第12話 雪原

文字数 11,549文字

 イステンにある研究所は、研究員達の居住施設や対セカイ用の迎撃設備などを含めると、小規模な町のような大きさであった。雪が全てを覆い尽くす大地にあって、そこだけは人の存在を感じさせる空間となっていた。施設全体を守る為に備えられている堅固な外壁は、施設の配置を反映して五角形を形作っている。

 環は新しい機体の慣らしを兼ねて、外周に沿うように機体を走らせていた。ビッグマムからの支援は受けられない為に、機体に備わっているカメラだけが周囲の様子を映し出している。索敵能力の著しい低下は、不安とそれにもまして不自由さを感じさせたが、施設の周りを走り出して二周目にもなると、徐々に不自由さも感じなくなって来ていた。

 施設に入る為の入り口はセカイの脅威を考慮して、一箇所だけになっていた。重点的に警備が必要なのはそこだけなのだが、今回の作戦はステイ軍に対する威嚇という意味があるので、五角形の各頂点部分に一体ずつ頂点を結ぶ外壁部分にも一体ずつと計十機の機体が入り口部分にいる機体を含めずに配されていた。

 現状において環は、どの部分の警備も任されてはいない。遊撃手として自由に行動できる立場にいた。警備の為に雪像のようになって立っている僚機達をカメラの映像に捉えながら、環は機体を走らせ続ける。久しぶりに操作している所為か、それとも自身の境遇の所為か、ただ走らせているというだけなのに妙に楽しさを感じていた。僚機を操作している者達は皆、永遠の私兵、呼び方はともかくとして、皆がこの前の戦闘時に永遠によって助け出された者達だった。外面的には普段行っていた遠隔操作と変らないのだが、逃亡者という立場があった。皆、普段の時のように話をしながら作戦にあたるというようなそんな気分ではないようで通話用のスピーカーからは、時折定時報告の声だけが聞こえて来るだけだった。

 雪原は静かだった。雪の降る音さえ聞こえるのでは? と思うほどに。環は機体を研究所から少し離れた場所に停めると、周囲を監視しながら永遠にもらっていた機体のマニュアルを開いた。

 形式番号弐壱零。イステン文字でそう書かれたマニュアルには機体の各部の分解図から操作方法に至るまで、事細かに載せられていた。環は流し見をしながら、気になる部分だけを拾って読み始めた。そもそもNBという機体を生み出した技術はイステンのものであったので、イステンの財閥である鶯家が傘下の企業に作らせた機体はアジフよりも遙かに高い能力を保持していた。

 先程まで操作していた時にも感じていた事だったがこうしてマニュアルを開いてみると、改めて性能の歴然とした差を思い知らされた。貸与された弐壱零は全てが二足歩行のモデルだった。環はもともと二足歩行のモデルに乗っていたので不満もなかったが、操作者の中には不平を述べる者がいた。機体の受け渡し時に説明を行った技術者はそんな不平を二足歩行かつ人型が最高、最強であるとのイステンに根強くあるという理論を展開し一蹴した。

 機体の外見を見ると流面的な装甲が全身を覆い、腰の部分には機体の全長の半分はあろうかという剣が備えられている。この剣はイステン刀というイステンに昔からある剣の形をした物であった。形状は古来からある物を受け継いでいたが刃部分が超高速振動を起こし、接触した物体を高熱で溶かして切り裂くという技術を取り入れた剣だった。剣は全てのモデルに共通して装備されていた。

 環は剣を二本装備し、操作者の嗜好で換装できる銃火器は肩部にGAU―12イコライザーを一門だけ装着した。経費という束縛から解放されてはいたが、環は自分の戦闘スタイルを考え、重量のある銃火器を敢えて装備しなかった。機体の運動性能が格段に上がっている事も考え、素早く行動ができるようにと自分なりに考えた装備だった。

 弐壱零には武器腕という物がない。五本指を備えた汎用の腕が銃火器、刀剣などの武器を間接的に操作するようになっていた。いかなる事態にも臨機応変に対応できるようにと考えられていると聞いたが、どうみても華奢に見える指部分は、弱点ではないかと環には思えた。攻撃兵器制御モードを起動し、腰に備えられている剣の柄を握らせてみた。剣との接続がなされた事を示すメッセージがモニターに表示され、刃部分が振動を始めた事を報せる。

