第15話 目覚める者

文字数 13,106文字

 兼定の案内で施設内にある脱出用の道を進んで行くと、ほどなくして地下にある駐車場に辿り着いた。

 「外の様子を探って来ます」

 兼定は黒塗りのワンボックスカーまで皆を案内すると、一人その場から離れて行った。車のドアの鍵は開いていて、アロン先生が運転席に乗り、環は助手席、愛美と永遠は後部座に乗り込んだ。エンジンをかけ、いつでも走り出せる状態にして兼定の帰りを待つ。兼定はすぐに戻って来ると、エンジンを切れ、と言ってから話し出した。

 「ステイ軍が到着しています。この中からでは敵の様子は分かり難いです。私が外に出て探って来ます。ここで」

 兼定が駐車場の出入り口を見詰め不意に言葉を切る。

 「車から降りて下さい。敵が来ます」

 兼定は後部座席のスライドドアを乱暴に開けると、永遠と愛美を引っ張り出した。駐車場の出入り口の方から、爆発音が聞えて来る。

 「武器を」

 兼定はそう言いながら、後部座席に乗り込むと座席下にある収納から銃を取り出した。受け取りながら永遠が言う。

 「中に戻りましょう。援軍を呼べばいいわ」

 兼定が難しい顔をして何かを言おうとすると、その前にアロン先生が口を開いた。

 「それまずい。彼らは、証拠隠滅の為に来ている。どんな手を使っても私達を殺すはず。こちらが立てこもれば、それこそ彼らの思う壺だろう。外に出て人の目のある場所に行かなくては」

 永遠が兼定に視線を向けると兼定は黙ったまま頷く。永遠が銃とホルスターを受け取り、手馴れた様子で装着しながら言う。

 「ではどすればいいの?」

 兼定が鋭い視線で一同を眺める。

 「敵は、まだ油断しています。こちらが打って出れば行けるかもしれません」

 永遠が防弾ベストを着終えると静かに言う。

 「強行突破ね。やるしかないかしら」

 環は渡された防弾ベストを身に付けながら強張って行く顔を隠そうともせずに言った。

 「強行突破か」

 アロン先生が愛美の支度を手伝いながら口を開く。

 「愛美さんと環君は、私から離れないように」

 兼定は別の車のトランクを開けると、四連装のロケットランチャーを二つ取り出し一つを肩に担いだ。

 「こいつで口火を切ります。一気に駆け抜けましょう」

 アロン先生が、先ほど乗っていた車に戻るとエンジンをかける。

 「防弾ベストをあるだけ頼む」

 兼定は頷くと近くに停めてある数台の車から銃と防弾ベストを集め始めた。出入り口からは爆発音の後、なんの音も聞えて来ない。環は車の陰から様子を伺い見た。出入り口のコンクリートの壁にちょうど人が一人通れるくらいの穴が開いている。環が見ていると、穴の中を通って来る敵の姿が見えた。

 「セカイだ!」

 環は自分の見ている光景が信じられず、思わず叫んでいた。環の声に反応し皆が一斉に視線を出入り口の方に向けた。

 「軍の連中は、まだあんな事をしてるのか」

 アロン先生が、深く沈んだ声で言う。セカイはこちらの位置が分かるのか、迷う事なく真っ直ぐにこちらを目指して進んで来る。

 「なるほど。イステン人武装蜂起の再現をするつもりか」

 兼定が言う。こちらに向って来ているセカイが、咆哮を上げる。それに呼応するように出入り口に開いた穴から、ぞろぞろと五体のセカイが入って来た。兼定がロケットランチャーの狙いを定めながら叫ぶ。

