Case:001 緋色の邂逅 -05(Fin)

文字数 6,522文字

05
__翌日
東都医科大学 四宮研究室




呼び出しに快く応じたその男は、以前と同じ椅子に腰掛けて俺たちを見ていた。応接スペースには妙な沈黙と背中に刃物を当てられているような感覚が充満しており、俺は思わず口腔内を湿らせようと緑茶を啜った。

「ご足労に感謝する。菊武は快方に向かっているそうだ。嘴馬の見立てなので間違いはない」
「そうですか。それは良かった……」

ほっと胸を撫で下ろすのは、陰陽庁の副長官である瀬川迅一だった。

「彼を失うのは惜しい事です。本当に無事で良かったですよ」
「そうだな。『無事に留めておく技術』の賜物だ」
「ええ。医学特区の先端技術に感謝しなければいけませんね」

瀬川はそう言って一口、緑茶を飲んだ。椿はその様子をじっと見ている。まるで何かを見極めようとしているかのように。

「病状説明のついでだ。坂木柊作の件だが、犯人が分かったので教えてやろうと思ってな」
「では俺から螺旋捜査部に伝えましょう。……というか、四宮先生。あなた、勝手に調査したんですか? 咲良はどうしたんです」
「安心しろ。咲良も共犯だ」
「全く安心できないんですが……まあ、わかりました。それは黙っておきます」
「そうだな。まず、この事件は単独犯によって引き起こされた。だがその背後には組織的な思惑がある。例えば、対立する二つの組織をまとめて捕まえる、とかな」
「捕まえる? どういう事かちゃ、椿」

俺は訳が分からず問いかけた。瀬川は相変わらず緩やかな微笑みを浮かべ、一人掛けソファに深く腰掛けている。

「そもそも最初からこの事件はおかしかった。わざわざあんな風に『見つけてください』と言わんばかりの猟奇的な死体、そして抜かれた臓器、意味ありげなタロットカード。どれも意味や関連性を見出させるためのものだ。私たちは犯人の思惑通り、犯人が敷いたレールの上に乗った。
まず犯人は長岡真凜を殺害した。彼女は頭部の損傷以外目立った外傷が無かったらしい。そして事故だったと周辺には風聴されている。つまり事故に見せかけて殺害した可能性が高い。私の推理では、彼女は何者かに突き飛ばされて転び、一度車に轢かれた。そしてその後頭部を鈍器で殴打して殺害したと推測している。実際に二ヶ月前、長岡真波の心臓移植手術が行われた日に人と車が接触する交通事故が発生していた。真凜は東医に搬送され、レシピエントとして医学管理を受けた。そしてその心臓は長岡真波へ移植された。
真波を助けるよう仕向けたのには理由がある。彼女は啓成会に資金を拠出している反社勢力の娘だった。つまり生かして泳がせれば啓成会ごと叩ける可能性がある」
「ですが、その事と坂木__ひいては菊武と何の関係があるんです?」
「まあ話は最後まで聞け。この長岡真凜殺害に関与したのが、坂木柊作なんだ。坂木は二ヶ月前、知ってはならない何かを知った。そのために自分が勤めていたホストクラブを辞めた。だが反社の息のかかった店をそう簡単に辞められるはずがない。坂木は辞める代わりに敵対する啓成会系組織の何者かを殺害するよう命令された。そして以前勤めていた店で知り合った、長岡真凜に目をつけた」
「真凜を突き飛ばして車に轢かせ、その後……殺したんか……」

俺は呟く。血も涙もない鬼畜の所業だった。

「ああ。……そしてその現場に偶然居合わせたのが、今回刺された菊武幹春だった。菊武は恐らく全ての繋がりを疑っていたはずだ。東医内部の殺人者、臓器移植の違法な斡旋、そして反社会勢力集団。そこで菊武は坂木に取引を持ち掛けた。事故として処理してやる代わりに、もう一つの組織__即ち啓成会へ潜入して黒い情報を寄越せ、とな。情報が手に入った後、用済みになった坂木は絞殺する。ヤクザたちから暴行された形跡をつけ、その後解体しあの廃倉庫に吊るした。そしてそこにタロットカードを置いておけば、立派な連続殺人事件の完成だ」

