(14)あるべき居場所

文字数 6,022文字

 清月はしばし光華の頭を抱えたまま、その感情が治まるのを待っていた。

「ごめんなさい。また子供みたいに、泣きわめいちゃって」

 ごしごしと目をこすり、真っ赤に腫らしたそれで光華が清月の顔を見る。

「私がお主に与えた苦痛を考えれば、こんなことなんでもないことだ。だから」

 清月はつと右手を左の袖にいれ、紫のふくさに包まれた塊を取り出した。
 それを光華の手に握らせる。

「私はお主の依頼を果たせなかった。よって、この依頼料は返却する」
「清月さん! でもあなたは私を助けてくれた」

 光華は再び清月に、ふくさに包まれた金を突き出した。
 けれど清月はそれを光華へ突き返す。

「いらぬと言っているから返すのだ。光華殿、よいか。お主はこれを持って明朝、この里から出ていってもらう」
「えっ……!」

 突然の清月の言葉に、光華の顔から色が消えた。

「紫嵐の里は黄泉の気が満ち、お主のような外の人間には不快な場所だ。それに、お主は忍びとして生きることを捨てた。もう……私と関わる必要もない」
「……」

 光華はぎゅっと唇を噛みしめた。突然巣を追い出された雛鳥のように、不安を目に浮かべながら。

「さ、もう夜も大分更けた。屋敷に戻ることにしよう。明日朝餉をとったら、鬼伯に里のはずれまで案内させる」
「……」

 光華は腕をとろうとした清月の手を振り払った。

「なっ……何よ。どうせ放り出すんなら、最初から私をここへ連れてこなくてもよかったでしょう!? どうせまた一人になるのなら、あの寺へ捨ててくれればよかったのよ」
「……光華殿」

 清月は疲れたようにため息をついた。

「どうして私をここへ連れてきたの。紫嵐の清月!」
「それは……。お主の依頼を果たせなかった罪滅ぼしに、せめて私の力の秘密を教えようと思ったからだ」

 すると光華は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「清月さんって、やり手のようで実はとても甘いのね。私を放り出したら最後、紫嵐の里は、すぐ影王の『お庭番』に見つかっちゃうわよ」
「それはどう言う意味だ」

 清月の目の光に険しさが増したが、光華はあきれたように大仰に腰に手を当てて、一向に臆するつもりがない。

「当然でしょ? ほら、珠蓮(しゅれん)とかいったかしら。あの『お庭番』の女。私はあの女を知ってるから、向こうも絶対私の事を探しているはずよ。私、忍びといっても、ほとんど薬の調合ばかりやってたから、あの女に出くわしたらきっと捕まってしまうわ」

「……その懸念はあるな」
「でしょー?」
「だが、お主を里に置くわけにはいかない」
「なっ、なんでですか!?」
「光華、お主はまた逃げ回らなければならない生活を送ることになるのだぞ。私と関わり続ける限り。それでもいいのか?」

 清月の口調は冷たくて厳しかった。けれどその鋭い眼差しには、自分の身を案じてくれる、清月の優しさが、気遣いが浮かんでいた。

「か、構わないわ。紫嵐の里の外に出たって、ひとりぼっちで、何時あの女に出くわすかびくびくする生活を送るだけだもの。それに……」

 光華は清月から視線を地に落とした。
 何にも怯えることなく、安穏とした生活を送りたいとは思う。
 けれどそのために、どうすればいいのかがわからない。

「私、不安なの。どうすればいいのか、自分が何をしたいのか、本当にまだわからないの。だって、私は館林忍軍の頭の娘に生まれた。だから私は、雇い主である梶尾の殿に、ずっと忍として仕えるものだと思ってたわ。『忍』として生きて、死んでいくんだと思ってたの。でも……」

 光華は両手を握りしめた。

「それをあなたのせいで奪われた。私の生きる場所と、私の生きる術を全部あなたに。忍びでなくなった私は何を糧に、これから生きていけばいいのかがわからない……」
「光華殿……」

