シークエンス4「レプリカ化する社会」

文字数 7,407文字

 それは金曜日の昼休みのことだった。
 アザミは薄い紙のスケッチブック……クロッキー帳を持って、今日も校舎のどこかでクロッキーをしに、消えていた。
 最近、私は給食を食べた後は眠たくなる傾向にあるようで、このままだと牛になっちゃうのかしら? と危惧してしまう。でも、授業中寝るよりはまだマシと考えて、机に溶けるように俯せ、目を閉じた。
 五分ぐらい寝ていただろうか、突然、
「杏村? ちょっと」
 と声をかけられた。私は、折角寝ているのを邪魔するなんて! と憤る。
「なによ?」
 私はややいらつきながら、顔だけを上げ、声のする方を見る。話しかけていたのは、学級委員長である男子、里中だった。
「里中くん、なんのよう?」
 私は身体を起こすと大きくあくびをする。
「ちょっとこい」
 里中は私の腕をつかみ、無理矢理立ち上がらせると、そのまま教室の外へ出た。

「ここまで来たら安心だな。先生も来ない」
 里中は私を校舎の最上階……屋上の一歩手前の踊り場まで連れてきた。
「なにが安心なのよ? いつもは声もかけないくせに」
 私は安眠を妨害されて、イライラが止まらない。
 里中は私のかき乱された心情を知ってか知らずか、
「ねえ……。もしさ、誰かの才能を自分のものにできたら、いいと思わないか?」
 とニヤリと笑ってきた。
「それ、どういう意味?」
 私は里中の不気味な言葉と笑みに訝しむ。
「そのままの意味だよ。あの人、あの才能があってうらやましいーとか、ない?」
「はあ」
 目が点になるとはこのことだろう。おまえは何を言っているんだ、と海外の格闘家ばりにツッコんでみたい。
「それでさ。それをかなえてくれるのが、このアイテム! 『レプリケーションES2』!」
 里中はさっきから変わらない笑顔で、私の手に『レプリケーションES2』と書かれた小箱を握らせた。
「使い方は取説を読んでおけよ! アデュー!」
 里中はそう叫びながら敬礼をし、そのまま階段を降りていった。
 私は軽く息を吐き出すと、階段に座り、小箱を開けてみることにした。
「なにこれ……」
 中身は、以前アザミの拾った謎の注射器と全く同じモノだった。様々な目盛りの書かれたダイヤルに注射器のピストンにはスイッチが一つ。普通なら注射針があるところには、赤いレンズがはめ込まれている。大きさは私の手ですっぽり隠れるぐらいだった。「Mic」の文字の近くには小さな穴がいくつか開いている。
 私はその注射器らしき何かを、下から横からといろいろ眺めていた。すると、一枚、きれいに折りたたまれた紙が落ちてきた。活字が細かく並んでいる。どうやら、謎の注射器にくっついていたらしい。これの取説かしら? と思って、私は読み始めた。

「レプリケーションES2をお買い上げいただきありがとうございます。」
 別に買ったわけじゃないけど……。あたしは一人でノリツッコミをしてみる。
 次に、私はその下の「この商品について」を読み始めた。
「この商品は、あなたが憧れている人物の能力をレプリケート、つまり能力の複製することができます。」
 ん? どういうこと? いまいち意味がつかめない。
 次の段落を読み進める。
「そして、レプリケートされた能力は自分のものにできます。」
 え? つまりは相手の能力を自分のものに出来るってこと? そんなバカな! そんなことが実際に出来るはずがない! と疑いの目を持つ。しかし、一方で妙な高揚感を感じている自分もいた。
 未知の道具にワクワクが勝ってしまった私は、使い方の欄を見る。
 ええっと……。なるほど。まず、ダイヤルをオンにする。そしてどんな能力が欲しいのか、「Mic」、つまりマイクに向かって言って液晶に「OK!」と出てきたら欲しい能力の持ち主に向かって、赤いレンズを向け、ピストン部分のボタンを押せば能力を複製することができ、次に自分に向けると、複製した能力を手に入れることができるらしい。「レプリケーションES2」は手のひらサイズだし、滅多なことがない限りばれやしないと思うけど……。誰かの能力を自分のモノに出来たら……本当に……できたら……! 何の才能もない私にとって、これほどまで喉から手が出るほど欲しいものだ。 早速、使ってみようかしら。
 そう思った瞬間、予鈴が鳴った。
 あーあ。残念。すぐには使えないわ、と肩を落とすと、急いで立ち上がって階段を降り、教室へ向かった。