 環は剣をゆっくりと抜き、雪の大地をなぞるように斬った。刃は音もなく、すうっと大地に吸い込まれるように入って行く。弐壱零が全く埋まらずに立っていられるくらいの硬さがある大地を、剣はバターでも斬るようにえぐっていた。

 剣を出したまま攻撃動作を開始する。武道で言う型のような物だが、さすがに剣を標準装備しているだけあって流れるような滑らかな動きで数種の斬撃を繰り出す事ができた。剣と接続する事で攻撃用のOSは、剣撃用のプログラムを作動させる。そのプログラムは何もできない素人にでも、簡単に数種の斬撃を扱う事を可能にさせていた。

 二本の剣を抜き連ねて上段に構えてからの打ち下ろし。打ち下ろしからの斬り上げ。左薙ぎ、右薙ぎ。左袈裟、右袈裟。それらを織り交ぜての連続斬撃。華奢だと思っていた指部分は、激しく負荷のかかる動作でも全く遜色なしにしっかりと剣を握っていた。環は自分なりの攻撃パターンを数回繰り返すと、二本の剣を元の腰部に戻した。

 弐壱零を研究所の方に向け推進装置の出力を最大にして、全速滑走を開始する。多少の起伏がある大地を舐めるように弐壱零は滑走する。環は弐壱零にアジフ以上の愛着を感じ始めていた。

 研究所に戻るといつの間に現れたのか、ステイ軍所属であろうHBが二機ほど入り口部分を警備している弐壱零とにらみ合うような格好で立っていた。環は二機のHBの背後に威圧するようにとわざと弐壱零を近付け停止させた。敵機との交信は永遠から絶対にするな、と言われているので呼びかけはしなかった。警備をしている弐壱零の操作者も同じようで、何も会話をしていない。恐らくは永遠からの指示だけを受信して、行動しているのだろう。環は通信機のチャンネルを合わせると会話を聞いた。

 「我々は、ステイ軍第三守備隊の者だ。この研究所にNBを配置するなんて事は聞いていない。ちゃんと許可は取っているのか?」

 横柄な口調でHBの操縦者がそう言った。

 「私はこの研究所の警備を任された、鶯永遠です。貴方達に許可を求めるいわれなんてないでしょ。ここは私の家の研究所です。何をどうしようと勝手なはずだわ。貴方達こそ、何をしに来たの?」

 永遠の声が聞こえる。どうやら会話は始まったばかりらしいが、いきなりの永遠のこの言葉に環は苦笑をしてしまった。環は内部通話用の回線を繋ぐと永遠に向かって言った。

 「なあ、永遠。いきなりそれは、やばいんじゃないか?」

 永遠がすぐに返事をする。

 「あら、環。弐壱零はどう? いい機体でしょ」

 環は弐壱零をいきなりバク転させた。

 「ああ。この通り。アジフよりもいいね」

 永遠の笑い声が聞こえて来る。

 「何やってんのよ。環こそ、変な動きをしないで。敵さんにおかしな誤解でも与えたら大変なのよ」

 永遠の言葉通りの反応がHBの操縦者から返って来た。

 「おい、貴様、何してる。我々を馬鹿にしているのか?」

 環は永遠の言葉を守り返事をしない。永遠が代わりに言葉を継ぐ。

 「ちょっと、うちの警備員にケチを付ける気なの? 機体の動作試験中なのよ。そんな事まで、いちいち説明しなきゃいけないのかしら?」

 環は弐壱零を入り口の警備をしている僚機の横に並べるように移動させた。攻撃兵器制御モードを解除するのも忘れてはいない。バク転くらいならまだしも、照準を定めてしまっては、さすがに冗談では済みそうにないな、と思った。

