Case:001 緋色の邂逅 -04

文字数 10,715文字

04
__翌日
東都医科大学附属病院 外科病棟 個別病室



長岡真波は突然の来訪者にも困惑することなく、軽くリクライニングさせたベッドの上で本を読んでいた。東医の個別病室はそこまで広い作りになってはいないが、温かみのある色調で病院特有の冷たさを緩和している。
俺は研修医時代に指導医の後ろについて、各階の病室を回診して回ったことを思い出す。その後何故かすぐに警視庁病院に出向させられたので、東医にいた時間は学生時代の方が長かったほどだが。
椿は軽く彼女を診察し、「ふむ。術後経過は順調なようだ。流石は嘴馬、伊達に天才と呼ばれていないわけか」と独り言ちた。真波は不思議そうな顔で椿と俺を交互に見て、そっと体を起こし声をかけた。

「あの……今日先生方が来るとは、聞いていないんですが……」
「私たちは心臓外科の者じゃない。総合診療科の者だ」
「総合診療科、ですか? どうして__」

真波は不思議そうに問う。何の事前連絡もなくやってきた俺たちを不思議がるのは無理もない話だろう。

「お前の心臓は、妹である長岡真凛のものであると聞いている。詳細を聞いたところ腑に落ちない点がいくつかあったので質問をしたい。返答によっては精神的ダメージがあると判断し、心療内科への紹介も勧告する予定だ」
「え、ええと……その……」真波は困ったように俺へ視線を向けた。
「あ~……その、要は心療内科の受診が必要かどうかの面談を行います。長岡さんはこちらの質問に、思った通り回答してくれれば何の問題もありません」
「分かりました。でもどうして嘴馬先生は何も言ってくれなかったんだろ……」
「あいつはこっちに連絡したら患者にも連絡したつもりになって何の報告もしていないことはざらにある。気にするな」

椿が嘘八百を言っていることは流石に俺でもすぐわかった。いくらなんでも酷い言われようである。
真波は開いたままの本に栞を挟み、ベッドに備え付けられているテーブルに置いた。文庫本は紺色の布でできたブックカバーに覆われている。栞の上についている紐が文庫本から飛び出していた。

「妹の心臓が自分に移植されたということはいつ知った?」
「つい最近です。お父さんとお母さんも同席して面談を……その時に、真凛の事を知りました」真波は布団をきつく握りしめた。「今でも信じられない。真凛が、私の……心臓に……」

声が震えている。妹を喪ったという事実に心が追いついていないのだろう。だが俺はその声音に少しうすら寒いものを覚えていた。

「その面談を行ったのは嘴馬か?」
「いいえ。違います」真波はすぐに否定した。「嘴馬先生じゃなくて、もう一人……、前崎先生という方です」
「前崎……前崎裕紀人か。心臓外科三年目のシニアレジデント。指導医は嘴馬じゃない……別の奴だったはず」
「よく分からないですけど、その人です。前崎先生は以前からよくしてくださっていました」
「『よくしてくださっていた』とは?」椿は何か引っ掛かりを覚えたのか問いかけた。
「よく病室に来て、話を聞いてくださって……。妹の事とか、その、色々と」

真波は軽く頬を赤らめた。椿はチベットスナギツネのような顔になって俺の肩を肘で突いた。「職務規約違反疑いありだな」とぼやく。それは確かにそうやな。

「とにかく、前崎はお前とここでよく面会し、話をしたわけだな」
「はい」真波は少し照れながら返事をした。
「妹の趣味や交友関係について何か把握していることはあるか?」
「え……? そ、そうですね……。正直なところ、妹とはここ数年程仲が良くなかったので__でも、あまり良い人づきあいがあったとは思えません」
「以前は仲のいい姉妹だったのか? 何がきっかけで不仲になったんだ?」椿は思案を巡らせながら真波に問いかけた。
「あの、先生。この質問に一体どんな意味があるんでしょう」
「え、ええとですね。過去の記憶などを探ることで、どこに精神的苦痛の起点があるかを調べています」

俺は滅茶苦茶な事を言っていた。そんなことがあるか。
何とかなってくれという気持ちでいっぱいだった。同業者相手なら絶対に通じない。通じないどころか袋叩きにされてその辺に捨てられる。

「そうなんですね……。ううん……妹は、高校に入ったぐらいからかな、勉強にあまりついていけなくなっていました」
「高校はどこに通っていた?」
「私と同じ高校でした。あの子が一年生の時、私は三年生で__その、国立大学とかにも行く子が多い所だったので、みんな割と勉強ができる子しかいないんです。妹は理数系が苦手で、それでいつも苦しんでいました」