 五時間目の国語の授業が終わって、掃除の時間に、私は「レプリケーションES2」……もう長いから「ES2」とするけど、それを使うことにした。
 相手は……アザミ。アザミの頭の良さが欲しい。アザミ並の賢さがあれば、多分志望校には行ける。
 うちの学校では班ごとに掃除場所が決まり、週一で順繰り廻るシステムである。席が前後している私たちは同じ班で、今週の掃除場所は昇降口だった。
 アザミは踏み台に乗って下足箱の上の掃除をしていた。私は彼女にそっと近づく。そしてマイクに向かって、言葉を発しようとした時だった。
「きゃああっ!」
 バランスを崩したアザミは甲高い声を出して、私に向かって落ちてきた。私はアザミの下敷きとなる。
 すぐに起き上がり、立ち上がったアザミは、
「ごめーん! 怪我はない?」
 アザミは目を瞑り、頭を下げ、両手を合わせる。
「あ……うん……。大丈夫……あれ」
 痛みは消えた。ついでに「ES2」も消えた。
「あれ? あれ?」
 私は身体全身叩いていた。プリーツスカートのポケットの中も手を突っ込んで探したが、見つからない。
「何探しているのよ?」
 アザミは訝しげな顔で私の顔を見る。
「ううん。なんでも」
 私は苦笑いする。そして逃げるつもりで、ちりとりと小箒を出そうと、用具入れまで行こうとした。
「もしかして、これ?」
 アザミの声に私は振り返る。アザミの手には「ES2」があった。
 私の顔から血の気が引いた。
「これって、この前、私が拾ったやつとクリソツね」
 アザミは「ES2」をくるくる回しながら、眺めている。
「これ、里中さんからもらったでしょ? レプリケーションなんとかって、相手の能力をとろうとするやつ。あたしに使おうとしたの?」
 アザミはキツく鋭い瑠璃色の目で私の瞳を見つめる。
 私はアザミに嫌われる、いやもう嫌われてしまったのか、と心臓が冷たくなった。どうしよう。簡単に使ってみようと思わなきゃ良かった。
 私はアザミから怒鳴られるか、殴られることを覚悟し、目線をそらす。しかし、
「真弓はバカなの? あたしの能力を手に入れて、何がしたかったの?」
 彼女の言葉に、私は再び瑠璃色の瞳を見る。とても悲しそうな目をしていた。
「相手の能力を借りて発揮する能力って、なあんか違う気がするのよ」
 彼女の言葉がグサリと心に刺さる。アザミは目線を落とし、話を続けた。
「まあ、あたしも真弓で使ってみようと少しは思ってたから。結局、あたしは受け取らなかったけどさ」
「え、私で使ってみるって……? どういうこと?」
 私の何気ない質問に、
「んー。真弓の喜怒哀楽の感情や言葉の豊かさ、感性がうらやましくってね。あんなにコロコロ表情が変わるの、すごくうらやましい」
 アザミはさっきと打って変わって、柔らかな目で私を見る。
「え……。えーっ! そんなに私、表情変わるかしら? そんなに凄い表現しているかしら?」
 思い切り叫ぶ私に、
「それよ。そんなに驚かなくたっていいじゃない!」
 アザミは静かに微笑んだ。
 私の気持ちはアザミの笑顔のおかげで落ち着いてきた。しかし、この穏やかな気持ちは、
「おい、當山! 杏村! 手を動かせ!」
 という体育教師の声で終わってしまった。

 帰りのホームルームのあと、荷物を出てそそくさと教室を出るクラスメイトの姿を見たアザミは椅子に座ったまま、
「ね、今日はみんな、こんなに早く帰るみたいだけど、どういうことなの?」
 とわたしの肩をつついてきた。
「ああ……。今日、先生ら会議なのよ。それで、うちら生徒の面倒は見られないから帰れって事よ」
「なるほど」
 アザミは納得した様子で、頷く。
「んじゃ、あたしらも帰ろうか」
 立ち上がったアザミは学校指定の黒い肩掛け鞄を背負う。
 その瞬間、私はあることを思いつき、アザミに、
「ね、アザミさえイヤじゃなかったらさ……」
「ん? なに? 改めてかしこまって」
 アザミはいたずらな目で私を見る。私は意を決して、こんな提案をした。
「アザミ、私んちこない? 一緒に遊ぼうよ」

