第1話 細い肩

文字数 2,598文字

 玲奈は、スマホいじりながら、足でリズム取って、音楽聞いてる。白いスカートの裾がリズムに合わせて揺れる。
 僕はっていうと、じつは、ある感触を思い出していたんだ。

 玲奈の細い肩が、僕の上腕筋の辺りに寄り掛かって来て、首を傾け虚ろな目で、下から僕を見上げた。玲奈の僅かな重みを心地良く感じた。小さな、柔らかい肩の肉塊の奥に骨の感触があった。
「ね、いつも、女、そう言う口説き方する分け?」
と悪戯っぽく笑う。
「口説いてなんかねえよ」
と、僕はわざと不機嫌そうな顔をして見せる。
「じゃ、”川辺美波”って嫌いなの?」
と聞いてきた。僕の“推し”と知ってのことだ。からかってる。
「嫌いじゃないよ」
 仕方無く、僕はそう答えた。
「好き、な方?」
と玲奈は更に突っ込んで来た。
「どっちかって言うとね」
 ムキにもなれないから、そう答えた。
「……で、私が”川辺美波”に似てるって言ったんだよ。口説いてるじゃん」
と笑って、僕の太腿を平手で叩く。結構痛かった。そして、“ツッコミどころはそこか”と思った。
 その無邪気さで玲奈は、“自惚れてんじゃないの?” という僕の毒口を出させない。
「そういうの自意識過剰って言うんじゃないの?」
 僕は自制して、言い返す言葉を、そのくらいにとどめた。
「……つまんない男」と、今度は玲奈はそっぽを向く。
『これが、世に言うツンデレってヤツか』
と僕は思う。

 派遣で行っている、或るコールセンターの飲み会の席、居酒屋の座敷でのことだった。
 始まってから、一時間半を過ぎていたので、こっちに三人、あっちに五人と固まって、それぞれの話題で盛り上がっている状態だった。
 偶然、そうなってしまったのか、皆、気を効かした積りなのか、気が付くと、ぼくと玲奈の側には、誰も居なくなっていた。
 玲奈も僕も、壁に背をもたせ掛けていた。顔だけでなく、耳から白目まで赤くなっていて玲奈は、もう大分出来上がってしまっていた。とろんとした目を見ていると、そのままどこかへ連れて行ってしまいたいような衝動に駆られてくる。 
「あの子、この頃ケバくなってない?」
 急に振り向いて、玲奈が言った。”川辺美波”の話題だ。そう言えば、無邪気そうな川辺美波が、何故か大人っぽく化粧したCMが有ったような気がした。
「うん、そう言うCMも有ったよね、確かに」
と僕は適当に相槌を打つ。
「ね! そうだよ。……うん、そう」
と玲奈は一人で納得。
「でも、戻ったんじゃない、元に」
 グリーンの妖精のような服装で、こどもたちの先頭に立ち、バトンを振る川辺の別のCMを念頭に置いて、僕は言った。そして、
「何だっけ、梨村架純と姉妹設定でやってた何とか共済のCM、あれ好きなんだよね」
と続ける。
「うん。あれあたしも好き。そんなことより飲もう! 雄介」
 CMの話題では一応同意したが、玲奈の関心はもうそこから離れていた。また、一気飲みをしようとする。
「もうよせよ。いい加減に」
と、僕は玲奈のグラスを取り上げた。
「飲むの! 今日は。だって、久しぶりの懇親会でしょ。……飲んで、話して、懇親を深めないと、ねっ。そうでしょ」 
 玲奈がグラスに手を伸ばして来る。とその時、
「皆さん、ちょっと聞いてください。こちらの席は、十時までに空けなければなりません。まだ、もう少し時間がありますから、楽しんで頂いて、但し、身の回りの物とか確認しておいて頂きましてですね。十時前には、忘れ物することなく、速やかに退席出来るようお願いします。ただ、夜はまだまだ、と言うかこれからですから、カラオケに場所を変えて、盛り上がりたいと思います。電車がなくなってしまう人、明日は、朝からシフトが入っていて、遅くなると起きる自信がないと言う人以外は、是非積極的にご参加をお願いします」

 幹事役SVの、中締めの挨拶が入った。
「玲奈大丈夫?」
 リーダーの細井由紀子が声を掛けて来た。
「じゃーん! 細井さーん。飲んでますかー?」
 その辺にあった、誰かの飲みかけのグラスを、細井の方に差し出しながら、玲奈は陽気だ。
「私、今日、帰ってから用があるから、車で来たの。だから、一滴も飲んでません」
 細井は、ことさら事務的な口調でそう言った。そして、僕の方に向いて
「 ……出来上がっちゃってるね。大分」
と言った。
「そう、大分出来上がっちゃってますよ。…… しょうがないな」
 僕は、何か保護者にでもなった気分になっている。
「大丈夫。方向同じだから、私送って行くから」
と細井が笑顔を見せて言った。僕にしてみれば“えっ?” っていう感じ。
「あっ、そう。そりゃ、安心だ。良かった」
と言うしかない。”お節介め”と思った。
「カラオケ行こうよ。細井さんも雄介もーっ」
と玲奈は愚図る。”そうだ、玲奈。もっと愚図って、細井さんをギブアップさせてしまえ” 僕は、そう思っていた。ところが、
「ほら、帰るよ。バッグ持って。ほかに、忘れ物ない?」
と細井は強引だ。玲奈の言ってることなど、頭から無視している。玲奈の方が、あっさりとギブアップして、もそもそと帰り仕度を始めた。
「斉藤君、ありがとう。明日は、出?」
と細井が聞いて来た。
「明日はゼミがあるから、シフト入ってません」
と答えたが、“あんた、玲奈のママでも姉ちゃんでもないんでしょうよ。大きなお世話はやめてくれ” 腹の中で僕は、未練がましくそう言っていた。
「じゃ、あさって。お疲れさん」と細井。
 玲奈はにこっと笑って、肘から上に曲げた手の掌を小さく、僕に振った。
「お疲れさんです」
 玲奈には、ちょっと手を挙げて、細井には挨拶を返した。

 そんな訳で、妄想とはかけ離れたところで、その日の、僕と玲奈とのコンタクトは、あっさりと終わってしまい、玲奈と特別に親密になる最初の機会を、僕は逃した。もちろん、カラオケには行かずに帰った。面白いはずもないし……。
 やりきれない思いが、頭の中でぐるぐる回っていた。そして、押しつけられた、玲奈の肩の感触だけが、妙に生々しく残っていた。 


SV(スーパーバイザー)は、コールセンターでの責任者や管理者にあたります。 コールセンターによって仕事内容は異なりますが、基本的には「オペレーターの勤怠管理やシフト作成」「オペレーターの育成、研修」「コールセンター業務の顧客対応クオリティの確認と管理」「業務改善に向けた企画、提案」など、統括的な仕事をこなすことになります。
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