 あまり大きく表情を崩さなかった清月が、眉間をしかめ唇を噛みしめた。

「……そうだな。人には確かに糧がいる。あるいは、自分のあるべき居場所が」
「清月さん」
「しかし光華殿。お主は何故この里に留まりたいというのだ? お主さえ望めば、私が(きょう)の都まで連れていってもいい。西側へ行けば、『大君(おおきみ)』の支配力のせいで、影王の『お庭番』も手は出せぬ。お前はそこで忍びを捨てて、普通の女としての幸せを掴む方が――」

「いいじゃありませんか、清月様」

 光華は突如、清月の背後――例の石段から姿を見せた、女の声と姿に身を強ばらせた。
 紫霧(しぎり)をまるで薄絹のようにまとわせながら、長い黒髪を一つに結い上げ、巫女装束に紫苑の袴姿の若い女が、清月の隣に立っていた。

(さざなみ)……しかし……」

 清月が(さざなみ)と呼んだ袴姿の女は、まるで物事のすべてを見透かすような、不思議な光彩の瞳で清月を見上げている。

「人の出会いは(えにし)。それがあなたの『(ごう)』のせいならなおのこと」

 漣はつと清月から離れ、数歩前に立ちつくしている光華の元へ歩いていった。

「光華さん」
「あ、はい」

 光華はまじまじと漣を見つめた。
 実は離れに軟禁されていたとき、光華に食事を運んだり、着替えの着物などを用意してくれたのは、この目の前にいる静謐な雰囲気をもった女性、漣だったのだ。

「清月様が仰った通り、この紫嵐の里は、あなたのような外の人間には暮らしにくい場所です。けれど、あなたが今後どうしたいのか、その気持ちが決まるまで、里にいて下さっても構いません。それで、よろしいですよね、清月様」

 清月は黙ったまま、しかしゆっくりとうなずいた。
 その瞳の中に、どこか安堵したような色が見えたのは気のせいだろうか。
 光華は不意に目の奥が熱くなるのを感じた。

「あ、ありがとうございます! 私、明日突然ここを出るようにって言われて、もう……どうしたらいいのか、すっかりわからなくなってしまって……」

「光華さん。もう余計なことは考えないで。あなたにとっては、ずっと辛いことの連続で、心が消耗しているのだから。あなたに今必要なのは、静かな時間と休息です」

 漣はそっと光華の肩に手を回し、一緒に連れ立って、清月の立つ石段へ歩いていった。

「体がすっかり冷えきってるわ。女の体を冷やすなんて……酷いですわよ、清月様」

 清月が困ったように顔をしかめた。

「もう戻るつもりだった」
「ああそうですか。では、私達は先に屋敷に戻りますから。さ、光華さん」
「……は、はい」

 光華は弾かれたように返事をした。
 そこにはまるで菩薩のようにあたたかな微笑を浮かべる漣の顔があった。

「私の部屋でお茶を飲んでいって下さい。そうすれば少しは体が暖まると思うわ」



 ◇◇◇



 光華たちが屋敷へ戻ってから、半時後。
 既に子の刻(深夜0時)を過ぎたのにも関わらず、清月は屋敷の奥にある自室で一人座していた。

「まだお休みになられないのですか」

 襖が開いたせいで、蝋燭の芯がじっと音を立てた。白い煙が一筋、部屋の中に流れていく。

(さざなみ)、光華の様子は?」

 しずしずと入ってきた漣に目ざとく視線を向け、清月はかの女に問いかけた。

「よく眠っています。茶に薬を混ぜておきましたから、朝まで何も夢を見ることなく、心安らかでいられるでしょう」
「そうか……」

 清月は小さくうなずくと、漣に背を向けて、ごろりと畳へ横になった。

「もう遅い。あなたも早く休まれよ。私やあの娘の世話で、あなたの仕事が増えているのはわかっているから」
「……そんなことは、別に大した仕事ではありません。鬼伯や小太郎たちも手伝ってくれますから」

 漣はその場に座り、清月の背中を見つめた。
 清月が背を向けるのは、早く漣に部屋から立ち去って欲しいという自己主張なのだが、漣はそれを知りつつ、この場に留まっていた。

