第3話 州民カード
文字数 2,397文字
邯鄲の夢ー②州民カード
「朝の礼拝まで時間があるから、先にディスペンサリーに行こうか?」
大橋が親切に翔太を誘った。
「そ、そんなこと言っても俺には保険証がないし、第一初診料だって払えない一文無しなんだよ。医者には、かかれないよ」
翔太は懐具合を心配して、とたんに狼狽した。
「そ、そうだ缶拾いの仕事はあるかい?それでまず日銭を稼がないことには食っていけない。ところで、君の仕事は?」
翔太は取り急ぎ大橋に縋り付いた。
「制服の胸ポケットを探ってごらんよ。州民カードがあるだろ、それが日本州の州民の証さ。この塔はひとつの街なんだ。学校もあれば、教会、病院、ジム、映画館勿論食堂もある。だから外出する必要がない。それさえあればこの棟525階全ての施設にアクセスできるから別に生活の心配もないのさ」
大橋は何を今更という表情だ。
「仕事は?お金は?」
「ああ、歴史の時間に習った銀行券のことかい?そんなものはとっくにないよ。お金は必要ないよ、第一存在しない」
「え?お金は要らない?存在しない?」
「そうさ、州の州富は英愛マリアさまが指揮して、アンドロイドとロボットが稼いでくれる。もうお偉いさんはいないから、搾取する側もされる側もない。われわれアネイブルには不労の権利が保証されているんだ」
「ふ、不労って、それじゃ州民の義務はなんなのさ?」
「礼拝の後、満月と新月の日に月二回、男性用の避妊ピルワクチン接種を受ける義務だ」
「そ、それを受けるとどうなるんだ」
翔太の追究が熱を帯びてきた。
「射精時に尿道と下腹部に激痛が走るので、女と交わるのが嫌になる。まず発情しなくなるさ。もっとも女は全員エイブル地区にしかいないがな」
「そ、それでお前たちは納得しているのか、満足しているのか」
翔太がさらに追究した。
「俺たちアネイブルには、不労の権利の他、医療を受ける権利、教育を受ける権利、食糧受給の権利、冷暖房居住の権利、ジムワークの権利、娯楽を享受する権利が認められているが、ただ一つ女を抱いて子孫を残す権利だけないのさ」
「だから、性的不能。アネイブルか」
翔太は床を見つめた。
「性的な不能という意味じゃないよ。俺たちアネイブルには、ホビーがない。それだけの事さ」
大橋がまた意味不明なことを言い出した。
「趣味なら、俺にも将棋があるさ」
翔太が強気になった。
「そうじゃない。この州では州民は皆不労の権利をもっているから、働くことは生活の為ではなく、趣味でやるのさ。それは英愛様の及ばない、詩人、俳人、歌人、小説家などのアーティスト達だ」
「こんな州民カードなんて要らない。なんて不気味な世界なんだ。一見天国のようだけど地獄だ。もう俺自身、詰んでいるじゃないか」
翔太は自嘲気味に笑った。
「しっ!そんな事を英愛兵に通報されてみろ、不良分子の非州民として告発されるぞ」
大橋は明らかに何かを心配している。
「話し込んでいる内に時間が経って、もう礼拝の時間だ。一緒に教会に行くとしよう」
「教会?キリスト教会かい?俺は仏教徒だぜ」
翔太が反論した。
「キリスト教会じゃないよ、英愛教会だよ」
「勘弁してくれ、機械にマリアとか名前をつけて本尊として拝むのか、なんて味気ない宗教なんだ。俺はいやだね」
翔太がダダをこね出した。
「毎朝の礼拝に出ることは、州民の勤めだよ。後は、自由時間なんだからさ」
大橋がなだめるように翔太の手を引こうとした。
「その前に君が手にしている、その青い辞書みたいなもんは何だい?随分と分厚いが」
翔太はさっきから大橋が手にしている本が気になっていた。
