第5話

文字数 1,433文字

 大晦日。親父の家に行き、四人で食卓を囲む。妻に鍋を作ってもらい、それを四人でつつく。当然、和気藹々という訳にも行かない。息子はひどくなった親父の容態を前に、どういう風に接していいのか分からないといった具合で、嫁は多少なれたものだが、そもそも義父というだけでそれなりに距離があるにもかかわらず、あまつさえ親父がこんな状態であるものだから、やはりまだどう接すればいいのか分かっていなさそうだった。
 親父は、久し振りに顔を合わせた息子を前に、コミュニケーションをとる意欲自体は見て取れるものの、やはり病気の所為で何を言っているのかよく分からなかった。息子は、苦笑いをしながらそんな親父の会話に付き合っていたが、段々億劫になってきたのか、相槌が生返事になってきていた。
 俺は自分の分を食べる傍ら、親父の口に飯を運んでいた。いや、むしろ親父に飯を食べさせる傍ら、自分の分を食べていた、という表現の方が正しいかもしれない。証拠に、俺はまだまだ空腹だった。
 テレビからは年末特番が流れる。とはいえ見たい番組があるわけではない。全員流し見しているし、特に息子は興味がなさそうだった。そういえば一人暮らししている部屋にはテレビがない。俺もあまりテレビを見る方ではないが、家に帰るとなんとなしに流してしまうものだ。所謂「現代っ子」というやつなのだろう。親父も親父でテレビを見ているのか、或いはボーっとしているのか分からない。俺としては、会話がそこまで多くないので、なんにせよ音が流れているのはありがたい。
 番組が変わり、音楽番組に変わった。
 「……」
 微かに、親父の表情が変わったようにみえた。それもそうだろう。この番組には姉貴が出る。
 姉貴の出番はいつだろうか。姉貴が出演することはなんとなく知っていたが、いつ出てくるのかまでは知らないし、知ろうとも思わなかった。俺としては、姉貴の姿を見る前にここを立ち去りたいものだ。
 俺の内情など知る由もない息子は、「そういえばおばさん出るんだっけ?」と目を輝かせていた。息子には、俺が姉貴をどう思っているのか言っていなかった。それを伝えることが、果たして正しいことであるかと自問した時、その答えはすぐに出た。息子は、純粋に、姉貴のことを尊敬していることだろう。
 親父はどこか遠い目をしていた。それは、テレビの、その向こう側を見ているようだった。親父が今、何処の誰のことを考えているのかなんて、想像に難くないことだ。
 分かってる。
 別に、今に始まったことじゃない。
 「……」
 親父は言った。
 「久しぶりに会いたいなあ」
 口をもごもごと動かして、喋っているのかどうかすらよく分からないのに、何故だかその言葉は、はっきりと俺の耳に届いた。いや、届いてしまった。
 「……」
 俺は何も言わずにリビングを出た。妻の案じるような視線も、気づかないフリをした。
 誰もいない庭でタバコに火をつけた。冬の夜。底の深い空気。体を刺すような冷たさ。裸になった木々。もう少しで、年が明ける。
 けれど何も変わりはしないだろう。俺はこのままの自分でいることだろうし、この生活は続いていく。
 それこそ、親父が死なない限りは。
 よく失恋とか仕事とかのストレスでタバコを始める人がいる。けれどタバコでストレスは解消されやしない。タバコが吸えずに溜まったストレスを、タバコで解消しているにすぎない。だから、俺のやっていることに意味はない。
 俺のやっていることに、意味などないのだ。
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