 「こうやって立たせておけば、満足かしら? 貴方達の行為はうちの本社を通じて本国の方に直接報告させるわ。それで、よろしいかしら?」

 永遠は相手を威圧するような口調で、そう告げた。HBの操縦者はしばしの沈黙の後、吐き捨てるように返事をした。

 「おかしな行動の形跡があったら、すぐにでも攻撃をするからな」

 二機は素早く回れ右をすると、そのまま雪の舞う雪原の中に消えて行った。

 「全く、なんなのよ。こっちこそ容赦しないわよ。警備の二人は、適当に別の人と代わって休んでね。環は、ちょっと話があるわ」

 永遠が言い終えるとしばらくして、環の部屋の透明な壁が軽く叩かれた。振り返ると永遠が微笑を浮かべながら立っている。環は、ちょっと待ってて、と言うと弐壱零を整備格納用のハンガーに移動させ操縦設備の電源を落とした。永遠は愛美が日課としている食事をとる時に使い、そのまま置きっぱなしにしている椅子に座ると環に向かって手招きをする。環は操縦設備の所為で、角に追いやられてしまっているPCデスクの椅子に座った。

 「話があるって言ってたけど、なんの話?」

 環はデスクに載っているPCを立ち上げながら言う。永遠は少しまじめな顔をしてから、話し出した。

 「貴方の体調の事。どう? あれから一週間経ったけど変わりない?」

 環はPCを操作して、前に永遠に見せてもらったセカイのライブ映像を開いた。

 「うん。多分平気だと思う。国重さんの話だと体の中の変化も落ち着いてるらしいし、自分的にも何も感じる事はないかな」

 永遠は力のない笑みを浮かべる。

 「毎日検査だもんね。ねえ環、辛くない?」

 環は微笑んでみせる。

 「何言ってんだよ。俺はこの通り元気だよ。永遠こそ、さっきのやりとり。連中もう来なきゃいいけど、きっとまた来ると思う」

 永遠が深い溜息を吐く。

 「全くね。こっちは下手に動けないし。一戦構えても負ける気はしないけど、研究所には職員がいるわ。あの人達の安全を考えれば、今日みたいな事を繰り返して行くしかないのかも」

 環は頷きながら視線を送られて来ている映像に移す。木のある場所からの映像が映し出されていた。

 「あれ、HBって事は有人機だよな。戦いになったら人が死ぬかも知れない」

 環の言葉に永遠が悲しそうな顔をした。

 「そう、ね。貴方の言う通りよ」

 永遠、悲しそうな顔をすぐに引っ込めると環の顔を覗き込む。

 「人が相手だと戦えない?」

 環は顔を天井に向ける。顔を上げたまま返事をした。

 「あの戦いがなかったら無理だと答えたと思う。銃を突き付けられて、敵前逃亡は即、死をなんて言われてなかったら。でも今は戦えると答えるよ。生きる為だろう。生き抜く為なら、君や愛美や、アロン先生を守る為なら、例え人でもセカイでも俺は敵に回して戦う、かな」

