第7話 幕開け

文字数 22,498文字


 部屋に入るといつもの癖ですぐにドアの鍵をかける。チェーンロックは使わない。無意識の行動だが、愛美がいつ来訪しても平気なようにとの配慮からそうするようになっていた。靴を脱ぐと酷い疲れを感じて荷物もそのままにベッドの上に寝転んだ。愛美に酷い事を言ってしまった。レビやアロン先生の事も裏切ってしまった。考えれば考えるほどに心が軋む。脳裏にアロン先生の言葉が浮かんだ。

「考えてばかりいても、一人じゃどうしようもない事もある」

 逃げるようでずるいな、と環は思う。だが、いくら考えても、どうすればいいのか、何を愛美に言えばいいのかが、分らなかった。アロン先生は、自分を大切に愛して育ててくれたと思う。だが、環とアロン先生は、抱き合ったりはしない。あんな、おかしくなるような感情は、アロン先生と仮に抱き合ったとしても起こりはしない。

 愛美だから、愛美が女性だから、起こる感情。それが愛や恋、好きだ、嫌いだというものだとしたら、母親にすら接した経験のない自分に何が分かるのだろう。環は、愛美の気持ちには必ず答えを出す、とそれだけを心に刻んだ。そして、今度こそ、アロン先生の言葉を実行する事にした。

 ベッドから立ち上がり、部屋着に着替え、PCを立ち上げた。画面が映し出されると、メールの受信を示すアイコンが表示されているのに気が付いた。メール管理ソフトを立ち上げ、受信メールの入っているトレイを開く。メールに件名は記されてはいない。だが、自分の所に来るメールなんて、どうでもいい広告か、遠隔操作に関する事しかないと思っている環は、未開封表示の出ているメールをすぐにクリックする。流し読みで内容を確認。普段なら、それだけで削除してしまう。だが、最初の一行目の文字を途中まで読んで、環は息を飲んだ。

「ミッション5のエントリーについて」

 確かに一行目にはそう書いてある。環は、信じられないものを見る心持で、続きを読み始める。

「ヒャクメ討伐作戦。参加希望者は、別記アドレスにメールを。本メールは即刻破棄の事。猶、極秘事項にて口外禁止。遠隔操作作戦総司令部」

 読み終わっても信じられなかった。何度も読み返して、送り主のアドレスなども確認する。アドレスはいつも遠隔操作に関するメールを送ってくる総司令部のアドレスに間違いはなかった。メールの真偽を確かめる方法は自らが返信するしかない。だが、待てよ、と環は思う。この作戦の募集はいつまでなのか、期限は記載されてはいなかった。それは、通常のミッションと同じ、人員が集まった時点で募集を打ち切るという事なのか。メールの受信日時を確認する。先日の午後三時三十三分となっている。

 どうすればいいのだろうか。ネットで調べても恐らくあの噂くらいしか出ていないだろう。そんなものは遠隔操作をする者なら誰でもが知っている。環を躊躇わせる理由は、ヒャクメに関するその一つの噂だった。ヒャクメは、モニター越しにでも、操作者を攻撃してくる。どんな攻撃かは分らない。どんな怪我をするのかも分らない。

 危険な作戦なのかも知れない。そう思うと、アロン先生の顔が頭に浮かぶ。アロン先生は、きっと反対するのだろう。だが、このミッションの報酬は多分大きい。例え、失敗したとしても、装備品の整備購入費用として支払われる準備金だけで相当な額になるはずだ。

 成功したら、もっともらえる。しばらく遠隔操作をしなくても暮らしていけるかも知れない。しばらくの間でも戦いをやめられるなら、アロン先生はなんと言うのだろうか。環は参加応募要綱をコピー&ペーストし返信メールを作成した。送信ボタンをクリックする時、興奮と緊張と期待から手が震えた。送信してから、五分と経たないうちに返信メールが届いた。環は急いでメールを開く。

「コールネーム、アジフ。参加は受理された。本作戦は、本日十八時に決行となる。十八時五分前には機体を二十五番ハンガーに移動させておく事。猶、準備金は送金済。万全の体制を持って参加の事」

 よし、と環は言って口座の残額を確認する。残額が画面に表示されたのを見て環は声を上げてしまう。通常ミッションの成功報酬は、ほぼ毎回同額で、一番簡単なナンバー1なら、十五万エル。ナンバー2なら二十万エル。ナンバー3なら二十五万エルとなっていた。この他に、倒したセカイ一体につき、二千エルから七千エルの報酬がもらえる。この報酬に差額があるのは、倒したセカイの種類が関係していて、セカイの種類ごとに決められている脅威度によっていた。

環の一月の生活費が大きな買い物のない月で、だいたい十五万エルから十八万エル。標準装備のNB一機の値段が、一番安い二足歩行モデルで百五十万エルくらい。今回の準備金は、やはり破格の金額だった。環がこつこつと貯めて来た口座の残額、三百万エルが、一気に二倍の六百万エルになっていた。

 金額は、自分が予想していた物よりも遙かに大きい。準備金は、成功時の報酬の約半分。もし、このミッションを成功させたら、さらに三百万エルの金が入って来る。通常のミッションであれば、ナンバー1で準備金は十五万エル。この額でもし失敗し、機体を破損していたら、間違いなく大赤字になる。成功したとしても環の愛機アジフのような装備と機体でなければ、黒字にはならない。

 だが、今回は例えアジフを失って失敗したとしても充分に元はとれてしまう。環は口座の残額を眺めながら溜息を吐いた。興奮が徐々に醒めて来る。このミッションがどれほど困難な物なのだろうかと思った。この報酬の高さである。噂されている危険は、本当にあるのではないかと思えて来る。一度参加が決まったミッションは降りる事はできない。環は不安を感じ始めていた。

 環は不安を抱えたまま、愛機の整備をする為に操縦設備が置いてある部屋に移動した。部屋に入ると、三百六十度型モニターの真ん中にある操縦席に座る。手元の操縦桿の横にある、電源を入れるとモニター全てにステイ語の文字が躍る。スペックやOSの種類が表示され、確認終了を告げるOKの文字が最後に出ると、画面がOS画面に切り替わった。

 ここで表示されるOSは戦闘用の物ではなく、機体整備用の物で、ハンガー内では、強制的にこのOSが立ち上がる。今までに起こった事など一度もないはずなのだが、軍部が、万が一の可能性、反乱などの対処の為にそうしているらしかった。

 環は操縦席の脇に搭載されている可動式のキーボードを手元に引き寄せると、入力を開始し、機体の状態及びスペックを表示させた。機体の状態を示す表示は、頭部、腕部、胴体部、脚部、推進装置、銃火器と各パーツごとに分かれており、搭載されている機器の種類と状態が文字で表示されようになっていた。整備済みなので全ての機器の状態は良好。いつでも出撃できる状態になっていた。

