エピローグ「ESは希望のエス」

文字数 4,813文字

「ねえ。たったこれっぽっちも払えないんですって?」
 百合岡は「三」を示した指で顔を仰ぐ。不良達は下品に笑う。
 一瞬状況が読み込めなかった。もしかしてデジャビュ? と考え込む。いやデジャビュじゃない。これは過去に一度起きている!
「ごめん。百合岡さん。今日何日?」
 私の質問に四人は大爆笑で、
「は? ビビりまくって今日が九月の末ってことすら忘れたの? ばっかだねえ!」
 と口々に馬鹿にする。
 あれ、ついさっきまで、私は十一月の半ばにいた気がする……。いや、いた! 私はほんのさっきまで、十一月中旬の東京にいた!
 本当に時間が戻っている! あの東京での出来事が、走馬燈のように頭の中を駆け巡る。
 私の頭からは血が抜けていく感じがした。それと同時に、アザミが助けに来ないことを悟った。
 その瞬間だった。
「ね、キミたち。女の子をよってたかって泥だらけにするのって楽しい?」
 百合岡とその取り巻きは振り向く。もちろん私も振り向く。
 赤く短い癖毛の少年が立っていた。緑のスカジャンにジーパンというラフな服装の彼の瑠璃色の瞳には強い意志が感じられる。
「あんた、誰?」
「ん? ぼく? ぼくが誰だっていいじゃあないか。今はキミたちのイジメを止めなきゃなあ、と思っているだけでさ」
 不機嫌な百合岡に、赤い髪の少年は片笑みをする。
「なんですって! イジメですって? コレが? ふざけないで! みんな、やっちゃって!」
 百合岡はヒステリックに喚く。それと同時に、不良達が一斉に赤毛の少年に襲いかかった。
 右から来るパンチを左から来る蹴りを、少年はまるで蝶が舞っているようにすべて避けていた。一発も攻撃が当たっていない。とうとう、不良は三人ともへばって、倒れ込んでしまった。
「使えない人たちですね!」
 百合岡がポケットに手を入れた。マズい! 百合岡はナイフを取り出すに違いない!
「気をつけて! ナイフよ! ポケットにナイフが入っているわ!」
 私は声を張り上げた。
 百合岡はポケットから手を出す。ナイフが握られていた。
「なっ、なんで……? なんでそれがわか……って……?」
 百合岡は青ざめていた。
 少年の方を見ると、少し驚いた様子でこっちを見る。
「そっか。キミも飛ばされていたんだものね。なら、話が早い」
 赤毛は一度話を切り、深く溜息をつくと、
「百合岡さん……だったっけ。キミ、百合岡工業のご令嬢なのに、結構なワルだと風の噂で聞いたよ。バレないうちに、ちゃんと自首したら?」
 微笑んだ。
「はあ?」
 百合岡があきれ顔を作った。しかし、それも一瞬で、すぐに顔を歪ませた。
「うそでしょ……」
 百合岡はある方向を見て、ナイフを落とした。私もその方向を見る。そこにはお巡りさんが二人こちら側にやって来るところだった。
「ちょっと、キミたち……話聞かせてもらってもいいかい?」
 お巡りさんは百合岡を睨み付けた。



 二時間後、私は警察署の玄関ホールにいた。
 長い間、同じ話を狭い部屋で繰り返し繰り返し続けるのは、本当にイヤになってしまう。帰って良いよ、と言われたときの喜びと言ったら、もう。テスト明け並にうれしかった。
 親が迎えに来ると言われたので、玄関付近にあるベンチに座る。
「災難だったね」
 私は声のする方を見た。赤い髪の少年がペットボトルのミルクティーを二本、両手に持ってこっちに近づいてくる。
「えっ……」
「飲みなよ。暖まるよ」
 少年は私にミルクティーを握らせる。確かに暖かい。
 少年はもう一本のミルクティーを開けると、一口含み、
「きみも未来から来たんだよね?」
 と言うと、私の隣に座り足を組む。
「え……っと。未来というと、エゴ・インクとか東京のことかしら?」
「ああ。そうだよ。ぼくはひどいことをしてしまってた。本当にごめんなさい」
 少年は軽く頭を下げると、もう一口含む。
「じゃあ、アザミは? アザミはどうなったの?」
 私は少年――アズサの瑠璃色の目を見た。
 アズサの戸惑った表情を見た。その顔を見た私は、嫌な予感をした。