真波は思い出すように窓の方へ視線を遣った。今日は雲一つない快晴である。青い空が見えていた。

「私はよく勉強を教えてた……。でもあの子、できなくて……。最終的に私の方が匙を投げてしまったんです。どう教えたらいいか、わかんなくて」
「それで、妹さんは__」俺は真波に問いかける。椿は話を黙って聞いていた。
「妹は、真凛は高校を休みがちになって、二年生の夏休み前に退学したんです。それから夜にフラフラ、遊び歩くようになって。怪しい人たちとつるんだり、お酒とか、煙草とか……」
「真凛の行き先に心当たりはあるか? 日中でも、夜でも構わんが」
「中洲の、歓楽街の入り口付近にあるコンカフェ……コンカフェってわかります?」
「ああ、酒類の提供をしないキャバクラのことだな」

身も蓋もない言い方をする椿。間違ってはいないのかもしれないが。真波の視線に気づいたのか、「無論全てが悪いとは言わないが、中には悪質なのもある。チャージ代で数万円ぼったくったりな」と付け加える。

「……その、妹はコンカフェでバイトしてたみたいなんです。それで、そこで稼いだお金を誰かに渡してたみたいで」
「男か? 女か?」
「すみません、それは分からないです。あ、でも一回電話を盗み聞きしたことがあります。その会話の雰囲気だと……個人へ、というより……もっと何か、別の__別の、お店? みたいな……」
「断片的でも覚えている内容があれば教えてくれ」
「う~ん……。その、それとは違うんですけど……『シュウ』っていう人とよく電話してました」
「『シュウ』……」

真っ先に俺は坂木柊作の事が浮かんだ。ホストクラブの売掛金回収、女性を騙して貢がせる悪徳商法で金を集めていたという、あの港湾部で死んでいた男__。
やはり坂木柊作と長岡真凛には繋がりがあったのだ。中州に行けば何かが分かるかもしれない。だがほぼ黒の違法な店に行って情報提供をしろと言ったところで、はいそうですかと犯罪の領域に足を遠慮なく突っ込んでいる連中が吐くはずもないだろうが。

「そうか。ご協力ありがとう。まず今の所お前に心療内科受診を勧めることはしない。が……」
「は、はい」真波は少し緊張した面持ちで続きを待った。
「当院では診察・検査・手術などの医療行為以外で医療従事者とみだりに接触することはハラスメント防止の観点から禁止されている。いいな」
「す……すみませんでした……」真波は萎縮して小さくなっていた。椿はひとつため息を吐き出し、
「まあ別に退院してからなら『交流』してもいいんじゃないか。よく知らないが」

と、言い残して俺を置き去りに、先に病室を出た。
思い切り不貞腐れている。病院で見合いするな、と顔に書いてあった。別にそんな意図はないやろ。偶然出会っただけやろうが、ほっといてやれ。俺はそう思いながら早足で病室を離れる椿の背を追いかけた。







少なくとも秋津さんにはもう協力する義理はないだろうに、彼女は椿の電話にすぐ出ただけでなく、以前から椿が寄こせと強請っていた違法な臓器移植を斡旋している業者に関する情報をくれた。椿は物凄い勢いでスマホをスクロールし、その度に眼球が上下に素早く動き、眼精疲労待ったなしとしか思えない。しかし椿は送られてきた資料を一分も経たないうちに「覚えた」と言い放ってすぐに破棄した。末恐ろしい話である。

「やはり実際に赴き調べるべきだな。行くならば早い方が良かろう。咲良」
「今夜?」俺は拒否権がなさそうだと思いつつも、面倒くさいというポーズを取って反抗を試みた。
「そうだ。今夜だ。長岡真凛、坂木柊作の殺害には関連がある。それはもう疑いようが無い。だが『どういう関連があったのか』を明らかにせねば全てを紐解くのは困難と言える。何故ならばそれが真実かどうか、照らし合わせて確かめる事ができないからだ」

椿はそう言って一度俺の方を見据え、口を開く。眼光は鋭く真理を追い求めていた。その視線に全てを見透かされそうで一歩後ずさる。

「咲良。いいか? 如何に奇妙な事であっても、有り得ない可能性を全て排除してゆけば、最後に残るものが真実だ。故にその『有り得ない可能性』を潰すために地道な調査が必要なのさ。どんなにお前が嫌でもな」
「……別に嫌とは言っとらんちゃ」
「目は口程に物を言う。嫌だと顔に書いてあるんだよ」