 「奴らは、恐らく犬か狼。このタイプのセカイの動きは特に速い。お嬢様、止む終えません。攻撃を開始します」

 永遠が、やりなさい、と声を上げる。環が慌てて止めに入る。

 「相手はセカイだ。話せば分かるかも知れない」

 兼定が冷酷に言い放つ。

 「馬鹿な事を言うな。時間の無駄だ」

 環は、なおも食い下がった。

 「いいから待て。永遠、ヒトガミの事があるだろ。あいつらだって戦いなんて望んじゃいないはずだ」

 永遠は車から降りると兼定を手で制し、口を開く。

 「分かったわ。私が話しに行く」

 兼定が鋭い視線を永遠に向けた。

 「お嬢様。それだけはさせません。相手はセカイです」

 環が割って入る。

 「俺が行く」 

 環はそのまま歩き出す。愛美が環にしがみ付いた。

 「たまちゃん。駄目だよ。たまちゃんに何かあったら」

 環は愛美をそっと抱き締める。

 「愛美、心配するな。必ず戻る」

 愛美の体から力が抜ける。環は愛美からゆっくりと体を離した。

 「環、危ない役目をさせちゃって、ごめんね」

 永遠が悲しそうな顔で言った。環は笑顔で返事をする。

 「俺が言い出した事だよ。任せとけって」

 環が歩き出そうとすると、アロン先生が真剣な顔で声をかけて来た。

 「私も一緒に行こう。何かあってもそれなら対処する事ができる」

 環は一瞬躊躇ったが、アロン先生の目を見ながら返事をした。

 「お願いします」

 アロン先生はM82A1を掴むと環の後に続いて歩き出した。一番最初に中に入って来たセカイを先頭にセカイ達は警戒する様子もなくこちらに近付いて来る。環もそれに向って真っ直ぐに歩く。両者の距離が五メートルほどになった時、アロン先生が声を出した。

 「環君。これぐらいでいい。これ以上はまだ近付くな」

 環はセカイ達を見据えたまま、はい、と返事すると言葉を続ける。

 「じゃあ、話しかけてみます」

 環は一呼吸置いてから、セカイ達に向って話し出した。

 「戦う気はない。君達もそうじゃないのか? 人間に利用されているだけなんだろう?」

 先頭のセカイが咆える。セカイ達の歩みが止まる。

 「よく俺が話せると分かったな」

 先頭のセカイが答えた。環は頷くと言葉を継ぐ。

 「ああ。分かるさ。イステンにいるセカイと話をしたんだ。君達の間では、どう呼んでいるのか分からないが、俺達の間でヒトガミと呼んでいる君達の仲間と。ヒトガミは、言っていた。我らは人間と戦う為に存在するのではない、と。君がここにいるのどうしてだ? どうして人間の言う事を聞いているんだ?」

 犬か狼か、牙をむき出した顔が微妙に歪んだ。

 「どうしてか? そうだな、俺の意志で、とでも言えばいいのか。信じられないか? ヒトガミを知っているならヒャクメを知っているだろう。あれのお陰だよ。俺はな、元人間だ」

 環は驚いて息を飲んだ。二の句が継げない環の肩をアロン先生が掴んだ。

 「落ち着きなさい。落ち着くまで、私が変わりに話そう」

 アロン先生は環を庇うように前に出ると、銃口を先頭のセカイに向ける。

 「自分の意志で、か。何が目的なんだ?」

 セカイは笑い声を上げた。

 「何が目的だって? 目的は戦う為だ。こうして、こういう場所に来て敵を殺す為だよ」

 セカイは言葉を切ると、アロン先生をじっと見詰めた。

 「お前、アロンか?」

 セカイの突然の言葉にも動揺せずにアロン先生は、返事をする。

 「君は何者だ? なぜ私を知っている?」

 セカイは右手を額に当てると体をくの字に曲げて笑い声を上げた。

 「はははあ。分からないか。分からないよな。この姿を見て分かったら、そりゃ、そっちの方がどうかしてる。俺だよ。エンリケだよ。お前の友人の裕也を殺した」

 環はエンリケと言う名前を聞いて、ヒャクメ討伐の事を思い出した。アロン先生の昔の知り合いであり、あの時の指揮官だったはずの男だと思った。アロン先生は、怯む事なく言葉を返した。

 「エンリケ。一体何があったんだ。どうして、そんな姿になった?」

 エンリケの顔が醜く歪む。長く突き出た口の根元から涎がだらりと糸を引きながら流れ落ちる。

 「俺はな、戦いが好きなんだ。どんな戦いにも望める体が欲しくなったんだよ。裕也の奴を始めて見た時から、憧れてたんだ」

 アロン先生の表情に怒りの色が浮かぶのを環は見た。アロン先生は、怒りを露にしたまま言葉を吐く。

 「エンリケ、君は、裕也の気持ちを知らない。だから、そんな風に思うんだ。彼は、苦しんでいた。決して望んであんな体を手に入れたんじゃない。あの悲しみと苦しみに満ちた姿に憧れるなんて、間違っている」

