Case:001 緋色の邂逅 -02

文字数 9,814文字

02
__いとしま医学特区
港湾部 廃棄倉庫



廃棄倉庫の内部には血生臭い匂いが充満しており、ネズミですら鼻をひん曲げて逃げ出すような光景が広がっていた。
天井には巨大なクレーンが設置されている。残念ながらそのクレーンがぶら下げているのは、港から出荷する荷物ではなく人の死体である。だがよく見るとその死体には奇妙な点がいくつもあった。
四宮は内部の凄惨な光景に一切怯むどころか、まるで雪に喜ぶ犬の如くその内部へ侵入する。鑑識と刑事が俺たちの存在に気づいてこちらを振り返り、濃いベージュ色のスーツを着た女性がこちらに近寄ってきた。

「椿! 待ってたわ!」

待っていた、とは。本当に依頼を受けて臨場しているのかと驚く。彼女は俺を見上げて「螺旋捜査官の方ですね。ご苦労様です」と敬礼した。

「螺旋捜査官の市ノ瀬咲良です。先日いとしまに着任しました」
「秋津野々花と申します。医学特区所轄の刑事です」

秋津さんはそう言って俺の方に右手を差し出した。俺も右手を、握手を交わす。ふと左を見ると隣にいたはずの四宮が消えている。俺はキョロキョロと周囲を見回した。彼女は現場の奥へ進んでいる。そして全く躊躇うことなく吊り下げられているその死体に近づき、惨殺死体を芸術鑑賞でもするかのように眺めていた。

「おい四宮。勝手にうろちょろすんな。秋津さんに指示を仰げや。仮にも法医なんやろうが」
「私はすでに野々花から呼びつけられた凡ゆる現場での調査を許可されている。市ノ瀬。無能なポンコツ刑事に代わってこの私が解決してやる。安心して見ていろ」
「誰がポンコツ刑事よ!?」
「事実を陳列しただけだ。そう怒るな」四宮は床に這いつくばって何かを見て、何かを拾ってジップロックに詰めてからそんな事を言った。「軟禁生活は退屈で死にそうだった。その私を連れ出してくれたのはカレンであってお前では無い。野々花」
「い、いやそれは確かにそうだけど、私だって多少はあんたに貢献してるでしょ!」

秋津さんは遺体の周りをぐるぐる歩いている四宮を追いかけながらそんな事を言う。
俺は一体何を見せられているのだろう。さっきから監禁だの電子錠破りだの随分物騒な単語が聞こえてくる。四宮に関しての情報は少ない。トップレベルで秘匿されているようで、末端には全然情報が降りてこないのだ。かなり偉いはずの俺の上司にさえ、重要情報が伏せられている。

「お前がやったのは私の頭脳を使って自分の業績を上げるみみっちい行為だけだ」
「うぐ」秋津さんは押し黙る。
「せいぜい私に事件というエサを運ぶ働きアリで居続ける事だな。そうすれば自動的にお前は甘い蜜を吸えるんだから」

ひどい言われようだなと思いながら俺はブルーシートの上に下ろされたその遺体を見た。ここ数日間放置されていただけあって腐敗がすでに進行している他、逆さ吊りにされていた影響で眼球が眼窩からどろりと落下しそうになっている。さらに奇妙なのは正中切開された腹部だ。厚みがなく、内臓が抜き取られているのがわかる。
逆さ吊りにして内臓を抜くなんて常軌を逸している__一体誰が何のためにこんな事を? 俺は困惑のままそっとしゃがんで遺体を観察した。

「市ノ瀬。お前の見解を聞かせろ」遺体を挟んで向こう側から四宮が言った。いつの間にどこから取り出したのか青いニトリル手袋を着用している。
「見解を、と言われても……一般的に言える事しか」
「構わない。言え。他者の見識から新たな可能性が浮かぶこともあるものだ」四宮はそう言って己の顎に片手を当てがった。
「……死因は撲殺だ。頭蓋が一部陥没してる。頚椎も折れてるから相当強い力で、何かこう……金属バットみたいなものでぶん殴られた」
「続けろ」
「適当に腹を裂いてるような印象は受けない。解剖学の知識があると思う。腹腔の内部もかなり丁寧に処理してある。素人じゃない」俺はスマホのライトで腹腔を照らしながら続けた。「ん、やっぱ単純に猟奇的な動機で内臓を抜いたわけやなさそうな気がする」
「他には?」
「他にって言われてもな。こんな所に吊り下げて放置しとくのは不自然としか言いようがねえやろ」
「本当にそれだけか?」