「州教の教書じゃないか。寝る時もお互いに読み聞かせしてから就寝するんだ。するとマリア様に見守られているようで安心してよく眠れる」
「待ってくれ、俺は仏教徒なんだ。寝る前のお勤めは、般若心経でいいかい。暗唱できるから」
「そんなことは許されない。英愛マリア様の遍く御慈悲で生活の心配がなくなったんだ。その教えに帰依するのは当然だろ」
翔太は、日本の戦前を思い起こした。
「あのデカイ奴らはなんだ?軍隊のような格好をして超上から目線だったが」
翔太が大橋の手を振り解き質問した。
「あれはな、英愛マリア様の子供たちだ」
「子供たち?」
「そうさ、英愛マリアさまが精子バンクの精子と卵子バンクの卵子を掛け合わせた受精卵をエイブル地区の女に植えつけて産ませた子供たちだ。遺伝子を精密に計算しているから、皆立派な体格で知能も高い、容姿も端麗だ。彼らは優良分子と呼ばれているのさ」
「うげっ、何が優良分子だ。気持ち悪い奴らだな。英愛が作ったと金軍団だ」
翔太はすっかり毒を抜かれた。
「エイブル地区のアーティスト達だって、遺伝子の収集が終われば、こちら側のアネイブル地区に格下げされる可能性が大だな」
大橋がドヤ顔になった。
「君たちは皆狂ってるよ。そうしたら最終的には、機械が調合した養殖もんの人間ばかりになるだろうが。ウナギも人間も天然もんにはかなうもんかい」
翔太は熱くなって反論した。
「狂っているのは、君なんだよ、同志アネイブル黒川、その養殖の方が理想的な社会が実現するんだ。さあその狂った頭を正常に戻す為に教会に行こう」
大橋は至って冷静に理路整然に説明するのが翔太には不気味で仕方がなかった。
「過去、人類は宗教の対立で戦争やテロまで経験しただろ。だけど皆で同じものを信じればそれもなくなる。アシカイーダなんて組織も自然に消滅したさ」
大橋からテロの話まで持ち出され、翔太は意気消沈して不承不承で従った。
「朝の礼拝まで時間があるから、先にディスペンサリーに行こうか?」
大橋が親切に翔太を誘った。
「そ、そんなこと言っても俺には保険証がないし、第一初診料だって払えない一文無しなんだよ。医者には、かかれないよ」
翔太は懐具合を心配して、とたんに狼狽した。
「そ、そうだ缶拾いの仕事はあるかい?それでまず日銭を稼がないことには食っていけない。ところで、君の仕事は?」
翔太は取り急ぎ大橋に縋り付いた。
「制服の胸ポケットを探ってごらんよ。州民カードがあるだろ、それが日本州の州民の証さ。この塔はひとつの街なんだ。学校もあれば、教会、病院、ジム、映画館勿論食堂もある。だから外出する必要がない。それさえあればこの棟525階全ての施設にアクセスできるから別に生活の心配もないのさ」
大橋は何を今更という表情だ。
「仕事は?お金は?」
「ああ、歴史の時間に習った銀行券のことかい?そんなものはとっくにないよ。お金は必要ないよ、第一存在しない」
「え?お金は要らない?存在しない?」
「そうさ、州の州富は英愛マリアさまが指揮して、アンドロイドとロボットが稼いでくれる。もうお偉いさんはいないから、搾取する側もされる側もない。われわれアネイブルには不労の権利が保証されているんだ」
「ふ、不労って、それじゃ州民の義務はなんなのさ?」
「礼拝の後、満月と新月の日に月二回、男性用の避妊ピルワクチン接種を受ける義務だ」
「そ、それを受けるとどうなるんだ」
翔太の追究が熱を帯びてきた。
「射精時に尿道と下腹部に激痛が走るので、女と交わるのが嫌になる。まず発情しなくなるさ。もっとも女は全員エイブル地区にしかいないがな」
「そ、それでお前たちは納得しているのか、満足しているのか」
翔太がさらに追究した。
