いまはむかし、プラシドの翁といふものありけり一

文字数 2,443文字

 いまはむかし、ひがしの方にあるティエラ山という国に、プラシドの翁という学師がいた。山に入り思索に耽っていたある日、根元が神々しく光っている竹を見つけ、不思議に思い近づいた。傍へ寄ると、竹のように見えたのは一人乗り用の宇宙船であった。人類がこの惑星に移住する以前に用いられていた、古い型のものである。
 プラシドの翁がそっと手で触れると、ひときわ輝きが増して宇宙船のハッチが開き、中から一人の赤児が姿を現した。
「これは」
 赤児はつぶらな(はしばみ)色の瞳をいっぱいに開いてプラシドの翁をじいっと見つめる。
「ううっ」
 余りに純真な眼差しにプラシドの翁の胸が刺し貫かれる。
「おいで。お前は私の子だ。そうだな、お前は天空から放たれた槍だ。エドガルドと名付けよう」
(*作者注・エドガルドの名の意は槍。)
 プラシドの翁はティエラ山の奥深くに小さな庵を構え、そこでエドガルドを掌中の珠のごとく育て上げた。エドガルドは不思議な子供で、五年もすると立派な大人に育った。
 プラシドの翁が本院の奥深くでいと臈たけた女人を世話しているらしいという噂はティエラ山中を駆け巡り、数多の学師たちの興味を惹いた。
 中でも特に興味を示したのが学師アダンである。
 黒い髪と浅黒い肌、宝石のごとく煌めく青い瞳を持つこの学師は、天才的な頭脳と秀でた容姿を持ち、将来を嘱望される若者だった。
 だがひと目も会ったことのないエドガルドに恋慕を抱いたのが運の尽き、
「エドガルド、ひと目で良い、姿を見せてくれないか」
 度々山奥にある庵を訪れ、御簾と几帳に隔たれた恋しい相手に切ない懇願を続ける羽目に陥ったのである。
(*作者注・プラシドの翁が御簾と几帳をどこから入手したのかは謎。)
「俺の顔が見たいというなら、あらゆる病と傷をたちどころに癒すと言われる巨獣の乳を持ってきてくれ」
「分かった」
 アダンは二つ返事で請け負うと、颯爽と庵を後にした。
 アダンがティエラ山を留守にしている間に、バシリオという学師がエドガルドの許を訪れた。亜麻色の髪と灰色の瞳を持つ、底抜けに明るい雰囲気の男だ。
「プラシドが美しい女人を囲っているという噂を耳にして、いちど会ってみたかったんだ。頼む、ひと目で良いからその花の(かんばせ)を見せておくれ」
 毒のない笑顔で懇願され、エドガルドは警戒を緩め、几帳から顔を出した。バシリオは遠慮会釈なく御簾をたくし上げ、エドガルドの顔を覗き込む。
「ううん、確かに澄んだ清廉な佇まいではあるが、私はサカリアスの方が好みだな」
「サカリアスというのは」
 明け透けな物言いにも気を悪くした風はなく、エドガルドは純粋な好奇心に駆られて問うた。
「私が出会った中で最も美しい者の名だ」
「その者を愛おしく想っているのか」
「愛おしいなんて、そんな大それたことは考えていない。私はただ傍に居られたら、それだけで幸せなんだ」
 はにかみながら語るバシリオの顔を、エドガルドは不思議な思いで眺めた。愛おしいというのはどういう想いなのだろうか。地上に生まれてまだ五年ほどしか経たぬ彼には想像もつかぬ感情だった。
 数ヶ月後、アダンが約束どおり巨獣の乳を携えてティエラ山に戻ったと知らされ、エドガルドは狼狽した。巨獣は温厚な性質だが、子を連れた母ともなればその限りではない。アダンが本当に巨獣の乳を持ち帰ることなど、彼は想定していなかったのである。
 庵を訪れる道中、アダンは山を下るバシリオと擦れ違った。殆ど獣道とも言えるこの道の先にあるのは、エドガルドの暮らす庵くらいのものである。自分のおらぬ間にバシリオに出し抜かれたのかとアダンは色を失う。
 そんなアダンの心中も知らぬげに、バシリオはにこにこと満面の笑みを浮かべて話し掛けてくる。
「よう、アダン。お前もエドガルドに会いに来たのか」
「お前もって、どういうことだ、バシリオ。俺がいないあいだ、二人は会っていたのか」
「なんとなく意気投合してさ、最近ちょくちょく会いに来てるんだ。エドガルドは美しいというより精悍で格好いい感じで、前評判とは少し違ってたけど、頭も良いし話してて面白いよ」
 悪気なく告げるバシリオの顔をアダンは茫然と見つめる。
「まさか、バシリオ、お前エドガルドの顔を見たのか」
「ああ」
「エドガルドは俺に顔を見せるのに、巨獣の乳を要求した。なのにお前には何も要求せず顔を見せたというのか」
 その血走った目を見て、お前のその思い詰めた様子がエドガルドを怯えさせているのだという言葉が喉元まで出掛かったが、バシリオは何とか(こら)えた。
「アダン、男は余裕が肝要だ。あんまりがっつくな。それが私からの助言だ」
 すれ違いざまにぽんぽんとアダンの肩を叩き、バシリオは歩み去ってしまった。
「お前にだけは言われたくない」
 そう吐き捨てると、アダンは嫉妬に燃え盛りながら庵に足を踏み入れた。それでも礼節を守って御簾の前に佇み、巨獣の乳を差し出した上で懇願する。
「こうしてお前の望むものを捧げている。約束どおり顔を見せてくれ」
 焦れた声音で促され、エドガルドは自分でも理由が分からぬまま躊躇いを覚える。
 だが約束は約束である。そっと几帳を押しのけると、アダンが御簾をはねのけて踏み込んでくる。
 くせのない茶色の髪に、緑がかった茶色の瞳。バシリオの言った通り、エドガルドは臈たけた女人というよりも、研ぎ澄まされた剣のような雰囲気の持ち主だった。
 光の加減で様々な色合いに移ろうエドガルドの榛色の瞳に、アダンはひと目で魅了された。爛々と目を光らせて自分を見つめるアダンに本能的な恐怖を覚え、エドガルドは決して傍に寄らせようとしない。
 焦れたアダンがにじり寄り、
「お前の手を握らせてくれ」
 と余裕のない声で懇願する。
「俺の手を握りたいというなら、不老の効果があると言われる水獣の卵を持ってきてくれ」
「分かった」
(*作者注・水獣は哺乳類だが、卵巣を取るのは残酷なので便宜的に卵があるものとする)
 再びアダンは二つ返事で請け負い、颯爽と庵を後にした。
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