 環は機体の確認を終えると、ショップに接続する。このショップと呼ばれる場所で、各パーツ事に器機を購入するようになっていた。NBは、操作者が独自に個々のパーツを組み上げる仕組みになっている。その為、各パーツは頭部、腕部、胴体部、脚部、推進装置、銃火器というように簡素化され、パーツ部分をそのまま交換するという形で維持管理されていた。

 機械に詳しくない者が、操作者になっても平気なように、各パーツを組み上げた時のバランスはショップ内でシュミレーションする事で把握する事ができる。例えば、重火器を機動力の高い軽量化された機体に積めば、重量超過などの表示が出る、というように。国策で、皆に戦えと言っている分、そういう意味では充実したサービスが行われていた。

環は、まず、武装腕部の項目を開く。現在搭載している腕部は、ヒートソード、熱切断式刀型。肘から先の部分が刃になっている腕で、動力から出る熱を腕部と一体化している刃部分に直接伝え、その熱を利用して敵を切断するという物。簡素な作りの為に、兵器としての信頼性は高く、本体動力の熱を利用している事で、二次費用がかからないという利点がある。近接戦用兵器なので、敵と接近して戦わなければならないが、使用する度に弾薬費を支払う必要がない為、環のように生活をかけて戦っている者には使い勝手のよい兵器だった。

 レーザーカッター、チェンソー、ドリル。様々な近接戦用兵器搭載腕部が表示され、それに続き、銃火器が搭載されている腕部が並ぶ。一通り最後まで、表示されている兵器類を見終えると環は、次の項目、次は胴体部を見ようと思っていたので、その項目を開いた。胴体部の名称、スペックを目で追いながら、どうしようかと考える。

 機密事項なのだろうが、現時点では、ヒャクメに関する情報が何もない。どんなセカイで、どんな攻撃をして来るのか。それが分らないのでは、対策の立てようがない。ミッションが始まれば、情報は開示され、兵装を換装する時間も与えられるのだろう。今は、何もしない方がいいのではないか。環は、そう思うとショップとの接続を切ろうとした。だが胴体部の項目の閲覧を終了させる間際に、目に止まったモデルがあった。

 そのモデルは胴体部にGAU―17、ミニガンを一門搭載したもので重量も現在使用している物とさほど変らない。装甲の強度は落ちるが、常々、撤退時に味方の砲火に頼る事が多かったので、自分で掃射しつつ後ろにさがれれば、と思っていた環には魅力的な物だった。

 強靭な肉体を持つセカイがいた場合には、効果は薄いかも知れないが、それでもミニガンの威力は相当なものがある。弾薬費の事もあるが、ここぞという場面でしか使用しないと決めて望めば、ただ、撃ちまくるよりは無駄がない。大金が入った所為もあって、環は、購入を決めた。購入するとすぐに、胴体部の換装を依頼する。胴体部をそのまま換装するだけなので、換装に用いる時間は三十分くらい。環は、弾薬を装弾数限界の五千発ほど購入しその全てを装填した。

 あっという間に七十万エルを使い、少々の後悔を感じたが、新装備を加えた事で気分は高揚して来ていた。モニター下部に表示されている時刻を見ると、午後五時五分。機体を二十五番ハンガーに移動するように依頼し、操縦設備の電源を落とさず、そのままにして環は席を下り部屋を出た。

 通常のミッションとは違う戦い。しかも、敵は、まだ見た事もないセカイ、ヒャクメ。全てが謎の敵。後、一時間もしないうちに自分はそのセカイを見て、そして、戦う事になる。環は、心が奮い立つのを感じていた。唯一の心配は、あの噂の事だったが、もし真実だったとしても軍部も馬鹿ではない。それなりの対策を講じているはずだ。

 環は気分を落ち着けようと思い、キッチンに向かった。フードパックの在庫を見て、買出しを忘れていたのに気が付き、嘆息したが、今から買いに行っても仕方がないと思い、残り一つになっていた肉料理を手に取ろうとした。不意に愛美の顔が頭を過ぎる。環は、魚料理が嫌いだった。いつも肉料理ばかりを食べていたが、魚料理は愛美が環の体を気づかって買って来てくれた物だった。

 環は伸ばしていた腕の方向を変え、魚料理を手に取った。フードパックは、パンや白米とおかずである魚、肉などの料理が一体となって一つのパッケージの中に入っている。容器ごと温めるだけで食べられるので調理をする手間がいらなかった。国策として、セカイとの戦いを行っているこの国は、フードパックなどという物まで奨励し、国民が戦う時間を確保しようとしていた。

 環は電子レンジにフードパックを入れると、愛美に電話をかけようと思い、備え付けの電話機の前に立った。愛美の事は、アロン先生の教えに従って考えないようにしていた。もちろん、ヒャクメとの戦いという初めてのミッションに夢中になっていたという理由もあったが、フードパックを見て、過ぎった愛美の顔を消し去る事はできなかった。

 この国には携帯電話という物は存在しない。他にも、電波を飛ばして何かをするという物は何もなかった。何もかもが全て、有線で行われていた。不思議な事だが、遠隔操作の為という理由で、全ての電波が封鎖されていたのだ。

 環は受話器を取った。だが、番号を入力しようとして手を止めた。愛美が電話に出たら、なんと言えばいいのだろうか。施設の時も帰りに愛美と話せたらと思い、待っていて、あんな事になってしまった。だからこそ、かけるべきなのではなないか、と思う。でも、だからこそ、かけない方がいいのではないか、とも思う。

 電子レンジが、温め終わった事を告げる電子音を発する。部屋の中に、温まった料理のいい香が漂って来た。久しぶりに、魚料理の匂いを嗅ぐ。愛美が自分を気づかって買って来てくれた物だ、という思いが強くなる。環は、重く圧しかかる思いを振り払って番号を入力した。三コール目で、受話器が取られる。

「もしもし、環ですけど、ま、愛美はいますか?」

 施設に電話をしているのに、どうして、こんなに、と思うほどに緊張していた。

「あ、たまちゃん? 私、愛美」

 受話器を取っていたのは、どこか硬い話し方だったが確かに愛美だった。愛美の声を聞いて、さらに緊張が高まる。

「愛美か? そうか。あ、あのさ。今日は、悪かった。フードパック、食べてるから」

 我ながら、意味の分からない事を、と思う。

「なんの事? フードパック? えっと」

 愛美が何か考えているのか、沈黙する。

「あ、魚料理の事? たまちゃん、食べてるの?」

 愛美の声が嬉しそうに弾んだ気がした。

「うん。今日は、ごめん。俺、帰りに、変な言い方したろ」

 相手が見えないからか、環は、思ったより言葉が素直に出る事に驚いた。

「あ、うん。こっちこそ、ごめんね。途中で帰っちゃって」

 愛美の話し方が、いつもと変らない柔らかさを取り戻している気がした。

 環は愛美に謝罪し、許された事で安堵した。だが、そうなると、何を話していいのかが分らなくなってしまった。環が黙っていると、愛美が言った。

「たまちゃん、明日は、空いてる?」

 突然の愛美の誘いに環は、戸惑った。愛美に何かをするという事は、と考えてしまう。だが、愛美の声を聞きたくなり、謝罪し、許しを得て安堵し、今、こうして話しができてよかったと思う気持ちは無視できなかった。 