瀬川は驚きを隠せないのか、それとも恐怖を感じているのか、小刻みに眼振しながら俺たちを見ていた。

「そして最後に菊武は第三者に刺された訳ではない。
彼はお前に刺されたんだよ、瀬川迅一。……お前がこの事件を細工した。最初からお前たちはグルだった。これはより大きな悪事を引き摺り出すという意図のもとに引き起こされた犯罪だ」

瀬川は黙ったまま何も言わなかった。俺は不気味な沈黙に手を固く握る。その顔に浮かんでいるはずのいつもの貼り付けたような笑顔が抜け落ち、柘榴色の瞳の奥には強い怒りと憎悪が燻っているような気がした。

「貴方はやはりとんでもない女傑だ」

瀬川はそう言って残っていた緑茶を飲み干した。

「しかし証拠はありません。証拠がない以上、これはまだ仮説に過ぎない」
「消したんだろう? 秘匿魔術で。お手のもののはずだ」
「冗談でしょう。どうしてそんなことを?」
「お前はなぜ私たちがあれほど早くレストランにやって来れたのか不思議に思わなかったのか」
「確かにそれは疑問です。ですが貴方なら監視カメラをハッキングするなんてお手のものでは? 何せ電脳研究をなさってるんですから」

瀬川の言葉に椿は吹き出した。くつくつと笑う彼女は一度笑いを噛み殺してから続ける。

「お前、私が本当にそんな研究をしていると思っているのか? 莫迦も休み休み言え。私が監視カメラをハッキングできる訳がないだろう。私がやったのはこの医学特区に住まう野鳥の脳に、遺伝する魔術式を組み込ませた事だけだ」
「え……?」

瀬川の顔が歪む。俺も耳を疑った。
遺伝する魔術式? 何だそれ。どういう意味だ? 聞いたことも見たこともない。そもそも魔術式を遺伝させるってどういうことだ。全く意味がわからない。俺は困惑のままに首を横に振った。

「聞かされていないのか? 私はこの街の鳥類に、遺伝する魔術式を仕込み解き放った。
鳥たちは勝手につがいを見つけて卵を産み、魔術式は親から子へ子から孫へと遺伝していく。百パーセントの確率でな。私が開発した電脳と呼ぶものは、その魔術式を統制する存在だ。つまり厳密には電脳ではない」

椿は少し開いた窓の方を見る。一羽の茶色い小鳥が室内に入り、椿の左手に留まった。イエスズメだった。

「どこにでもいる普遍的な鳥だ。だから誰も気にしない。スズメがいるのは日常で、風景だから」
「……まさか……視界共有? スズメやハト、カラス__この医学特区に住む全ての鳥類の視界を監視カメラの代わりにしているとでも?」
「その通りだ。何か問題があったか?」

椿はそう言って左手をそっと窓の方へ向けた。スズメは羽を広げて浮き上がり、窓の隙間から外へ出ていく。

「だとすれば魔力の波長を感じ取れないはずはない。魔術式が仕込まれているのなら__」
「生物が発する微弱な魔力まで感知できるのか? 細胞が放出するほんの僅かな分子、ニューロンがやり取りする微弱な電気信号レベルのものを?」
「……そんな。あり得ない。そんな僅かな量で魔術式を回せる筈が」
「回せるとも。DNAに魔術式を刻めばいいのだから、簡単さ。残念ながら方法は教えられない。企業秘密というものだ」

椿は立ち上がって瀬川の方へ顔を寄せる。

「巨悪に挑もうとする姿勢は素晴らしい。が、喧嘩を売る相手は選んだ方がいい。ここは医学特区、海底に眠る神秘を徹底的に秘するために作り出された科学の人工島。陰陽庁で荷が重いというのなら、螺旋捜査官をお勧めしよう」
「……あの事件の真相にあと一歩まで近づいた。捕まえられるチャンスはもう二度と巡って来ない。貴方ならばお分かりでは?」
「……人殺しをしてまでそれが知りたいのか。あまりに度し難いな」椿は静かに呟く。瀬川は絞り出すように言った。
「関係ないでしょう。貴方がどう思おうと俺は犯人を捕らえる。それだけです。あの事件の犯人はまだ生きている。のうのうと……あの日、手術室には弟がいた__いえ、すみません。それは今や関係のない話です。ですがあの事件で死んだ者たちは皆、裏で違法な臓器移植を斡旋していた__彼らの行いは許されるべきじゃない、関わった者全てを捕まえて、その全容を吐かせなければならないと、菊武と共に誓ったんです」
「十二年前、第四手術室で何があったのか。何故皆死んだのか。それは誰にも分からない。ただあの場には本来あるはずのない神秘の遺物があった、というのが、後から調査に入った螺旋捜査部の見解だ。しかしその一方で私は犯人を知っている」