「清月様」

 密やかに、だが鋭く呼び掛ける。

「……」

 けれどその背から返事は返ってこない。
 漣は顔にかかってきた一筋の髪をかきあげ、困ったように肩をすくめた。
 清月はあくまでも話を聞くつもりがないようだ。

「仕方ないですわね。でも、これだけは言わせてもらいますわ、清月様」

 漣はつと立ち上がり、部屋の片隅に置かれていた羽織を手にとった。
 清月の肩口を覆うようにかけてやる。

「あなたは俗世と関わって、生きることを望んではいるけれど、『守部(もりべ)』の力を捨てない限り、それは叶わないのです。強大な力を『紫嵐隠密組』として誇示しながら、普通の人間として、生きていくことはできないのですよ」

 どうかそれに気付いて下さい。
 清月の横顔を眺めてから漣は、揺れる蝋燭の灯火を静かに吹き消した。
 

 ◇◇◇


 それから、一週間あまりが過ぎた某朝――。

「うわーっ。これ、ホントに食えるの?」
「そうよ。『天狗の団扇(うちわ)』っていうキノコなの。雑炊に入れると、とっても美味しいんだから~」

 光華は背中に背負っていた籠を土間に下ろした。しげしげとその中を、小太郎と、数人の里人の子供がのぞきこむ。

「本当だー。光華姉ちゃんやおいらの顔が隠れちゃうほど、でっかいキノコだ」

 小太郎がくすんだ赤色をした、まさに団扇ほどのそれをつかんで、自分の顔と比べている。

「これはね、本当に奥深い山にしか生えない、幻のキノコなのよ。それにしても、紫嵐の里ってじめっぽくて、霧があるせいか、びっくりするほどの種類のキノコが生えてるわね」
「……じめっぽいだけ、余計だよ」

 小太郎がぼそりとつぶやいた。
 そう――紫嵐の里はキノコだけは、食べるに困らないだけ、大量に自生しているのだった。けれど光華は、小太郎の吐いたつぶやきには気付かなかった。

「おねえちゃん、この緑色をした、どろどろはなあに?」

 小太郎より二つほど年下の、おかっぱ頭の女の子が、光華の着物の袖を引っ張ったからである。

「あ、それはね。川海苔(かわのり)よ。つくだ煮にして、ご飯の上にかけたら、も~う、それはそれは美味しいんだから」
「ほんとにー?」
「ホントよ」

 竹で編まれたざるの上で、黒光りする川海苔の塊を、女の子――おミチが小さな指でつついている。

「さあ、おミチちゃん。これをちょっと水で洗ってきてちょうだい。小太郎は――こら!」

 光華は後ろを振り返り、小太郎に向かってさけんだ。
 小太郎は『天狗の団扇』に指で穴を開け、それをお面がわりにして、遊んでいたからである。

「食べ物で遊んじゃだめでしょ!! はやく鍋に水を汲んできてよ、小太郎!」



「光華さん。大分表情が明るくなりましたね」
「……そうだな」

 今日も紫嵐の里の空は、霧のせいでどんよりとしており、時折、薄くなった雲間から朝の光が射し込んでいる。
 清月は自室の縁側に腰を下ろして、土間からあがる白い炊事の煙を眺めていた。その背後では、伸ばしっぱなしで背中まで覆う清月の髪を、漣がゆっくりと梳っている。

「光華さんったら、薬学に通じているせいか、びっくりするほど、植物に詳しいんですよ。私が朝餉の支度をしに土間に行ったら、光華さんが籠一杯に、いろんな野草を摘んできて下さっていたの」
「……ほう」
「ですから、今日は久しぶりに天麩羅(てんぷら)を作りました」

