その父、腹黒家老に付き(2)

文字数 1,826文字

 失脚した原黒田家は、ご家中では「海流しの村」と呼ばれる、その名も荒波村というところで暮らすよう命じられていた。罪を犯して、お殿様に追放された侍が監視されながら暮らす村である。
 
 荒波村は断崖絶壁の真下にあった。天候が荒れると名の通り、荒波がたたきつけるように打ち寄せる。往来も里も遠く、よその人に会うことはめったにない。
 しかし母と私は断崖を迂回して杣道(そまみち)を通り、ちょくちょく里村に赴かなければならなかった。干した海藻や小魚、キノコや山菜を売って銭に替えるためだ。なにしろ原黒田家の知行はとっくに没収、お情けでちょっぴりのお扶持をもらっていたけどあまりにも少なすぎて、わたしたちが暮らすにはまったく足りなかったのだ。
 また咎人である父は、村の外へ出ることを禁じられていた。だから、里へ行くのはわたしと母の仕事だ。干し魚などを売ったわずかな儲けで古着や薬を買って帰る。そんな暮らしが何年も続いて、それが当たり前になっていた。

 その日の冬空は、手を伸ばしたらさわれそうな気がするくらい、灰色で暗くどんよりとしていた。
「タカ、ぼんやりしていてはダメ。急がないと日暮れまでに戻れない……」
 母が白い息を吐きながら、わたしをふりかえって急かす。
 年の瀬、わたしは十になっていた。
 里村の大歳の市。毎年師走の二十六、七日に開かれる、一年をしめくくる市。
 この大歳の市では、お正月を迎えるため様々な準備の品々を売る露店が、いつもの倍以上並ぶ。
 おモチを()く杵や臼。高坏や三方。神棚や羽子板。干鮭や干鱈、レンコンや大根、こんにゃくなどなど。買い物客をあてこんだかす汁や、蒸まんじゅうの屋台もひしめきあっていた。
売り子のにぎやかな掛け声、屋台のおいしそうな湯気の香り。
 わたしと母はその日、なじみのお花屋さんに小松を六十束、小笹を百四十束、なんとか良い値で買ってくれるよう持ち込んだのである。

 荒波村は海風が強い。そのおかげなのか雪が少なくて、家の裏の断崖の藪で、けっこうきれいな松と小笹が採れる。花屋の露店は、さすが大歳なのでいつにも増して華やかだった。松、南天、柊。早咲きの、良い香りの梅。かわいらしい福寿草。
 母とおかみさん、おやじさんが世間話をしながら買値を相談している。ちなみに、わたしが母に同行して市に来るのは、荷物持ちはもちろんだけど、「タカを見ると、みんな哀れに思ってちょっと高く買ってくれる」という、母の計略の一つなのだ。里村の人たちは、白装束のわたしのことを「腹黒家老原黒田の娘」と、知っているからなあ。

 ふいに辺りが薄暗くなった。
 見上げると、痩せたお坊さんがわたしを見降ろしていた。
「わたしは旅の僧侶です。あなたは原黒田左門殿の娘御だと聞きました。白装束でいなければいけないそうだが、いったいどういうわけでしょうか?なにがあったのか、お教えください」
 わたしの側にしゃがんで、お坊さんは聞いた。父のことを知っているみたい。腹黒家老の父は有名人だもんね。わたしは父が流された事情を説明した。
「わたし、おへんろの旅にひつような通行手形がまだ発給されてないということにしていただいています。特別のおとりはからいだそうです。みなさまが言うには、この姿でいれば、わたしは首をはねられないのです」
 大人たちがいつも言う通り、そう話す。
 お坊さんは「そういうことか」と、にやっと嬉しそうに笑った。