四宮は整った顔を顰めて俺に問いかけた。どうやら何か気に食わない事があるらしい。
そんな事を言われても困る。警察病院にいたとはいっても死体の相手をしたことはない。俺は生きた人間を診ていた元外科医のであって、法医ではないのだから。

「もっとよく観察しろ。疑問点はあと六個ある」
「ハァ? つうか何で俺にやらせる。俺やなくてお前の頭脳が頼られとるんやろ。自分でやれや」
「……。多少期待した私が阿呆だった。もういい。黙って壁でも見つめていろ」
「何なんかちゃこいつ……」

検死しろと言ったり黙ってろと言ったり忙しない奴やな、と思いながら俺は再び遺体に向き直った。流石にあと六個と具体的な数字を出されると気になり始める。
他に気になる点はあるか。俺は必死に目を凝らす。

「腹や太腿に集中して傷がある」俺は漸くその回答を捻り出した。四宮は俺の言葉なんぞ無視して何かジップロックに入れられたカードのようなものを凝視していた。
「吊るされた男。逆位置……」
「四宮。お前さっきから何を言って」
「まだ死体が増えそうだな。これは厄介だぞ」四宮は挑発的に微笑んだ。死体が増えそうなんて不謹慎極まりない事で笑うな。俺は思わず「お前な」と口を挟んだ。
「何だ」
「人が一人死んでんだ。いくら何でも不謹慎だと思わねえのかよ」
「不謹慎が何だ。この事件がただの殺人事件ではない事ぐらいお前の鳥頭でも容易に分かるだろう」
「誰が鳥頭だ!」
「お前の事だよ。市ノ瀬咲良。確かにお前は良い目を持っている。だがそれを上手く使えないようでは宝の持ち腐れというものだ」

四宮は俺の方へつかつかと歩み寄り、俺の黒いネクタイを思いっきり掴んだ。

「お前の言う通りこの男の直接死因は頭部を殴打された事による頚椎損傷と脳挫傷だ。しかしそれだけでは足りん。まずこの男の腕には細いトラロープのような硬い材質の縄で縛られた形跡がある。加えて腹部や大腿部、背部に集中して殴打されたり熱した金属棒のようなものを押し付けられた形跡があった。つまりこの男は殺される前に暴力を振るわれていたんだ。そして金属棒で頭を一撃殴られて死亡していること、鼻の骨折、口周辺が爛れていることから推察するに、何らかの薬品を使って眠らされた後うつ伏せのまま殴られた。とても用意周到な犯行なんだ。ではお前にとって最大の疑問である『何故内臓を抜いたか?』この答えをやろう。 __出荷するんだよ。この男は臓器移植のために売り捌かれた」

四宮は深く息を吸い、吐き出した。俺は呆気に取られて口を半開きにしたまま固まった。

「野々花」
「さ、サー、イエッサー!」
「聞いていたな。違法な臓器移植で金儲けしている犯罪者集団をリストアップしてメールしろ」
「わ、わかりましたー!」秋津さんは完全に椿の放つ剣呑な空気に飲み込まれておかしくなってしまった。「では私は先に戻ります! あとは鑑識にお任せあれー!」


パトカーが赤色灯を回しながら轟音を立てて走り去っていく。俺は遠ざかるパトカーをぼんやり眺めながら、とんでもない選択をしてしまったと後悔し始めていた。

四宮椿。少なくとも彼女はギフテッドであり、卓越した頭脳で難事件を解決しているというのは間違いないだろう。ただ彼女には多くの秘密があり、今の俺には窺い知る事など到底不可能な、深淵を覗いている気分にさせられる、が__

