その男、幽霊に付き(2)
文字数 3,767文字
「わたしの娘がね、笹野さまのお屋敷で下働きをしてるんだっちゃ。秋ナスがたくさん取れたから、ちょっと分けてやろうと思ってさ、ちょくちょく行くんだっちゃ。もちろん御勝手口でちょっと話すだけだよ。笹野さまのお屋敷は、榊さまのお屋敷の斜め向かいだっちゃ。途中までいっしょに行きましょう」
迷惑がかからないか、一瞬迷う。おばちゃんは笑った。
「太鼓屋の大将がね、心配だから知らん顔でついていって様子を見てきてくれんかって。頼まれたんだっちゃ。知らん顔していくよ」
そうか。みんなすごく優しいな。
再度、キラ邸に向かう。ちょっと後ろからおばちゃんがついてくる。
一狭間の城下町は、お城の周囲にうずまき状に武家屋敷が並んで、かたつむりの殻のように町立てされる予定だったらしいが、とっくにうずまきなんて崩れてる。東西南北に道がつくられ、中、下級武士の町と、商家や町家がごちゃごちゃと入り混じっている。
しかしお城に近い上士のお屋敷が並ぶ辺りは、うずまきの名残がある。路が曲がっているから、先が見通せないよ。ふふ、まるでわたしの人生のようだよ。
もう日が高くなって、静かな武家町にも動きが出てきていた。門前で掃除をする人、外出する主を見送る用人たち、立ち話しているお供の人たち。その人たちは、白いお遍路すがたの私をみると、みんなギョッとした。
「……!」
みんなが目を伏せて見ないようにする。
うわーそうか!上士が多いこの上品な武家町では、わたしのこのかっこうは目立つ。それにわたしが「原黒田左門の娘」と悟られているのだ。さっきは、朝早かったからたまたま人が少なかっただけだったんだ。みんな、わたしが通ると、そっぽを向いたり顔を伏せたり、屋敷内に入ってしまう。
――指さされたり、噂話をされるのも嫌なものだけど。こういうのが一番怖くて、なんだかつらいのだった。
なんとか気にしないよう歩いているうちに、キラ邸に着いた。武家屋敷は、だいたい似たような造りのお屋敷ばかり。その中でキラ邸は割と新しい。壁が白々としていて両隣のお屋敷に比べると、こじんまりしてる。
門衛のおじいさんが私を見て「また来た」と渋面になるが、先刻と同じように取次を頼む。
またキラ邸の用人綾野玲三郎さんが、脇戸から出てきた。長身痩躯の美男子も渋面を作って言った。
「またいらしたのですか?あなたのいる村はいま年貢を納めるので多忙な時ではありませんか、と主が仰せです。このようなところで油を売っているヒマはないのではないでしょうか、耕作の邪魔をしたとこちらがお叱りを受けるのは迷惑だから村に帰れとの仰せです」
「えっと、おっしゃる通りです。すぐに帰ります。ですが、どうしても、お渡ししなければならないものがあるとお伝えください。」
「一応伝えますが、主はこう言っています。次来られたら、こちらも怒りますよ、覚悟を決めてくるように、でなければ二度と来ないでください、と」
バタン。また戸が閉められた。
またまた門前払いだ。
「……これは、ほんとに会ってもらえないかも」
ちょっと焦る。なんだか怖いことも言われたし。でも、綺羅之丞さまって、わたしが村にいて、今の時期忙しいって分かってるみたいだ。
それにしてもなあ。ただ単に綺羅之丞さまにお礼を言って、あのお守り袋を渡したいだけなんだけどなあ。
「どうしてこんなに難しいのかなあ」
するとそこへ、どこかのお屋敷の中間らしき男たちが近寄ってきた。めんどくさいことになる予感。
その中の特にガラの悪そうな、お兄さんからオジさんになりかけの男が言った。
「なんだ?旅の娘か?なんでこんなところにいる?この辺りはなあ、えらいお武家様方のお住まいなのだ。おまえのような者には用が無いところだぞ」
また別のガラの悪い人が「ほら、あっちへ行けよ」と言いながら、わたしの腕をつかもうと手を伸ばす。すばやくよけて、私はできるだけ、悲しく寂しい雰囲気を醸し出して言った。
「これから許嫁の榊綺羅之丞さまに、ごあいさつに参ります途中でございます。どうかお目こぼしください」
しかしそいつらはさらに「怪しい娘だな」と言って、手を伸ばす。とっさに、手に持っていた金剛杖で払いのける。
「痛っ、おのれ…」
怒る男がつかみかかってくるのを、後退しながら避けた。すると、
「おい!この白装束の娘、原黒田の娘に違いない。関わると面倒だっちゃ。見ないふりをせよ」
「あっ!あの腹黒家老原黒田の……!?」
