(2)月見

文字数 2,667文字

 月は遥か天空へと昇っている。盆のような丸い月は真昼のような光を放ち、清月のように隠密稼業を営む者にとっては、仕事のしにくい夜である。
 けれど旅籠を後にした清月は、月を楽しむように時折それを見上げながら、悠々と藩主の住まう館林(たてばやし)城へ歩いていた。

 館林の土地は、東の都「会度(えど)」へ馬で三日あれば行ける近さ故に、会度の大衆文化の影響を大きく受けている。
 人々の生活は庶民的で商人達が元気な町だ。影響を受けているのは文化だけでなく、館林を治める梶尾(かじお)藩主は、東の都「会度」を治め実質「(やまと)の国」の東半分の実権を握っている「影王(かげおう)」派の腹心であった。

 そう。この東西に細長く伸びる島国「倭の国」は、かつて王として君臨していた「(おおきみ)君」一族と、その独裁に反旗を翻した宰相「影王(かげおう)」一族の起こした戦で、東西に分裂してしまったのだ。

 戦いの決着は五年たってもつかなかった。どちらが勝つか展望は望めず、国は荒れ民の心も荒んだ。予想外の戦の長期化に共倒れを危惧した「大君」と「影王」は、戦に焼かれ荒廃した「倭の国」の王都「(きょう)」で和議を結んだ。
 今から十年前のことである。

 和議は倭の国を「(きょう)」を起点に、二つに分けることで双方同意した。
 西半分は「大君(おおきみ)」が治め、東半分を「影王(かげおう)」が統治する。そして互いに干渉しないこと。

 これで倭の国は五年ぶりに平穏を取り戻した。もっとも、焼け野原となった土地の復興には、それからいく年月もの歳月を必要とした。
 だが和議が結ばれてから三年後には、西側の人間も関所で検問を受けなければならなかったが、東側へ行く事ができた。その逆も然り。
 人々は戦が起きる以前への生活へ戻りつつあった。

 しかしその平穏に隠れつつ、水面下では確かに『戦』が続いていたのだ。
 大君(おおきみ)影王(かげおう)は表面上、お互いのことに干渉しない約束を守っていたが、密かに忍びの者を使い、隙あらば攻め入る切っ掛けを得るため、双方の都へそれを放っていた。
 大君や影王配下の大名達も、自らの権力を増すため、独自に忍軍を雇い、情報収集や暗殺等を行わせたりしていた。


「館林の梶尾藩主は確か、二つの忍軍を抱えていたな」

 清月は丸い月を背後に背負い、青白く浮かび上がる館林城を見上げた。本丸は三重四階のこじんまりとした天守閣を頂く平城である。が、東の都・会度(えど)を守る要所でもあるので、天守閣には実戦に備えて石落しや銃眼、矢狭間なども作られている。

「あれがそうか?」

 月の光で逆光となった天守閣は黒い影のようにしか見えない。だが、夜目の利く清月は、その屋根の上で動く人影を見い出していた。
 それも複数の――。
 清月は天守閣をぐるりと囲む城壁に身を寄せ、降り注ぐ月光に己の姿をさらさないように注意しながら、瓦に片手をかけて飛び上がった。そのまま城壁伝いに一陣の風のように走り出す。瓦の擦れ合う音一つ立てないで。

 キィン!
 本丸へ近付くと、刃を交え火花が散る様が容易く思い描けるような、鋭い音が聞こえた。清月は城壁の上を走る速度を落とさず、そのまま本丸の二階部分の瓦へ向かい跳躍する。着地と同時に再び膝を曲げ、足の裏に力をこめてそのまま垂直に飛び上がる。三階部分の瓦の端に両手でぶら下がり、体を二度ほど振り子のように前後に動かして勢いをつけてから、後方の空に向かって飛ぶ。

 くるりと猫のように体を回転させながら空中に舞った清月は、やおら握りしめた右手を振り上げた。
 ぐるりと回る視界の中で、四階の天守閣の屋根の上に黒装束姿の――十人程の者達が、屋根の端に追い詰めたと思われる、一人の茶色い髪の忍を取り囲んでいる様が見える。

「やはり、天守の上空から見える今宵の月は美しいな……」

 にやりと唇の端でそうつぶやき、屋根に向かって降下しながら、清月は振り上げた右手を前に突き出した。

「頭を下げろ!」

 唐突に響いた清月の声に、追い詰められていた茶色の髪の忍は、とまどったように、けれど即座にその場へひれ伏する。

「何奴――!」
氷月刃(ひょうげつじん)!!」

 清月の右手から空気すら凍りつきそうな冷気が溢れる。
 それはあっという間に無数の、長細く鋭利な塊になり、まるで刀のように研ぎすまされ、雨のように地上へ降り注いだ。
 一斉に後方を振り向いた黒装束姿の者たちは、突然殴られたように、呻き声をあげる間もなく、その場にばたばたと倒れていった。

 それはほんの瞬きする間の短い時間。
 清月は天守閣の屋根に音もなく着地して、ふうと小さく胸の空気を吐いた。
 倒れた黒装束の者達の背には、月の光にきらりと光る、氷の刃が突き立っている。

 そんな塊の合間に、未だ頭を両手で抱え込み、平伏したままぶるぶると震えている、あの茶色の髪の忍の姿があった。
 柔らかな両肩の線。ほっそりと伸ばされた二の腕。白いうなじ。
 どうみても十代の少女にしか見えないその忍に向かい、清月は右手を伸ばして声をかけた。

「どれ、起きられるか? 本当にここまで来るとは思わなかった」
「……」

 ゆっくりと少女が頭を起こす。茶色の長い髪は一つに結い上げられ、鮮やかな紅の彼岸花が一輪挿さっている。月の光にも似たまっすぐな瞳が、清月の顔をとらえると大きく見開かれた。

「……まったく……!」

 少女はやおら清月の右手を握りしめて立ち上がった。

「一体何考えてるのよ? 私達はこの梶尾城にいる『九十九(つくも)衆』に、命を狙われているっていうのに! しかも何で待ち合わせ場所が天守閣なのよ? もう信じられない!!」

 それだけ鉄砲玉のごとく早口でまくしたてると、忍びの少女は不安げに辺りを見渡した。強気な口調とは裏腹に、そのやや童顔気味の幼さを残す顔はすっかり色を失い青ざめている。

「……なに。今宵は十六夜(いざよい)だから、月見でもどうかと思ってな」

 少女を立ち上がらせてから、清月は冴え冴えとした笑みを浮かべながら手を引いた。

「月見ぃー!? じょ、冗談じゃないわよ。忍びは月夜を嫌うっていうのに! 私、九十九(つくも)衆に囲まれて……ホント生きた心地がしなかったんだから」

 少女は両手を握りしめながら絶叫した。そして、叫んだ後で気付いたように再び不安げに周囲を見渡した。

「と、とにかく。ここじゃ話はできないわ。紫嵐(しらん)の清月さん」

 少女の赤い唇に名を呼ばれ、清月はかすかにうなずいてみせた。

「頭の所へ案内してもらおうか。そなたは館林忍軍の……?」
「私は、光華(こうか)

 少女――光華は、清月に背を向けて、天守閣の屋根の端まで歩いていった。

「ついてきて。こっちよ」

 そう言うと、猫の子が地に向かって飛び下りるように、そこから空へ身を躍らせた。




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