「なあ。四宮。何でお前当然のように助手席に座ってんだ?」
「東医へ行くぞ。私の研究室だ」
「いや、あのな! もう一人いるんだろ。螺旋捜査官! 何で俺がわざわざ呼び出されて」俺はそう言いつつも反抗が虚しく終わることは何となく察していたのでとりあえずエンジンをかけた。
「カレンは昨日から東京へ行っていて不在だ。来週の火曜まで戻らん。休日出勤手当は出るはずだがな」
「出たとしてもやろうが」俺は一気に三歳ぐらい老けた気がしていた。とにかく精神面での疲れが酷い。「クソが、こんなの歩く大厄災やねえかちゃ」
「光栄だ。褒め言葉として受け取っておこう」
「誰も! 褒めて! ねえわ!!!!」






四宮研究室と繋がっている四宮の居室は、医学書や恐らく一切目を通してないであろう書類が積み上げられ、その傍に読みかけの本が所狭しと並べられており、はっきり言って片付けられていない乱雑な場所だった。
室内の家具類は全て黒で統一されており、色のおかげで多少は部屋が引き締まって見える。しかし物がとにかく多いのでそれも目の錯覚に思えてくるのだった。

壁に取り付けられた額縁の中には巨大な蝶の標本が収められていた。何の蝶なのかは全く分からないが、熱帯雨林をバサバサ音を立てて飛び回っていそうな見た目をしている。
黒にエメラルドグリーンの曲線と、偏光する鱗粉。今にもその黒い額縁から抜け出して飛び立ちそうな気配を湛えていた。

四宮は適当に机を埋め尽くしていた書類や医学書を床に移動させ、銀色の随分と薄いMacBookを起動した。素早いブラインドタッチで二十字の複雑なパスワードを入力すれば、[accept]と短く単語が表示される。Macってこんな起動の仕方したっけ、と考え込んでいれば、俺の思考を勝手に読んだ四宮が「これはLAP-LASだから他のとは違う」と言った。
何だラプラスって。聞いたこともない単語に頭を捻る。四宮はMacBookをひょいと抱えて分析機器が置かれた隣の部屋に移動した。そこにあるのはリアルタイムPCRである。懐かしいなと遠い学生時代の記憶を掘り起こしていれば、四宮はその右にある謎の機器とMacBookを接続した。

「私が開発した電脳の事だ」

四宮はそんな事を言いながら素早くブラインドタッチで薄いキーボードを叩き、何やら黒い画面に次々とよく分からない言語を打ち込んでいく。

「形態としては人工知能に近いが、最大の相違点は生きた生物の脳を使っている事だ。チョウゲンボウの脳を生きた状態で電脳化し、この培養槽の中で電極に接続し__」
「あー、ああ、うん。わかった。もういい。もういい」俺は嫌気がさしてきてとてもではないが全てを聞く気にはなれなかった。
「確かに今、LAP-LASは重要事項ではない。これを使えばあの男の身元を一瞬で特定できるという事が重要だ」
「DNA鑑定やるなら……」俺は隣で埃被っているPCRを見た。あまり使われていないのは俺でもわかった。
「LAP-LASは個人を特定する塩基配列を読む作業と、その塩基配列を有する人間を絞り込む作業を同時にさせる事ができる。つまりマルチタスクだ」
「嘘やろ」俺は耳を疑った。そんな夢のような分析機器があったら鑑識は泣いて喜ぶだろう。「塩基配列を読む機能とそれの持ち主を照合する作業って全然違う事じゃねえか」
「しかし最大の問題は倫理委員会の承認も研究監査部の承認も全く得られない事だ」
「そりゃあ得られんやろうな」

俺は呆れながら円筒型の黒い金属の水槽を見た。中を伺うことは出来ないが、この中で電極に接続された哀れな猛禽の脳が浮いているのだろう。

「出たぞ」

四宮はそう言って俺にMacBookの画面を見せた。そこには若い男性の写真がある。写真の横には氏名や所属、血液型、そして個人を特定する塩基配列が示されていた。

「坂木柊作。二十四歳。所属は不明、おおかたフリーターだろう」
「……なあ、この個人情報データって……一体どこのと照合してんだ?」
「基本は科学捜査研究所に保管されたデータを閲覧しているが、それ以外にもDNA鑑定を請け負う研究所に保管された個人データを閲覧している」
「は、犯罪……!! 犯罪スレスレ超えて犯罪やねえかちゃ!! お前! 個人情報保護法知らんのか!?」
「大事の前の小事だ。野々花にも許諾は得てる」
「あの人が許しても警視庁と検察は絶対許さんやろうが……」