 顔を永遠の方に向けると環は決意を秘めつつ、微笑んでみせた。永遠の顔が、ほのかに赤く染まる。

 「ちょ、ちょっと、何よそれ。恥ずかしくなるじゃない」

 嬉しそうに微笑んでいた永遠だったが、まじめな顔をすると神妙な口調で言った。

 「環、ありがとう」

 環はやんわりと微笑んでから頷くとPCの方に顔を向けた。映像の中では、前に見た光景と同じ、ヒトガミが現れて生命の木の幹に触れるシーンが映し出されている。

 「目覚めし者。未だ眠りし者。全ての者は一つなり。我の言葉に応える者、集いて、この生命の守護者となれ」

 環の脳裏に、前に見ていた時と同じ言葉が浮かんで来る。環は自分の中で一つの確信が生まれるのを感じていた。ここ数日の間、時間が取れる時は、いつもこの映像を見ていた。

 「なあ、永遠。セカイの映像、今見てくれないか?」

 何もせずに椅子に座っていた永遠は不思議そうな顔をする。

 「いきなり、どうしたの? 今すぐに見たほうがいいの?」

 環はただ頷いて返事をする。永遠は外の部屋のPCに近付くと、キーボードを叩いた。

 「開いたわ。これがどうかしたの?」

 環は自分の中に浮かんでいる言葉がまだ消えていない事を確認すると、口を開いた。

 「何か、頭の中に言葉が浮かばないか? 聞こえて来ると言えばいいのかな、とにかく何か、感じないか?」

 永遠は真剣な表情で映像を凝視する。だが、ふと頼りなさげな顔をした。

 「何も感じない。ただヒトガミが生命の木に触れているというだけしか、伝わって来ないわ」

 永遠は話しながら、何かに気付いたように表情を強張らせた。

 「ねえ、環、貴方まさか、何かを感じてるの?」

 環は静かに頷いた。

 「言葉が浮かんでる。実はここなん日か、この時間にこの映像を見てたんだ。最初に気付いたのは永遠にこの映像を見せてもらった時なんだけど、確信が持てなかった。なん回見てもその度に同じ言葉がはっきりと浮かんで来てる。間違いはないと思う」