 だが、アロン先生は口調や表情とは裏腹に銃を下ろしエンリケに近付こうとした。

 「なあ、アロン。お前はあの時も戦おうとはしなかったな。安っぽい正義感を持ちやがってよ。お前が殺せないから、俺が裕也を殺ったんだ。少しは感謝しろよ。今、こうして生きているのは誰のお陰かって考えてみろよ。軍を辞める時だって、俺が残ろうって誘ってやったのに。お前は耳も貸さなかった。お前は負け犬だ。裕也をあんな風にしたのもお前の弱さが原因だったんじゃないのか?」

 アロン先生はエンリケを見詰めたまま黙っていた。たまらずに環は声を上げた。

 「黙って聞いてりゃ勝手な事ばかり言いやがって。アロン先生は、今でも裕也の事を後悔してるんだ。お前に、アロン先生の何が分かる」

 エンリケが狂ったような笑い声を上げる。

 「分からねえな。分かりたくもねえ。後悔なんてのは、死ぬ間際の奴か、何もできねえ、なんの力もねえ奴がする事だ。茶番はもう終わりだ。アロン。裕也の所に行かせてやるよ。お前も、お前の仲間達も一緒にな」

 エンリケは四足歩行の姿勢をとると、咆哮を上げる。エンリケの声に答えるように、後ろにいるセカイ達も同じ姿勢をとった。後方、永遠達のいる方向から何かを叫ぶ声が聞えた。

 「環君、下がるんだ」

 アロン先生が叫びながら環を片腕で抱え後ろに跳び下がった。アロン先生は、片足を引きずっている老人とは思えない俊敏な動きをみせていた。仰向けの体制で倒れた環達の上をロケット弾が煙をひいて通過していく。すぐに爆発音と衝撃が響き渡った。

 「環君、立てるか?」

 アロン先生が先に立ち上がり、手を差し伸べてくれる。環はアロン先生の手を掴むと立ち上がった。

 「皆の所まで下がろう。先に行きなさい」

 アロン先生は粉塵の舞う方向、ロケット弾が着弾した場所にM82A1の銃口を向けながら叫ぶ。二人が下がり始めると、粉塵の中からセカイが一体飛び出して来た。素早い動きで二人に襲いかかろうとする。アロン先生は落ち着いた動きで狙いを定めるとM82A1の引き金を引いた。銃声と肉と骨が穿たれる鈍い音がする。動物と人の声が入り混じった悲鳴が上がる。銃弾を喰らったセカイは、血塗れの肉塊となって沈黙する。

 二人が下がって行く間も、ロケット弾が発射される。セカイ達はあの一体以外、爆発で舞い上がった粉塵の中から姿を現さない。二人が永遠達の元に戻ると、兼定が声を上げた。

 「接近を許したら危険だ。近付いて来る前に、撃ち殺すんだ。セカイの姿が見えたら撃て。闇雲に撃っても弾の無駄だ」

 ロケット弾の発射を止めると、兼定はアロン先生と同じM82A1を、永遠はAUGA1を敵のいる方向に向って構えた。アロン先生も銃を構えると、環に声をかけて来た。

 「環君。私と愛美さんの側を離れないように」 

 環が返事をしようとすると、愛美がM16A1を二丁抱えて飛び付いて来る。

 「たまちゃん。永遠さんが、これ使ってって。狙って撃つだけになってるって」

 環は実銃の扱い方をほとんど知らなかった。愛美から銃を受け取り、銃口をセカイのいる方向に向けながら扱い方を学んでおかなかった事に後悔を感じていた。環が銃を構えている横で愛美もM16A1をセカイに向って構える。愛美の姿を見て、隠れてろ、と言う言葉が喉元まで出かかったが、真剣な表情の愛美にその言葉を言う事ができなかった。

 脱出用の地下駐車場という事もあってか、環達のいる場所に五台ほどの車が停めてあるだけで、セカイのいる場所には遮蔽物が何もなかった。兼定の言葉がなければ、環はすぐにでも引き金を引きたい気持ちだった。セカイの姿が現れる前に、永遠が発砲した。連続する発砲音が数回続いた後、永遠の声が上がる。