「空いてるよ。どこか行く?」

 受話器から、愛美のくすりと笑う声が聞こえて来る。

「うん。どっか行こう。今日の仲直りの記念だよ。朝、そっちに行くから」

 愛美はこっちに来る時間を言わない。それはいつもの事だった。環には愛美の言う朝が、何時頃であるかは分かっていたので、あえて聞かないのもいつもの事だった。

「了解。待ってる。そうだ。ちょっとした収入があったんだ。明日は、豪華に行こう」

 口座に振り込まれた額が脳裏を過ぎり、そんな言葉が口から出た。

「たまちゃん。それって」

 愛美が言葉を濁す。珍しい事だったが、環にはこの雰囲気を壊したくないという愛美の気づかいが伝わって来ていた。

「心配する事はなんにもないよ。じゃあ、明日な」

 余計な事を言ってしまったと思い、環は会話を終わらせようとする。

「うん。じゃあ、明日ね。楽しみにしてる」

 愛美もそんな環の気持ちを察したのか、追求はして来なかった。愛美が受話器を置くのを待って環は受話器を置いた。

 食事を終え、PCの画面で時刻を確認すると、午後五時五十分だった。環は、トイレを済ますと、操縦設備のある部屋に戻る事にした。操縦設備のある部屋に足を踏み入れた時、玄関の方から、微かな物音が聞こえた気がした。気になった環は玄関に向かった。ドアに備え付けられているポストの中を見る。何も投函されてはいなかった。まさか、愛美が自分を驚かそうと思って来ているんじゃないだろうな、などと考え付いてしまった環は、ドアを開けて外を見ようとした。

ドアの鍵を開けようとして、あれっと思う。ドアの鍵はかけられてはいなかった。環は、自分はいつも部屋に入ると鍵をかけているはずだ、と思う。今日に限って忘れてしまったのだろうか。しばらく、ドアの前で、記憶を辿ってみたが、愛美との出来事の印象の方が強く、ドアの鍵をかけたか、かけていないかについては、はっきりとした事は思い出せなかった。

環はミッション開始の時間が近い事を思い出し、記憶を辿るのをやめた。一応ドアの外を見たが、愛美の姿はない。こんな時間に来るはずがないよな、と自分が考え付いた内容の馬鹿さ加減を後悔しつつ、今度は、ちゃんと鍵をかけたのを確認してから操縦設備のある部屋に向かった。

 部屋に入り、操縦席に座った。モニターは、スクリーンセイバー画面に変っていて、綺麗な蝶が数匹戯れるように飛んでいる。環がキーボードをいじると、蝶は消え、OS画面が表示された。よし、と環は気合のかけ声を上げると、愛機アジフのアイカメラを呼び出した。カメラに接続がなされ、ハンガー内の映像がモニターに映る。

ハンガー内での行動についての制限などはメールに記されてはいなかった。環は、機体整備用のOSでも動かせるアイカメラを使って、ハンガー内を観察しようと思っていた。アイカメラは、頭部の前後に一つずつ、胴体部の前後に一つずつの計四つが取り付けられている。防護用の超硬質ガラスの中に十字に切られた溝があり、上下に百八十度の角度ずつ動くようになっていた。

 ハンガー内でアジフは、運搬用の装甲車両の上に寝かされて置かれているようだった。後部を映すカメラは、装甲車両の荷台部分を映すばかりだったが、前部のカメラを動かしていると、頭部のカメラの方に珍しいものが映し出された。カメラは、移動限界位置より二十度上にある。荷台の金属壁がモニターの下部を覆っていたが、その先に、向かい合って立っている二人の人間の姿が映っていた。

 戦闘時であれば、ロックオン機能を遠距離、近距離と切り替えるだけで自動で焦点合わせができるのだが、今は、OSの所為で焦点を手動で合わせなければならなかった。環は、焦点を調節し、二人の人間の姿を鮮明に映し出した。集音装置もすぐに作動させる。二人の会話が、途切れ途切れに僅かだが聞こえて来る。

「えっ」

 思わず声が出てしまった。環は遠隔操作中に人間の姿を初めて見ていた。もちろん、それだけでも驚きなのだが、声が出てしまったのは、その二人がどうやら、HBの搭乗者のようだったからだ。HBが、現在も存在している事は知っていた。NBの維持管理、前線基地の防衛の為に、イステンには、HB部隊が配備されている。だが、その姿は、この戦闘を無人で行っているという意味合いを強める為に隠されていて、決して人目にさらされる事はなかった。環は、HB搭乗者の姿を見て、今さらながらに今回のミッションが大変なものだと思った。アジフの位置が悪いのか、何か、妨害する装置が働いているのか、音声は相変わらず途切れ途切れにしか聞こえて来ない。

「今回の、は、なのか?」

「そう、生き、実験は、いるはずだ」

 それだけを聞くのが精一杯だった。集音装置の設定をいじっている間に、二人はどこかに行ってしまった。環は深く息を吐いた。これからどうなるのだろう、と考えていた。ハンガー内に、放送が鳴り響く。今度は集音装置が、その音をはっきりと拾った。

「各員は所定の場所に集合せよ。繰り返す各員は所定の場所に集合せよ」

 これも初めての事だった。軍部は、イステンで活動している人間の存在を隠す気はないようだった。モニターに司令部からのメッセージが表示される。

「遠隔操作者は、モニター前で待機。二分後に本作戦の情報を開示する」

 メッセージに続いて、操作者呼び出しの為の警告音が鳴る。環は、びくりと反応してから、キーボードを操作して警告音を消した。

 午後六時。モニターに今回の作戦の内容が映像付きで表示された。文字を読むより先に環の目は、動画で映し出されているヒャクメの姿に釘付けになった。映像の中には、全身が雪の持つ銀色とは違う、金属質の銀色をした人型の物体が映っている。セカイの持つ特徴的な体色は、体のどこにも見られない。ヒャクメの姿がアップになると、体中に目が付いているのが見える。その目は一つ一つが個々にきょろきょろと動いていた。

 両腕には、ちゃんとした指が五本あり、やはり銀色の、長い尖った角のような形状のものを握っている。定点カメラなのか、ヒャクメが近付いて来てもカメラはその場を動かない。ヒャクメが間近まで迫った時、映像は一度途切れ、再びヒャクメが近付いて来る所から始まった。環は、繰り返す映像をじっと眺めていたが、我に返ると、作戦内容の書かれている文章を読み始めた。

「通達。該当セカイのデータは、別送信のファイルを参照の事。本作戦は、HB部隊との合同で行う。データを参照し、装備を換装する者は速やかに作業依頼をする事。十八時三十分から、作戦区域への移動を開始する。本作戦においては、作戦開始後は、HB部隊隊長エンリケの指示に従う事」

