その御頭、美少年に付き(1)

文字数 3,422文字

 稲刈り真っ最中の忙しい日々、野道のススキが風に揺れ、リンドウがつぼみをつけはじめた。 わたしは大庄屋さんの広大なお屋敷、通称「御鷹屋敷」にお使いにやってきた。

 村々を治める大庄屋さん。そのお屋敷がなんで「御鷹屋敷(おたかやしき)」って呼ばれるかというと、お殿さまの「本陣(ほんじん)」があるからだ。昔からタカ狩りや御領内のご視察のときにお殿さまが何度も休泊なさっているからなのだ。
 濃い緑の杉や松で囲まれたその御鷹屋敷に、わたしは叔父さまに頼まれて届け物をしにきたのである。
 お屋敷は今日もワサワサ、ザワザワしていた。広い敷地内に郡役所の出先もあって、大庄屋家の手代衆(てだいしゅう)、郡奉行の算用役の人、月番で詰める村役人などなど、大勢の人がいる。さらに村々を警備する足軽さん、町の商人さんなども出入りする。
 さらに各村で収穫したお米は、まずはここのお蔵に納められるので、今の季節はにぎやかしいことこの上なかった。

「おはようございます。豊作村善兵衛の代理の者でございます」
 川除堤の普請(ふしん)割当の帳面を提出する。
 叔父さま、先日、なんとなんと豊作村の庄屋さんになったのである。ちなみに善兵衛っていうのが、叔父さまの名前。
 一狭間の村には、「庄屋、総代、組頭(くみがしら)」と三つの役職がある。代々決まったお百姓が勤める村も多いけど、わたしが住む豊作村は小さな村だ。だから持ち回りで務める。がぜん忙しくなってしまった叔父さまの書類仕事を手伝うことが多くなったわたしだ。
 大庄屋家手代の熊吉さんが、書類の綴りをじっと検分する。四角い顔のおじさんで、もうすっかり顔なじみだ。
 背後でひそひそ、わたしを指さしてささやく声が聞こえる。
「なんだよ、あのお遍路さんは?なんで街道でもないのにいるんだっちゃ?」
「あれが腹黒家老の娘だと」
 はいはい、こういうの、もう慣れましたよ。
 帰ろうと通用門から外に出ようとしたところ、大庄屋さんの屋敷のほうで小さな子どもたちの泣き声が聞こえてきた。
「うわ~ん」とか、「きゃー」とか、なんだろう? 
 奥に進んでみると小さな子どもたちが五人、秋空を見上げてわあわあ騒いでいる。大庄屋さんの家の子どもたちだ。そのうち年長の女の子は、たしか子守で雇われている子で、顔見知りだった。
「どうしたっちゃ?」
 わたしはわざと、一狭間の訛りを交えて聞いた。
「タカちゃん。凧が飛ばされたっちゃ。どうしよう、叱られる」
 見上げると、庭の木立に鐘馗さまが描かれた凧がひっかかっている。わたしは木によじのぼって、金剛杖で凧をつつき下に落としてあげた。
 いやいや、それにしても立派なお屋敷だ。高いところからしみじみわたしは、御鷹屋敷を見渡した。
 でっかくて立派な門が「どーん!」とある。だけど固く閉じられて、誰も通らない門。これがお殿様だけが使える御成門(おなりもん)。そしてその門の向こうにある重厚な建物が「本陣」。殿様が鷹狩りをする際休まれたり、お泊まりになったりするための客殿だ。