 「再生してるわ。アロン先生が撃ったセカイ、再生能力を持ってる」

 兼定はロケットランチャーを取ると、びくりびくりと脈打ち始めた肉塊に向ってロケット弾を発射する。容赦のない強烈な一撃は、セカイを木っ端微塵に吹き飛ばした。

 「あれだけの攻撃をもらえば再生するにしても、すぐにはできないはずだ。残りは五匹」

 兼定は声を上げると、ロケット弾を再装填する。アロン先生が環と愛美の方に向って言う。

 「彼らが姿を現すのは時間の問題だ。煙が晴れれば彼らに隠れる場所はない。悲しい事だが、倒すしかない」

 環は頷くと愛美の方に視線を向けた。ちょうど愛美も環の方に顔を向けていた。

 「たまちゃん。ハンバーグ食べさせてあげられなかったね。今日のは、上手くできたんだよ」

 愛美はそう言ってにこりと微笑む。愛美の笑顔は、悲しいほどに儚い笑顔に思える。環は微笑み返すと口を開いた。

 「また、作ってくれ。楽しみにしてるよ」

 愛美は、うん、と言って頷く。環は愛美から視線を外すと、敵の姿を見逃すまいと神経を集中した。

 「来たぞ」

 兼定が声を上げて発砲する。だが敵が素早く身をかわし、50BMGがコンクリートの路面を削る。敵は煙の中には戻らずに左右に移動するという回避動作を取りながら、こちらに向って突っ込んで来た。兼定に続き皆の銃が一斉に火を吹く。ばら撒かれるM855がセカイの体に食い込むが動きを鈍らせる事はできても、決定打を与える事はできない。近付こうとしているセカイは発射音から判断しているのか、50BMGだけを選んでかわしていた。

 「よく動く。だが、近付かせはしない」 

 弾丸をかわすほどの敵を目前にしても兼定は、臆する様子をみせない。それどころか信じられない言葉を口にした。

 「私が前に出る。皆は、セカイに対しての射撃を続けろ」

 兼定は車のボンネットを飛び越えると射線上に立たないように、右側からセカイに近付いて行く。セカイは飛び出した兼定の存在に気が付いたが、アロン先生の持つM82A1から発射される50BMGをかわさなければならず、兼定に攻撃などをする余裕はないようだった。アロン先生の射撃とタイミングを合わせるように兼定が射撃する。縦横からの攻撃にセカイは対応しきれなくなっていき、ついに50BMGがその体を穿つ。兼定は数発の弾丸を喰らい動きの鈍ったセカイに対して容赦なく発砲を続ける。セカイが肉塊になるまで執拗に攻撃を繰り返すと、粉塵の中にいる別のセカイに気を配りながら、元いた場所へと戻って来た。

 「これで、後四体。このまま行けばいいのだが」

 兼定の言葉が終わらないうちにセカイが一斉に飛び出して来た。

 「仕方がない。私が前に出て止めを刺して行くから、できるだけセカイの動きを封じてくれ」

 兼定は、そう言って皆の方を見る。アロン先生は頷くと口を開いた。

 「私も行こう。格闘戦になったら一人では危険過ぎる」

 環、愛美、永遠、兼定、皆がアロン先生を見詰める。

 「大丈夫。年を取ったとはいえ、私は、元軍人だ。君達よりは経験がある」

 アロン先生は、兼定を抜いた三人に向って言う。言葉を発しようとする皆を制するようにアロン先生は環と愛美に近付くと、笑顔を作る。

 「いいかい。ここをこうやって、マガジンを換えるんだ。そしたら、これを引いて装填する。二人とも、無茶だけはしないように」

 アロン先生は銃の使い方を環と愛美に教えると、永遠の方に顔を向ける。

 「永遠さん、二人をお願いします」

 永遠が神妙な顔をして返答する。

 「あの……、ええ。分かりました。二人は私が命に代えても守ります」

 アロン先生は笑顔を見せて頷くと、車の脇をすり抜けてセカイの方に向う。兼定は何も言わずにアロン先生とは別のセカイに向けて移動を始めた。永遠がアロン先生と兼定の動きを見ながら指示を出した。