その言葉に瀬川ははっと目を見開いた。俺は困惑していた。もしも俺の思い込みが正しいならば、それは恐らく__。

「……!」
「十二年前、第四手術室の惨劇が起きた時__私はそこにいた。患者として」
「貴方ほどの方が全てを知りながら、今まで何もせず黙っていたと言うんですか? そちらの方が理解に苦しむ。貴方は__」
「椿。お前は……」

俺は思わず彼女の右肩に手を置いた。振り払われるかと思ったがそんなことはない。彼女は何も言わずそっと俺の手に自分の手を重ね、ゆっくりと退かす。


「十二年前、私は患者として第四手術室の手術台に横たわっていた。だが意識を取り戻した時、私の視界には死に絶えた十一人の医療従事者の姿があった。
そして私は血まみれだった。怪我はしていない。ではなぜ血まみれだったのか、もう言わなくても分かるだろう。

私が〝何らかの方法で〟十一人を殺した。
__だから、私は特A禁忌案件に指定されている」


瀬川は苦しそうな表情で項垂れ、片手で顔を覆った。
苦悩は理解に値する。しかしその答えを得るために、この男と菊武幹春は他者を利用し、殺人を犯した。
俺はもう何が何なのか分からず、隣にいる知恵の実の具現のような存在に縋るような視線を向ける事しかできなかった。






The end of case: 001
__後日
東都医科大学 四宮研究室




坂木柊作殺害事件の真相に辿り着いたのち、有給休暇を取って一度心身を落ち着けようかとも考えたが、逆効果になることは自分の性格上よく理解していた。
結局あの後瀬川と菊武の二人は椿への責任追及は一切することなく、椿が調べ上げた情報を全部警察にリークして反社をとりあえず捕まえまくったとのことらしい。
椿曰く、「真実に辿り着くまでが私の仕事で、その先は警察や公安局の連中に投げておけばいい」との事だった。彼女は特段の思想があって真実を探求しているのではなく、そこに謎があるから解く、というアルピニスト的思考回路の持ち主であるということは、この数日間共に行動して嫌でも理解させられた。

螺旋捜査部が動き回っている以上この事件は恐らく秘匿され、事件関係者の記憶も改竄される事だろう。末端の俺たちにはどのような落としどころをつけるのか分かるはずもないが、瀬川が外事課へ異動させられて降格処分を受けた__という話を聞くに、螺旋捜査部の上層部もがらりと入れ替わる可能性がある。
だが俺には殆ど関りのないことで、一番上から『四宮椿の監視を継続せよ』との簡潔な命令がある以上は、この白くて黒い医療の神が祝福する人工島にいなければならない。そしてこの歩く大厄災であり、その頭脳に宇宙をも読み解く叡智が詰まった天才と共に歩まなければならない。

そんな天才、四宮椿は今暇そうに明らかに難しい知恵の輪をあっさりと解いてみせ、バラバラにして並べてもう一度元に戻す、という作業を彼此二時間ほど繰り返していた。
一体何がしたいんかちゃ……と思いながら、俺はインスタントコーヒーを飲む。彼女の頭の中を除き見たら、きっと情報の洪水に押し流されて気絶する自信がある。

室内は静寂に包まれていた。しかし時折鳥籠に入った小鳥がピヨピヨと何かを訴えている。籠には水と粟、小鳥用のエサが置かれていた。この鳥は一体何なのだろうか。見覚えがあるような気もしたが、鮮やかなオレンジの色合いを見るかぎり日本の鳥ではなさそうに見える。

「魔術式はしっかり動いているようだ。問題ないな」椿はそう言って鳥籠を開け、鳥の足に金色の輪を装着した。「とりあえずここで保護する」
「この鳥は?」
「本来ならば越冬しに日本へやって来る鳥だ。だがどうも、中型の鳥に襲われて羽を損傷している。長くは飛べない。室内を数メートル飛ぶ程度ならば問題なさそうだがな。どう使うかは今後考えるとするか……」

