8.第Ⅳ章 氷川神社の侵出 門客人神社と摂末社 逃げのびた神の痕跡

文字数 1,216文字

第Ⅳ章 氷川神社の乗っ取り~逃げのびた神のその後
門客人神社
 氷川神社の境内に門客人神社がある。門客人神とは「元々その土地で祀られていた神が、後からやってきた神に地位を奪われ、主客が逆転し客神として祀られるようになったもの」と定義されている。要するに、土地の氏神が乗っ取られたことを示している。

氷川神社の乗っ取り
 大和朝廷は蝦夷征伐により、見沼に先住していた縄文民族を滅ぼした。同時に、彼らが信仰していた見沼の水神(荒脛神)を葬り、氷川神社にすげ替えた。さらに、その事実を隠すために史料および伝承を塗り替えた。

 中山神社の鎮火祭・御火塚・火王子は、いずれも製鉄の守護を祈願する神事から派生したものと考えられる。縄文民族は高度な製鉄の技術を持っていた。そのことが大和朝廷にとっては脅威であった故に、製鉄の守護を祈願していた中山神社は跡形もなく滅ぼされてしまった。
 中山神社を実際に訪れた時、「これほど何もかも消されたのか!」と衝撃を受けた。三社の中で何故ここだけがこれほどまで…と思ったが、その答えは、古代祀られていた荒脛神社において中山神社が真の本殿だったからであろう。
 真の本殿を跡形もなく抹消し、新しい本殿を現在の武蔵一宮氷川神社(大宮)に建てた。三社のうち北西端を本拠にした理由は、おそらく大和軍にとって戦術的に有利だったからである。

 滅ぼした氏神の祟りを畏れ、元の本殿の場所に新しい社を建てることはできなかった。また、滅ぼした氏神を鎮魂する必要があった為、荒脛神社および門客人神社を摂社として残した。実際に見沼を取り巻く氷川神社や名を変えた神社の境内に、荒脛神社および門客人神社が社を構えたり摂社の中に組み込まれたりして現存している神社も数多くある。

逃げのびた神の痕跡
 荒脛神社は、葬られる際に、女體神社に名前を変えて生き残りを図った。これにより、御船祭を継承することができた。おそらく「女体社の見沼代用水本支流沿いグループ」の起源は荒脛神社である。
 さらに後、女体社および各地の水神社は、神仏習合時に弁財天へ変化することを強要されたが生き残りを図るには受入れるしかしかなかった。弁財天の出島が氷川女體神社の磐船を発祥としていることは明らかである。このことから、葬られた古の水神(荒脛神)は、弁財天に痕跡を残している可能性がある。

『片目の鯉』伝説
 元は御船祭も中山神社で執り行われていたのではないか。荒脛神社本殿は、女體神社に名前を変えて生き残りを図った際、祭祀と宝物を女體神社に隠したのではないか。
 この仮説は、女體神社に御船祭が残ったことと整合する。また、女體神社に三個の鉄の鈴が宝物の一つとして残されている理由にもなる。中山神社には製鉄に必要な火を使った祭場跡があるが、女體神社には製鉄の跡はない。
 それを暗号化して伝えたのが「女體神社の池の鯉は全て片目」という伝説ではないか。「片目の鯉」とは製鉄民族の象徴である。
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