 「できるだけセカイの顔を狙って。兼定の援護を愛美。アロン先生の援護は私がする。環は、残っているニ体をお願い。狙いを分散させたくないけど、しょうがないわ」

 環と愛美は返事をすると、永遠の指示通りに射撃を行う。顔を狙うのは難しかったが、弾が当たるとセカイの動きは、先ほどよりも目に見えて鈍くなっていた。セカイ達は顔を狙われている事に気が付くと腕で顔を庇うようにし始めたが、それでも視界が狭まる為にセカイは動作を鈍くしている。

 兼定が、またセカイを一体倒す。コンクリートの路面に倒れたセカイを、腰から抜いた刃渡り五十センチはあろうかというナイフでずたずたに切り裂く。首を腕を足を、完全に切り離していく。返り血を浴び、赤く黒く染まった兼定の姿は、まさに鬼神を思わせた。残り三体となったセカイは、それでも戦いを止めようとはせずに猛り狂う。

 「アロン先生!」

 永遠が大声を上げる。兼定がM82A1撃ちながら、片手に持っていたナイフを投げる。自身の敵に向って集中していた環は、永遠の声に反応し視線をアロン先生に向けた。環の視線の先で、セカイの腕がアロン先生の後頭部に向って振るわれる。兼定の投げたナイフがセカイの背中に突き刺さるが、セカイは動きを止めない。アロン先生は別のセカイを狙っていた為に、振るわれた腕に全く気付いてはいなかった。大きく凶悪に伸びた爪がアロン先生の後頭部から背中にかけて、四本の裂傷を作り出す。赤黒い血を噴出しながらアロン先生が、がくりと膝をつく。

 「アロン先生」

 環が叫ぶ。

 「いやぁぁあああ」

 愛美が悲鳴を上げる。環は無我夢中でアロン先生の元へ駆け出そうとする。永遠が環を突き飛ばす。

 「駄目。今行っても、やられるだけよ」

 激情に駆られた環は永遠に向って怒鳴った。

 「邪魔するな」

 再び走り出そうとする環の視線の中を影が過ぎる。

 「愛美、駄目」

 永遠が叫び声を上げ、後を追う為に走り出す。環は何が起こったのか理解ができなかった。走り出した永遠の前を走る愛美の姿を視認した時、環も走り出していた。愛美を追いながらも永遠は愛美にセカイが近付けないように銃を撃ち続ける。環は永遠を追い抜くが、愛美にはすぐには追いつけない。愛美がアロン先生に近付く。永遠に撃たれていたセカイとアロン先生に狙われていたセカイが愛美に気付き動き出す。

 「愛美」

 環は叫びながら走り続ける。二体のセカイの四本の腕が愛美を襲う。一本の腕が愛美を捕らえる。衝撃で宙を舞った愛美の体はアロン先生の近くへと落下した。二体のセカイがさらに追い討ちをかけようとする。膝をついていたアロン先生が愛美に気付き、庇うように上に倒れる。

 「愛美」

 環は再び叫ぶ。二体のセカイの腕が振るわれる。血飛沫が、アロン先生と愛美のいる場所から上がる。環達より先に兼定が、二人の元へ駈け付けた。兼定は、近距離から二丁のM82A1を二体のセカイに向けて撃ちまくった。二体のセカイは着弾の衝撃を受け、肉片と血飛沫を撒き散らしながら動きを止める。赤黒い血溜りと肉片に覆われている二人の元へ辿り着くと、環は二人を抱き起こそうとする。兼定は環のその姿をじっと見詰めてから、最後に残ったセカイ、エンリケに向って行く。

 傷だらけになったアロン先生を抱きかかえ、何もできずにいると永遠が環の肩に手を置いた。

 「アロン先生は私が。貴方は愛美さんを」

 気丈に振舞っていたが、永遠の声は震えていた。環は頷くと血溜りの中に倒れている愛美を抱き起こした。一目見て環は愕然とした。脇腹から腹部にかけて、深い裂傷が走っている。環は愛美の名前を叫びながら、上着を脱ぐと傷口に当て流れ出る血を止めようとした。傷口に当てている服がみるみるうちに愛美の血で染まって行く。環は永遠に向って怒鳴る。

