13章―3
文字数 2,899文字
ユーリットとオズナーの緊張した挨拶が聞こえる。ドア越しに殺気が伝わり、アースは身震いする。この感覚は、カルク島の水路の中で味わった恐怖と同じだった。
『ふん』と鼻を鳴らす音が聞こえ、ラウロは小さく息を飲む。皆を抱き寄せる腕は、僅かに震えていた。
『茶色い長髪の男が、この店に来なかったか』
抑揚のない低い声。ラウロの腕に力がこもる。青い『蛇』フィードはやはり、アース達が店に入る様子を見たのだ。
『えっ、ユーリさん、そんな人来ましたっけ?』
『ぅ、うぅん、さっき席を外していたから分からないなぁ。お客様の気のせいじゃないですか?』
店内の二人は必死に取り繕う。フィードは不機嫌そうに、再度鼻を鳴らした。カツン、カツン、と、這い寄るような靴音が響く。すると突然、鋭い視線がこちらに向けられた。
『何故、その扉を隠している』
全員の血の気が下がる。ユーリット達は必死に釈明しているが、無機質な足音は容赦なくにじり寄る。アースは部屋を見渡すが、出入口はここだけのようだ。もう、逃げ場はない。
ラウロは荒い呼吸のまま、一歩後退る。アースとモレノは泣きそうな顔で彼にしがみついた。
「くそっ、ここまでか……」
悔しげに声を滲ませるとラウロは観念し、前に出ようとする。だが、彼の前にソルーノが立ち塞がった。
「僕、いいこと思いついちゃった。ちょっと試してみるから、きみたちはその隙に逃げて」
「に、兄ちゃん……そんな、無理だ。あいつは……」
「僕は『紫の魔女』なんだよ。それくらい平気だよ」
取り乱すラウロの頭を撫で、ソルーノはドアと向かい合う。彼はちらりと後ろを振り返り、茶目っ気たっぷりにウインクした。
「大丈夫。ラウロのこと、絶対に守るから☆」
『開けちゃだめだ!』という、オズナーの叫びが店内から聞こえる。『蛇』の足音はドアの前で止まった。ソルーノは一歩踏み出し、そのドアを勢いよく開けた。
アース達の目に、青いオールバックの男が飛びこんでくる。ドアノブに手をかけていただろうフィードは突然の行動に驚き、先頭に立つソルーノとばっちり目が合った。
すると、フィードの細い目がぐらりと揺れた。彼は「ぐっ」と呻いて目元を押さえるが、そのまま体もふらつき、床に倒れる。ソルーノと目を合わせたことで、[幻覚]が作用したのだ。
「みんな、今のうちに!」
ソルーノの呼びかけで我に返り、アース達は走り出した。フィードは苦しげに手を伸ばしたが、その手はラウロを捕らえることなく、虚しく宙を掴んだ。
アース達は植物園を飛び出し、『家』に向かって全力疾走する。三人の差はまたもや広がり、ラウロは途中でアースを背負う。しかし、背後から殺気が追ってくる様子はない。
その時、後ろから車が近づいてくる音が聞こえた。黒い乗用車が三人の横を通り過ぎ、数メートル離れた先に止まる。運転席の窓から、見覚えのある緑色の長髪が見えた。
「皆さん、急いで車に乗ってください!」
聡明な瞳の女性は、アース達に向かって声を張り上げる。[世界政府]の国際犯罪捜査員、ヒビロの部下のシドナだ。
「シドナさん、どっ、どうしてここに?」
「説明は後です。さぁ、早く!」
三人は促されるまま後部席に乗り、車は『家』の方向に進み出す。アースは後ろを振り返るが、青い姿は見えなかった。
――
数分後、乗用車は『家』に到着した。銀色のキャンピングカー以外は一台も停まっていない。ケイティは既に帰った後のようだ。
アース達とシドナは下車し、リビングへ向かう。入室すると、ノレインとトルマ、レントが夕食の準備をしていた。彼らはアース達に気づいたが、シドナの姿を見て顔色を変える。
「シドナじゃないか! どうして君がここに……」
「ルインさん」
ノレインの言葉を遮り、ラウロは青白い顔を向ける。普段とは異なる様子に、ノレインだけでなくトルマとレントも口を閉じた。ラウロは深呼吸を一つした後、事情を説明した。
「そんなッ! ソ、ソルーノと、ユーリ達は無事なのかッ⁉」
「ただいま~☆」
ノレインが取り乱した瞬間、当の本人が顔を出す。ノレインは盛大にずっこけ、ソルーノの後ろから現れたウェルダは呆れたように息を吐いた。
「ありゃ、帰ってくるタイミング間違えたかな」
「ウェルダさん、あ、あいつは……」
床に転がるノレインを跨いで、ラウロはウェルダの傍に駆け寄る。彼女はソルーノを一瞥すると、苦笑した。
「ソルーノの[幻覚]でえらく体調を崩したみたいでね、あのピンク髪の美人さんに引き取られていったよ」
アースは、去り際に見たフィードの容態を思い出す。激しい眩暈に襲われたかのように床に横たわる『蛇』。ラウロをつけ狙う敵ではあるが、どことなく心配だ。案の定ラウロはソルーノの肩を掴み、激しく揺さぶっている。
「何やってんだよ兄ちゃん! あいつはわりと体が弱いんだよ、何かあったらどうすんだ!」
「え、ぼっ、僕、みんなを守りたかっただけだもん!」
二人の様子に皆が笑い出す。すると、玄関からばたばたと物音が聞こえてきた。
「ちょっと、フィードが来たってどういうことよおおおおおおぉぉぉ‼」
「町に出ちゃだめだってあれほど言ったじゃない!」
鬼のような形相をしたメイラとナタルが現れ、ノレインとラウロに突っかかる。彼女らの怒号を喰らった二人を見てモレノが吹き出し、それにつられるようにして、笑いの渦が次々と伝染した。
「ところで、シドナさんは何でここにいるんだ?」
後から来たメイラとナタルのために再度説明し直した後、ラウロは思い出したようにシドナに訊ねる。彼女は手元のメモから目を離し、小さく肩をすくめた。
「数ヶ月前から、近所の町で様子を伺っていました。ヒビロさんの見立てでは『隙があれば接触するだろう』とのことで、相手が行動に出るまで待っていたのです。隠していて申し訳ありません」
フィードが物陰から狙っていたのと同様に、シドナ達も『蛇』を見張っていたのだ。メイラは「あの『変態』、今度会ったら蹴り飛ばしてやるわ」と、恐ろしいことを呟いた。
「まさかあいつが、私達の居場所を掴んでいたなんて……ここに居続けたら『家族』だけじゃなくて、近所の人達にも迷惑がかかるかも」
ナタルが不安げに発言すると、ノレインとメイラは困惑した様子で顔を見合わせた。
「実はね、ケイティから仕事の依頼があったの。出版社の団体承認が下りて、他の[島]にも行けるようになったから、クィン島とフィロ島への取材旅行が決まったんだけど……その取材班に同行してくれないか、ってお願いされたわ」
ミルド島の南に位置するクィン島と、その東に位置するフィロ島。どちらも訪れたことのない、未知の世界だ。
「ありがたいことに、収入も安定してきたところだ。仕事のやりとりはパソコンを使えば、以前のように旅が出来るんだが……」
ノレインは薄い頭を抱え、言葉を濁す。『家族』や近所の人々との生活に馴染んだ今、環境を変えることは負担になる。しかし、青い『蛇』は居場所を把握している。ウェルダやユーリット、ソルーノのおかげで難を逃れたが、再び襲撃される可能性は高い。
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