第6話

文字数 1,198文字






 この、アングラシーンで執筆していて(それはその作家の死後かもしれないが)メインストリームに躍り出て、不動の地位を築くのは、まさにアメリカの〈パルプ・マガジン〉と同じ方式のように思う。

 今まで語ってきた話とはアングラカルチャーの〈シーン〉の話で、〈シーン〉は、死屍累々だ。死屍累々になる、というのは、その前に母数が多いということだ。シーンを形成するのはたくさんのひとが参加して、シーンを盛り上げていかなくてはならず、そしてその大勢の大半の人間は非業の終わりを迎える。
 だからか、僕にはそういう〈シーン〉を駆け抜けた人々が輝いて見える。成功した者は綺羅星で、敗散した者は流星のごとく、僕には見える。とても残酷な世界で、だけどそれはとびきり美しくて。

 さて、そのパルプ・マガジンとは一体なにか。ウィキペディアによるとパルプ・マガジン(英: pulp magazine, the pulps)とは、低質な紙を使用した、安価な大衆向け雑誌の総称。『タイム』など、光沢紙を使った「slick」雑誌と対称をなす。
 パルプ誌、パルプ・フィクションなどともいう。『パルプ・マガジン』という名称の雑誌があるわけではない。
 ……とある。ちなみにベタ貼りとは言えども、ちょっと読みやすく改変してここに載せたので文面はちょっと違うことをお断りしておく。

 歴史的、公平性的、な観点から「安価な大衆向け雑誌の総称」がパルプ・マガジンだ、とウィキでは書かれているが、高級な紙を使った『タイム』誌なんかと比べて、当時、パルプ・マガジンは低俗な読み物、という認識があった、と僕はいろんなところで聞き及んでいる。とにかく量で勝負する世界がパルプ・マガジンの世界で、参戦した作家は、参入障壁が「スリック」雑誌と違い薄く、たくさんの作家が大量の物語を紡ぎ、その多くは敗散し、死屍累々となった。だが、そのなかから綺羅星のように輝く作家たちが多数、生まれた。
 詳しくはウィキを読めば「この作家もパルプ誌の作家なのか!」と驚くと思うのだが、僕の好きな作家をあげていこう。SFではフィリップ・K・ディック、ブラッドベリ、ロバート・A・ハインライン。ミステリではレイモンド・チャンドラー、ダシール・ハメット。純文学ではウィリアム・バロウズ。
 ほかにも好きな作家は多いが、ここではディック、チャンドラー、バロウズの三人が特に僕が好きな作家だ、という風に言っておこう。覚えきれないほど名前をあげても仕方がない。僕はこの三人が好きだ。この三人は、ジャンルが三者三様で、共通点がなさそうだが、今では「偉大な文学者」として知られている。まあ、出自がパルプ誌なので、「安っぽい」のを含めた上で、この三人はとてつもなく〈文学〉だ、と言っておこう。もちろん、この三人には崇拝者がいるので、逆に「どう読んでも〈文学〉だろうがよぉ!!」という向きもあるかと思うが。


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