俺は本気で頭を抱えた。そうは言っても被害者の身元が分かったことに関しては喜ぶべきなのか? それとも四宮椿という大厄災の事を上に報告するべきなのか。もう頭がおかしくなりそうだった。

「坂木柊作という人物だが、就職もせずフラフラしていたようだ。予想通りだな」
四宮はキーボードを叩いてInstagramの投稿を表示した。
「ネットリテラシーの欠片もない。友人関係も出身大学、高校も簡単に割り出せた。類は友を呼ぶとは正にこの事だな。だがこいつは……」

俺は横から画面を覗き込む。そこには高級ブランドの服を着たボンボンの姿があった。
右横には恐らく母親だろうか? 女性が両肩に手を置いて微笑んでいる。左横には父親と思われる男性が難しい顔をして写っていた。

「ボンボンだな」
「あからさまなボンボンだ。しかし__ふむ。『坂木』ということは……やはりか。坂木民間警備の経営陣一族の息子だ」

新たに表示されたタブには坂木警備の住所とオフィスの外観を写した写真がある。そして経営者の顔写真は先程、ボンボンこと坂木柊作の横に立っていた男性と全く同じだった。住所は博多区を示している。ここからだと車で三十分もあれば着ける場所だ。博多駅の傍に立っている、比較的新しいビルの中にオフィスが構えられているらしい。

「なぁ市ノ瀬。話を聞きに行こうじゃないか。善は急げと言うだろう」
「……ま、ここまでくりゃあ引くわけにもいかねえか」

実際俺も四宮椿のしでかした犯罪の片棒を担いでいるようなものだ。俺たちが坂木柊作殺害の犯人を捕まえるのが先か、それとも個人情報保護法違反で市中引き回しにされるのが先か。チキンレースである。





__博多駅 空港通り沿い 複合ビル
13F 坂木民間警備㈱ オフィス



「警察がさっき来ましたよ。まさか柊作が……柊作が殺されたなんて。確かにろくでなし息子でしたが、そんなこと__」
「『ろくでなし息子』ですか?」

俺はその言葉に引っ掛かって問いかけた。警備会社の経営者であり、被害者・坂木柊作の父親である目の前の男__坂木勝巳は俺の言葉に「そうだ!」と声を荒げた。

「そう興奮するな。血圧が上がるぞ。肥ま……」
「ちょっと黙っとけ」俺は慌てて四宮の口を思い切り塞いだ。「失礼しました。それで……その。続きをどうぞ」
「……息子は本当にろくでもない子でした。大学は二回も留年するし、しょっちゅう中州に飲みに出かけて朝帰りも日常茶飯事。いい加減にしないと叩き出すぞと脅しても、ちっともまともに勉強しようとかそういう気配を出さなかった。挙句の果てには付き合っていた女性を殴って事件を起こしたんです」勝巳は呆れたように、しかし一方で寂寥を孕んだ口調で言った。
「お前は息子に対して厳しく接していた訳か」
「そりゃあ無論ですよ。甘やかしていられますか。いや、でもね。高校一年の頃までは普通でした。別に悪さする訳でもなく、サッカー部に入ってましたし、どこにでもいるスポーツ高校生だったんです。でも高校二年の夏ごろから突然変わった。どうもガラの悪い連中とつるみ始めたんです」
「家庭内に問題を抱えていたのか?」四宮は両手の指を突き合わせて問いかけた。赤と青の瞳が爛々と好奇心に輝いている。「夫婦間の意見の相違など、些細な事でも構わん。何かあれば教えろ」
「柊作は一人息子で、不妊治療の末に漸く授かった子だったんです。妻は柊作をずっと猫可愛がりしていました。私だって息子が可愛かった。だが彼女には、息子に対し愛ゆえに厳しくするという発想がないようで、私がどれだけ彼女に対して柊作への援助を止めるよう説得しても無駄でした」
「家を追い出したんですか?」俺は勝巳に問いかけた。
勝巳は「一度留年した時にね」と疲れた顔で呟いた。