 永遠の表情が驚きに変って行く。

 「環、聞かせてくれるかしら? どんな言葉が浮かぶのか」

 環は脳裏にはっきりと浮かんでいる言葉を諳んじた。

 「目覚めし者。未だ眠りし者。全ての者は一つなり。我の言葉に応える者、集いて、この生命の守護者となれ」

 永遠は突然立ち上がると、走って透明な壁に近付いて来た。

 「環、気分は? 体の方は? なんともないの? 何かおかしな所はない?」

 永遠の顔は青ざめていた。痛々しいほどに心配しているという気持ちが伝わって来る。環は困ったように苦笑すると、立ち上がって壁越しに永遠の前に立った。

 「ねえ、永遠。俺の話をちゃんと聞いて。そりゃ、おかしくなったと」

 環がそこまで言うと、永遠が大声を上げた。

 「馬鹿! 何言ってるのよ。そんな事、思う訳ないでしょ。私が言ってるのはそんな事じゃない。セカイへの変化の事よ。大丈夫なの、環。何もおかしな所はないの?」

 永遠の声はいつの間にか涙声に変わっている。環はおろおろとしながらも、精一杯微笑んで見せた。

 「大丈夫。大丈夫だから。ありがとうな、永遠。そんなに心配してくれて。本当に俺は平気だから」

 環が言っている間に永遠は泣き出してしまう。俯いて泣きじゃくりながら、懸命に言葉を搾り出す。

 「何よ。本当に平気なの? いきなりそんな風に言われたら、どうしていいのか分らないじゃない」 

 環は心の底から永遠の気持ちに感謝しながら、永遠の姿を見詰めていた。永遠は顔を上げると赤く充血した目を環に向けた。

 「ごめんなさい。環が一番辛いのに。本当に、平気?」

 環は笑顔で言う。

 「本当に平気だよ。この声を聞いても映像を見ても何も変化はないんだ」

 永遠は弱々しく微笑むと椅子に座った。環もPCデスクの前に座る。

 「永遠。驚かせついでに、もう一つ話したい事がある。話しというか、お願いになるんだけど、いいかな」

 永遠は困った顔をすると溜息を吐いた。

 「ずるい。環はずるいわ。こんな状況で何かをお願いされたら断わる方が辛いじゃない」

 環は思わず苦笑する。

 「いや、永遠。断わる事が前提なのか?」

 永遠は調子を取り戻してきたのか、八重歯を見せてにやりと笑う。

 「仕方がないでしょ。何を頼もうとしているのかが分っちゃうんだもん」

 環は不思議そうな顔をする。

 「本当に?」

 永遠は頷く。

 「今から言ってあげるわ。けど、私の言う事を聞いた後で今思っている事を変えちゃ駄目よ」

 環は、そんな事はしない、と笑顔で答えた。永遠は真剣な顔を作ると、わざとらしく声を低くして言う。

 「貴方のお願いは、俺をあの場所に行かせろ。でしょ?」

 環は思わず声を上げて驚いてしまう。

 「凄いな。よく分かったじゃないか」

 永遠は環の言葉を遮るように言う。

 「凄いな、じゃないわよ。何考えてるのよ。とにかく駄目よ。そんな危険なまねさせる訳にはいかないわ」

 永遠はきっぱりと言い切る。環は微笑みながら自分の考えを話し始めた。

 「永遠を心配させるような事はしないよ。それに考え違いをしてる。俺が直接行かなくてもいいんだ。弐壱零で行くだけでもいい」

 永遠は、ふんっと横を向く。

 「行ってどうするのよ。NBで行くんだったら、今まで戦っていた時と変らないじゃない」

 永遠は環の考えにあくまで反対らしく言下に否定する。環は反対の姿勢を示す永遠を見ても、微笑を崩す事ができなかった。やんわりと自分の考えをもう一度話す事にした。

 「戦いに行くんじゃない。話しを聞きに行くんだよ。あの言葉を聞いて思ったんだよ。あいつらと話ができるんじゃないかって」

 永遠は、きっと環を睨む。

 「いいわ。じゃあ話をしてどうするのよ?」

 環は頷く。

 「イステンを返してもらう。それが駄目なら、せめて共存ができないかと言ってみる」

 永遠は、ふうっと大きく溜息を吐く。

 「拒まれたらどうするの?」

 環はPCの映像を再び見詰める。

 「その時は、今までと同じ。必要があれば戦うだけだよ」

 永遠は俯くと静かに言う。

 「セカイと接触して、貴方の体に変化が起きたらどうするのよ」

 環は精一杯優しさを称えた笑みを作る。

 「今だって、いつ変化が起きるのか分からない。待ってるだけじゃ嫌なんだ。できる事があるなら、やっておきたい」

 永遠はゆっくりと顔を上げた。

 「分かったわ。環って、意外と頑固ね。でも愛美やアロン先生にも話すわよ。二人の意見をちゃんと聞いてからでも遅くはないでしょ?」

 環は、ありがとう、と言って頷いた。永遠はいったん部屋の外に出ると、数分と間をおかずにアロン先生と愛美を連れて戻って来た。永遠は既に環の提案を二人に話していたようで、愛美は今にも泣きそうな顔をしていた。アロン先生は真剣な顔をして、透明な壁に近付くと壁に手を当てながら口を開いた。

 「環君。私は、君の考えに賛成だ。ただし一つだけ聞かせて欲しい」

 環は立ち上がって、アロン先生の近くへ行った。

 「環君。現状から逃れたくて言い出した事ではないのだね?」

 環は、にこりと微笑む。

 「俺は前向きに考えてます。少しでも今の状況を変えられたらって、思ってます。それに、この体の変化を活かせるかも知れないですから。多分、俺にしかできない事じゃないかと思うんです」

 アロン先生は、うんうんと数回頷いた。

 「そういう事なら私が言う事はないな。後は君が思い通りにやれるように手を貸すだけだな」

 アロン先生はそこまで言うと愛美の方に顔を向けた。

 「愛美さん。環君は、ちゃんと考えてる。だから、信じてあげよう」

 愛美は泣きそうな顔をくしゃくしゃにしながら笑顔らしき顔を作る。

 「ごめんね。たまちゃん。たまちゃんがこんな事になった時、私、何もしてあげられなかった。だから、だからね、今度は私もちゃんと受け止める。たまちゃん。頑張って。絶対に負けないで。私、ね。ずっと側にいるから」

 愛美は懸命に笑おうとしていた。環は愛美に向かって、手を伸ばした。愛美が応えるように透明な壁に手を当てる。環の掌と、愛美の掌が壁を挟んで重なった。

 「愛美、強くなったな。俺、絶対に諦めないから。例えどんな風になっても愛美のいる場所に帰って来るから」 

 愛美は涙をこぼしながら何度も頷いた。

 翌日になり環はヒトガミが現れる時間を見計らって研究所から弐壱零を発進させた。  ステイ国軍のレーダーに引っかからないようにと、電波を吸収し反射を抑える素材でできたマントで弐壱零の全身を覆ってある。マントは真っ白な迷彩色にされていて、視覚的な意味からも、うまく雪原に溶け込めるようになっていた。環は単独で出撃していた。敵が現れ仮に撃墜をされた所で、所詮は無人機なのだ。機体を破壊されるという不都合があるくらいで、他にはなんの不都合はないと判断していた。