 次の瞬間、私の目の前は真っ暗になった。
「だーれだ?」
 私の耳元でソプラノボイスが聞こえる。嫌な予感は的中していないことに気がつくと、
「アザミ!」
 私の目を覆っているその声の持ち主の名前を叫んだ。
「正解!」
 ぱあっと視界が広がる。私は振り返る。すぐ目の前には赤いポニーテールの女の子、當山アザミがいた。
「久しぶり、真弓。懐かしいわ」
「アザミ! アザミ!」
 私はアザミに抱きついた。目から涙が出た。それは止めどなく流れていく。
「まったく。真弓ったら。鼻水つけないでよね」
 私は慌てて彼女から離れる。再びアザミの顔を見ると、目が光っている。
「アザミだって」
 私はポケットからハンカチを取り出すと、目元を押さえる。口元は自然と綻んでしまう。
「ねえ、アザミ、アズサ。一体、何があったの? エゴ・インクはどうなったの?」
 アザミとアズサはお互いの顔を見て吹き出す。
「ああ。どうなったかって? 話すと少し長くなるけど、いい?」
 アザミは私の隣に座ると、大きく背伸びをした。
「どこから話そうか。アズサ」
 アザミは私を挟んだ向こう側のアズサに話しかける。
「最初から……時間が飛んでから、でいいんじゃないの? アザミ?」
「そうね。アズサ、補足お願い」
 二人はお互いの顔を見て頷く。
「真弓と同じように、あたしたちもね、時間を飛んだの。真弓と同じように東京の記憶を持って、四年前にね」
「四年前?」
 多分、半年前にこのことを聞いたら、私は絶対に信じないだろう。でも実際、私も時間を飛んでいるのだ。アザミ達を信じるしかない。
「丁度、義両親の葬式の最中だったわ」
「もう一度、あの苦痛を味わうのはキツかったけどねえ。親戚中から、どうするの、この子たち、ってヒソヒソ話されてたらさ。居づらいに決まっている」
 アズサは溜まっているものを吐き出すように言い切ると、ミルクティーを一口飲む。
「二人で、どうしようか、って話しているときに、目の前に居たのよ。エゴ・インク社長がね」
 私の心臓はスッと冷たくなった。私はおそるおそる訊く。
「どうなったの?」
「社長は言ったんだ。『女の子を引き取る』ってね。もちろん、アザミは拒否したさ。ぼくと一緒に居たいって大騒ぎして。ぼくだって、アザミにぼくと同じ目に遭わせたくないし、必死になった」
 アズサの答えにアザミは続ける。
「大人達の会話には入れさせてもらえなかったけど、あの様子から揉めに揉めてたのは、確かね。結局、あたしたち二人とも、エゴ・インクの社長に引き取られたの」
「は?」
 私は素っ頓狂な声を上げる。
「その反応、面白い」
 アズサは口を押さえ、笑いをこらえていた。私は耳が熱くなる。
「しばらく豪華な生活をしていたわね。まあ、絵は画かせてもらえなかったし、勉強しかさせてもらえなかったから、つまらない生活だったけど」
 アザミは再び背伸びをすると、
「一年ぐらいはそんな生活が続いたかな。とうとう、社長はあたしを『エス』にしようとし始めたの」
 そして、少しうつむくと、
「アズサがあんな目に遭ってたなんて、信じられなかったわ。酷い機械に入れられて、様々な映像を見せられて、ガーガーってうるさい音を聞かされて。軽く死ぬかと思ったわ」
「あ。アザミ、ぼくはそんな目に遭ってないよ。その酷い機械は、『レプリケーションES』――つまり、あの注射器みたいな『ES2』のプロトタイプで、ぼくがしなかったから、アザミにはレプリケートさせようとしたんじゃあないかな」
 二人はお互いの顔を見ると、深く溜息をつく。
「ちょっとまって。社長も時間を飛んだんでしょ? 『ES2』がない時間に飛んだとしたのなら何故、社長は『ES2』を、飛んですぐ作らなかったわけ?」
 私は立ち上がり、二人の顔をのぞき込む。
