第2話

文字数 3,286文字

 家であらためて考えた結果、やっぱりあれは助けてくれたに違いない、と結論を出したあたしは、翌日、莉緒にお返しを持っていった。教室だと嫌がられそうな気がしたので、昼休みに中庭を歩く彼女に、思いきって声をかけたのだ。
「月本さんっ、あのっ、これっ」
 自分で思っていたより必死そうな声が出て恥ずかしくなりながらも、あたしは駄菓子の詰め合わせをラッピングしたものを差し出した。
「昨日は、あの」
 ところが莉緒は、あたしが話しきるより先に、うざったそうな一瞥だけしてそのまま行ってしまった。止めても当然止まらなかった。
 その日はとぼとぼ帰って、どうして受け取ってもらえなかったのか、また無い頭で考えた。で、出した答えというのが「そうか、お礼の品が気に入らなかったんだ」だった。
 それから三回挑戦してぜんぶ無視された。
 何をあげれば喜んでくれるんだろう。あたしは毎日考えた。莉緒をずっと観察して、クラスメイトにもたずねてみるんだけど、彼女の好きなものはやっぱりわからない。望みを託した給食も、いつも残さずさっと食べて教室を出ていく。尾行はバレそうだからやってないけど、どうにも糸口がなかった。
 しかしふいに、「他の子とは違うなあ」と思ったところから閃いた。
 そうだ、彼女は都会から来た。駄菓子なんかで満足するわけがない。そうだそうだ。
 そしてあたしは、知ってる限り最大のオシャレ感を誇る駅前のケーキ屋さんで、手持ちのおこづかいを全て投入し、マフィンを手に入れるのであった。
 しかも表面にウサギの柄が入っている。月本なんて苗字の子にあげるものとしては、これ以上ないと思われた。
 次の日の午前中は意気揚々として、渡したい気持ちがはやるのをどうにか抑えていた。ようやく昼休みになると、急いで給食を食べて莉緒の元へ。今度はどこか余裕のある声で言った。
「月本さん、これ」
 あたしの声色の変化に気づいたのか、莉緒は振り向いた。その瞬間、ああやっぱりねと、あたしは勝ち誇ったような気持ちでさえいた。すでに箱を開けてスタンバイしておいたマフィンを見て、彼女は言うに違いない。あら素敵、どこに売ってるの? 今度案内してよ、と。
 しかし返ってきた一言は、
「ご機嫌とり」
 その時のショックさといったらなかった。莉緒の軽蔑するような目つきは、今でもはっきり覚えている。
 しばらく立ちつくして、午後の授業は放心状態。家に帰って急に泣きだし、マフィンをお兄ちゃんに食べられてさらに泣きわめいた。