 永遠やアロン先生は現場での状況に素早く対応する為には、僚機がいた方がいいと言ってくれたが環は断っていた。その代わりに弐壱零からのカメラ画像を外の部屋から二人に見てもらう事を提案した。もしも環の体に変化が起きるような事態、ヒャクメなどのセカイ化誘発能力を持ったセカイが現れた場合に備えて、機体との接続を切るなどの措置を取れるような態勢を作っていた。

 弐壱零は敵である、セカイとステイ国軍との接触を極力避ける為に、低速で滑走して行く。木のある場所までの道程は、弐壱零のナビシステムが案内をしてくれる。環は何事もなく目的の場所に辿り着く事ができた。

 ビルが倒壊しドーム状になっている場所に来ても、ステイ軍、セカイの姿はない。環は中に入れるかどうかを確かめる為に、倒壊しているビルの周囲に沿って弐壱零を一周させた。自走式カメラの映像にはなかったが、環が最初に着いた場所から少し進んだ所に、弐壱零がなんとか入れるくらいのスペースがあった。環はビルの倒壊を進めないように慎重に弐壱零を中に入れる。中に入ると、最早見慣れた物となっていた生命の木があった。

 環は弐壱零を生命の木の前に立たせるとヒトガミさながらに弐壱零の腕を伸ばし、幹に触れてみた。機械の腕で触れてみても生命の木は何も反応を示さない。環はしばらくそのままの状態でカメラを通して生命の木を見詰めていたが、ヒトガミがいつ現れてもいいようにと木から少し離れた場所に弐壱零を移動させた。

 ヒトガミが現れるであろう時刻が刻々と迫っていた。環は部屋の外に視線を送る。永遠とアロン先生が、PCの前に座っている姿が見える。二人の横、アロン先生の隣にちょこんと座っていた愛美が不意に顔をこちらに向けた。環はにこりと微笑を作る。愛美は一瞬悲しそうな表情を顔に浮かべたが、すぐににこりと微笑み返してくれた。レーダーは敵に探知されないようにと、今回は使用をしていなかった。モニターから視線を外していた環の耳に永遠の声が聞こえて来た。

 「来た。ヒトガミよ」

 環はモニターに視線を戻す。ヒトガミがゆっくりと、だが、真っ直ぐに弐壱零に近付いて来ていた。ヒトガミは身長が百八十センチくらいなので、三メートルの全長を持つ弐壱零を下から見上げるようにしている。自走式カメラの映像は、ヒトガミを常に遠目から映していた。環は初めてヒトガミの顔をはっきりと見た。

 ヒトガミの顔はセカイに性別という物があるのなら、男性の物のように見える。人間の年に当てはめてみると、三十歳前後くらいの顔立ちなのだろうか。セカイ独特の皮膚の色がなければ、もっと若く見えるのかも知れない。意外にも端正な顔立ちの中にある黒い瞳は、人間の物と変わらない。きらきらと輝いているその瞳は、セカイという生き物のイメージを変えさせるほどのインパクトがあった。ヒトガミは弐壱零にさらに近付いて来る。彫刻のように美しい各部の筋肉の盛り上がりが、はっきりと見えて来る。近付き過ぎて死角にヒトガミが入ると、頭部のアイカメラが角度を自動修正する。アイカメラのレンズ外にいるヒトガミを映す為に弐壱零の頭部が僅かだが下を向く。

 モーター音がしたはずだがヒトガミはなんの反応も示さなかった。足を止めたヒトガミはゆっくりと手を持ち上げると、そっと弐壱零の腹部に触れる。手で弐壱零のボディを触りながらもヒトガミの瞳は、じっとアイカメラを捉えている。ヒトガミはしばらくそうしていたと思うと、閉じていた口をぱっくりと開けた。ぞくりとした悪寒が環の背筋を走る。

 ヒトガミの開いた口は、端正な顔をセカイのそれに変えていた。耳元まで裂けたように開いた口の中には細く鋭い牙が、整然と並んでいる。操縦桿を握っている手に力がこもる。外の部屋から、永遠と愛美の悲鳴にも似た驚きの声が上がっていた。緊張の度合いを高めて行く環の目の前で、ヒトガミは静かに口を閉じる。攻撃を受けなかった事で安堵の息を吐こうとすると、ヒトガミは、また口を開いた。じっとその顔を見ていると、笑顔を作っているようにも見える。環は思い切って、考えていた行動を実行する事にした。外部直接交信用の拡声器を使いヒトガミに話しかけた。