丸い鳥籠は日当たりの良い場所に置かれた。小鳥は不満もなさそうに籠の中に置かれた止まり木に小さな足をしっかり乗せ、バランスを取って眠り始めた。

「咲良。先の事件に関して何か報告を受けたか?」
「特に何も。上からは『四宮椿を引き続き見張れ』とさ。良かったな」
「良かったとも。自在に使える駒が増えた」
「駒ァ!? お、おま、お前ッ……!!」

一瞬でも期待した俺が馬鹿だった。四宮椿という女に仲間意識とか協調性とかそういうものを求めてはいけないのである。

「誰が駒かちゃ!」
「市ノ瀬咲良と大河カレン」
「ハァ~~~~……」俺は思わず長くて深い溜息をつく。「つうか……そういえばもう一人の螺旋捜査官は。今日には戻るはずやろ」
「カレンならもうすぐそこまで来ている」

椿の声とほぼ同時に勢いよく扉が開け放たれた。深紫のような黒髪に、猫っぽい顔。紺色のスーツを身に着けた女性が入り口に立っている。彼女の手には土産物の袋が沢山握られていた。『羽田空港』と印字された紙袋からは、何故か『横浜赤レンガ』と書かれたお菓子の箱が飛び出している。

「ただいま戻りましたァ~~! 椿! はいこれあげます。おいしいっすよ~」
「そうか。ふむ……フロランタンのような菓子か。悪くないチョイスだ」
「ったくも~~何でこう毎回上から目線っすかねェ、素直に『ありがとう』って言えばいいのに。そう思いません?」彼女は唐突に俺の方へ話を振った。
「え。あー、そうやな。……上から目線っつうか毎度毎度一言余計やし傲慢で不遜なんよな、こいつは」
「何だと!? 誰が傲慢で不遜だ! 言ってみろ!」
「お前の事ちゃ、四宮先生」俺は椿を睨んでみる。「それよりも……」
「あ、いけね。新しい子用のお土産忘れた。椿、どうしよう」
「別にいいだろう。大体なぜ毎度一番量の多いやつを買ってくるんだ。当分これがあるじゃないか」
「大は小を兼ねる、て言うじゃないですかァ。ところでお兄さんはどこの診療科の所属ですか? 一回も会った事ないですよねェ。あ、私は大河カレンです。この四宮椿を監視している螺旋捜査官。よろしくお願いしま~す」

やはり彼女が大河カレンだったのか、と俺は差し出された手を握り返す。にぱー、と効果音のつきそうな気の抜けた笑顔を浮かべる大河。ウーパールーパーみたいな笑顔やな。

「俺は市ノ瀬咲良。……先週こいつの監視任務に就いて、ここに配属された。よろしく」
「え゛?」大河は突然潰れた蛙のような声を上げた。「市ノ瀬……咲良……? お兄さんが?」
「そう、やけど」過去に何かしたか? それとも失礼なことを? と冷汗をかいていると、
「だ、だ、だまされたァ~~~~~~!!!!!! 女の子じゃない!!!!!! ぁあでもよかったァお土産買ってこなくて!!!!!! ァ゛危ねえ~~~~……てっきり花のように綺麗で愛らしい華奢な女性がここに配属されると思ってたんすよォ! だから手鏡とかがいいかな~♡ とか考えてたんで忘れてて良かったァ!!!! いや~~すみませんすみません、四宮研を百合咲き誇る秘密の花園にする計画は頓挫しましたが、私がいない間椿の事ありがとうございましたァ」
「何だコイツ……」何だコイツ。心の中だけで呟いたはずの言葉は口から駄々洩れだった。
「まあでも咲良さん、顔は大変整って美大夫でいらっしゃるので眼福眼福ですよォ。この際もう性別はいいです問いません~。改めてよろしくお願いしますねェ、咲~良さん♡」


大河は俺の肩をバシバシ叩いて勝手に手を取り、再び握手した。手をぶんぶん振られている。
いやもう心の底から宜しくしたくねえ……と思ったが、椿の冷たい視線が『カレンと仲良くしろ』と言っていたので俺は白旗を上げた。

本当にとんでもねえところに来てしまった。俺は今、自分の選択を死ぬほど呪っている。









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