2.はじまり はじまり 古の見沼 氏神信仰から氷川神社へ

文字数 1,870文字

はじまり はじまり
 埼玉県さいたま市に、昔ながらの田園風景を楽しめる「見沼田んぼ」というところがある。さいたま市の北区、見沼区、大宮区、浦和区、緑区と川口市にまたがり、面積は約1,260ha ある広大な緑地空間である。「昔ながらの田園風景」といっても、見沼が田んぼになったのは、江戸時代に徳川吉宗が干拓を行った後である。それ以前は、古く縄文時代から、この一帯は一つの広大な沼であった。 

 縄文時代(約1万6500年前~2300年前)の関東平野をみると、1万年から9000年前頃は海水面は現在より-40~-35mであったが、9000年前頃から海面は急上昇した。(縄文海進)
 縄文前期の6500年前から5300年前までは海水面は現在より+2~3mで安定し、東京湾の奧に巨大な海水の奧東京湾を形成していた。当時海岸線だと思われる関東内陸部で、海産の貝類を採取生活していた貝塚が発見されている。
 前期後半から海退が始まり4500年前頃には海水面は0~+1mとなり、奧東京湾は淡水の巨大な湖、見沼へと変わっていった。

(図:古の見沼 出典 王子のきつねOnLine)


 古の見沼は、地図を見ると巨大な蛇の形に見える。古代から水神の棲む場所として崇められていた。また、この沼は、沼そのものを御神体とする自然神信仰の対象にもなっていた。
 見沼という名前は、元は「御沼」であり、「神の沼」を表している。氷川女體神社の御由緒によると『当社は旧見沼を一望できる大地の突端「三室」に鎮座する。見沼は神沼として古代から存在した沼で、享保十二年(1727)の新田開発までは、一二平方キロメートルという広大なものであった。この沼は御手洗として当社と一体であり、ここに坐す神は女體神、すなわち女神であった』とある。
 ここに出てくる「三室」は、古くは三室村であった。三室という地名は、元は「御室」であり、「神の棲まう所」を表している。
 また、この地域に伝わる数多の水神伝説も、古より見沼で水神が信仰されていたことを教えてくれる。

 一方、見沼周辺には氷川神社と名のつく神社も数多ある。氷川神社は須佐之男命(すさのおのみこと)など出雲神を御祭神として祀る神社であり、沼そのものを御神体とする自然神信仰とは異なる文化である。
 民俗学においては「ある文化はある集団と一致して存在する」と定義される。つまり、一つの地域に異なる二つの文化がある場合、そこに二つの集団があったと推察できる。
 見沼には水神を信仰するA集団と氷川神社を信仰するB集団があったと考えられる。では、A集団、B集団とはそれぞれ何者だったのか。
 答えを導く糸口となったのは「江戸名所図会 大宮驛氷川明神社」に描かれた荒波々幾社(この地の氏神)である。これは大宮に氷川神社が創建される前に、この地に別の神が祀られていたことを示す。

(図:江戸名所図会「大宮驛氷川明神社」 出典 江戸名所図会 巻之四第十三冊)

 
 すなわち、A集団とは古代から先住していた縄文民族と考えられる。見沼には縄文期から人々が集落を造り、彼らは古代の自然神信仰に基づいて、見沼という巨大な蛇の形をした沼そのものを御神体として崇め祀っていた。
 弥生時代、そこに蝦夷討伐として大和朝廷が攻めてきた。この大和朝廷がB集団である。大和朝廷は先住民族を滅ぼし、彼らが信仰していた神を葬り去り、その跡に氷川神社を建てた。
 文化や信仰の異なる二つの集団が相対したときの解決策は、お互いを尊重し和解する方法もあるが、この方法では将来に禍根を残すだけで解決にはならないことが歴史で証明されている。 
 一方で相手を否定するか、欺すか、殺害するかという解決方法があり、世界の歴史でも日本の歴史でも、あるいは民俗学の伝承でも、過去の解決事例として、ほとんどの場合こちらが選ばれている。
 ここでいう先住民族のA集団と乗っ取りをたくらむB集団の結末も、相手を葬り去る解決方法がとられている。さらに、葬った事実を歴史上なかったことにするために、そこに伝わる資料や伝承をも消し去っている。現在入手できる史料は、氷川神社が古の神を葬った後で作られたものしか無い。それ以前のものは悉く消し去られたからである。したがって、民話や祭祀といった民間伝承から、痕跡を拾い集めるしかない。この抹消された真実を解き明かすことは民俗学にしかできないのである。

 ここでは、調査と仮説と証明を繰り返してたどり着いた考察と、考古学および古代天文学も交えつつ、個人的に、葬られた神の痕跡を辿ってみたい。
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