最終話

文字数 1,160文字

 十二年の間、莉緒を忘れたことはなかった。彼女の教えがあって、あたしがあるのだから。
 何度か電車を乗り換えて、ようやく地元に帰ってきたあたしは実家で一泊し、手紙に記された住所に向かった。といって、事前に調べてあったのだけど、どうしてその場所かはわからない。莉緒が指定したのはうちの小学校だったのだ。
 しかし行ってみると、正門の横に案内板が置いてあった。
「本日、体育館にて六年生の壮行会(そうこうかい)
 そんな行事あったなあと思いつつ、ますます用件に心当たりがない。とはいえ、体育館に向かうことにする。
 入口でスリッパに履き替えようとしていたら、こもった歌声が聞こえてきた。閉め切ってあった鉄扉を開くと、舞台の上で子供たちが合唱をしていて、手前に並べられたパイプ椅子に保護者らが座っていた。
 空いている席にそっと座り、舞台を見る。二年生くらいだろうか。堂々としている子もいれば、うつむきがちな子もいる。息継ぎのタイミングがずれて、歌うところを間違えてる子もいた。あれはあたしだ。なつかしい気持ちになってくる。
 歌が終わると違う学年に交代。五年生までの全学年が終わると、最後は六年生から在校生に向けて合唱で返すという流れだ。
 親と違う目線で楽しんでいたあたしは、舞台上で六年生が整列した後に、袖から現れた人物を見て、びっくりした。
 莉緒だった。びしっとスーツを着こなし、スカートから伸びる脚が長くて、スタイルは洗練されているけれど、一見冷たそうな横顔も、きれいな黒髪も変わらない。十年以上会っていなくても、遠目で見ても、一発でわかった。先生になった莉緒のことを。
 こちらに背を向け、彼女は指揮をとる。歌が始まると、あたしは一気に引き込まれた。子供たちの息がぴったりで、声量も音程もばっちりなのだ。相当練習したんだろう。でも一番は、それでいて楽しそうだったことだ。腕を振るう莉緒にも気持ちが入っているのが見てとれる。誰もがいきいきとしていた。
 心の芽生えについて歌ったその曲を聴いていると、ここに呼ばれた意味がだんだんとわかってきた。
 卒業式の前日、莉緒は言っていた。自分の力が何のためにあるのか、あたしが教えてくれたのだと。当時はちゃんと理解していなかったけど、子供たちの姿を見ていればわかる。
 力は自分のためだけに使うものじゃない。人と分かち合うこともできるのだ。そしてこの歌はきっと、莉緒からのお返しだ。
 涙で視界がにじむ。受け取ったものがこぼれないように、あたしは何度も目をぬぐった。
 やがて歌が終わると、万雷の拍手の中、莉緒はこちらを向いた。子供たちとお辞儀をして、満面の笑みを見せてくれた。
 莉緒に会って話したいことがたくさんあった。これまでのこと。これからのこと。そして今、あたしのうれしかった気持ちを、目一杯伝えてやるんだ。
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