いとしま医学特区は当然その名前の通り、福岡県の最西部に位置する糸島市の一部である。糸島市から福岡市中心部、ひいては博多区までは高速に乗っても三十分ほどかかる距離にあり、地下鉄を使えば直通があるもののその倍の時間がかかってしまう。俺は遠慮なく高速道路に乗った。何と言ってもETCの利用料も経費なので遠慮の必要はない。自家用車も持ってはいるが公用車に比べると乗る機会は随分減っていた。
助手席で瞼を閉じて両手の指先を突き合わせ思案に耽っている椿は福岡市内に入るまでずっと黙ったままだった。長い睫毛が持ち上げられたのはパーキングに俺が車を収めたタイミングで、一体どうやってそれを悟っているのか俺には分からなかったが、彼女は険しい顔つきのまま車から降りる。

日が傾き始め、星の代わりにネオンの看板が彩る歓楽街へ足を踏み入れる。そこには快楽と堕落があり、一瞬の夢のために全てを持ち崩していく事ができる場所だった。表通りには居酒屋やもつ鍋屋もあるが、俺たちの目的地はこの表ではなく更に奥だ。
椿は既に目的地が決まっているようで、地下鉄中洲川端駅の方面へ向かって歩いていく。徐々に居酒屋よりも煌びやかなフォントと光に彩られた町に変化していく様は、見ていて妙な吐き気を催した。俺には正直この手の店は一体何が良いのか全く分からない。
川沿いの通りから一本内側へ入ると古びた街灯と薄暗い路地が出現する。裏路地で煙草を吸う男性二人が椿をちらりと見たのに俺は気づく。何となく嫌な感じがしてそっと椿の傍に立ち、彼らの視線から彼女を隠すようにすると突然椿は立ち止まった。

「ここだ」
「『Ti Amo』……」

流麗な筆記体と香水瓶のようなマークがある店がそこにあった。ホストクラブのようだ。傍に立っていた軟派な金髪の男が俺たちに気づきこちらへ歩み寄ってきた。

「お姉さん、気になってます? 今けっこう空いてるよ」
「残念だが客ではない。警察だ。この男を探している」

椿はそう言って黒いトレンチコートの内ポケットから写真を取りだした。坂木柊作の写真である。準備がいいことに事前に印刷していたようだ。

「け、警察!? 迷惑防止条例違反はしてないです!! 本当です!」ホストは焦ったように言った。
「その話はどうでもいい。とにかくこの男に関する事を調べているのだ。のっぴきならない事件でな」
「はあ。……ん? あの、他の写真とかってあります?」

ホストは写真をじっと眺めて言った。俺は椿から送信されていたInstagramのスクリーンショットを彼に見せる。

「え、やっぱそうだ。タクミじゃん」
「『タクミ』? 」椿はホストに問いかけた。
「うん。これタクミだよ。ちょっと前までうちで働いてた」ホストは『Ti Amo』の看板を指さした。「急にいなくなったんすよ。……あの、もしかしてなんかあったんすか?」
「捜査機密で詳しいことは言えないのですが、その。殺人事件で」俺はそれだけ明かす。ホストはさっと顔を青くして「殺人……!?」と繰り返した。
「ちょ、ごめん……ロビー入って。店長呼んでくるから」

ホストはそそくさと地下へ下りて行った。店はどうやら一階と地下にあるらしい。通されたロビーには煌びやかな明かりを湛えるシャンデリア、黄色を基調としたフラワースタンド、部屋の内装は非日常を意識したのか深紅と黒で彩られている。
席にいるのは女性客が大半だが、それに混じって男性客もちらほら見受けられる。特段疑似恋愛を楽しんでいるような雰囲気ではない者もいて、案外俺が思っているほどドロドロした世界ではないのかもしれないな、と思った。
一方椿は忙しなく眼球を動かして何かを観察していた。視線の先にあるのはシャンパンタワーである。俺はフラワースタンドを見る。そこには円形のカードが添えられており、『Happy Brithday』の文字があった。ここに勤めているホストの誕生日らしい。

「お待たせしました。店長の諸星です。バックヤードでも構いませんか?」
「構わん。寧ろその方がいい」

俺と椿は諸星について行き、一階フロアの奥にあるバックヤードへ入った。高そうなスーツや靴、他にも高級ブランドのショッパーがいくつか鏡の前に置かれている。このブランド品は客へのプレゼントだろうか? それとも逆か。休憩スペースに近づき、諸星の前にテーブルを挟んで座る。諸星は少し警戒するような表情を浮かべていた。