 エンリケという名前を見て環は、はっとする。アロン先生の話に出て来た人物なのだろうか、と思う。環はアロン先生の話を頭の中で反芻しながら、ヒャクメのデータが入っているファイルを開いた。

「人型セカイ、呼称名ヒャクメ。人と同等もしくはそれ以上の知性を有する。両腕に持った棘状の武器を使用し、近接攻撃を行う。異常に発達した再生能力を持ち、同時攻撃による全身部分の破壊が有効と思われる。特記事項。ヒャクメの全身にある眼部を一分以上、見ない事。見た場合は、セカイとの融合が始まる。同項は、機器を通しても作用する為、絶対厳守」

 環は特記事項を読み、鳥肌が立つ思いがしていた。セカイとの融合が始まるとは、どういう事なのか。アロン先生の友人、裕也の身に起きた事態が意識の中で大きくなった。どうすればいいのか。環は視線を繰り返し流れている映像の方に向けた。ヒャクメの全身にある、きょろきょろと動く目が環をさらに恐怖させる。

 環はこのミッションに参加した事を後悔し始めていた。遠隔操作で死ぬかも知れない。あの大金は命の代償という事だったのか、と思う。だが、環は一つの可能性に気付いた。なんだ、と落ち着きを取り戻す。ヒャクメと対峙したら、すぐにやられてしまえばいいのだ。アイカメラとの接続を切って戦えばいい。レーダーがあるのだ。目視に頼らなくてもある程度は戦える。ミッションから逃れる事はもうできないが、機体がやられてしまえば、どうしようもないのだ。環は、やられる事を前提に、戦おうと決めた。

 戦う意欲がなくなってしまうと、もう、兵器の換装など、どうでもよかった。作戦開始まで二十五分ほどの時間が残っていたが、環は何もせずにぼんやりとモニターの画面を見詰めながら、カメラとの接続をいつ切るか、そのタイミングの事だけを考えていた。

 十八時三十分になると機体の搬送が始まった。整備用のOSが、強制的に再起動を開始し、数分の時間を要して、戦闘用のOSが立ち上がる。モニター下部にレーダー画面が表示され、その右横に、ビッグマムからの目視画像が表示される。ビッグマムのカメラは、既にヒャクメの姿を捉えていた。白銀の広大な雪原に佇む人影。その姿は、雪原の支配者のように堂々としていた。

 環は、ビッグマムからの画像受信回線を切断する。回線が簡単に切れない事が予想されたが、回線の切断は、通常の操作で行う事ができた。ビッグマムからの映像が消えた時、環は安堵から、思わず溜息を吐いていた。

三十分程度の移動の後、搬送用装甲車両が停止し、機体が下ろされ、アジフは作戦区域内に到着した。天候は曇り。吹雪はなく、視界は良好だった。僚機との通話回線は開いていたが、誰も、声をかけては来ない。皆、このミッションに参加した事を後悔しているはずなのだ。いつものように軽口を叩いている気分はしないのだろう。

 レーダーには、僚機達のマーカーがアジフの両翼と後方にかけて五十個ほどしっかりと表示されていたが、環は、無音の状態に不安を感じ始めた。まさか、自分一機でここにいるはずはないと思ったが、確認の為に周囲にアジフのカメラを向ける。

 アジフの両翼から後方にかけて僚機達は、マーカーの位置通りにちゃんと存在していた。だが、どの機体も全く動かず、まるで、石像のように佇んでいるだけだった。一台の機体が、雪煙を上げながら前方に現れた。高速移動形態をとっている八本足の機体。胴体部の形状から、有人機、HBであると分かった。通話用のスピーカーから男の肉声が聞こえて来る。前方に現れた機体が、部隊長エンリケの機体だった。

「今日は、いつもの作戦とは違う。逃げる事は許されない。お前らは、俺達の盾として戦ってもらう。いいか、逃げる事は許されない。死ぬか、生きるか、命を懸けて戦え」

 感情の籠もっていない冷たい声だった。環は、何を言ってやがると思う。こっちは、お前と違って、前線にはいないのだ。死ぬのはお前だけだ。

 エンリケは話を続ける。

「自分達は、前線にいないから安全だと思ってる奴もいるだろう。それとも、もう、気が付いてる奴もいるかな。始めろ」

 エンリケは、言葉を切った。環は、エンリケの言っている事が理解できない。いきなり始めろとは、どういう意味なのか。エンリケ自身を攻撃しろとでも言っているのだろうか。

「異類環君。敵前逃亡は、犯罪だ。君が少しでもその素振りを見せたら、容赦なく射殺する」

 突然、声が聞こえた。スピーカーからの声ではない。その声は、自分の真後ろから聞こえていた。環は驚愕として、後ろを振り向こうとする。後頭部に金属質の冷たい硬い物が当たった。

「後ろを振り向くな。君は、戦いにだけ集中すればいい」

 声は、短く言った。環は、全身から力が抜けていくのを感じた。恐怖で全身が震え出す。それでも、この異常な状況を把握しようとして、声を絞り出した。

「これは、一体、なんのつもりですか」

 エンリケに向かって言ったのではない。後ろにいる何者かに向けて環は言った。

「答える義務はない。私は、君を監視し、君の行動が不適であれば、処刑を執行するだけだ」

 環は、二の句を告げなかった。黙っている環にエンリケが答えるように言う。

「俺の言っている意味が、分っただろ。どうした? いつもみたいに、無線でやりとりをしないのか? まあいい。死にたくなかったら、勝てばいいんだ。全機、前進開始」

 エンリケの声は、悪意に満ちていた。先の冷たい声とは違って、明らかにこの状況を楽しんでいるような声色をしていた。エンリケの機体が再び雪煙を上げて、後方に下がると、環は震える手で、ビッグマムとの回線を再接続した。モニターに目視画像が表示され、ヒャクメの姿が映し出される。

 ヒャクメが移動した様子はない。環は、アジフをゆっくりと前進させ始める。数百メートルも進まないうちに、レーダーにセカイの存在を示すマーカーが表示された。マーカーはたったの一つだけだった。環の使用しているレーダーの有効範囲は、約三キロメートル。レーダーの端に映っているマーカーは、有効範囲ぎりぎりの位置にある。

 普段であれば、後先も考えずにヒートソードを発熱させて、真っ向から突っ込んで行くのだが、今回は動けない。簡単にやられてしまったら、後ろにいる何者かが容赦なく自分を殺すのではないか、という思いがあった。環は、敵にやられてしまった場合はどういう事になるのか? と聞きたくなったが、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。こんな理不尽な行為を平気でしている奴らなのだ。恐らく、何を言っても答えないだろうし、下手をしたら、即刻処刑されるかも知れない。

 環は、ヒャクメの動きを見てから行動を起そうと思い、移動速度を変えずにアジフを前進させ続けた。自分の行動が消極的だと後ろの何者かに思われはしないかと不安になったが、環は、不安を堪えながら操作を続けた。

