
「例外はあるけど、基本的に一つの[潜在能力]しか使えない。実は、その大元は『この世界』の『神』、バーナリアの力なんだ」
アースは学校での授業を思い出した。バーナリアとは『この世界』を創造した『神』である、と習ったはずだが[潜在能力]と関係がある、とは初耳だった。それどころか[潜在能力]という単語すら、授業の中では一切出てこなかった。
「『神』は数え切れない力を駆使して、『この世界』を創生した。そして私達人間やほぼ全ての生物に、その力を一つずつ分け与えた。命が消える時、[潜在能力]は新たな命に受け継がれる。こうして、遥か昔から私達が生きる現代まで続いてきたんだ」
その時、ラウロが手を挙げた。
「レント先生。『神』って、そもそも誰なんだ? 本当に、この世界を創ったのか?」
彼は孤児であり、(レントによって読み書きや計算の基礎は出来てはいたが)まともな教育は受けていない。『神話』の成り立ちは小学校での必修科目だったが、彼を含め多くの孤児は『神』の存在すら知らない。
「先を越されてしまったね。実は、今日は『神』と『神話』について、君に伝えようと思っていたんだよ」
レントはラウロを愛おしげに見つめる。この特別授業は、うん十年前『家族』になるはずだった彼への贈り物だったのだ。
ラウロは目を潤ませ、「お願いします」と頭を下げた。
「『神』は何もない空間に現れ、一年間かけて『この世界』を創造した。正体はもちろん、何故世界を創ろうと思ったのかも分からない、伝説上の存在なんだ。空、海、風、雲……環境を整えた『神』は、海の上に一つの広い大陸を浮かべた。それが、今の[島]の基礎になった[Original]だよ」
レントは黒板をひっくり返す。そこには世界地図が描かれていたが、彼は黄色いチョークで、五つの[島]を取り囲むように線を引いた。
北西のミルド島、北東のカルク島、南西のクィン島、南東のフィロ島、そして中央のポーン島。[Original]はその全てがすっぽり入る、広い地形だったようだ。
「豊かな自然に溢れたミルド地方、湿原が広がるカルク地方、広大なサバンナのクィン地方、年中雪が降り積もるフィロ地方、険しい山脈に囲まれたポーン地方。私達人間を含めた様々な生物が平和に暮らせるように、『神』は五体の[守護神]を生み出した」
白いチョークを手に、レントは黒板に向かう。彼は説明を続けながら、それぞれの[島]の位置に[守護神]の名前を書き足した。
「ミルド地方には夜色の[白鳥]、カルク地方には夕日色の[蝙蝠]、ポーン地方には朝日色の[蜘蛛]、クィン地方には砂漠色の[蜥蜴]、フィロ地方には雪原色の[栗鼠]。[守護神]はそれぞれの土地で、生物と交流しながら暮らしていた」
一呼吸置き、レントは悲痛な表情になる。
「でも、平和はいつまでも続かなかった。巨大な隕石がカルク地方に墜落したんだ。『神』と[守護神]は隕石に立ち向かったけれど、カルク地方は壊滅し、[蝙蝠]が犠牲となった。その衝撃で、[Original]は五つの[島]に分裂したんだ。『神』と残りの[守護神]はこれ以上の犠牲が出ないよう実体を封印し、平和への祈りを今でも捧げている、とされるんだ」
都市が立ち並ぶカルク島は、百年前までは何もないまっさらな荒れ地だった。カルク島に上陸したミルド人によって豊富な地下水源が発見され、開拓が進められた結果、今では全世界を代表する経済都市に成長したのだ。
もし[Original]に隕石が落ちなかったら。五つの[島]に分かれることなく、故郷は美しい湿原の姿を保っていたのだろうか。アースはその悲劇を想い、悲しくなった。
「さて、ここまでで質問はあるかな?」
レントが聴衆に呼びかけると、リタが手を挙げた。
「先生、[守護神]の色がよくわかりませーん!」
朝日色、夕日色、夜色、砂漠色、雪原色。確かに、五体の[守護神]の色は抽象的で、どのような色なのか分からない。哀しげだった目元が僅かに和らぎ、レントは微笑む。
「そうだね。でも[守護神]の具体的な色は、伝わっていないんだ。皆は今の話を聞いて、どんな色だと思ったかな?」
生徒達は輪になって考え、口々に答え出す。
「砂漠色と雪原色は分かりやすそうね。砂の色って黄土色とか灰色とかだし、雪の色って白とかだもんね」
「上の三つは何だろう。夜の色って黒?」
ミンとファビの呟きに、サファノとルビナも負けじと意見を飛ばす。
「星みたいに白くぴかぴか光っているんじゃなーい?」
「みずうみとか、レント先生の色もそれっぽいよねー!」
闇に瞬く星、月に照らされた紺色の水面。真っ暗な空だけが、夜の色ではない。レントは驚いたように目を丸くし、すぐに満面の笑みになった。
「面白い発想だね。他の[守護神]はどう思う?」
リタは黒板を眺めながら、難しそうに目を細める。
「朝日色って夜明け前の薄暗い色? それとも太陽の色かなあ?」
「朝やけと夕やけってにてるよね!」
サファノが隣を見ると、ルビナは元気よく声を上げる。
「だったらどっちもオレンジ色じゃない? とってもまぶしーの!」
「でもその時によって色は変わるわ。こないだは赤紫色だったし……」
「あああああぁ!」
ミンの意見にアースは突然叫び、立ち上がった。ラウロが攫われた日、カルク島で見た空飛ぶ『道標』。あの時は切羽詰まって気にも留めなかったが、コウモリの形をしたそれは、鮮やかな赤紫色だったのだ。
「ラウロさん、あの時……カルク島で道に迷った時、紫色っぽいコウモリが道案内してくれたんです! もしかしたら、[守護神]が僕達を助けてくれたのかも……」
アースはラウロの両腕を掴んだ。最初は疑問を浮かべていたラウロも思い出したのか、目を見開き「本当、かよ?」と声を絞り出す。
「アース、それはどういうことだい?」
次第に騒めきが広がる。アースは注目を浴びていることにようやく気づき、顔を真っ赤にさせて席に着く。レントに説明を求められ、アースは当時のことを皆に語った。
「だとすると、おかしいよな。[蝙蝠]は隕石の犠牲になったんだろ? やっぱり普通のコウモリじゃねぇのか?」
「そう、ですかね……?」
ラウロに諭され、アースは自信を失う。だが窮地の時に現れ、逃げ道を導く野生のコウモリなどいるのだろうか?
思い悩むアースを見て、レントは哀しく、それでいて優しげに笑いかけた。
「『神話』の全てが事実だとは限らない。[蝙蝠]は犠牲になったと言われているけれど、もしかしたら今でも生きていて、カルク島を見守っているのかもしれないね」
アビニアの予言に登場し、危機から救ってくれたコウモリ。もし、それに気づくことなく彷徨っていたら、きっとラウロと共に捕まっていただろう。
滅びたはずの[蝙蝠]は、きっと生きている。アースは[守護神]かもしれない『道標』に、想いを馳せるのだった。
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