「この男を知っているな? 表で客引きをしていたホストが『これはタクミだ』と言った」
「ええ、間違いありません。こいつはタクミですよ。二週間とまではいかないかな……一週間か、十日ぐらい前から出勤してないんです。何があったんです?」諸星は写真を受け取って眺めながら問いかけた。
「特区の港湾部で死体となって発見された。何らかのトラブルに巻き込まれたと思われる」
「死んだ……? そんな。い、一体何が起きたって言うんですか」
「それを解明するために話を聞きに来た。……源氏名はタクミと名乗っていたようだが、この男の本名は坂木柊作という。知っているだろうがな」
「勿論です。……よく働いてましたよ。週四~五ぐらいで働いてました。なんでも大学の奨学金を返さないといけないとか言っていましたね」
「どこの大学に通っているとか、そうした世間話をしたことは?」
「そりゃあ一週間の内殆ど店で働いてたらしますよ。大学は私立だって言っていましたね。学費が高いって。複数の所から奨学金を借りたから返すのが大変だってよくぼやいていました」
「それ以外は? それと、この女性が店に来たことは?」

椿は長岡真凛の写真を諸星に見せた。諸星は椿のスマホを受け取って画像をしげしげと眺める。

「すみません。覚えがありません。けど、柊作とした他の話というと、そうですね__他のホストクラブでも働いていたことがあるとか、売上一位を取ったことがあるとか。あとは後悔していると時々零していました」
「後悔……ですか?」俺は諸星に問いかける。彼は「ええ」と軽く返事した。
「夜職で案外簡単に沢山稼げる人が一定数います。そのせいで昼の仕事で稼げる金額が物足りなく感じて、一回昼の仕事についても夜職に戻ってきてしまう人は少なくありません。アルバイトで夜職を選んだことを後悔してたのかもしれません。つっても、あまり立ち入った話はしなかったんですよね」

諸星はテーブルに置かれた坂木の写真を見ながら続けた。彼の視線は鏡の前に置かれたDiorのショッパーへ向けられている。

「そもそもこういう職業に入ってくるやつらは大抵何かを抱えています。勿論自分で選び、好きでやってるやつらもいる。でもそういう奴らよりも事情を抱えている者のほうが多いんです。だから色々根掘り葉掘り、秘密を聞くような真似はしない。打ち明けたくなったら打ち明ける。それでいいと思ってます。勿論未成年は働かせられませんから、その辺はしっかり確認しますがね」
「……愛を金で買う世界だ。確かにそういう事もあろうな」椿はぽつりと零す。言い得て妙だと思った。「しかし坂木柊作は確かに私立大学に通っていたが、奨学金の類は一切借りていない。家はかなり裕福な部類に入っていた。つまり稼いだ金は別の何かに使っていたということになるな。必死に働き金を返さねばならなかったとなると……」
「だったら十中八九闇金の返済でしょう」諸星は静かに告げた。
「本人から何か聞いていたか?」
「いいえ、そういう話は。ところでこの女性は一体誰です?」
「長岡真凛。歓楽街の入り口付近にあるコンセプトカフェの店員だったらしい。坂木柊作と何らかの関係があったと思われる。事件関係者だ」
「成程……しかし、コンカフェか……」諸星は難しい顔になって椿を見た。
「諸星さん。何か知っているんですか」
「最近この辺のヤクザが、コンカフェの裏でヤバそうなシノギをやってる、っていう噂があるんです。いや、その、又聞きなのでぶっちゃけ真偽は分からないです。本当にあくまで噂なので……」諸星は眉を寄せて小声になりながら言った。「……要はその、コンカフェは基本酒類を提供しないので、アルバイターには未成年者も含まれています。で、どうもなんか……売春を、斡旋しているらしいんです」

空間に沈黙が満ちる。俺は思わずきつく拳を握りしめた。諸星は静寂に耐え切れないのか煙草を吸い始めた。椿は嫌な予感がするのか難しい顔をして口を開いた。

「……推測だが、坂木柊作は運営元に反社会的勢力がいるホストクラブで女性客を集め、その彼女らをコンカフェへ誘導した。そしてそのコンカフェもまた同じように反社が運営している。店員となった彼女らは売春婦として客へ売られる。坂木はどこかでそれを知った。だから二か月前に実家へ戻り、『奴らとはもう縁を切る』という旨の話をしたのだろう」
「柊作が……!? ちょっと待ってください。あいつがそんなヤバいシノギに手を出してたなんて信じられない。あいつは真面目に働いてました。そんなこと__」