中間たちはそそくさと逃げていく。秋ナスのおばちゃんが駆け寄ってきた。
「よかったっちゃ、タカさん、お前さんはずいぶんすばしっこいね」
「はあ。怖かったです」
おばちゃんは去っていった中間たちをにらみつけて言った。
「さいきん乱暴な者が増えて嫌になるだっちゃ。タカさん、どうする?わたしはこのまま娘に会いに行くけど」
「はい、大丈夫です。どうもありがとうございました」
おばちゃんはつやつやの大きなナスをいくつか取り出した。そしてなんと、それをキラ邸の門衛のおじいさんに差し出した。
「ねえ、たくさん採れすぎたから、あんたももらってくれんかね。でさ、さっきのちょっといい男の用人さん、もう一度呼んできてほしいんだっちゃ」
門衛のおじいさんは、ちょっとうれしそうにナスを受け取って、怖い顔で言った。
「婆さん、あんたも物好きだっちゃ。原黒田さまの身内なんかと関わらんほうがいいぞ」
「それこそ婆さんには関係無い話だっちゃ。でもね、魚が普通に買えるようになったのは誰のおかげかね」
いったいなんの話だろう。
「ほら、呼んできてくれんかね」
門衛のお爺さんはしぶしぶと言った様子で奥へ引っ込む。
脇戸から、おなじみといっていいのかどうか。すらりと背の高い、痩せぎすの、ちょっと冷たい感じの美青年が顔をのぞかせた。用人綾野さんである。
「はいはい、三顧の礼にならい三回目には会えるかもとかあなたは思っているのかもしれないが、会いませんと我が主からの伝言です」
「……っ!」
どうしてわかったんだろう。
「我が主は、先を読むのですよ。そして四回目には御会所にこの無礼な所業を届け出る、そうなったらあなたの養い親様たちがお叱りを受けることになる、と主は仰せです」
「ああ~、ついに御会所が出た」
「は?」
「いいえ。なんでもありません。どうか先日の大庄屋家でのこと、ありがとうございましたとお伝えください。それから、綺羅之丞さまご本人にお渡ししたいものがあるのですが、直接お会いしないと渡せないのです。どうかそれもお伝えください」
「あなたと似たようなことを言い、我が主に面会を求める人が多くいるのですよ」
それはやっぱり美少年だからだろうか。
「我が主はたいへんな美少年なので。美少年は大変ですよ」
やはりそうか。
「……それはともかくあなたとの婚約は、あなたのお父上が流罪になった時点で破棄も同然であり、御会所の書類の手続きが滞っているだけなので、婚約者面して面会など求められるのは迷惑千万、会う気は全く無い、と主が申しております。どうぞお帰りください」
「その、婚約なんかはどうでもいいんです」
綾野氏はきょとんとした。
「えっ?どうでもいいんですか」
「そうなんです。どうかちょこっとだけここに来ていただけないでしょうか。あっ、そうだ。戸の隙間とかから、綺羅之丞さまが手だけ出してくださればそれでもいいです」
この際顔を合わせなくてもいいから、その手にお守り袋を乗せればそれでもいいかな、と思ったんだけど。
「お顔は見なくていいということか。……。とにかくあなたがこの屋敷に直接訪ねてくるのは、いろいろ危ないですよ。どうぞお帰りを」
無情に木戸を閉めようとする綾野。「どりゃっつ!」と金剛杖をつっこみ阻止する。綾野の端正な顔がゆがむ。
「なんと?」
「お渡しせねばならないものがあるのです、お手だけでいいのでご検討ください!」
木戸を閉めようと綾野が力を込める。閉めさせまいとわたしは杖に力を込めた。
「なっ!?なんというバカ力か!」
「お願いです、お顔はどうでもいいです!手だけでも!よろしくお願いします!」
綾野は竹ぼうきを手に取り、わたしの金剛杖を払った。強い警戒心。同時に、私にケガさせないよう手加減しているのが伝わる。――へえ、この人ほんとは、優しい人みたい。それに付け込み、すかさず力を入れる。
「ぬっ!?」
この娘はなんだ?と驚愕している。
「危険、やばいヤツ」と、必死な顔で綾野はわたしの足と杖を同時に竹ぼうきで払った。思わずしりもちをつきかけて、私は背後に飛びのいた。
一瞬綾野は「まずい」と慌て、わたしが体勢を立て直したのを見て安心し、しかしバタンと無情に戸を閉めた。
「ああ、閉められちゃった」
そのとき。ふと、視線を感じた。ふりかえると、ぎょろ目、ぶあつい唇のおじさんがわたしをにらんでる!
右の目の上に刀創のような傷跡、門衛と同じくすんだ青のお仕着せの
キラ邸で働く人と思われた。そのおじさんは、ものすごく険しい顔で近寄ってきた!