第3話

文字数 2,049文字

 冬の夜は若者のためにある。イルミネーション、ケーキの広告、クリスマス。夜の底が深い。それなのに、ネオンライトに照らされる街は、どこか白んでいるようにも見える。すっかり冬の装いだ。俺も若い頃はなあ、と思うが、いまさらそんなことしようとは思わないし、そんな体力もない。俺はもう、老いていく自分を受け入れていた。
 今日も今日とて仕事を終えると、親父の世話に行った。親父のことを世話していると、果たして親父が俺のことをどう思っているのだろうと疑問に思うことがある。例えば俺に感謝しているのだろうか。こうやって俺が自分の生活を切り崩してまで施してやっていることを、当たり前だと思っているのではないか。もっと踏み込んだことを言うのであれば、果たして親父は、俺のことを息子だと思っているのだろうか。ヘルパーか何かだと、俺のことを勘違いしているんじゃないだろうか。そういう疑問が頭をつく。
 感謝されたいわけじゃない。最初はそう思っていた。けれど、そう思っていた時、親父は俺に感謝の意を伝えていた。しかし今ではどうだ。俺に話しかけるようなことはなく、寧ろ俺のことをどこか煙たがっているようにも思える。飯を作り、俺が口うるさく食べさせてやると「いらない」と子供のように拒絶する。そこにはもう感謝などない。あるはずがない。
 とはいえ、それはお互い様なのかもしれない。俺も最近は、親父のことを親父だと思わないようにしていた。でないと、腹の虫が収まわらないのだ。いや、こうして目の前にいるのは親父ではなく、単なる肉塊に過ぎないと自分に言い聞かせたところで、俺のむかっ腹が収まらないときは多々あった。
 すべての世話が終わり、俺は親父に一声かけた。
 「そろそろ入院したらどうなんだ?」
 「したくない」
 親父はもごもごと拒絶した。いつものことだ。
 「俺だって、ずっとこういう事を続けられるわけじゃないんだよ」
 「……」
 そう言うと、親父は何も言わなくなる。そうやって、俺の機嫌が鎮静化することを待っているのだ。こんな子供みたいなことをして、本当にこれが俺の親父なのだろうか。そう思うと、俺はやるせなくなると同時に、腹の奥底がグツグツと煮えたぎってくるのだ。一言言ってやらないと気がすまなくなる。
 「あのな、親父。俺にも生活があるんだよ」
 「……」
 親父は依然として何も言わない。何も言わず、腹を曲げ、倒れているのか寝ているのかすらよく分からない親父の姿は、それこそ本当に肉塊のようで、ひどく哀れだ。
 「何とか言えよ!」
 俺は声を荒げた。しかし親父からの返事はない。
 「あっそう。分かったよ」
 ここまでくると、もうどうしようもない。俺が折れる他ない。
 立ち上がり、俺は家を出た。やはり親父からの言葉は何もなかった。
 車に乗り込み、俺はスマホを開いた。妻に連絡をしようと思ったのだ。すると、一件の連絡が来ていることに気が付いた。それは、息子からだった。
 『年末帰省するね』
 俺はふと、自分の顔が少し弛緩していることに気が付いた。
 『あい分かった』
 手短に返信を終えた俺は、車を走らせた。
 息子は今年22で、大学四年生だ。今年の夏は就活が忙しく帰省できていなかったが、久し振りに帰ってくるようだ。そこそこ満足が行く企業から内定がもらえたようだし、話を聞くのが楽しみだ。
 家に帰り、俺は妻にそのことを告げた。
 「そうなんだ。相変わらず急なんだから」
 そう言いながらも妻はまんざらでもない表情だった。
 「まあ、いいじゃないか」
 俺は久しぶりに上機嫌に夕食を食った。
 風呂に入りながら、俺はひと息を吐いた。
 もうあいつも大学四年で、少しすれば社会人になるのか。
 思えば早いものだ。俺も年を取った。
 息子はデキの悪い俺の息子とは思えないほど優秀だった。俺が高卒と言うこともあり、大学には行かなくてもいいぞとは言っていたのに、息子はそれでもちゃんと勉強し、国公立の大学に進学した。手のかからない子供だったと言えば嘘になる。ここまで育て上げるのに、それなりの苦労はあった。しかし俺はその苦労を、苦労とは感じていない。
 俺たち夫婦に子供は一人だった。息子が生まれた直後、妻はもう一人欲しいと言っていたが、しかし俺はそれに対して首を縦に振ることはできなかった。それは多分、自分の経験の所為なのだろう。俺は親父の贔屓を、未だ認めることが出来ない。あんな姉弟間での不平等な扱いを許すべきではない。しかし、そう誓ったところで、俺がそうしない保証はどこにもない。
 俺は今息子に与えられるだけの愛を与えられている。しかし、下の子供が生まれた時、それはどうなるだろうか。俺の愛はどちらかに偏らないと、果たしてはっきりと断言できるだろうか。そうしない自信はある。けれど、それでも怖かった。
 今ちゃんと大学にまで進学し、就職にも一段落が付いた息子の様子を見ていると、俺の選択は間違っていなかったと思える。
 俺は風呂を上がった。
 親父。やっぱりあんたは間違ってるよ。
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