第五節 3

文字数 2,601文字

 二人の後ろ姿を見送ったあと、バシリオが打って変わって気負いのない口調で言う。
「そうは言ってみたものの、正直なにから取り掛かったら良いのかよく分からないな。とりあえず、そのアラリコって奴の屋敷に偵察にでも行ってみるか」
(そうだな。どうせ、今夜は大して出来ることもないだろう。敵情視察も悪くはない)
 こうしてサカリアスとバシリオがアラリコの屋敷に向かおうとしていた頃、当のアラリコは自分の邸にある個人的な執務室で、トリスタンと向かい合ってソファに腰掛けていた。
「それで、僕はこれから何をしたら良いの」
 硬い声で質問する異母弟に、アラリコは両目に狡猾な光を湛えて答える。
「実はお前が頭領になった少し後から、カレンドゥラの栽培に使われる水に細工をしといたんだよ。半年くらい前から、フィゴの成分を含む花弁が市場に出回り始めてるはずだ」
「なんだって」
 既にその事実を知っていたことなどおくびにも出さず、トリスタンは大仰になりすぎないように驚いてみせる。
「なんてことをしたんだい、アラリコ。君はヘルミナシオンの頭領になりたいんじゃないの。カレンドゥラに細工をするなんて、ヘルミナシオンの頭領なら決してしないことだ」
「カレンドゥラ、カレンドゥラって、いつまであんな子供だましの花を育てるつもりだ。もっと気分の良くなる、金になる植物は他にもある」
「何の話をしてるの」
 あくまでもアラリコの話を理解できないという風を装いながら、トリスタンは異母兄の瞳孔の開いた目や汗ばんだ肌を注意深く観察した。ソムフェールと通じるうちに芥子中毒に仕立て上げられてしまったのだろう。今のアラリコは芥子のためなら何でも言うことを聞く、ソムフェールの狗に成り下がっている。二十年前のカレンドゥラ戦争の時と同じ手を、ソムフェールは今回も使ってきたのだ。
「もうすぐカレンドゥラを買った客から、花弁に不純物が混じってるというクレームが入る予定だ。俺が花弁を精査して、フィゴの成分が含まれていることを突き止める。それから栽培水を調査して、水に細工をした人間を特定する。するとその犯人が、水にフィゴの成分を混入させたのはお前の命令だったと証言する。すぐに俺が捜査を進め、お前とソムフェールが内通していた証拠を提出するって筋書きだ」
「なるほど。自分がソムフェールと内通してるんだから、偽の証拠なら幾らでも用意できるって寸法だね」
 トリスタンの皮肉を気にした風もなく、アラリコは嬉々として自分の計画を喋り続けた。
「お前は当然、頭領の座を追われるだろうし、捕われて裁判にかけられる。このニエベス自治区でソムフェールと共謀しカレンドゥラを損壊した罪となれば、よくて終身刑、死刑も十分あり得る。もし死刑にならなかったとしても、ヘルミナシオンの処刑執行人がお前の存在を地上から永遠に消し去ってくれるはずだ」
「そんな話を皆が信じると思うのかい」
「信じるさ。当のお前が認めればな」
「もし僕が断ったら、君はどうするつもりだい」
 よくぞ訊いてくれましたとばかりにアラリコが悪魔的な笑みを浮かべる。
「お前が断ったら、ウィルフレドをヒルの子供とは比べものにならない、死んだ方がましだってくらいの生き地獄に突き落としてやるさ」
 予測していた通りの返答だったが、それでもトリスタンの顔は薄らと青ざめた。
 アラリコから最初にウィルフレドを手中に収めていると告げられたとき、トリスタンはまともに取り合わなかった。アラリコは明らかに芥子の作用で高揚した精神状態にあり、トリスタンを脅すために虚言を弄しているようにしか見えなかったからだ。
 だが、直後にサカリアスとバシリオがトリスタンの許を訪れ、花弁の細工の件に関連してウィルフレドの名を出した。頭の回転が速いトリスタンは、ホセに細工の件を報せたのはウィルフレドに違いないこと、ニエベス自治区に戻ったウィルフレドをアラリコが本当に捕らえたのだということを悟った。
 慌ててアラリコを問い詰めに行くと、腹違いの兄は見知らぬ部屋に閉じ込められたウィルフレドの映像をトリスタンに見せ、嗤いながら言った。
「俺はあいつみたいのには全く興味ないが、お前があれだけ夢中になるんだ。あっちの方はそうとう具合が良いんだろう。芥子漬けにして都市人相手の娼館にでも売り飛ばしてやろうか。お前がだいぶ仕込んでやってるだろうから、あんがい人気が出るかもしれんぞ」
 ヒルから子供の話を聞かされ、トリスタンの恐れは本物となった。アラリコは人身売買組織と繋がりがあり、ヘルミナシオンの手の届かぬ違法売春組織にウィルフレドを売り払うルートを個人的に有している。トリスタンが言うことを聞かなければ、アラリコは脅しを実行するだろう。
 トリスタンはアラリコの狡猾そうな目を正面から見つめ、懇願した。
「ウィルフレドには手を出さないで。彼は僕たちの争いとは関係ない」
「関係あるさ。ウィルフレドは頭領選でお前を支持した。おかげで俺は頭領になれなかったんだ。あいつにはたっぷり恨みがある」
「何を言ってるの。ウィルフレドが僕を支持したはずがない」
 不快そうに眉を(しか)めるトリスタンに、アラリコが嗤って告げる。
「知らなかったのか。ウィルフレドは裏でホセと協力して、若手票がお前に集まるよう仕向けてた。だから俺はあいつが俺を支持してるように見せかけるため、ウィルフレドは俺の愛人になったっていう噂を流したんだんだよ。まあ、誰も信じなかったから、大した効果はなかったけどな」
 わざとらしく両目を大きく開いてみせながら、そういえば、とアラリコが揶揄(やゆ)するように続ける。
「一人だけ、あんな馬鹿げた噂話を本気で信じ込んでた間抜けがいたなあ」
 間抜けというのが自分を指していることを理解し、トリスタンは唇を引き結んで押し黙った。
「ウィルフレドも可哀相にな。昔から健気にお前に尽くしてきたってのに、当のお前はあいつを信じてやろうともしなかった。そうだ。お前が命に替えてもウィルフレドを助けたいと思えるように、とっておきの秘密を教えてやろうか」
 アラリコが浮かべた悪意に満ちた笑みを見て、この話を聞いてはならないとトリスタンの本能が警鐘を鳴らす。だが何故かトリスタンは声を出すことが出来ず、毒を孕んだアラリコの言葉は意に反してトリスタンの耳へ届いた。
「ウィルフレドを親父に売ったのは、お前の母親だぞ、トリスタン」
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