 「永遠。どうすればいいんだ。愛美が死んじまう。血が、血が止まらないんだ。永遠。どうすりゃいんだよ」

 永遠はアロン先生の傷に裂いた自身の服を当てながら返事をする。

 「車の中に何かあるはずだわ」

 環はその言葉を聞くと叫んだ。

 「どの車だ? 取って来る」

 愛美をそっと寝かせ立ち上がろうとすると、愛美の弱々しい声が聞えた。

 「たまちゃん……。行かないで」

 愛美の声は永遠にも届いたのか、永遠が言った。

 「私が行くわ。置いてある場所も知ってるからその方が早い」

 永遠はアロン先生を寝かせると、停めてある車に向って駆け出した。走って行く永遠の姿から視線を愛美に戻すと、愛美の虚ろな瞳と目が合う。

 「たまちゃん。体が、変なの。力が抜けちゃってて、たまちゃんが近くにいるのに、触る事もできないよ」

 環は愛美の瞳を見詰めながら必死に叫んだ。

 「愛美、大丈夫だ。大丈夫だから、しっかしろ。ほら、お前の手、ちゃんと俺の事触ってるだろ。なあ、愛美、しっかりしろって。頼むから、なあ、愛美」

 力が抜けて、ぐったりとしている愛美の腕を取り掌を自分の頬に当てながら、環は叫び続ける。だが、愛美の瞳は生命の光を失って行く。

 「たまちゃん。どこにいるの? 声も遠くに聞えるよ。私、このまま死んじゃうんだね。悔しいよ。たまちゃん。だって、まだ、たまちゃんの返事を聞いてないもん」

 愛美は虚ろな瞳を彷徨わせながらうわ言のように呟く。

 「愛美。俺はここにいる。ここにいるから。しっかりしろよ。頼むよ。頼むから、死ぬなんて言うなよ。俺は、お前の事、好きだから、愛してるから、だから、頼むよ。死なないでくれ」

 愛美の顔にうっすらと微笑が浮かんだ。

 「たまちゃん。聞えたよ。嬉しいなあ。私の事、好きなんだね。やっとたまちゃんの気持ち、聞けた。でもね、たまちゃん。私は、たまちゃんの何倍も何倍もたまちゃんの事好きなんだよ。たまちゃん。ありがとう。嬉しいよ。本当に嬉しい」

 愛美の目尻から涙が流れ出す。天井にある照明の光が反射して、きらきらと涙の流れた後が輝きを放つ。愛美の体から、ふっと力が抜けて行く。愛美は、微笑を浮かべたままだったが、もう、なんの反応も示さなくなっていた。

 「愛美。おい、愛美。駄目だ。死んだら駄目だ。ほら、さっき、ハンバーグ作ってくれるって言っただろ? 愛美。なんだよ。何か、言ってくれよ。なあ、愛美」

 環は叫びながら、愛美の体を狂ったように揺すり続ける。

 「環。ねえ、環。しっかりして。私をちゃんと見て。まだ、戦いは終わってないの。このまま、何もしないで死ぬつもり」

 永遠の声に呼ばれ、気が付くと、間近に永遠の顔があった。さっきまで愛美を揺すり続けていた腕は、両方とも永遠に握られている。

 「永遠。愛美は? 愛美はどこにいる? あいつ、死にそうなんだよ。そうだ、車から薬とか持ってきたのか? 早く、愛美に付けてやってくれ。このままじゃあいつ、本当に」

 間近にある永遠の顔が悲しみに歪み、目からぼろぼろと涙を流し出す。

 「ねえ、環。落ち着いて。落ち着きなさい。愛美は、さっき貴方の腕の中で死んだの。辛いかも知れないけど、今すぐに、現実を受け止めて。もたもたしてたら、貴方まで死ぬかも知れないのよ」

 環の脳裏に死んでいった愛美の姿が蘇る。

 「嘘だ。俺は認めない。愛美は死んでない。死んでなんかいない」

 環は永遠から体を離すとふらふらと立ち上がる。視線を彷徨わせ、愛美の姿を探す。環はすぐに愛美を見付けてしまう。愛美は永遠と環の側に横たわっていた。

 「嘘だ。なんだよこれ。なんなんだよ、これは!」

 環は絶叫した。永遠は立ち上がると環の頬を叩いた。

 「いい加減にして。まだ、戦いは続いてるの。こうしている間も兼定は戦ってる。貴方だけが悲しいんじゃないの。貴方だけが痛いんじゃないのよ。ここを出て安全な場所に行ったら、好きなだけ悲しめばいい。だけど、今は、今だけでもいい。戦いなさい」