「ねえ、アジフ。貴方もこの作戦に参加してたのね」

 通話用のスピーカーから、不意に声が飛び込んで来た。電子音声ではない、肉声だった。環は思わずびくりとし、すぐに、誰なんだ、と疑問に思ったが、何も言う事ができずに、ああ、とだけ返事をした。

「暗いわね。貴方の後ろにも、厄介なのがいるんでしょ。こうなったら、仕方がないわ。勝てばいいのよ。勝って、生き残ればね」

 よくも、この状況でこんな事を言ってられると環は思う。モニターに環の機体を抜き去って行くNBが映った。

「なんて、強がってるけどさ。私も怖いんだよね。だから、今日は、私も生声でやる事にした。味気ない電子音声だけを聞かれて死ぬのはちょっとね」

 モニターの中で抜き去っていったNBがくるりと、踊るように三百六十度ターンをかます。環は、その機体を見て、会話の相手がエンドレスだと気付いた。エンドレスに話しかけられて、環は、少しだが、心に余裕が生まれるのを感じた。その所為か、遠隔操作中のいつもの調子で話しかける事ができた。

「エンドレスって、声だけ聞くと女だな」

 環の声に、エンドレスが答える。

「貴方、一度死ぬ? 私は、正真正銘の女よ。見せられないのが残念だわ。これでも、ナイスバディのイステン人なんだから。黒髪と黒い瞳が綺麗だねって言われて、よくナンパされるわ」

 環はこの状況下で、にやりとしてしまった。自分でも驚いたが、どうやら、かなり落ち着いて来ているらしい。

「俺も、肉声にしたぜ。お二人さん。全く、最悪な作戦だが、エンドレスの言う通りだ。どうなるかは分らんが、一花咲かせてやる」

 誰とも知れぬ声が聞こえて来る。

「俺も参加ね。勝ったら、どうよ。みんなで集まって祝杯をあげない? エンドレスちゃんのナイスなバディを拝みたいしね」

 また、別の声が言う。今度も肉声だった。エンドレスの声が、聞いていた操作者達の心を動かしたようだった。環も、皆の言葉を聞いて、心が動くのを感じていた。

 モニターに小さな点が映った。エンドレスの機体の更に先だ。ぴぴっという音がして、円形の表示が小さな点を包む。自動照準装置がセカイを捉えたのだ。環は、レーダーのマーカーを確認する。円形の表示が包んでいるのは、間違いなくヒャクメだと確信する。

 環は、照準の固定を承認する。複数の敵が同時にいる場合は、照準表示の位置を一番先に倒したい敵に移す必要があるのだが、今回の敵は一体のみ。ヒャクメだけを狙えばいい。再び、ぴぴっという音がして、ヒャクメとの距離が、円形の表示の横に示される。環は、アイカメラからの映像を遠距離用に切り替える。小さな点だったヒャクメの姿をはっきりと拡大させてモニターに映す。

 ヒャクメは、思っていたよりも小さな体をしていた。正確には測れないので、目測だが、二足歩行型のアジフの半分くらいの大きさしかない。通話用のスピーカーとは別の、集音装置用のスピーカーから爆音が轟いた。僚機達の遠距離用兵器が一斉に火を吹いていた。対セカイ用に改良されたキャニスター弾、サーモバリック弾などが、次々と打ち込まれる。爆炎と爆風が、ヒャクメを包み、その姿は全く見えなくなった。誰かが指示を出したという訳ではなかったが、自然に砲火が止んだ。

「やったか」

 僚機の声が聞こえる。環は凄まじい集中砲火がもたらした雲のような煙を見詰めながら、これだけの攻撃を受けても生きているとしたら、勝ち目はないのでないか、と考えていた。レーダーに目を向けると、電波障害が起きているのか、それともヒャクメが粉々に砕けて飛び散ったのか、セカイの存在を示すマーカーが消えている。これだけの砲撃を経験した事のない環には、何を見て、どう行動すればいいのかが、分らなかった。

「ビッグマムからの受信表示を切り替えて、広域レーダーを見てみろ。どうなってやがる。後ろだ。着弾地点の後方にマーカーがある」

 僚機からの叫び声が聞こえる。環は、急いで、目視画像を広域レーダー表示に切り替える。

「砲撃は効いてないのか? それとも、一発も当たらなかったのか」

 スピーカーから、声が上がる。

「おい、あの偉そうな隊長はどこにいやがる。指示を出せ。どう戦えばいいんだよ」

 あれだけの砲撃をかわされた動揺からか、みな混乱をきたしているようだった。みな、今まで一匹狼のようにして戦って来ていた。各個に目前の敵を撃破していれば作戦は成功していたのだ。敵が一体だけ、という事実が、余計に混乱を呼んでいるようだった。

「みんなで、協力するのよ。このまま好き勝手に戦っていたらやられるわ。私が指示を出すけど、みんなそれでいい?」

 エンドレスの声が響いた。彼女は、冷静に状況を見極めているようだった。

「勝てるならなんでもいい」

 環はエンドレスに向かって言った。他にも何人かがエンドレスに賛同する。反対の声は上がらない。エンドレスは、すぐに具体的な行動の指示を出した。

「近接戦闘用の兵器だけを持っている機体は、後ろに下がって。遠距離用兵器を持っている機体は、とりあえず砲撃はしないで。私と、そうね、三機ぐらいだけで、砲撃を仕掛けてみましょう。それで、相手がどう動くかを見る」

 エンドレスがヒャクメに向かって前進して行く。その後ろに名乗りを上げた三機ほどが続く。環は、一定の距離をおきながら、アジフをエンドレスに追随させる。広域レーダー表示を目視画像に切り替え、空中の目からヒャクメの動きを観察する。エンドレスの機体からミサイルが放たれ、ヒャクメに着弾する。だが、ヒャクメは、爆風の中で、何事もなかったかのように立っていた。環は、一度見た画像をスーパースローモードで再生させた。煙を引いて、クラスター弾頭を搭載したミサイルがヒャクメに向かう。近接信管が作動し、ヒャクメの手前でミサイルが子爆弾をばらまく。環は、画像を見ながら、驚嘆の声を上げた。

「なんなんだよ」

 ヒャクメは、飛び散る子爆弾の全てを交わす事はできていない。何十という子爆弾をその体に受けていた。だが、強靭な肉体をしているのか、散発的な爆発では、体は破壊できてはいない。子爆弾の集中した部位は破壊されていたが、破壊された部位がすぐに再生して行く。ヒャクメの体は、画像を巻き戻しているかのように瞬く間に再生を繰り返していた。環は、皆に向かって、スーパースロー画像を見ているか、と呼びかけた。