「一回社会の厳しさを知れと思いましたし、これからは心を入れ替えて真面目に勉強してくれと思ってましたよ。私立大学の学費がバカにならないのはおわかりでしょう」
「概算して国立大学の凡そ二倍だな」
「ええ。中小企業の社長なんて、大して儲かりませんし__それに、融資の返済もある。はっきり言って留年なんてされちゃあ困る。だが何の効果もありませんでした。素行不良が悪化しただけです。しかも何か商売が上手くいったとかで、えらい羽振りが良くなっていたんです! 絶対に犯罪だと思いました。色々話を聞いていくと、どうもホストクラブがどうとかという話で……」

天井のシーリングファンが回転する音が響く。勝巳は悔しそうに一度言葉を切って膝の上で拳を固く握りしめていた。
社長室はよくあるオフィスの執務室といった雰囲気の内装である。部屋の隅に置かれたシマトネリコの鉢植えが時折さらさらと音を立てて葉を揺らした。
四宮は出されたコーヒーを一口飲んで、今度は坂木勝巳をつぶさに観察するフェーズに入ったらしい。顎に手を当てて、遺体となった坂木柊作を見ていた時のように勝巳を睨んでいる。

「ホストクラブの売掛金か」
「そう、それです! 女性を騙して貢がせて……みたいな。そんな話でした」
「四宮。それは__その。要するに」
「売春の斡旋。明らかに違法だな。最近反社がこの手のシノギに手を出し始めているとは聞いていたが。他に何か詳しく聞いているか?」
「そうですね……。最近は殆ど実家に戻っていませんでしたから……。ただ、二か月前ぐらいでしたか。一回帰ってきたんですよ」
「二か月前に?」四宮は器用に片方の眉毛を持ち上げた。
「ええ。『もう俺はあいつらとは縁を切る!』と叫んでいました。あまりにも様子がおかしいので流石に私も心配になって、柊作に何かできることが無いか聞いたんですよ」
「具体的にどのような回答が得られたんだ」
「柊作は『親父もお袋も何もしなくていい。これは俺が全部バカだったせいだ』とか『自分のケツは自分で拭く』と取り合いませんでした。それから一切連絡もつかないし、どこに行ったのかも何をしているのかも分からないままでした」
「そして、今日に至った訳か」
「はい……まさか、まさか……こ、こ、殺されているなんて!! あの時引き留めておくべきだった。どんな大喧嘩になろうが、意地でも行くなと言っておくんだった。わ、私が殺したようなものだ!!」

勝巳はそう言って大粒の涙を流し始めた。冷ややかな視線で四宮は彼を見つめている。人の感情の機敏に疎いのか、それとも何かを見極めようとしているのか、俺には判別がつかない。だが後者であると思いたかった。
俺は今までの情報を総合して少し考えてみる。四宮は坂木柊作の遺体から内臓がすべて抜き去られていたのは、内臓を「出荷」するためだと言った。そして坂木勝巳は柊作が何か違法な行為に手を染めて金を得ていた可能性を提示した。
四宮は一体どこまで見えているのだろうか。四宮が提示した「違法な臓器移植を斡旋する他、臓器を売るために殺害した」という仮説はどんどん補強されている。俺は横で何か考え込んでいる彼女を横目に見遣った。得体の知れない何かが人の形をしているのではないかとさえ思ってしまう。

「一つ聞きたいことがある」四宮は左手の人差し指を立てて数字の一を示した。顔は険しいままで鉄板をぶち抜きそうな眼光だった。「奥方は今どこだ? 彼女にも話が聞きたいのだが」
「家にいます。ただ、話が聞けるかどうかは……」
「それもそうか。野々花に聞く方が早そうだな」

四宮はぽつりと呟く。何か解消したい疑問があるようだが、ここでは情報が得られないと判断したのか手をひらひらと振った。

「それともう一つ。タロットカードには詳しいか?」
「は、はい? ……タロット、カードですか? あの~……占いとかで使う?」

勝巳はあまりにも唐突過ぎる質問に目を点にしたまま聞き返す。

「そうだ」
「いや、まあ、存在は知ってますけど。そんな詳しくは……というか、占い自体良く知らないですよ」
「奥方もか?」
「ええ、まあ……はい。そんな占いに凝っているような様子は特にありませんでしたよ。そりゃあ朝の情報番組に星座占いとかあるじゃないですか。ああいうのはちょっと、気にしていたかもしれませんが__」
「そうか。情報提供感謝する。行くぞ市ノ瀬」
「え? お、おう」