「俺たちアネイブルには、不労の権利の他、医療を受ける権利、教育を受ける権利、食糧受給の権利、冷暖房居住の権利、ジムワークの権利、娯楽を享受する権利が認められているが、ただ一つ女を抱いて子孫を残す権利だけないのさ」
「だから、性的不能。アネイブルか」
翔太は床を見つめた。
「性的な不能という意味じゃないよ。俺たちアネイブルには、ホビーがない。それだけの事さ」
大橋がまた意味不明なことを言い出した。
「趣味なら、俺にも将棋があるさ」
翔太が強気になった。
「そうじゃない。この州では州民は皆不労の権利をもっているから、働くことは生活の為ではなく、趣味でやるのさ。それは英愛様の及ばない、詩人、俳人、歌人、小説家などのアーティスト達だ」
「こんな州民カードなんて要らない。なんて不気味な世界なんだ。一見天国のようだけど地獄だ。もう俺自身、詰んでいるじゃないか」
翔太は自嘲気味に笑った。
「しっ!そんな事を英愛兵に通報されてみろ、不良分子の非州民として告発されるぞ」
大橋は明らかに何かを心配している。
「話し込んでいる内に時間が経って、もう礼拝の時間だ。一緒に教会に行くとしよう」
「教会?キリスト教会かい?俺は仏教徒だぜ」
翔太が反論した。
「キリスト教会じゃないよ、英愛教会だよ」
「勘弁してくれ、機械にマリアとか名前をつけて本尊として拝むのか、なんて味気ない宗教なんだ。俺はいやだね」
翔太がダダをこね出した。
「毎朝の礼拝に出ることは、州民の勤めだよ。後は、自由時間なんだからさ」
大橋がなだめるように翔太の手を引こうとした。
「その前に君が手にしている、その青い辞書みたいなもんは何だい?随分と分厚いが」
翔太はさっきから大橋が手にしている本が気になっていた。
「州教の教書じゃないか。寝る時もお互いに読み聞かせしてから就寝するんだ。するとマリア様に見守られているようで安心してよく眠れる」
「待ってくれ、俺は仏教徒なんだ。寝る前のお勤めは、般若心経でいいかい。暗唱できるから」
「そんなことは許されない。英愛マリア様の遍く御慈悲で生活の心配がなくなったんだ。その教えに帰依するのは当然だろ」
翔太は、日本の戦前を思い起こした。
「あのデカイ奴らはなんだ?軍隊のような格好をして超上から目線だったが」
翔太が大橋の手を振り解き質問した。
「あれはな、英愛マリア様の子供たちだ」
「子供たち?」
「そうさ、英愛マリアさまが精子バンクの精子と卵子バンクの卵子を掛け合わせた受精卵をエイブル地区の女に植えつけて産ませた子供たちだ。遺伝子を精密に計算しているから、皆立派な体格で知能も高い、容姿も端麗だ。彼らは優良分子と呼ばれているのさ」
「うげっ、何が優良分子だ。気持ち悪い奴らだな。英愛が作ったと金軍団だ」
翔太はすっかり毒を抜かれた。
「エイブル地区のアーティスト達だって、遺伝子の収集が終われば、こちら側のアネイブル地区に格下げされる可能性が大だな」
大橋がドヤ顔になった。
「君たちは皆狂ってるよ。そうしたら最終的には、機械が調合した養殖もんの人間ばかりになるだろうが。ウナギも人間も天然もんにはかなうもんかい」
翔太は熱くなって反論した。
「狂っているのは、君なんだよ、同志アネイブル黒川、その養殖の方が理想的な社会が実現するんだ。さあその狂った頭を正常に戻す為に教会に行こう」
大橋は至って冷静に理路整然に説明するのが翔太には不気味で仕方がなかった。
「過去、人類は宗教の対立で戦争やテロまで経験しただろ。だけど皆で同じものを信じればそれもなくなる。アシカイーダなんて組織も自然に消滅したさ」
大橋からテロの話まで持ち出され、翔太は意気消沈して不承不承で従った。