第二節 3

文字数 2,497文字

 ひととおり挨拶を済ませると、一行は巨獣に荷を繋ぎ、交易都市タラヤへ向けて出発した。
 ブラーヴィオ族のアルトゥロとエリカが先頭を行き、巨獣を導く。サカリアスとバシリオは二人のやや後方から付いて行く。オセホン族のルーベンとカジョは巨獣の両脇を進み、雇われ用心棒のウィルフレドが最後尾である。
 更に一頭だけ生き残ったルーベンの愛犬へロナに、アルトゥロたちの連れてきた犬が加わっていた。ブラーヴィオ族の飼う犬はロベロという大型犬で、ピンと立った大きな耳と垂れた長い尻尾を持つ、狼に近い犬種だ。
(アルトゥロとディマスが本隊にいる時で良かったな)
 サカリアスが話し掛けると、バシリオは嬉しげに頷いた。
「ああ、おかげで久しぶりに兄妹で荷を運べる」
(両親には会えたのか)
「父さんもちょうど本隊に戻ってきたところだった。母さんと一緒に少し話したよ」
(そうか。良かった。二人とも元気だったか)
「うん。少し歳は取ってたけどね」
 サカリアスの父親は彼が幼い頃に死んだ。部族を出たサカリアスは、母親や兄妹たちと会うこともできない。だからこそ、自分と家族の絆を大事にしてくれるのだとバシリオには分かっていた。
「相変わらず、サカリアスの方は思念で会話してるのか」
 二人の会話を傍で見ていたアルトゥロが、感心したように口を挟んでくる。サカリアスははっとして謝罪した。
「すまない。つい、いつもの癖で話していた。なるべく声を出して喋るように気をつける」
「気にしなくて良いぞ。バシリオは君の声を聞き取れるのは自分だけだってことが、得意でならないんだから。弟の楽しみを奪うほど私は無粋じゃない」
 アルトゥロが陽気に言う。
「バシリオ、今夜も私の天幕で一緒に寝ないか。お前と語り合いたい話が、まだ山ほどある」
「いやだ。久しぶりに会ったんだから、今夜はサカリアスと一緒の天幕で寝る」
「サカリアスもこっちの天幕で寝ればいい。広いぞ」
 遊牧民のアルトゥロにとって、兄弟の家族が同じ天幕に寝るのは、それほどおかしなことではない。
「絶対だめだ。他の男がいるところにサカリアスを寝かせるなんて、とんでもない」
 バシリオが血相を変えて強く拒絶する。エリカが冷たい眼差しを兄に向け、同情するようにサカリアスに話し掛けた。
「こんなに独占欲が強い男、嫌気が差すんじゃないの。ちょっとなら可愛げもあるかもしれないけど、ここまでだと疲れるでしょう」
「確かに」
「君はバシリオの理想が具現化したような人間だから、バシリオが夢中になるのも無理はない。強くて神秘的。それが子供の頃からバシリオの理想なんだよ。大変だと思うが、見捨てないでやってくれ」
「ああ」
 バシリオは、サカリアスがエリカの言葉に同意した直後には青ざめていたが、その後アルトゥロの言葉を受諾したのを聞いて安堵の表情を浮かべた。
 サカリアスの言葉ひとつに振り回される弟の様子を、アルトゥロがにやにやしながら眺める。
「サカリアス、君に黒豹の話を聞かせたことはあったかな」
「いや」
「バシリオが子供の頃、一頭の黒豹がうちの仔馬を襲った。君もブラーヴィオの馬に乗っているから、気性は知ってるだろう。母馬は怒り狂って猛反撃した。他の馬たちも加勢して、黒豹は危うく蹴り殺されるところだった。それを、バシリオが必死に庇ってね。黒豹は一命を取り留めたんだ」
 隣で話を聞いていたエリカも、そんなことがあったわね、と人の悪い笑みを浮かべる。
「傷ついた黒豹をバシリオは保護した。美しい獣だったよ。バシリオはすっかり魅了されて、彼女の怪我が治るまで寝る間も惜しんで世話をした。やがて彼女がすっかり元気になって手放さなくてはならなくなった時、子供だったバシリオは大泣きしてね」
「もう充分だろう」
 バシリオがなんとか兄を黙らせようとするが、アルトゥロはここからが肝腎なところだと言わんばかりの口調で続けた。
「その黒豹は綺麗な金色の目をしていたんだ。サカリアス、私は君に初めて会った時、あの黒豹を思い出さずにはいられなかったよ。弟が君に向ける想いの深さも、あの黒豹に向けていたものとそっくりだ」
 反駁(はんばく)しようと口を開いたバシリオを遮り、エリカが後を引き継ぐ。
「バシリオの好みは子供の頃からちっとも変わってないの。大人でも手を焼く気位の高い馬に入れあげたこともあったっけ。子供は絶対に乗せない馬だったのに、毎日毎日しつこく()(まと)って、乗せてもらうまで諦めなかったわよね。ロベロの群れのリーダーにも心底惚れ込んで、バシリオの子供の頃の親友は人間じゃなくて犬だったのよ。その中でもあの黒豹は特別だった。バシリオは本気であの黒豹のことを好きになってしまったんじゃないかって、私もディマスも心配したもの」
 サカリアスが何ともいいようのない眼差しをバシリオに向けた。
「違う。私はお前のことを豹の代わりだなんて考えたことは、一度もない。なんだって、何故そんなことを言うんだ。私の言うことを信じないのか」
 バシリオに冷たい一瞥をくれると、サカリアスは馬の足を早めてその場から離れた。バシリオは半ば本気で怒りながら兄妹の方を振り返る。
「アルトゥロ、エリカ。何故あんなことを言うんだ」
「本当のことしか話してないわよ。サカリアスが豹の代わりじゃないなら、聞かれたところで困りはしないでしょう」
「豹の代わりって、何を言ってるんだ。サカリアスはあの豹よりずっと美しい。サカリアスは何者の代わりでもないし、何者もサカリアスの代わりにはなれない。サカリアスほど美しい存在を私は他に知らない。サカリアスは唯一無二だ」
 エリカは最初、兄が冗談を言っているのだと思った。だが、口調はこの上なく真面目で、青灰色の瞳にも真剣な光が宿っている。エリカは軽く頭を振って兄を諭した。
「バシリオの愛情は少し過剰だと思うわ。サカリアスは優しいから受け入れてくれるでしょうけど、程々にしないと彼も息が詰まるわよ」
 自分でも自覚があるらしく、バシリオは心底嫌そうに顔を(しか)めた。
 二人の会話を苦笑しながら聞いていたアルトゥロは、弟が初めて家族の許へサカリアスを連れてきた日のことを思い出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み