「なるほどね。全く、酷い反則技だわ。でも、これなら勝てるわね。再生速度を上回る速度と、圧倒的な物量で破壊を繰り返せば、いけるはずだわ」

 エンドレスは、環の声に答えるようにそう言うと、今度は別の指示を出した。

「でもその前に、砲撃以外の攻撃を試さないとね。近接戦闘用の兵器を持つ機体は、前に出て。戦闘中にヒャクメを見る時は、くれぐれも時間に注意してね。私達も砲撃で支援するけど、どこまで助けになるかは分らないわ。気を付けて戦って」

 環は、エンドレスの声を聞きながら、ヒートソードの安全装置を解除する。数秒後に、刀部分の温度が、使用温度域に達した事を告げる表示がモニターに映った。

「砲撃と違って、まとまってかかる訳にいかない。まずは、俺が行く」

 環は、自らに気合を入れながら言った。アジフは、高速移動用の噴射装置を使用して、雪原を滑走する。集中砲火の着弾地点を過ぎると、アジフのアイカメラがヒャクメの姿を捉える。モニターの中央には、ヒャクメの姿がある。環は、一直線に突っ込んで行く。照準表示の横にある距離表示が、みるみるうちにその数字を減らして行く。モニターに映るヒャクメの姿が鮮明になる。接敵する瞬間、ヒャクメの全身にある目が、瞳を一斉に、アジフの方に向けた。

「うおおお」

 環は、ヒャクメの視線を受け止めながら、咆哮する。アジフの両腕刀を真っ直ぐにヒャクメ目掛けて伸ばし、飛び込んでいく。噴射装置の加速とアジフの自重を乗せた一撃は強力だった。今まで戦って来たセカイで、この一撃の直撃を受けて、無傷なものはいなかった。

 アジフの前進が、止まった。いや、正確に言えば、止められていた。モニターには、銀色に光る二本の尖った棘状の物体を交差させてアジフの両腕刀を受け止めているヒャクメの姿が映っていた。環は、渾身の一撃を防がれて、愕然とした。だが、すぐに操作を再開し、距離をとる為にアジフを後退させる。アジフの攻撃に躊躇いはなかった。無人機ゆえに自らが破壊される事を恐れる必要はない。修理費用や、後ろにいる処刑人の事など、環の頭からは吹き飛んでいた。今回の戦いは命懸けなのだ。

 後退を終えて自分の間合いをとると両腕をヒャクメ目がけて振るう。環は、突きや右薙ぎ、左薙ぎ、右袈裟、左袈裟と間髪入れずにひたすらに操作を繰り返した。ヒャクメは、棘を振るい、見事とも思える太刀裁きで全ての攻撃を防ぎきる。

「アジフ、聞こえてるの、アジフ。モニターを見ていられる時間の事、分かってる?」

 スピーカーがエンドレスの声を伝えて来ていた。だが環には聞こえていない。環は、自分の攻撃を巧みにかわすヒャクメに一太刀浴びせる事だけを考えていた。

「仕方がないわ」

 エンドレスの声がそう言うと、モニターの中にいるヒャクメの左肩が吹き飛んだ。環は突然の出来事に自分を取り戻す。

「アジフ、一度、離れなさい。時間がないわ。ヒャクメの目を見るなって聞いてるでしょ。どういう状況で何が起こるのか分からないのよ。とにかく、離れて」

 環は、エンドレスに向かって了解、と返事をすると、素早くアジフを後退させる。だが、ヒャクメは、後退するアジフを逃がすまいと追いかけて来た。

「もっと、早く下がって。距離がとれたら、砲撃を開始するわ」

 エンドレスの言葉が聞こえる。環はエンドレスの声を頼もしいと思いつつ、後退時に使おうと思っていたミニガンを使用した。連続する発砲音がざーっと豪雨のような音を上げる。ヒャクメの体に収束した弾丸が吸い込まれて行く。どの程度のダメージを与えているかは分らないが、ヒャクメの足は確実に鈍っていた。環は、一気に距離を離す。距離表示が二十、三十と数字を増やしていく。環が、もういいだろうと思い、一息吐くと、砲撃音が聞こえて来た。

 エンドレスの指示で始まった砲撃は、先の集中砲火のような乱雑な攻撃ではなかった。一定の間隔をおいて、的確にヒャクメの体を狙っていた。ヒャクメは、間断なく行われる砲撃に回避行動だけをとっていた。環は、その隙に、皆のいる場所まで後退した。

「アジフ、平気か? 何か、おかしな事は起きていないか?」

 僚機が声をかけて来る。環は操縦席の上で自分の体をあちこちと触り、異常の有無を確かめてから答えた。

「平気だ。今の所は何もない。体も頭の中もおかしな事にはなってない」

 近接戦闘用の兵器を搭載した機体がアジフの周囲に集まって来た。さすがに、数は少ない。モニターに映り切らないものを含めても六機しかいなかった。

「どうだった? ヒャクメはどんな攻撃をして来たんだ?」

 興奮した声が聞こえて来る。環は、僚機達全機に呼びかけるつもりで話し出した。

「ヒャクメは、近接戦で倒す事はできないと思う。一撃も体に当てる事ができなかった。でも、近接戦を仕掛けておいて、その隙に砲撃をすれば攻撃をもっとあてられると思う」

 環の声にエンドレスが答える。

「囮になるというのね。近接戦闘用兵器を持っている機体が六機。囮作戦をするとして、回数は六回が限度というわけね。他にいい作戦もない、か。やってみましょうか」

 エンドレスの声に、別の作戦を提案する者はいなかった。エンドレスは、言葉を続ける。

「アジフは、今出たばかりだから、最後に回って。他の機体から順番に一機ずつ頼むわ」

 近接戦闘を得意としている者達は、皆、自分の腕に自信を持っているのだろう。次にヒャクメと戦いを行う機体はすぐに決まった。

「じゃあ、ディアブロが行くのね。一分。何があっても一分経つ前に、後退してね。あっ、そうそう。行く前に今操作している場所を教えてくれないかしら?」

 ディアブロは、エンドレスの言葉に、へっ、と間の抜けた返事をした。黙りこんで返答をして来ないディアブロにエンドレスがたたみかける。

「どうしたの? 早く、教えなさいよ。さっき軽そうな男が言ってたでしょ? 勝ったら祝杯をあげようって。私から招待状を出すわ。作戦が終わったら、聞くに聞けないでしょ」

「ちょっと待った~。軽そうな男ってのは俺の事か? 俺の名前は、イーサンだ。エンドレスちゃん、俺の居場所ならすぐに教えるぜえ~」

 環は会話を聞きながら、エンドレスが、冷たくあしらうのかと思っていたが、意外にもエンドレスは違う反応を返した。

「ふ~ん。イーサンっていうの。じゃあ、イーサンも教えてよ。他のみんなも頼むわ」

 それからしばらくは、おかしな会話が飛び交っていた。環は、後ろにいる処刑人が気になり黙って聞いていた。だが、僚機達が戦闘に関係のない会話に興じていても、誰も射殺されたりはしていないようだった。