「いらっしゃい、アザミちゃん。話では聞いてたけど ホント可愛い女の子ねえ!」
 アザミを自分の部屋に通してあと、母さんがお菓子とオレンジジュースを持ってくるなり、開口一番こう言った。
「あ……ありがとうございます」
 アザミは困ったような表情を作る。
「わたし変なこと言ったかしら? あはは。ゆっくりしていってね」
 母さんは立ち上がると、手を振って、私の部屋の扉を閉めた。
 アザミは、
「真弓のお母さんってすごく賑やかな人なのね。それに真弓にそっくりできれいな方だわ」
 と言って吹き出す。
「えーそんなことないよ!」
 私は全力で否定する。
「そうかしら?」
 アザミは茶目っ気のある目で私を見る。そして、
「んじゃ、今から可愛い真弓をクロッキーします!」
 と高らかに宣言すると、鞄の中からクロッキーノートと鉛筆を取り出した。
「へ?」
 戸惑う私に、
「いいじゃない、減るもんじゃないし」
 アザミは鉛筆を頬に沿わせて、笑った。その笑顔に私は負けた。

 このクロッキーのモデル経験で判明したことがある。
 じっと同じ姿勢でいるのはキツイ。たった五分でも本当にキツイのだ。
 私の努力のおかげで、アザミは二枚のクロッキーを仕上げることが出来た。
「ありがと。真弓。良いのが出来たわ」
 アザミは、満足そうな顔をする。
「それは良かった!」
 アザミの言葉に私も嬉しくなる。肩やら膝やらがくがくしてて痛いのだけど、良い作品が出来たのなら、お安いご用だ。
 それから柔らかい食感のクッキーとオレンジジュースと共におしゃべりに興じた。アザミにクロッキーについて聞いていくうちに、いつの間にか私もクロッキーを始めることになった。
 絵は苦手だけど、頑張ってみようかなとアザミの言葉を聞いて思う。何事も努力が大事っていうしね。
「あ、もうこんな時間! ごめん。もう帰らないと」
 アザミはそう言って、慌ただしく立ち上がった。私は壁時計を見ると、午後七時をまわりかけている。
「あ、気がつかなくてごめん!」
 私も慌てて立ち上がり、扉を開ける。
「いいの、いいの。気がつかなかったあたしが悪いのだし」
 アザミはやや困った風な顔で笑った。
 下の階に降りると、母さんが台所でテレビを見ながら夕飯を作っていた。それを横目に見ながら、私はアザミを玄関の先まで送った。
 日はとうに暮れていた。
「こんなに遅くまで、ありがとうね」
 私は軽く頭を下げる。
「こっちも無理強いしてごめんなさい。ありがとう」
 手を振りつつ、
「次遊ぶときは、クロッキーノート買いに行こうね!」
 アザミは微笑んだ。

 アザミを見送った私は、寒いなあ、と一言呟き、家に入った。
「アザミちゃん、帰ったの? 夕飯食べてけば良かったのに」
 そう言いながら母さんはテーブルにに青椒肉絲を並べる。
「慌てている様子だったし、そんな無理強いしてもさ」
 私は冷蔵庫からお茶の入ったペットボトルを取り出す。
 ペットボトルを持ちながら、ふと私はテレビを見ると、アナウンサーが機械のごとく、ニュースを読み上げていた。エゴ・インクとやらの会社の話をしている。
「エゴ・インクって、夢の機械を作った会社でしょ? 能力には際限がない! 能力は個人だけのものじゃない! 人類共通のモノだ! って」
 ご飯をよそっている母さんの言葉で、私の心は冷たく縮こまった。
 私は静かに、
「母さんも、もしその『夢の機械』があったら、使ってみたい?」
 と聞いてみた。
「うーん。使わないわ。お母さんはお母さんだもの」
 母さんは言葉を濁した。
「なら、いいんだけど……」
 私は胸をなで下ろした。
 玄関が開く音がした。父さんのただいま、という声に、私は、
「お帰りなさい!」
 と言って、玄関まで行く。
 そして、家族三人で夕飯をおいしく食べた。

 その二日後の朝、ピピピ……という軽やかな目覚まし時計の音で目覚めた。
 眠たいなあと目をこすりながら、階段降り、テーブルに着いたとき、その異変に気がついた。
 台所で朝食と父の弁当を作っている母さんの様子が何か変なのだ。
 なにかしら? 一瞬首をかしげる。そして、気がついた。目だ。
 目が二重になっている!
 私と同じ一重ではなくなって、パッチリとしたアーモンドアイの二重まぶたになっていたのだ。
 そしてその目元に既視感を覚えた。そして、気がついた。その目元は、母の好きなドラマのヒロインのモノだ!
 母さんの異変に絶句している私に、
「さっさと準備しないと遅れるよ、真弓」
 とアニメかなにかで聞いたことがある良い声が聞こえてきた。私は振り返る。
 そこには紛れもない父さんがいた。でも。何か違う。今までのハスキーボイスではなく、プロの声楽家か声優になれるぐらい良い声をしているのだ。
「どうしたの、真弓? 熱でもあるのかい?」
 父さんのこの言葉に私は思いきり首を振り、
「ううん。何でもない」
 と作り笑いをする。
「そうそう、真弓にプレゼントしたいものがあるのよ。例の『夢の機械』なんだけどね」
 母さんのその言葉を聞いたあたしは、顔が冷たくなるのを感じた。あまりのショックに
そのまま何も言えず、二階に上がり、制服に着替えると、逃げるように家を飛び出した。