 環は愛美の側に、がくりと膝をつく。手を伸ばすと優しく愛美の金色の髪を撫でた。

 「永遠。意味分かんねえよ。どうして、愛美が死んだんだ。それに、アロン先生まで」

 環はアロン先生を見詰め、それから銃声のする方向へ視線を向ける。兼定がエンリケと戦っているが、苦戦をしている様子が見える。

 「私だって分からないわよ。でも、もう、これ以上、愛する人を失うのは嫌。私は、戦う」

 強い意志の漲った表情を見せ、永遠が歩き始める。

 「愛美。アロン先生。俺も行く。仇は必ずとるから。あいつをぶっ殺してやる」

 環は転がっていた兼定のナイフを拾うと、エンリケに向って駆け出した。走って行く途中で、環の体に変化が起き始める。追い抜かれた永遠が、悲鳴のような声を上げた。

 「環。貴方、体が、セカイ化が進み始めてるわ」

 痛みは感じていない。意識もしっかりしている。だが、体が、全身の神経が、恐ろしいほどに研ぎ澄まされて行くのが分かる。目前にエンリケが迫る。銃の弾丸を撃ち尽くした兼定は果敢にもM82A1を武器にしてエンリケと打ち合っている。兼定の動きは凄まじいの一言に尽きたが、エンリケの動きの方がさらに上を行っていて兼定が殺されるのは、時間の問題だと思えた。

 「兼定、どけ」

 環は叫び声を上げる。自分では、言葉を吐いたつもりだったが、それは声ではなく大音量の咆哮だった。背中に体の内部から何かが突き出て来るような感覚がある。だがその感覚は、新しい器官の存在を告げる福音だと気付く。背中にできた新しい器官に力を込める。器官の作り出した動きは、初めて感じる物だったが、瞬時に神経も体も適応を果たす。

 自分の周囲に風が舞う。環は跳躍ではなく、背中に生えた翼を使って宙に浮いた。驚愕に見開かれたエンリケの瞳に自分の姿が映った。全身の皮膚が、セカイの体色に変わっていた。背中には巨大な二対の翼が有り、黒い羽毛が所々に生え、斑模様を作っている。永遠の声が再び上がる。

 「ヒトガミなの? 環、貴方、ヒトガミに見える」

 空中から勢いに任せてエンリケに飛び付く。エンリケは素早く身を翻し、環の体を受け止めたが、支え切れずに仰向けに倒れる。馬乗りの姿勢になった環は、右手に持ったナイフをエンリケの顔目掛けて突き立てる。がちりと音がして、ナイフが止まる。エンリケは、牙でナイフを受け止めた。環は構わずにナイフを押し込むが、エンリケが顎に力を込めるとナイフの刃は粉々に砕け散った。

 環はナイフから手を離すと、今度は力任せにエンリケを殴り付ける。何度か殴っていると、エンリケが環の右腕に喰らい付いた。ナイフの刃を砕いた力と鋭い牙で、環の腕を喰い千切ろうとする。振り解こうと腕を持ち上げるが、がっちりと喰い込んだ牙は微動だにしない。みしみしと骨が音を立て、牙が肉を切り裂いて行く。鈍い大きな音がして、環の腕の骨が砕ける。エンリケの瞳に凶悪な光が宿り、骨が砕けた腕を咀嚼し始める。一噛みする事に骨が砕ける音がし、肉が破れ赤い血が噴出する。

 環は怯まずに残っている左腕を振るう。痛みは全く感じなかった。他人の腕が破壊されるのをただ見ているような感覚しか沸いては来ない。再び、新たな器官が環を呼ぶ。腹部に亀裂が走り、格子状に槍の穂先のように尖った牙を伴った巨大な顎が現出する。

 「終わりにしてやる」

 環の言葉は、咆哮として吐き出される。エンリケの顔が恐怖に歪み、やがて苦痛に苛まれる表情へと変わって行く。環の腹部から生えた顎は、斜めにエンリケの腹部を噛み千切り、一噛みでエンリケの体を両断した。エンリケは血を吐きながら、環の腕を離した。