右手で煙草をくれとジェスチャーしたので、俺は残り二本の『Firenze』を一本渡し、自分の唇にも一本を挟んだ。ライターで火をつけて煙を吸い、吐き出す。俺が火をつけたのが最後だったようで、ライターは役目を終えてしまった。仕方ないので火を分けてやる。煙草の先端を彼女の煙草の先端へ付け、火を移す。じわ、と音を立てて紙が燃え、ゆらりと紫煙が広がった。

「ここで働き始めたのはいつからだ?」
「……二か月前ぐらいです。試用期間は挟みませんでした。別の店で働いてたと、面接のときに言っていたので」諸星はそう言って一度奥へ引っ込み、バインダーを持って再び戻った。「これが履歴書で、こっちが一緒に渡された他の店の名刺」
「『シュウ』……」俺はその源氏名を呟く。長岡真波が『妹が良くシュウという人物と電話していた』という、その証言は間違いなくこの坂木柊作だろう。「この店、『Urban chic』はどこにあるんですか?」
「あの、率直に言ってあまり行くことはおすすめできません。如何に刑事さんたちでも」
「何故?」椿は探るような視線を諸星に向けた。
「この店、結構治安が悪い所にあるんです。近くにヤクザがいるって噂が絶えないんですよね。錦小路の近くですが、そこの少し路地に入った所にあります」
「興味深いな。諸星__夜の中州において路地裏が犯罪の吹き溜まりだと知りながら、お前もまたその細くて暗い路地の傍に店を構えている。店舗価格が安かったのも決めてだろうが、他の理由もありそうだな」

椿は長い脚を組み替えて椅子の背もたれに体を預け、軽く目を細めて諸星を睨んだ。

「例えば、この店も同じように反社の息がかかっているとか」
「言い掛かりは勘弁してください。俺たちはまっとうですよ」諸星は眉間にしわを寄せて椿を睨み返す。
「果たして本当にそうかな。スーツと革靴はErmenegildo Zegna__イタリアの高級ブランド。如何に夜職が儲かると言っても頭から足の先まで高級品で固めるには少々値が張りすぎる買い物だな。それにさっきから気になっていたんだが、内ポケットから金属音がする」
「何を……言っている?」
「だから金属音だ。複数の金属が擦れ合うような、ぶつかり合うような音。お前、腕時計をしていないだろう。スマホで時計をいちいち確認するのか? それはない。スマホはジャケットの外ポケットの右側だが、私たちと話している間一度も触れようとしなかった。つまりスマホで時間を確認することはしない。では一体どうやって時間の確認をするのか? その内ポケットに入っているものだろう。だが懐中時計しか入っていないのであれば、普通に考えて『複数の』『材質が違う』金属がカチャカチャと音を立てることはない」

椿は両手の指を突き合わせて軽く身を乗りだし、焦ったような顔の諸星に凍てつくような視線を向けた。

「お前、拳銃を持ってるな?」
「__!!」諸星は目を見開いた。「おい、待て……あんた、サツじゃねえな」
「今更か? 随分素晴らしい観察眼の持ち主のようで驚嘆したよ」
「なんだと……?」諸星は露骨に態度を変えて立ち上がり、隠すこともなく内ポケットから小型の拳銃を取り出して椿へ向けた。「どこの組の尺金だ?」
「残念だが私に反社会的勢力との付き合いは一切ない。私の名は四宮椿。__東都医科大学附属病院所属の総合診療医だ」
「医者だと? ハッ、ちったあマシな冗談言えや。状況分かってんのか? そっちの兄さんが丸腰なのは分かってんだぞ?」
「お前こそ少々状況が分かっていないらしいな。私が何の準備もなしにここへ来たとでも思っているのか? 警察ではなく医師である私がここにいるということがどういう事なのか、考える間もなく理解できると思うのだがな」

