東天

文字数 1,585文字

 彼女とはその後も会った。けれど、駅のホームで見かけた彼女は随分違って見えた。お互いに成長した私達は、あの時と同じように遊ぶことが出来なくなっていった。あの輝かしい思い出は、あの部屋で完結してしまった。


 それから、いつからか連絡が取れなくなった。メールも電話もLINEも届かない。私はその後も順調に病んでいき、中学校の頃には刃物を持ち歩くようになった。初めてリストカットをしてみた。自殺しようと思った。でも最後にやってくる、あの「この死は圧倒的な現実である」という事実の波に恐怖し、人に怯え、学校に行くのが限界だと感じたある朝、母に「精神科に行きたい」と言った。
 けれど、「そんなところはもっと酷い人が行く場所だ。あんたは現実をしらないからそんなことが言えるのだ」と言った。
 


 学校でからかわれることも続いた。集団行動は相変わらず大嫌いだった。露骨に嫌な顔をされたこともあった。それでも、「彼女」のいない世界で、私はそいつらと戦うためにも勝ち残らないといけなかった。そうして生き残らなければ、私は負けてしまうのだった。



 そんな中での癒やしは、合成音声の音楽だった。私は、何百という曲を聞いた。ハチもいた。誰かもわからない、何人かは消息不明になった人々の音楽を特に愛した。それらの歌詞には常に彼女のことを重ねてきた。人間の声は邪魔だった。あの子の顔を思い出すのに邪魔だった。私は暇があるとずっとそれらを聞き続けた。中学、高校、不登校のときさえも。歩くとき、家事をするとき、昔に聞いていた曲ばかりを繰り返し聞いていた。新しい曲を聞くことは、胸がざわついて嫌だった。私が初投稿の無名の頃から好きだったある人はメジャーにいった。大ヒットを飛ばした。だが彼の新しい曲にはあの拙さはもうなかった。機械音は薄れていた。それに彼女の面影を重ねることは出来なかった。だからもう聞きたくはなかった。
 学芸員になるため、美術館にも、展覧会にも、ギャラリーにも、窯元にまで足を運んで美術を学んだ。だが、あのときの感覚が襲ってくることはなかった。美術史の本を読み、小説も読み漁った。でも、あの本ほどの震えを感じることはなくなった。大人になってしまったのだと、呆然とした。

 ある日、とても遠くへ行きたくなった私は、窓から身を乗り出した。飛び降りるためというより、地面に着地してそのままどこか外国へ行こうと思ったのだ。だが、夜風に吹かれているうちに冷静になり、骨折したら痛いし歩けないと思った。結局そのときから痛みが怖いだけなのだ。



 消灯時間がすぎ、廊下の明かりが消えた頃、涙が止まらなくなった。彼女はもういない。人も怖いし外も怖い。家族からもいずれ見捨てられるだろう。在学中、学業も他人に誇れる功績も何もなし得ることが出来なかった。青春の全てを繰り返す音楽と、薄れていく僅かな彼女の記憶を追い求めることに費やしてきた。行き着く先がこの精神科の個室だった。
 もう人生は終わったと思った。明日、外出届を出して、どこか遠くで首を吊ろうと泣き疲れて朦朧とした頭で夢見た。もう四年なのに、働ける気も進学できる気もしない。いや、どちらも望んでいない。このまま思い出を抱いて死ねば、もう何も変わらない。どうせ死ぬしかないのなら、今死ねば幸福になれるはずだ。



 死のう。そのとき唐突にーそう、ジュリー・マネのときのようにー体を刺し貫いた感情がある。怒りだ。これは怒りだった。どうしようもない怒りだった。何に対してでもなかった。とにかく、とにかく怒りに体が震えた。怖くもあった。けれど、彼女に会えないで死ぬこと、このまま私から彼女を奪った世界に敗北して死ぬことに、腹の底から怒りが湧いてきた。死ねない、まだ死ねない、死ぬときまで死ねない。

 
 見ると、朝方だった。私は飛び起きて、彼女への手紙を書いた。宛先はわからない。
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