第17話 僕はサイド・ストリートを歩いていた。

文字数 2,650文字

「睡眠薬飲んだそうだ。大量に」
 翔太にそう言われた時、僕の思考は停止してしまった。ごくたまに、人の噂として聞いたり、一般のニュースとして目にする事は有ったが、自分の身近に起こり得る事と思ったことは無い。
 翔太は続けて、
「大丈夫、命に別状は無い。飲む前に親友に電話して来たらしい。前、玲奈ちゃんの事に付いて話を聞いた明日香の友達の知り合いだ。実はその子、男のことで玲奈ちゃんに注意したけど、その時、玲奈ちゃんがアドバイスに全く耳を貸さなかったことから、仲が悪くなってしまったんだそうだ。だけど、その前にはかなりの親友だったらしい。明日香の友達が最初聞いた時には、まだ気持ちの上でひっかかってる部分があったんで、あんまり親しくないようなこと言ったと後悔してたって事だ」
と言ってくれていたのだが、殆ど僕の耳には入っていなかった。ただ、玲奈が生きていてくれたと言うことだけが、意識に残った。
「おい、聞いてんのか!」
と翔太に言われて我に返った。恐らく聞いていなかったであろう僕の様子(ようす)を見て、翔太は同じ事をもう一度説明してくれた。

 僕に取って玲奈とは何なのかと改めて思う。僕は玲奈とどう向き合っていたのかと考えた。『ビジュアル的にバエる玲奈を、彼女にしたかっただけなのか。もっと露骨に言えば、やりたかっただけなのか』と自問してみたが、それがほぼ当たっているとしか思えなかった。『いや、違う。僕は深く玲奈を愛していたんだ』などと言える材料は何も無い。
 一方、玲奈に取って僕はどんな存在だったのだろうかとも考えてみた。確かに僕は、玲奈を抱いた。しかし、そんな事は、僕が玲奈を愛していたという証明にも、玲奈が僕を愛していたという証明にもならないばかりか、僕が玲奈を大事に思っていたと言う証明にすらならない。玲奈だって、僕を愛していたから抱かれた訳では無いだろう。
 今度の出来事から逆に推論すれば、一瞬でも苦しみから逃れようと、僕に体を与えただけだ。或いは、僕に苦しみを打ち明けようとしたのかも知れない。しかし、僕に打ち明ける事によって救われるとは思えなかったと言う事だ。或いは、玲奈の体に満足した僕に、玲奈は、その時点で見切りを付けたのかも知れない。
 僕の今までの行動は、見当外れのギャグでしかなかった。玲奈が主人公のストーリーが有るとすれば、その中での僕の役割は、ワンシーンかツー・シーンに顔を出すだけのバイプレーヤーに過ぎなかったのだ。玲奈の、喜びも悲しみも、苦しみさえも、僕とは無関係なところで起きる出来事の中で語られていた。
 玲奈が歩くメイン・ストリートの横を平行に走るサイド・ストリート。そんなものを想像してみると、それこそが僕が歩いていた(みち)だった。玲奈の置かれた状況も分からず、その(みち)を能天気に歩いていただけの僕は、相談相手でも、SOSを伝える相手でさえもなかったと言う事だ。そう思った。

「病院は?」
と、翔太に聞いた。地の底へ引きずり込まれるように、気持ちが重くなっていた。
「聖地八王子病院。駅から近いそうだ。多分、明日香が確かめに、今行ってる。ひょっとしたら、お前に直接電話が来るかも知れない。明日香に取ってもショックだったろうし、事実を確かめてからお前に話した方がいいって言い張ってたからな。直接聞いた分けじゃなくて友達からのまた聞きだから、間違いだと思いたいんだろう。でも、病院の名前も具体的じゃ、噂話で片付ける訳にも行かないからな。まず、間違い無いだろう。だから、すぐ話した方がいいと、俺は思ったんだ」 
 思わず『ふーっ』とため息が出た。
「これから、八王子行ってみるか?」
と翔太が言った。
「…… 家族も来てるだろう。明日香ちゃんが行ってるなら、連絡待つよ」
 僕は、そう答えた。
「うん。明日香は、間違いなく行ってると思う」 
 男の事が気になった。突然、苛立(いらだ)ちを覚えて、
「そいつはどこに居るんだ? 今」
と、僕は翔太に聞いた。
「うん? 男のことか? …… 分かんねえよ。お前、そいつに何かしようと思ってんのか?」
 翔太は、心配気(しんぱいげ)に言った。
「そう言う分けじゃない。何となく聞いただけだ」
 翔太の心配を打ち消そうと、僕は、そう言った。
「だよな。今、まずは玲奈ちゃんの事だろう」
「ああ……」


 行かないと翔太には言ったが、僕は、八王子に行った。しかし、家族が来ているだろう病室を訪ねる勇気はなく、ただ、病院のロビーをうろうろしただけだった。そうしているうちに明日香から電話が有り、彼女も玲奈には会えなかったと聞いた。しかし、明日香は、彼女の友達と一緒に玲奈の親友だった黒田遥に会い、話を聞けたと言う。
 黒田遥に玲奈から連絡が有ったのは、一昨日の午後三時頃だったと言う。黒田が電話に出ると、いきなり玲奈は謝り始めたそうだ。くどくどと謝るので、
「もう、気にしていない」
と言ってやると、今度はやたらに感激して、泣き始めたと言う。感情の起伏が激しく、精神的に不安定な様子(ようす)から、『普通ではない』と感じた黒田は、
「今、何処(どこ)に居るの!」
と何度も聞いたそうだ。なかなか言わなかったが、話の流れで『あの男の部屋だ』と察しが付いたので、話を引き伸ばしながら、黒田は聞いていた男のマンションに向かったと言う。電話は十分ほどで切れた。話の内容は過去のあれこれの出来事について謝ったり、友情に感謝したりと玲奈が一方的に話して、会話としては噛み合っていなかったと言う。
 男の部屋に着くとドアが細目に開いていたので飛び込むと、玲奈が倒れていた。男は居なかった。すぐ、救急車を呼んで一緒に病院に行った。幸い措置が早かったので、命に別状はなかったと言う次第だ。
 胃を洗浄して、意識が回復するのを待って連絡先を聞き出し、玲奈の実家に知らせたのだそうだ。その日の晩には両親とも駆け付け、出来るだけ早く実家に連れて帰ると言う話になった。黒田遥以外の面会は、すべて断っていると言う。
 もちろん、男も現れていない。男の名は広田和樹、玲奈の中学時代の同級生で、八王子大学の三年。一度別れたが、また時々会うようになり、今ではまた半同棲の状態になっていたと言う話だった。
 妙に冷静な気持ちで、僕は明日香の話を聞いた。明日香と翔太があっさりと仲直りしたと聞いた時だけ『良かった』と心が動いた。
『玲奈はどうしようもない馬鹿女なのか? 男への当てつけで薬を飲んだのか?』そんな風に考える自分も居たが、なぜか玲奈が可哀そうで、心が凍りついたように動かない時間が過ぎた。 
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