 屋敷の外に目を移すと、見渡す限り野原が広がっている。これが殿さまのお鷹場。
 群生する野の緑のざわめきで風の行方が見えるようだ。あちこちにある池に、無数の鳥が羽を休めている。
 目を上げると、空に大小さまざまな鳥たちが群れ飛んでいた。冬になると、大きな白鳥もやってくる。
 ここで、歴代のお殿様たちが鷹狩りをなさっていた……って、鷹狩りって、じっさいにどんなことをするのか、わたしはよく知らないんだよね。
「鷹を狩るのかなあ。でも鷹なんて捕まえてどうするんだろう」
 食べたり、飼ったりするのだろうか。
 ふと見ると、屋敷内に引き込まれたミドロが池をはさんだ向こうに建物があり、板壁のかなり高い部分に、ぽつんと穿たれた引き窓が開いていた。
 そこから誰かわたしを見てる。落ち着いた感じの、白っぽい着物の女性。
 大庄屋家の人だろう。うわあ、恥ずかしい。わたしはぺこっと一礼して、慌てて木から降りた。子供たちがぴょんぴょん飛びついてくる。
「タカちゃん、ありがとう」
「あんなに高く登れるなんて、タカちゃん、怖くなかった?」
「平気平気。それより聞いて。わたし、今から叔母さまにお許しをもらって初めて一人で町に買い物に行くんだよ」
「へえーよかったね!一人でお使いに行けるようになったんだっちゃ、タカちゃん」
 みんなに見送られて、わたしは城下町へ向けて歩き出した。

 城下町への道は二つある。けど、今日は御鷹往来とみんなが呼ぶ道を通った。お鷹狩りの時使われる道で、城下町につながってるのだ。雨が多いと道が水没しちゃうところもある細い道けど、近道だし、お鷹狩りの時以外は誰でも往来自由なのだ。
 わたしが一人で城下町へ行くのは、叔母さまに長らく禁止されていた。十くらいの子たちでさえお使いに出されるというのに。叔母さまはわたしが十五になるまで、ぜったいのぜったいにダメだってきかなった。
「叔母さま、ほんとに心配性なんだから」
 城下町の入り口には小川がある。みんなそこで汚れた手足を洗ったり、小川のほとりのお地蔵さんの前で休憩して身づくろいする。お団子やお茶を売る店もあった。
 町の入り口の木戸を通ると、ワクワクしてしまう。だって、いろんなお店がある。人もたくさん歩いてる。それに旅の人が多い。
「ああ、ほっとするなあ」
 だってわたしと同じ、白衣のお遍路姿の人も多いから。城下町に入ると、わたしは目立たなくなる。ただの旅の娘になるから。

 ずっと行くと、四辻の広場に出る。お城の濠がここまで引き込まれて、柳がたくさん植えられている。ここからお城の立派な石垣と、高い櫓がどーんと見える。柳の緑が映えて、ほれぼれするくらいかっこいいお城だ。
 広場には、「北ユルイ湊、南ウソノ山」と、石の道しるべがある。宿屋がたくさん集まって看板をかかげ、茶店、料理屋、仕出し屋、甘味屋など、飲食できる店が集まっていた。一狭間は飛地領が多くて、これという特産の産物が無いんだって。だから他領からいろいろなものを買うんだそうだ。そのため商人が多く来る。それに毎月「九」のつく日に「御仕事市(おしごといち)」という奉公人の市が立つ。この四辻の広場がその市場になるから、休憩したり泊まったりできる茶店や料亭、宿屋が広場のまわりに集まっているのだ。
 しかし。
「タカは絶対に御仕事市に行ってはいけない」
 叔母さまが厳しくそういうので、とてもにぎやかだというそれを、わたしはまだ見たことがない。

 この広場から北へ向かう道を行くと海。湊がある。また「官道」とみんなが呼ぶ街道にもつながっていて、東に向かうと越後の国々や、奥州の方へ行けるんだって。西のほうに行けば、加賀や越前へ行けるんだそうだ。
 逆に南へ向かうと、山の方に行く。一狭間の城付御領の有名な湯治場、顔巣(かおす)の湯に行ける。わたしも叔母さまや従妹たち、村のおばちゃんたちと何回か行ったことがある。とってもあったまる体にいい湯なのだ。
 湯治場からさらに山に向かって行くと、宇曾野山(うそのさん)の険しい山々。さらにさらにそれを越えると、飛州や信州や甲州へとつながっているのだそうだ。そこからお江戸や京の都にも行けるらしいけど、ぴんとこない。
 