 「お前、一体何者だ? どうしてそんな体を持ってる?」

 環は返事の変わりに咆哮を上げると、エンリケの頭部に喰らい付いた。エンリケの体を一片も残さずに食い尽くすと、環は愛美の横たわっている場所に戻って行く。愛美の体を抱き上げ、永遠の姿を探す。永遠は、兼定と共に離れた所からこちらを見詰めていた。環が見ている事に気付くと、兼定が永遠の持っていたAUGA1を取り上げて構える。

 「お前の行動如何では、すまないが、お前を殺さなければならない」

 兼定は照準器越しに鋭い視線を投げかけながら、警告を発した。環は二人から視線を外すと、愛美の顔を見詰める。

 「こんな風になったけど、俺は俺だ。心配ない。意識ははっきりしてる。それより早く脱出しよう。今なら、俺は誰にも負ける気がしない」

 今度は咆哮ではなくちゃんとした言葉が口を吐く。警戒を解かない兼定を押し退けるようにして、永遠が駆け寄って来る。

 「環、体は大丈夫なの?」

 環は苦笑しながら返事をする。

 「大丈夫だと思う。随分、おかしな体になってるけど」

 永遠が安堵の息を吐き、微笑を浮かべる。

 「よかった」

 兼定が銃を下ろし近付いて来た。鋭い視線と殺気は相変わらず環に向けられていた。

 「本当に大丈夫なんだな?」

 環は頷く。

 「ああ。信用してくれと言うしかないけど、無差別に人を襲ったりする事はなさそうだ」

 兼定は愛美を見てからアロン先生を見詰める。

 「信用しよう。戦った所でお前には勝てそうもないしな」

 兼定はアロン先生の所に行くと、しゃがみこんで頬に触れた。つかの間そうしていた後、そっと抱かかえた。

 「お嬢様。長居は無用です。外に出ましょう。会社に連絡を取って安全な場所に」

 永遠が頷き、周囲を見回す。しばしの間、沈黙してから声を上げた。

 「そうね。行きましょう」

 兼定、ワゴンタイプの車に近付き後部座席にアロン先生を乗せると、エンジンを始動させる。永遠は、銃、弾薬、防弾ベストを車に積み込む。

 環はアロン先生の隣に愛美を乗せると、車から離れ出入り口に向った。

 「敵は俺に任せてくれ」

 永遠が後部座席に乗り込み、心配そうな表情をする。

 「環、くれぐれも気を付けて。外の状況も分からないし。敵を倒す事より、逃げる事を優先するのよ」

 環は歩きながら横顔だけを見せる。

 「了解。そうだ、永遠。これが終わったら、俺は愛美を連れてイステンに行く。もう、居場所もないだろうし」

 永遠が声をかけようとすると、兼定が遮って口を開く。

 「急ぎましょう。話は後でもできます」

 永遠は環の後姿を見詰めながら、静かに頷いた。

 出入り口の扉を開けるスイッチを入れるとモーターの作動音がして、コンクリート製の扉が開いて行く。ゆっくりと上にあがって行く扉が開き切る前に環は外に飛び出した。外に出た途端にサーチライトが環の体を照らし出す。環の姿を見て混乱した敵の声が聞こえて来る。武装したステイ軍の一個小隊とセカイを連れて来たであろう白衣を着た研究施設の人間と思しき者の姿が見える。環は混乱した敵の迎撃体制が整う前に戦闘を開始する。愛美とアロン先生を殺した敵だと思うと、相手を殺す事に対して何の抵抗も感じなかった。セカイが敵にいるとは思っていなかったのだろう。ステイ軍の武装は、アサルトライフル程度の物で発砲されても環にとっては脅威にはならなかった。永遠と兼定が乗った車が走り出し、敵の敷いた包囲網に飛び込む前に、粗方の敵は環が倒していた。環は走っている車に併走するように飛びながら近付く。兼定が窓を開け声をかけて来る。

 「もう少し離れたら車に乗ってくれ。その姿は目立ち過ぎるからな。他の施設は襲われてはいないようだ。だが、安全の為にステイにあるうちの本社ビルに入る」

 環は返事をすると、高度を上げた。永遠と兼定の乗っている車の進む道の先に都市の灯りが見えて来る。都市の灯りが近付くにつれ、愛美とアロン先生を失った悲しみが環の胸の中で膨れ上がって行った。

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