6.第Ⅱ章(続)古代自然信仰の水神とは 北方に残る伝承 アラハバキ神 神体山信仰

文字数 1,427文字

古代自然神信仰の水神とは如何なる神だったのか
 古代日本に広く先住していた縄文民族は、大和朝廷の蝦夷討伐で滅ぼされた故に、その文化を知ることが困難である。それならば、北方で大和朝廷の影響を受けることが少なかった地域ほど、縄文民族の文化が原型のまま継承されている可能性が高くなる。したがって、アイヌ民族の自然神信仰や神話が、縄文民族の文化を解き明かす鍵になる。

 アイヌ神謡の一つに、古代自然神信仰の水神が登場している。飢饉の時に「漁猟神」に酒を捧げ祈念を行ったところ、「水神」と「川口の神」の三人の媛神(蛇神)が魚主神と鹿主神に頼んで飢饉を救ってくれた。そのお礼に、酒を注いで祀るようになった。
 この話が、御船祭の起源ではないだろうか。酒を注ぐ祭祀が一致しており、口琴(アイヌの祭祀楽器)が見沼で発掘されている。
 また、この神謡も水神が女神の蛇神だったと教えてくれる。

 余談になるが、「川口の媛神」は宗像三女神(天照大神の娘)と重なる。「水神」と「川口の神」が、天照大神と宗像三女神にすげ替えられたのではないか。「水神」が天照大神にすげ替えられたとすると、中山神社に鏡(天照大神)が祀られているのは「ここに水神がいた」ことを示している。

アラハバキ神とは
 荒脛、荒波々幾、荒脛巾など、社ごとに表記が異なるが、そもそも漢字が無い時代の神なのだから、いずれも当て字に過ぎない。
 諸説あり、正体がわからない、謎に包まれた神と言われている。とは言え、見沼の竜神伝説や長野県四阿山他の神体山信仰を紐解くと、どうやら水神(蛇神)の姿が浮かび上がってくる。
 まず、古の自然神らしいということは多くの研究で一致している。それならば、古代の自然神信仰に、その姿が顕れているはずである。
 最古の自然神信仰には、見沼という巨大な蛇の形をした沼そのものを御神体としたように、沼や河川そのものを御神体とする水神信仰がある。
 また、山そのものを蛇がとぐろを巻いた姿に見立て、もしくは稜線を蛇の背中に見立て、御神体とする神体山信仰がある。
(他にも岩を御神体とする磐座信仰、森を御神体とする神籬信仰もあるが、これらについては検証できていない)

 「磐座にいる神とは誰なのですか」 この問いが鍵となった。山そのものを御神体とする山神とは、水分神(みくまりのかみ)である。「くまり」は「配り」で、水分神とは流水を分配する神である。
 山中の水源地、河川の上流や分水嶺から流水が分かれ広がっていくさまを見て、古の人々は「山の神が水を分配してくれている」と感じたのだろう。
 この水分神は、山神でありながら、水を司る故に水神でもあり、神体山信仰において山神と水神は一体化している。
 つまり、水神信仰の神も神体山信仰の神も「水神」なのである。この水神こそがアラハバキ神であろう。その根拠に、水分神を祀る場所にも荒脛巾神社が建てられている。

 また、氷川神社の門客人神社(元の荒波々幾社)に、今は足摩乳命(あしなづちのみこと)・手摩乳命(てなづちのみこと)が祀られている。他の神社でも荒脛巾神社は手長足長の神との関わりがよく見られる。
 この手長足長の神とは、古くは水分神だったのではないだろうか。河川が山の水源地あるいは分水嶺から四方に流れ広がるさまを擬人化したものではなかったか。
 同様に、ダイダラボッチ伝説の「山を跨いで歩く手長足長の巨人」も、山を跨いで四方に流れる河川を擬人化したものと考えられはしないか。
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