椿はそう言って通話状態になったスマートフォンを掲げてみせた。既に数十分間の会話が秋津野々花に繋がれている。それはつまり__

「最初っから……サツを……お前らは囮……!? ふざけんな!! クソ、こんなところで捕まってたまるか」
「では延長戦と行こう。察するにお前は『Urban chic』を運営している反社とは別の組織に所属している、つまりお前たちはこの中州である種の縄張り争いをしているということだろう? だから潰したい相手の情報は当然よく知っていた。そしてのこのことやってきた警察を装った二人組、そうだ__こいつらを使って相手を潰してやろうという魂胆だった。更に言えば随分とお前は高位にいる人物と見える。若頭か、それとも組長の息子か。いずれにしても香水、ピアス、スーツ、革靴、さらに懐中時計に至るまで、あらゆる服飾品が超一級品だ。そこらのチンピラが揃えられるものじゃない。それにあの店にぶら下がっていたシャンデリア、あれはフランスのアンティークだろう? 店の総額だけで数億行くんじゃないか? ……なあ、教えてくれ。私は坂木柊作の死について、ひいては長岡真凛の死について解明しなければならん。お前はまだ知っていることがあるはずだ。すべて話せ」

椿は画面を写真フォルダにもどした。通話画面はスクリーンショットだったのである。
諸星はどこか恐怖を覚えたような顔をして突っ立ったまま、拳銃を握りしめて深く息を吐き出した。

「あんた……一体何者なんだ……?」
「医者だ」
「嘘つけ。あんたみたいな医者がいてたまるか。……」諸星は項垂れて席に着く。諦めの表情が滲んでいた。「四宮椿とか言ったな。あんた、啓成会って知ってるか」
「医療法人だな。総合病院や個人経営のクリニックなども運営している。この近くだと啓成会天神病院が有名だ。飲み過ぎて倒れた客は大抵そこに搬送される」
「うちの組はその啓成会に金を遣ってるんだ。まあ、ホストクラブやキャバクラのあがりと、上納金の一部を〝寄付〟してる」
「物は言いようとは正にこの事だな。啓成会の運営母体そのものが反社の息がかかっているんだろう? 昔からそういう話はあった。個人経営のクリニックには、どう考えても健康被害を出しそうな陰謀論めいた代替医療や、怪しげな美容外科なんかも含まれている。そういう所から金を吸い上げて集めていたわけか……」
「だが俺たちはあいつらとは違う。少なくとも他のヤクザ連中よりは、サツに睨まれねえように『マシ』なシノギをやってるはずだ」
「まあ、平気で武器の密売や麻薬の取引、児童買春などを斡旋する連中よりはマシだな。代替医療が良いとは口が裂けても言えないし、全力で否定させてもらうが」
「だろうな。あんたが見たら泡吹いて倒れるようなのがいっぱいあるぜ」

諸星は笑った。だがすぐに元の険しい顔つきに戻る。椿は整った顔を顰めて深く煙を吸い込んだ。

「その啓成会は裏で臓器移植の斡旋を?」
「そこまではしていない。病院に息がかかっているとはいってもそこに所属してるのは堅気の医者だ。堅気に犯罪の片棒担がせるのは違う」
「代替医療も立派な犯罪なんだがな……。まあ、つまり啓成会天神病院の医師たちはお前たちに無関係だと主張する訳か」
「そうだ。ともかく俺たちは堅気にまで手を出す気はねえってこった。そもそもあの病院が潰れたら、この辺で飲み潰れてぶっ倒れてるやつがそのまま野垂れ死にしまくるだろうが。中州に死体の山が積み上がったら誰が片付ける。生かして金落とさせた方が俺らのためにもなるだろ」
「合理的な判断だ。それに日常的に酒をよく飲み搬送時にも体内にアルコールが高濃度で残った状態の人体を移植手術に使用するのは不可能。確かにあの病院は違法な臓器移植と無関係だと断じていいだろう」
「寧ろ医学特区みたいな、ああいう場所の方がよっぽどその手の犯罪の匂いはするけどな」諸星は灰皿に煙草を押し付けて火を消した。「臓器移植といえば__」
「何だ? 何か思い当たる事でも?」
「長岡真凛……さっきの写真の女。あれはうちの組のお嬢だ。時々、親父の家で見かけたことがある」
「はぁ!?」俺は思わず声を上げる。「ちょ、ちょっと待て。じゃあ長岡真波の事も分かるやろ? 彼女は長岡真凛の心臓を移植された。真凛は__」
「そりゃあ知ってるに決まってんだろ。お嬢たちは仲がいい姉妹だったからな。でもまさかな、真凛さんが事故で亡くなって、心臓が真波さんに移植されるとか誰も思わねえだろ」
「__事故?」椿は呟く。「事故と聞かされたのか?」
「ああ。車に轢かれたらしい」
「………成程、そういう事か……」

椿はそう言って微笑んだ。俺は彼女に視線を遣る。


「咲良、帰るぞ。犯人が分かった」


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み