その父、腹黒家老に付き(1)
文字数 1,122文字
「お
ところが、である。
わたしの父である原黒田左門は、得意のそろばん勘定の腕を買われて、一狭間藩十三代目のお殿様、丹後守星堅さまに大抜擢された。そこからとんとん拍子に大出世して、最終的には「家老」という家臣としては一番偉い役職に就いてしまったのだ。
しかし殿さまは、なぜか突然に父を罷免した。わたしが幼いころのことだ。
お殿さまは、財政悪化、天災による凶作、進まぬ往来や用水の普請、領内の治安悪化、はては左足の小指を桟木にぶつけて痛かったことまで、「すべてすべてすべて、原黒田のせいだ」と仰せになったという。
そして「原黒田をこらしめるために、子供らを斬首に処し、その首を原黒田の膝に抱かせよ」と命じられたのだそうだ。
罪人となった武家の家族というのは、確かに後ろ指さされて一生日陰者として暮らす定め。けれど、
大人たちが言うには、一狭間の家臣団は「前例と体面を命よりも重んずる」のだそうだ。だから悩みに悩んだという。過去の記録を探しても似たような処刑の例が無かったので、どういう段取りで兄とわたしの首を刎ねればよいのか、誰も決められなかった。
次の不安は、世間の評判だったという。「残虐非道だと悪評が立たないか」と家臣団は苦慮した。なにしろお江戸の
なので一狭間家臣団の機転で、処刑が命じられた一日前に兄の銃三郎は出家、わたしタカは西国巡礼の旅に出発……という、ギリギリな特別扱いをしてもらったのである。なぜかというと、初代のお殿さまのご遺訓に「仏道修行中の者は、修行を終わらせてから処刑せよ」と記してある。それを根拠としたのだ。
とにかく、そのようなわけでわたしは、幼いころからずーーっとお遍路姿でいる。人前に出るときは必ず白い旅姿でいなければならない。
この格好でいないと、処刑されるのだから仕方ないよね。けど、白い着物は目立つ。ついでに汚れも目立つ。まったくいいこと無しだ。
とはいえ、原黒田家は海沿いの
あの年の瀬の、冬の日までは。--。