 一ヶ月ほど経っても、例のショックの残響がいまだにあった。へまをして、いつも通り友だちにお返しをする時、あの冷たい目が浮かんでくるのだ。ご機嫌とりなんて、そんなつもりじゃない。でも、どうにも胸がもやもやしていた。
 校内美化活動で遅くなった日、あたしは一人で帰っていた。
 なんとなくまっすぐ帰る気になれず、いつもは通り過ぎる、色あせた祭りのポスターが貼ってあるタバコ屋の角を曲がって、家まで遠回りすることにした。
 軒先にひょうたんがぶら下げてある家とか、久しぶりに来ても様変わりしていない家々の間を歩いていると、ふいに叫ぶような声が聞こえた。
 どこか聞き覚えのある声にあたしは立ち止まった。誰かが怒っていて、誰かがごにょごにょ言ってる。会話の内容までは聞き取れないにせよ、斜め前のアパートの一室が発信源らしい。
 この怒ってる方、誰だっけ。塀が欠けてあんまりきれいなアパートじゃないけど、同級生誰かここに住んでたっけ。
 なんてぼんやり考えていたら、一番手前の部屋から人が飛び出してきた。莉緒だった。
「あ……」
 咎められるかと思ってぎくりとしたけど、彼女はあたしの横を走り抜けていった。一瞬だけ見えた横顔、その目は赤かった。
 するとまた部屋から人が出てきて、莉緒の後ろ姿に手を伸ばすような仕草をした。その上品な女の人は、追いかける素ぶりはしたものの、一歩を踏み出したきり止まってしまった。
 困惑していたあたしは双方をおろおろと何回も見て、何かするべきかどうしようか迷った挙句、莉緒が行った方に走りだした。自分でもどうして彼女を追いかけたのかわからない。
 といって、足の遅いあたしはすぐに莉緒を見失ったので、やみくもに探して、川原の橋脚のそばにいる彼女を発見できたのは偶然だった。
 息を乱しながらあたしが近づいていくと、岩の上に座っていた莉緒は顔だけ振り向かせた。
「あんたか。何よ」
 興味なげに言って彼女は首を戻し、小石を川に投げた。水深が浅く、水音はあまりしなかった。
 何と言われても、事情を何も知らない。でも、話したいことはある。呼吸を整えながら、あたしは言った。
「……とりじゃない」
「何?」
「あたしのお返しは、ご機嫌とりなんかじゃない」
 こぶしを握りしめ、意を決して言い放った言葉はてんで方向違いだったかもしれないけど、莉緒は「ああ」と、こちらへ向き直った。
「あんたがどう思ってるか知らないけどね、やってることはご機嫌とりなのよ」
「だから、そんなつもりはないって」
「あんたの友だちは、そのお返しとやらを望んでるの?」
「それは」
 確かに、要求されたわけじゃない。あたしが勝手にやってきたことだ。
「でも」
「でもじゃない。あんたは行動で返すことを諦めてるのよ。だから物で返して、困ったらまた助けてくださいって、それがご機嫌とりだって言ってるの」
 どくんと衝撃が胸にきて、早鐘を打ちはじめた。莉緒の厳しい瞳に射すくめられ、二の句を継げない。
 諦めてる。あたしは諦めてる……。
「そのままいって、いつか相手が見返りを要求してきた時、あんたは断れるの? いいように言われて、黙って従うしかない状況になって、それでもまだお返しだからって言うわけ?」
 否定したかった。これが自分なりのやり方なんだと訴えたかった。でもできない。認めたくない気持ちを上回って、突きつけられた言葉は真に迫っていた。
 未来の自分を想像した時のつらさと、逃げ道をなくした現実がいっぺんにのしかかって、ぼろぼろと涙があふれてきた。莉緒のため息が聞こえて、何度も目をぬぐうけれど涙は止まらない。うめいて、洟をすすって、ぐずぐずの声であたしは言う。
「だったら、助けてもらってうれしい気持ちはどこへやればいいの」
「……何よそれ」
「だって、ほかに返しかたを知らないもん。あ、あたしだってできたらそうするよ。助けてくれた人が困ってたら助けたい。でもできないの。ドジでのろまで、何をやってもダメで、助けになんてなれないの。どうやってもできないの」
「知らないわよ、そんなこと」
「なんでもできる月本さんにはわからないよ。あたしなんかの気持ちは」
「わたしだって!」
 いきなり声を荒げた莉緒に驚いて身をびくつかせる。彼女はあたしから目をそらし、つぶやいた。
「わたしだって、望んでできるようになったわけじゃない」
 さみしさと空しさが入り混じったような、単純な悲しさとは違う表情だった。数ヶ月同じクラスにいて、そんな莉緒の顔を初めて見た。
 なのに小学六年生のあたしは、不思議に思いながらもこんなことを言ったのだ。
「じゃあ、月本さんがあたしに教えてよ」
「はあ?」
「月本さんにもできない時があったわけでしょ。でもできるようになった。その方法をあたしに教えてよ」
「なんでわたしがそんなことしなきゃいけないのよ」
「おねがい。だって、そんな、あたしこれからどうしていいかわからない」
「だからそれはわたしには」
「おねがい。おねがいします」
「あんたねえ」
 別に泣き落としをしようと思っていたわけじゃないけど、我ながらひどい顔をしていたと思う。ていうか相当ブサイクだったはず。
 やがて莉緒はひときわ大きいため息をついた。
「わかったわよ」
「ほんとに?」
 うれしそうに顔をあげたあたしに、莉緒は人差し指を向けた。
「ただし、楽な道なんかない。やるからには厳しくいくから」
「うん、うん」
 莉緒の手を取って何度もうなずいたけど、彼女はまだすこし嫌そうだった。いつのまにかあたしは泣き止んでいて、空が朱に染まりつつあった。
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