 「こちらは人間です。貴方は何者ですか?」

 我ながらなんの捻りもない言い回しだと思ったが、それはそれ、こんな場合だ、と自分を納得させながら環は返事を待った。ヒトガミは、はっきりと分かる驚きの表情を見せる。その表情は人間と何も変わらない生物にヒトガミを見せていた。だがヒトガミは、何も話そうとはしなかった。頭の中に言葉が浮かんで来る事もない。環はもう一度、ヒトガミに向かって声をかけた。

 「何か答えてくれませんか? 私はこの機械を使って貴方に会いに来たのです」

 ヒトガミが環の言葉に答えるかのように頷いた。環はヒトガミが見せた反応が言葉を理解しているのだと思い言葉を継いだ。

 「話をする事はできませんか? 私は貴方に聞きたいが事があります。私は貴方達と同じ生き物になりつつあるんです。だから、話を聞きたいんです」

 環は思わずそう言ってしまった。言葉を切るとヒトガミの反応を見守った。ヒトガミが、悲しそうな表情をしたように見える。そして次の瞬間、言葉が返って来た。

 「久しぶりに、人の言葉を使う。私がしゃべる事で驚いているか?」

 ヒトガミは流暢なイステン語で話し出した。外の部屋から、また永遠と愛美の驚きの声が上がっていた。

 「いえ、驚きません。貴方がここにある木に触れながら、なんと言えばいいのか、心に言葉を送っているのを知ってましたから」

 ヒトガミは頷く。

 「聞こえていたか。君は私達と同じになりつつあると言った。北辰に出会ったのか?」

 環は、一瞬言葉に詰まる。北辰という言葉が理解できなかった。

 「北辰というのは、なんですか?」

 ヒトガミは生命の木の方に視線を向けた。

 「かつて、彼は、私と共に、この世界の為に戦っていた。だが、彼は、その生まれ故に、取り込まれてしまった」

 環の脳裏にヒャクメの姿が過ぎる。

 「北辰というのはヒャクメの事ですか? 俺はあいつの所為で、こんな体になったんです」

 ヒトガミは視線をアイカメラに戻す。

 「ヒャクメ。イステンの妖怪の名。なるほど。君は、そんな風に私達の事を見ているのか。いや、君達か。この機械で私達の仲間を攻撃している」

 話の思わぬ方向に環は言葉を失う。黙っている環を無視してヒトガミは話し続ける。

 「君達人間を責める気はない。だが、君とこうして話す事ができた。君に攻撃を止めさせる事はできるか?」

 ヒトガミは言葉を切ってアイカメラをじっと見詰める。環は慎重に、だが、正直に自分の気持ちを話す。

 「俺にできるかどうか。でも貴方と話をしてみて、俺も貴方達との戦いの意味が分からなくなって来ています。貴方はどうして言葉が分かるのに人間と話をしないのですか?」

 ヒトガミは笑っているかのように口をぱっくりと開けた。

 「人間と話を。君は、難しい事を言う。君が、今のようになる前に、君は、私達と話をしようと思っていたか? 私は、幾度か、君達の機械に向かって話しかけた事がある。返事は、返ってこなかった。返事の代わりに返って来たのは、攻撃だった」

 環は言葉が浮かばなかった。自分を省みてもヒトガミの言う通りだと思った。ヒトガミが言葉を継ぐ。

 「だが、それは仕方のない事だ。君は、自分にできるかどうかと言った。本当にできないのか? こうして私に会いに来た事は、君に何かしらの力がある事の、証ではないのか?」 

 ヒトガミの言葉を受けて環はここに来た真意を話す事にした。

 「聞きたい事があります。なぜ、この国をこんな姿に変えてしまったのですか?」 

 ヒトガミの表情に僅かだが、悲しみが浮かんだような気がした。

 「君達は、何も知らずに戦っていたのか。無理もない。伝える者がいなかったのだ。君が何を受け取るかは、君の心に委ねる」

 ヒトガミはいったん言葉を切ると、セカイの体色をした木に視線を向けた。

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