「御仕事市」の無い時は、城下町はのんびりしている。わりあい静かな広場を過ぎ、糸や布を買うために横丁へ入ろうとすると、今来た道の向こう、ざわざわと騒がしい。茶店や露店の人たち、通行人たちも「なんだ?」と伸びあがった。
「あっ!あの娘です!!」
 大声が聞こえ、向こうから足軽ぽいおじさんたちが五、六人、怖い顔で走ってくるのが見えた。
「なにかあった?こっちに向かってくるみたい」
 顔見知りの茶店の若おかみが、思わずと言った様子でわたしに話しかけてきた。
 そして二人で「あれっ?」「なになに?」とか言ってるうちに――取り囲まれてるんだけど?
「娘、この盗人め!捕まえろ」
「盗人?わ、わたし?」
 足軽さんたちがつかみかかってきたので、思わず避けてしまう。茶店の人たちが巻き込まれそうになったので、とっさに足軽二人の喉元に掌底を撃ち、金剛杖で脛を突いてしまった。
 しかし。
 逃げ回りつつ空気を読むかぎり、私が逃げ回ってるのはあまりよろしくなさそうで。
仕方なくわたしは、捕まることにした。
 そして、なぜかさきほど書類を届けた御鷹屋敷に連れもどされた。いったいなにがどうなっているのか分かんないうちに、薄暗い座敷に押し込められてしまったんですけど?
 どういうこと?
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登場人物紹介

タカ

主人公。15歳。家老だった父、原黒田左門が汚職の罪で失脚し「腹黒家老の娘」と呼ばれる。処刑を免れるためいつも白装束のお遍路姿でいる。綺羅さまは婚約者。地味でまじめな性格。静かに平穏に暮らすのが夢。

本人は分かっていないが、幽霊が見える。殿さまに処刑を命じられている身の上なので、皆に半分死んでいると思われているからだろう、と綺羅之丞は分析している。

綺羅さま

榊綺羅之丞。タカの婚約者。15歳。一狭間藩士。榊家当主。知行は三百石だが年少なので百石。家中の思想犯を取り締まる胡乱改役御頭見習い。でも閑職と言われている。先代殿様「大殿さま」を父に持つ。美少年。驚異の記憶力。ガンコで繊細で人見知り。タカより背が低いのが悩み。たまにお姫さまの姿をして、大殿さまに面会に行かなければいけない。

叔母さま

タカの叔母。名前はソヨ。タカを厳しく、優しく見守る。満月郡豊作村善兵衛の妻。タカの母の妹。不愛想でしっかり者。花づくりの名人でもある。五人の娘がいる。

叔父さま

豊作村善兵衛。タカの叔父。まじめ、お人よし。豊作村の庄屋。でも小さい村なので別に豪農ではない。だいたい持ち高四十石くらい。副業として米作以外に城下の町に卸すための花も栽培している。大男で、若いときは村の相撲大会でわりと強かった。下戸。

貞柳さま

タカの住む豊作村の尼寺、福寿寺の庵主さま。もとは奥御殿の奥女中だった。脊柱管狭窄症のためお城を下がり得度して尼さんになった。村の女性たちや、タカの良きアドバイザー。甘い物好きだが、酒も好き。恋バナが好き。実は綺羅の実母について知っている人物。


綾野玲三郎

榊家用人。綺羅之丞の家来。長身の美男。優しい。おしゃべり。ものしり。実は事情があって長州藩士に追われており、こっそり綾野玲三郎になりすましているだけ。英語に堪能で、綺羅に世間の広さを教え、二人だけでいるときは先生のようになる。

大殿さま

架空の藩、一狭間藩の十三代藩主。タカの父である原黒田左門を抜擢したが、のち罷免し、タカとタカの兄の斬首を命じた。優秀な人物だが、時々残酷なため隠居させられ弟に譲位した。しかし藩の実権を握っている。保守的。佐幕派。側室との間に生まれた綺羅之丞を実子と認めていない。

大海原求馬

一狭間藩の名門、大海原家の五男。二十五歳。独身。藩士を監察する大目付の部下で、胡乱改役御頭見習いの綺羅之丞の後見役。神通虚心流という剣術と柔術の流派で免許をもらっているので、そこそこ強い。父や兄弟は重臣なので出世したいと思っている。また早く結婚したいと思っている。母上と仲良し。マザコン気味。

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