その父、腹黒家老に付き(2)
文字数 1,826文字
荒波村は断崖絶壁の真下にあった。天候が荒れると名の通り、荒波がたたきつけるように打ち寄せる。往来も里も遠く、よその人に会うことはめったにない。
しかし母と私は断崖を迂回して
また咎人である父は、村の外へ出ることを禁じられていた。だから、里へ行くのはわたしと母の仕事だ。干し魚などを売ったわずかな儲けで古着や薬を買って帰る。そんな暮らしが何年も続いて、それが当たり前になっていた。
その日の冬空は、手を伸ばしたらさわれそうな気がするくらい、灰色で暗くどんよりとしていた。
「タカ、ぼんやりしていてはダメ。急がないと日暮れまでに戻れない……」
母が白い息を吐きながら、わたしをふりかえって急かす。
年の瀬、わたしは十になっていた。
里村の大歳の市。毎年師走の二十六、七日に開かれる、一年をしめくくる市。
この大歳の市では、お正月を迎えるため様々な準備の品々を売る露店が、いつもの倍以上並ぶ。
おモチを
売り子のにぎやかな掛け声、屋台のおいしそうな湯気の香り。
わたしと母はその日、なじみのお花屋さんに小松を六十束、小笹を百四十束、なんとか良い値で買ってくれるよう持ち込んだのである。
荒波村は海風が強い。そのおかげなのか雪が少なくて、家の裏の断崖の藪で、けっこうきれいな松と小笹が採れる。花屋の露店は、さすが大歳なのでいつにも増して華やかだった。松、南天、柊。早咲きの、良い香りの梅。かわいらしい福寿草。
母とおかみさん、おやじさんが世間話をしながら買値を相談している。ちなみに、わたしが母に同行して市に来るのは、荷物持ちはもちろんだけど、「タカを見ると、みんな哀れに思ってちょっと高く買ってくれる」という、母の計略の一つなのだ。里村の人たちは、白装束のわたしのことを「腹黒家老原黒田の娘」と、知っているからなあ。
ふいに辺りが薄暗くなった。
見上げると、痩せたお坊さんがわたしを見降ろしていた。
「わたしは旅の僧侶です。あなたは原黒田左門殿の娘御だと聞きました。白装束でいなければいけないそうだが、いったいどういうわけでしょうか?なにがあったのか、お教えください」
わたしの側にしゃがんで、お坊さんは聞いた。父のことを知っているみたい。腹黒家老の父は有名人だもんね。わたしは父が流された事情を説明した。
「わたし、おへんろの旅にひつような通行手形がまだ発給されてないということにしていただいています。特別のおとりはからいだそうです。みなさまが言うには、この姿でいれば、わたしは首をはねられないのです」
大人たちがいつも言う通り、そう話す。
お坊さんは「そういうことか」と、にやっと嬉しそうに笑った。
お坊さんは痩せていて、深い皺がその顔に刻まれ、父よりもずっと年上に見えた。額と頬、それから両手に火傷の跡があった。
目の前に母たちもいるし、なにより優しい穏やかな感じのお坊さんだ。わたしは警戒することなく、お坊さんといろいろお話しをした。その時の、歳の市の喧噪と、冷たく湿った松の香りを、わたしは今でもよく覚えている。
「拙僧は昔、ナシワリと名乗り、若さまの御守り役をしておりました。アクオウマルという御名の若さまです」
お坊さんは小枝で地面に「悪王丸」と書いた。
すごいワルそうな名前ですね?と言いかけたが、前歯の辺りで止めた。わたしは腹黒家老原黒田の娘、なにもかも「遠慮」を申し付けられているので、軽々と言葉を発してはいけないと言われているのだ。
「拙僧はお役目をはずされましたが、悪王丸さまのことをいつも案じ、祈っております。とてもかわいらしく、やんちゃで、賢い御子でした」
そして続けてとんでもないことを言った。
「タカ殿、悪王丸さまは、あなたの許嫁なのです」