「アジフ、貴方は、どこにいるの? 後ろの厄介者が怖くて言えないのかしら?」

 エンドレスが、話を振って来る。環は、図星だったのでどきりとしたが、飽きれた様子を装って答えた。

「全く、何をやってんだ。こんな時に。俺は、ステイアベニュー三六六のアパートの三号室にいる」

 エンドレスが笑いながら答える。

「はい。よくできましたね~。十五分。私の家から十五分の距離」

 環は十五分という具体的な時間を言われて驚いた。だが何も言わずに黙っていた。

「みんな、そろそろやりましょうか。後ろの方達が怒り出さないうちにね。ディアブロ、頼むわ」

 エンドレスの言葉で、作戦は再開された。ディアブロの機体は八脚の重装甲型だった。動きは遅いが、装甲が厚い分、多少の攻撃ならびくともしない。高速移動形態でヒャクメに接近し、直前で八本の足を展開する。立ち上がったディアブロの機体とヒャクメの大きさを比較すると、圧倒的にヒャクメの方が小さく見える。ディアブロは、高速移動形態時には、キャタピラの間に収納されている腕を伸ばす。足の間から伸びるその腕と、足の付け根の腰部に載っている砲塔から伸びた四本の腕。計五本の腕が、ヒャクメに向かって襲いかかる。

 足の間にある腕は、素早い刺突を可能にする伸び縮みのできる腕で、先端部にドリルを搭載した武装腕。砲塔から伸びる腕は、前部の二本は通常型の腕で、器用な操作ができるように五本指になっている。その腕には、両方とも同じタイプの回転刃部分が延長されたロングチェンソーが握られている。後部に配された二本の腕は、重兵器を扱う太く長い腕で、右腕には、GAU―8アヴェンジャーが、左腕には、敵の体に突き刺し、その内部に小型の爆弾を埋め込む、インプラントソードが搭載されていた。

 ディアブロは、凄まじい攻撃を繰り出す。二本のロングチェンソーでヒャクメの棘を封じ、インプラントソードでヒャクメの体に小型爆弾を差し込む。爆ぜるヒャクメの体に、ドリルを突き刺し、さらに、アヴェンジャーで追い討ちをかける。環は、圧倒的とも思えるディアブロの攻撃にこのままヒャクメが倒されるのではないかと思った。囮作戦などという言葉は、全く相応しくない戦いが眼前で展開されていた。

 環が呆然とその戦いを見詰めていると、作戦通り砲撃が始まった。作戦は、環の狙い通りだった。ディアブロの近接攻撃に気を取られているヒャクメは、面白いように砲撃をもらっていた。だが、ヒャクメの再生能力は底なしで、爆ぜ、砕け、飛び散る端から、まるで何事もなかったかのように復活をする。それでも誰も諦めようとはしなかった。ディアブロは、一分という接敵時間限界まで戦いを続け、皆は、砲撃を続けた。

「ディアブロ、もう時間よ。下がりなさい」

 エンドレスの声が響く。だが、ディアブロは戦闘を止めようとはしない。

「ディアブロ、危険だわ。早く退きなさい」

 エンドレスの声が叫び声に変る。

「何言ってんだ。もう少しで殺れそうだ。そっちからは見えないかも知れないが、こいつ、弱ってやがる。いいから、砲撃を続けろ」

 ディアブロは、感情の見えない暗い声で答える。

「そうだ、ディアブロ殺っちまえ」

 誰かは分らない僚機の声が言った。

「ちょっと、何言ってるの。何が起こるか分らないのに。ディアブロ、早く退いて」

 今まで、一丸となっていた操作者達の間に亀裂が生じ始めていた。環は、エンドレスに加勢する為に声を上げた。

「おい、ディアブロ、何してる。早く下がれ。時間がない。早く下がるんだ」

 一分という短い時間が経過する。環は、モニター下部にある時計を見ながら、これから何が起こるのかと恐々としていた。

「何が起こったんだ。なんだよこれは」

 突然、ディアブロの慌てふためく声が聞こえた。

「ディアブロ、どうしたの? 何が起こってるの?」

 エンドレスがディアブロに呼びかける

「分らない。体が、体の自由が利かない」

 ディアブロが答える。その声とほぼ同時にディアブロの機体の動きが止まった。

「仕方がないわ、ディアブロの機体を破壊する。そうすれば遠隔操作から離す事ができるわ」

 エンドレスの声に、着弾地点が変る。ディアブロの機体が、砲撃を受ける。だが、重装甲の機体は、対セカイ用の兵器では、簡単には破壊できない。

「体が、体が、何だよこれ。助けてくれ。誰か、誰でもいい。助けてくれよ」

 ディアブロの声は悲痛な絶叫に変わっていった。

「何が起こってるんだ? おい、ディアブロ、大丈夫か」

 環は、叫んでいた。他にも、何人もの声がディアブロを呼ぶ。砲撃を受けるディアブロの機体が、軋みを上げてがくりと崩れ落ちた。スピーカーから聞こえていたディアブロの悲痛な声が、聞こえなくなった。

「おいおい。冗談じゃないぜ、一体なんだってんだ。ディアブロの奴、どうしちまったんだ」

 誰とも知れぬ僚機の声が、恐怖で震えている。砲撃の音が止んでいた。どの機体も微動だにしていない。環は、何も考える事ができなかった。ディアブロの発していた恐怖に慄く声が、環の頭の中を埋め尽くしていた。

「もう、終わりか? そうやってじっとしていても、ヒャクメには勝てんぞ」

 含み笑いさえ聞えてきそうな、悪意に満ちた声がそう言った。環は、声の主がエンリケであるとすぐに分った。何か、言い返してやろうと思ったが、後ろにいる処刑人の恐怖が膨れ上がり声を発する事すらできない。

「いい加減にしなさいよ。貴方、軍の人間なんでしょ? 私達ばかりに戦わせて、犠牲者まで出して」

 エンドレスがエンリケに噛み付いた。

「活きのいいお嬢さんだ。いかにも俺は軍の人間だ。そして、お前らと違って、この、恐ろしい戦場に今も立たされている。どうして、俺が戦わなきゃいけないんだ? お前らが戦えばいいだろう。俺が戦えば、死ぬのは目に見えているんだ。今までの戦いで分るだろ。あいつは、無敵なんだよ。絶対に倒せないんだ。俺は、どんな形でもこの作戦が終わればそれでいいんだよ。報告書を上げれば、終わりなんだ。そんな事より、お前ら、早く戦えよ。後ろにいる奴らに殺されてもいいのか? お前らには、逃げ場はないんだ」