 それから一ヶ月ぐらいの間のことを話そう。
 数学の才能に恵まれるようになった人とか、英語の点数があがった人とか、百メートル走のタイムが四秒早くなった人とか……急に才能を開花させる人が徐々に増えていた。
 はじめは教師陣たちも何が起こったのか、分からなかったようだった。しかし、先生達も、突然ネイティブ顔負けの流暢な英語を話すようになったり、スタイルが良くなったり、果てには若返ったような先生も現れるようになっていった。
 レプリケーションやらないの? と里中から何度も誘いを受けた。でも、アザミの「他人の能力で発揮する能力ってなんか違う」という言葉が妙に突っかかって、再びもらう気が起きなかった。

 帰りのホームルームの前のことだ。
 随分と寒くなってきていった。しとしととせつなく雨が降っている空を教室から私は眺めていた。もう一ヶ月ぐらいしたら雪になっていくのかなあ。
 ふと声のする方を見た。
「ねえ、『レプリケーションES2』って売っているモノなの?」
 とアザミは自席にいる里中に尋ねていた。
「ああ。そうそう。オレね、最初は試供品って事で、親父がみんなに配ってって頼んできてさ。まあ、買うのは親父からじゃなくって、通販なんだけどね。でも、ちょっとしたコネでエスさんに安く売ってもらえるんだ」
「エス……さん?」
 アザミは里中の言葉を繰り返す。
「そう。赤い癖毛のエスさん。パパが勤めてるエゴ・インクの御曹司だよ。そういや、當山も赤い癖毛で、ホント……エスさんに似てる。実は最初さ、勘違いしたよ。なんでセーラーなんか着てんだろうってな感じでさ」
「はあ。似てるって言われても……」
 笑う里中にアザミは困った風に首を捻った。

 長かった部活が終わり、煌々と光る商店街のネオンの中、私は寒さで身体をガタガタ震わせながら、家路に向かっていた。
 一月末に開催される合唱大会のためとはいえ、日がすっかり落ちてからの帰宅は本当にやめて欲しい。やめて欲しいと言ってやめてくれる学校ではないのは分かっているけれどさ……。アザミに先に帰っててと伝えてて本当に良かった。
 私の口からは真っ白い息が出てくる。本当に寒いんだなあ。ダッフルコートを着てくれば良かった。
アーケード街を抜け、「さざなみ公園」の前を通った。街灯の光一つしかなく、かなり暗い。
 私は百合岡のことを思い出していた。
 風の噂で聞いたけど、百合岡とその取り巻きの余罪はかなりあったみたいで、少年院か転校か、そのまま消えてしまっていた。ついでに百合岡の親の会社も経営難だったらしく、よその会社に吸収合併されたとかを父さんから聞いた。新聞を読めと口酸っぱく言われるけど、なかなか読む気が起きない。読まなきゃダメなんだとは思うんだけど。
 怒濤の二ヶ月間だったなあ。あと一ヶ月で来年か、そう感傷に浸っていると、
「ねえ。キミ、レプリケーションしてないの?」
 という澄んだ少年の声が聞こえてきた。
 私は顔を左右に振って、声の主を探す。
「キミもしたらいいのに」
 目の前に、顔にかかるほど長く赤い猫っ毛の少年がいた。暗かったが、緑のパーカーに黒いズボンをはいているのは分かる。私は思わず声を出してしまう。
「ねえ。聞いてる?」
 少年は微笑む。
「あなたは……だれ?」
 私はどこかアザミの面影を思い出す少年を見て、声を震わせる。
「ボク? ボクはエス。名前ぐらいは聞いたことあるでしょ?」
 「エス」と名乗った少年は楽しそうに話す。
 もしかして……。里中が話してた……「レプリケーションES2」を売ってくれる少年がこの彼?
「キミもみんなと同じようにレプリケートしたらいいのに。素晴らしい世界が待っているよ」
 エスはセールスマンのように、
「これは試供品。使い勝手が良かったら、安価で売ってあげるから」
 白い箱をポケットから取り出し、差し出した。
 私は、エスの妙な不気味さに外のとは違う寒さに襲われた。
「ねえ……。ねえ?」
 近づいてくるエスを振り切るように、私はその場から走って逃げた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み