 お坊さんは痩せていて、深い皺がその顔に刻まれ、父よりもずっと年上に見えた。額と頬、それから両手に火傷の跡があった。
 目の前に母たちもいるし、なにより優しい穏やかな感じのお坊さんだ。わたしは警戒することなく、お坊さんといろいろお話しをした。その時の、歳の市の喧噪と、冷たく湿った松の香りを、わたしは今でもよく覚えている。

「拙僧は昔、ナシワリと名乗り、若さまの御守り役をしておりました。アクオウマルという御名の若さまです」
 お坊さんは小枝で地面に「悪王丸」と書いた。
 すごいワルそうな名前ですね?と言いかけたが、前歯の辺りで止めた。わたしは腹黒家老原黒田の娘、なにもかも「遠慮」を申し付けられているので、軽々と言葉を発してはいけないと言われているのだ。
「拙僧はお役目をはずされましたが、悪王丸さまのことをいつも案じ、祈っております。とてもかわいらしく、やんちゃで、賢い御子でした」
 そして続けてとんでもないことを言った。
「タカ殿、悪王丸さまは、あなたの許嫁なのです」
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登場人物紹介

タカ

主人公。15歳。家老だった父、原黒田左門が汚職の罪で失脚し「腹黒家老の娘」と呼ばれる。処刑を免れるためいつも白装束のお遍路姿でいる。綺羅さまは婚約者。地味でまじめな性格。静かに平穏に暮らすのが夢。

本人は分かっていないが、幽霊が見える。殿さまに処刑を命じられている身の上なので、皆に半分死んでいると思われているからだろう、と綺羅之丞は分析している。

綺羅さま

榊綺羅之丞。タカの婚約者。15歳。一狭間藩士。榊家当主。知行は三百石だが年少なので百石。家中の思想犯を取り締まる胡乱改役御頭見習い。でも閑職と言われている。先代殿様「大殿さま」を父に持つ。美少年。驚異の記憶力。ガンコで繊細で人見知り。タカより背が低いのが悩み。たまにお姫さまの姿をして、大殿さまに面会に行かなければいけない。

叔母さま

タカの叔母。名前はソヨ。タカを厳しく、優しく見守る。満月郡豊作村善兵衛の妻。タカの母の妹。不愛想でしっかり者。花づくりの名人でもある。五人の娘がいる。

叔父さま

豊作村善兵衛。タカの叔父。まじめ、お人よし。豊作村の庄屋。でも小さい村なので別に豪農ではない。だいたい持ち高四十石くらい。副業として米作以外に城下の町に卸すための花も栽培している。大男で、若いときは村の相撲大会でわりと強かった。下戸。

貞柳さま

タカの住む豊作村の尼寺、福寿寺の庵主さま。もとは奥御殿の奥女中だった。脊柱管狭窄症のためお城を下がり得度して尼さんになった。村の女性たちや、タカの良きアドバイザー。甘い物好きだが、酒も好き。恋バナが好き。実は綺羅の実母について知っている人物。


綾野玲三郎

榊家用人。綺羅之丞の家来。長身の美男。優しい。おしゃべり。ものしり。実は事情があって長州藩士に追われており、こっそり綾野玲三郎になりすましているだけ。英語に堪能で、綺羅に世間の広さを教え、二人だけでいるときは先生のようになる。

大殿さま

架空の藩、一狭間藩の十三代藩主。タカの父である原黒田左門を抜擢したが、のち罷免し、タカとタカの兄の斬首を命じた。優秀な人物だが、時々残酷なため隠居させられ弟に譲位した。しかし藩の実権を握っている。保守的。佐幕派。側室との間に生まれた綺羅之丞を実子と認めていない。

大海原求馬

一狭間藩の名門、大海原家の五男。二十五歳。独身。藩士を監察する大目付の部下で、胡乱改役御頭見習いの綺羅之丞の後見役。神通虚心流という剣術と柔術の流派で免許をもらっているので、そこそこ強い。父や兄弟は重臣なので出世したいと思っている。また早く結婚したいと思っている。母上と仲良し。マザコン気味。

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