「真弓。あーゆー機械って一人で作れるモノじゃあないのよ」
 アザミは少しはにかむ。
「たとえ、仮に図面が頭にあったとしても、あんなちっちゃい機械のすべての部品を一人で作るなんて狂気の沙汰だわ。それにあの男、そんなに器用じゃないし」
 アザミは前にまっすぐ伸ばした腕の先で指先を動かす。
「あの社長も流石に『ES2』の図面の完璧な再現は出来なかったみたいで、いくつか試作品を作っていたのは覚えてるよ。手伝わされたし」
 アズサはくすりと笑う。
「で、出来たんだよ。『ES3』がね」
「えっ!」
 アズサの言った台詞に私は声がひっくり返った。
「『ES2』じゃなくって、『3』? 『ES3』が出来ちゃったの?」
「そうそう。出来ちゃったのよ」
アザミは両手を楽しそうに一度叩く。
「その『レプリケーションES3』ってね、レプリケート元がなくても、想像さえすれば、ありとあらゆる能力を無制限に手に入れることが出来るものだったらしくってね。こう言っているあたしですら、いまいちどういう効果がある機械かはわからないけれど、ま、とにかく。何を思ったのか、社長ったら、『そうだ! これがあれば、わたしは神になれるのだ!』とか、とち狂った事を言い出して、『ES3』を自分自身で使ってしまったのよ! したらさ……」
 二人は急にテンションが下がってしまった。
「え、なになに? 何が起きたの?」
 私は戸惑う。
 アザミは咳払いをすると、
「死んじゃったわ。使った途端、泡吹いて」
「自分のキャパシティを超えた能力を持つと死ぬのか、それとも本当に神様になったから、肉体を捨てたのか……それは神のみぞ知る、だね」
「だれがうまいことを……」
 アズサにアザミはアンニュイにツッコむ。
「その後もやっぱりゴダゴダしてさ。あたしたち、疫病神扱いされたわね。こいつらといると、不幸が起きるって」
 アザミは深く息を吐くと、
「ま、結局は義両親とこのお祖母ちゃんに引き取られたんだけどね。で、あのときと同じようにお祖母ちゃんがこっちで店……喫茶店兼スナックを開くってことになったのよ。もっと大きくなってからしか会いに行けないと思っていたから、あの百合岡に間に合って本当に良かったわ」
 アザミは少し吹き出すと、
「あたし、引っ越しの手伝いから抜けれる雰囲気じゃなくて、でもどうにかしなきゃって、警察に電話したのよ。でも、サボってたアズサが真弓を助けてたなんて、もう!」
「ぼく、アザミと違って、こっちのこと知らないんだもの。それぐらいはさせてよ」
 さっきと打って変わって、和やかな雰囲気になった。なんだかほっこりする。

「真弓!」
 玄関の自動ドアから母さんが現れた。一重の瞳は光っている。
「良かった! 心配したんだから!」
 元の姿に戻った母さんの姿に私も止めどなく涙が溢れてきた。
「母さん……! 元の母さんだ……!」
 私は母さんの胸に飛び込んだ。

 十分ほど経って、私も母さんも落ち着いた。
 アザミとアズサがうちの学校に来ると知り、うれしくて再び泣いた。そして、二人と次は学校で会うことを約束し、私は母さんと警察署を出た。

「あ!」
 私はふとあることに気がついた。行った道を戻り、アザミに話しかける。
「アザミ、東京で使った『ES2』はどこから持ってきたの?」
 アザミは私の肩に腕を回すと、
「あれ、真弓のよ」
 と、楽しそうに答える。
「真弓が昇降口で落としたやつよ。ほら、昇降口掃除の時の。いつか返そうと思っていたんだけど、結局使っちゃった。ごめんね」
 私は笑顔のアザミに、
「ま、終わりよければすべてよしって言うし……。うん!」
 私はなんとなく頷いた。
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