 清月は小さくうなずいた。

「それはよいな。流石にキノコの雑炊には飽きてきた所だ」
「ああ、そうですか!」

 漣は組み紐を手にすると、ぎりと清月の髪を一つに束ねた。
 髪を後ろにひっぱられて、清月は思わず目を細める。

「キノコを馬鹿にするのは清月様といえど、許しませんわよ。大切な里の恵みなんですから」

 漣が組み紐を結び終え、清月の傍らへ膝をついた。
 その時。

「あ、漣様、失礼します!」

 頭に白い手ぬぐいを巻き付け、同じくそれで袖をたすきがけにした光華が、背後の障子を開いて中に入ってきた。

「おやおや。随分な力の入りようだな」

 光華のやる気満々な格好に、振り返った清月が思わずつぶやく。
 漣もにっこりと微笑して迎えた。

朝餉(あさげ)の支度が整ったので、お知らせに来ました」
「ありがとう。光華さん。あなたのおかげで、今日の朝餉はいつもより少し豪華だって、清月様に言っていたところなの」
「そ、そうですか」

 光華は開けた障子の前に膝をつき、縁側で仲良さそうにくつろいでいる、清月と漣にちらと照れたような視線を向けた。そして、急に改まったように、両手を揃えて二人に向かい、頭を下げた。

「――あの、清月さん」
「どうした、光華殿」

 清月は相変わらず眉一つ動かさず、だが体だけは光華の方へ向きを変えた。
 光華は下げていた頭をあげて、真剣なまなざしで、清月の涼やかな顔を見つめた。

「私、やっぱりここにいたいです。この紫嵐の里で、皆さんと一緒にいたいです」
「……」

 清月は光華の視線を受け止めて、やがて、ゆっくりとうなずいた。

「お主の事だから、よくよく考えて決めたことだろう。お主がここで、自ら生きたいと願うのなら、お主がここを自分の居場所にしたいのなら、私はそれで良いと思う」

 緊張して青白かった光華の顔に、少女らしい赤味が再び戻ってきた。

「あ、ありがとうございます!」

 光華は安堵したように、けれどうれしさのあまり、喜々とした表情で、思わず自分の肩を抱いた。

「よかったですね、光華さん。私もとてもうれしいわ」

 漣も喜びを分かち合うように、その場から立ち上がると、光華の所に歩み寄り、互いに顔を見合わせた。

「本当に許して下さって、ありがとうございました。私、里の皆さんのために、毎日美味しい食材を探します! だって、紫嵐の里って、本当にいろんなものが生えているんですもの。宝の山ですよ、ここは。薬だって作り放題……」
「――薬だってぇ!?」
「……!?」

 光華は無粋な声に驚き、はっと上を見上げた。
 そこには虚無僧の黒い着物をまとった白髪の男――鬼伯(きはく)が、げっそりとした顔で光華を見下ろしていた。

「怪しい薬を作るのは勝手だがよ、俺達で効き目を試すっていうのは、やめてくれよな。お嬢ちゃん」
「そ、それは……も、もちろんじゃない」

 光華はほほほと目を細めた。
 館林忍軍にいたときのように、毒草をつかった薬物を作るつもりはないが、風邪薬や腹痛を抑えるそれの試作品を密かに作っていたので、比較的頑丈そうな鬼伯あたりに下剤を飲ませて、効き目を試そうかと密かに思っていたのである。
 けれど、光華はそれをおくびにもださなかった。当然のことだが。

「清月、次の依頼が舞い込んで来たぜ」

 鬼伯は光華の頭をくしゃくしゃとかき回してから、縁側に座る清月の側に歩いていった。

「光華さん。『仕事』の話は、私達には関係ないわ。土間にいって、皆と一緒に朝餉を頂きましょう」

 漣がゆるやかに立ち上がった。

「はい!」

 光華も弾かれたように立ち上がる。
 そして、依頼の文を頭を突き合わせて読んでいる、清月と鬼伯に向かって声をかけた。

「朝餉がさめないうちに、来て下さいね。でないと、お二人の膳に試作品の薬を混ぜますから」
「……!?」

 清月と鬼伯が一斉に後ろを振り返った。
 だがそこには漣と光華の姿はなく、ただ二人の女の柔らかな笑い声だけが、残り香のように穏やかに響いていた。




『紫嵐隠密組』 ―終―

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