俺は慌てて四宮の背を追う。エレベーターで地下駐車場に降りる間も、降りてからもずっと黙ったまま何かを考え込んでいる。
一体どういう質問やったんやと思いながら俺は公用車のドアロックを解除して運転席へ乗り込んだ。四宮はシートベルトを律義に締めてから口を開く。

「最初の現場にタロットカードが落ちていたんだ」四宮はマジシャンのような手つきでジップロックに入ったカードを俺に見せた。「『吊るされた男』、しかもご丁寧に逆位置でな」
「カードの向きに正誤があるんか?」
「タロットカードは正位置と逆位置で意味が異なる。『吊るされた男』の正位置は試練が幸せに至る道である、まあ苦労した分だけその先に甘美な経験があるなどの意味を持っている。だが逆位置のこれは意味がまるで変わる。苦労は実ることなく、全てが無駄に終わる。自己否定といった意味も含まれる。だが『吊るされた男』そのものの意味は、私利私欲を捨てて他者のために尽くす精神の暗示だ」
「あ~……待てよ。つまり、カードが犯人の残したメッセージかもしれん、っつうことか」
「その通りだ。だが状況から考えてもこのカードと殺人事件に明確な関係性があると断言するのは時期尚早すぎる。坂木勝巳から何か情報が得られたらと思ったが、あの感じだと何も知らなそうだ。先に野々花から情報を得るとするか」

そう言って素早く四宮はスマートフォンを操作して秋津さんに電話をかけ、繋がった瞬間にスピーカーに切り替えた。

「坂木勝巳の妻の元へ聞き込みに行ったか?」
「うわ! もう知ってるし! はぁ~~……聞きに言ったわよ。でも何も有力な情報は得られなかった。そっちはどうなのよ」
「坂木柊作は犯罪を働いていた可能性がある」
「何ですって!?」秋津さんは素っ頓狂な声を上げた。「どうやってそんなこと喋らせたのよ」
「別に何も特別な事をしたわけではない。只の世間話だ。どうせお前たちはお得意の『昨晩何時ごろどこにいましたか?』『そのアリバイを証明できる人は?』形式の質問ばかりしたのだろう? あからさまに疑ってかかると人間というのは心を閉ざすものだ。当たり障りのない会話から距離を詰めるのは合コンでも推奨される常套手段だぞ」
「合コンの話はしないで。撃沈したこと思い出すから」
「まあいい。で、違法な臓器移植を斡旋している業者は見つけたか?」
「マル暴の要監視リストにいくつか載ってた。後で送るわ。それより椿、あの現場に落ちてたタロットカードの謎は解明できたわけ?」
「それについてはまだだ。これから中洲に行こうと思う」
「はぁ!?」

もう既に時刻としては夕方に差し掛かろうという時間だ。これから中州に向かうとなると相当混んでいる市街地を走らねばならず、どう考えても渋滞にハマるのは日の目を見るより明らかな事だった。

「え? 中洲川端? 何で?」
「今はまだ語るべきじゃない」
「はぁ!? ちょっと! 語りなさいよ! __椿ッ」

四宮は容赦なく通話を終わらせた。本気で中州へ向かう気のようだ。俺は今日はオールナイトで調査する気なのかもしれない。絶望しながら思案に耽っている四宮を見た。

「問題は既にこの世にいない、反社に消されたと考えられる若者に関して彼らが何か喋るかどうかだな」
「反社の息がかかった店を調べるのはリスクが高すぎる。手に負えない」

俺は煙草を胸ポケットから取り出して口に咥え、安物のライターで火を点けた。もう煙草吸わんとやっとられん。車内に匂い残したら怒られるかな、とか今はもうどうでもよかった。

「秋津さんに全部話して代わりに調べてもらおう。俺たちがのこのこ出張って行ってコンクリートに詰められて、博多湾に沈められたら洒落にならん」
「待て。市ノ瀬__その煙草……」
「あ? 何かちゃ」

四宮は助手席からこちらに整った顔を俺の方に寄せて煙草を奪った。じっと煙草の先にある、今にも落下しそうな煙草の灰を凝視していた。

「おい、火傷するぞ」
「やはり採取しておいて正解だった……」四宮は俺の唇へ煙草を戻して言った。「予定変更だ、研究室に戻るぞ。あの吸い殻と灰の分析が先だ」


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