 エンリケの言葉は、絶望感を呼んだ。環は、自分のおかれた状況を思い知らされた気がしていた。

「貴方、本気で言ってるの? これは軍の正式な作戦なのよね? こんな事が許されるの?」

 エンドレスは気丈にも、エンリケと話を続けようとする。

「しつこい奴だな。しつこい女は、男に嫌われるぞ。でも、まあ、いっか。俺も女と話をするのは久しぶりだからな。サービスしてやるよ。だが、お前らにとって、悪い話をするだけだけどな。この作戦は、しっかりとしたもんだぜ。軍の正式な作戦だ。お前らの後ろにいる人間もちゃんとした、特殊部隊の隊員だ。そいつらの任務はな、奮ってるぜ。セカイと融合をした者の捕獲、戦意喪失者の抹殺、本作戦の機密漏洩防止。最後の一つは、難し過ぎて、お前らには分らないかなあ。簡単に言うとな、お前らは、何があっても、殺されるってこった」

 環はごくりと唾を飲み込んだ。何かを考えようとしたが、何を考えていいのかが分らなかった。

「貴方みたいな最低の軟弱男に、しつこいとか、男に嫌われるとか、言われたくないわ。貴方みたいな男は、その何もない雪原がお似合いよ。一生そこにいればいいんだわ。それで、セカイとエッチでもしてなさいよ」

 エンリケの言葉が、余程頭に来たのか、エンドレスは、早口でまくし立てた。

「おお~。気が強い女だな。セカイとセックスか。考えた事もなかったよ。そういや、お前、イステン人だって言ってたよな。ついでに、心が躍るほど楽しい事を教えてやるよ。この作戦に参加している遠隔操作者はな、全員イステン人だ。お前らはな、国から捨てられてるんだよ」

 どうだ、と言わんばかりにエンリケは言い終えると下卑た笑い声を上げた。

「なんだと、イステン人は、使い捨てって事かよ。舐めやがって」

 エンドレス以外の声がそう言った。恐怖にとりつかれていた環も、さすがに怒りに駆られ同じ事を言おうとしていた。

「今、余計な事を言った馬鹿はどいつだ。俺の機嫌を損ねない方が利口だ。それにな、この戦場は、元々お前らの国なんだぞ。国を取り戻す為に戦って死ぬんだ。いい事じゃないか」

 誰も何も言わなかった。後ろの処刑人さえいなければ、エンリケの機体をすぐにでも破壊したいと環は思った。

「イステン人武装蜂起事件。あれも本当は、貴方達がやったんじゃないの?」

 エンドレスだけが、なおも会話を続けようとしている。環は、エンドレスの言葉を聞いてアロン先生の話を思い出した。エンドレスの言う通りだと言いたかったが、恐怖から話をする事はできなかった。

「随分と懐かしい話をするじゃないか。しかも、なかなかタイムリーな話だ。あの事件もヒャクメが起したんだからな。お前、あの事件の事、どれくらい知ってんだ?」

 エンドレスは悔しそうに答える。

「教科書に載っている程度しか知らないわ」

「そうか。そうだろうな。話してやってもいいが……、お前、この状況が怖くないのか? 俺と無駄話をしている間に、撃たれるかも知れないんだぜ」

 エンリケの質問に、環も心の中で同調してしまった。この状況下で会話を続けようとするエンドレスという人間が、どんな人間なのかと思わずにはいられなかった。

「怖いわよ。怖いけど、どうせ殺されるんでしょ? 私はね、イステン人としての誇りを持っているつもりなの。殺されようが、脅されようが、負ける気はないの」

 さらりとエンドレスが言う。気持ちのいいほどに強気だった。

「イステン人の誇りか。面白い奴だな。座して死を待つ気はないってか。イステン人のそういう所が、この国の人間は気にいらないんだよ。だからこういう作戦がなくならない」

 エンリケの口調は、何かを考えているのか、静かなものになっていた。

「おい。砲撃を続けろ。ヒャクメがこっちに来るとやっかいだ。あの事件はな、ヒャクメにとり付かれたイステン人が、実験施設から逃げ出したのを隠蔽する為にでっち上げられたんだ。俺も作戦に参加しててな。仲間の友達を殺しちまった」

 エンリケは一度言葉を切ってから、また、話し出した。

「なんてな。ちょっとは涙を誘ったか? さて、もう無駄話はいいだろ。お前ら、どうするか決めろ。もう諦めて全員処刑されるか、まだ戦うか。俺は後ろの奴らに撃たれるのをお勧めするぜ。セカイと融合したら死ぬまで実験体として扱われるからな。さあ、どっちを選ぶ?」

 エンリケは今度は一転して、楽しそうに言う。

「私が答えるけど、みんなそれでいい?」

 エンドレスが皆に呼びかける。スピーカーは沈黙したままで、誰も何も言わなかった。環は、恐怖を相変わらず感じていたが、エンドレスだけに、この重要な返答を任せるのは嫌だった。自分の命の行方は、自分で決めたいと思った。

「俺は死にたくない。どう転んでも殺されるとしても、黙って殺されるなんてのは嫌だ」

 言葉が自然に出てしまっていた。誇りも信念もない素直な気持ちだった。

「あら、アジフね。貴方、本当にそれでいいの? 今死んでいたら楽かも知れないわよ。もしこの先、戦いしかない辛い人生になっても、今言った事は変らない?」

 エンドレスの口調は、決意を迫るような厳しいものだった。環はなぜそんな風に言うのかと、一瞬疑問に思ったが怒りを感じて言い返した。

「いきなりなんだよ。俺は、戦うよ。先の事なんて考えてない。けどこんな状況が続くのなら、死ねと言われ続けるなら、俺は抵抗し続ける」

 自分でもかなり興奮しているのが分かった。怒鳴るようにして話していた。

「もっと早く話をしておけば良かったわ。そうすれば、ディアブロも犠牲にならなかったのかも知れない。他のみんなは、どうなの? 何も言わなくていいの?」

 エンドレスが、静かに言う。

「俺も戦う。ただ死ぬのは嫌だ」 

 スピーカーから声が聞こえた。堰を切ったように、次々と声が聞こえて来た。

 皆、戦う事を望んでいた。このままここで果てるなどという意味のない死に方を望む者は一人もいなかった。

「みんなありがとう。でも、その言葉、重いわよ。この国を敵に回しても生き残る、そう言っているのと同じなのよ」

 エンドレスの言葉が、何を指しているのか、環にははっきりとは分らなかった。だが、この国を敵に回しても、という言葉に対してはそれでも構わないと思った。

「それでもいい。俺は、死にたくない」

 環はそう言っていた。スピーカーから聞こえる僚機達の声も、環と同じだった。皆、生きる為の戦いを望んでいた。

「分かったわ。みんな良いのね。それじゃ、始める。準備は整ったわ。みんな死なないでね」

 エンドレスは、突然、そんな事を言った。環はエンドレスに言う。

「何をすればいいんだ。突然そんな風に言われても、意味が分からない」

 エンドレスは答えない。エンリケの軽いからかうような口調の声が聞こえて来る。

「おい。一体、何をやろうってんだ?」

 エンドレスは、沈黙を続ける。環はエンドレスに再び呼びかけようとしたが、後方、部屋の中かから聞こえて来た音に驚いて振り向いた。
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