君の心を黒から白へ

文字数 4,424文字

本文:
昨日の晩に、新しいお義父さんがやってきた。
彼の名前は、“黒澤咲月”。
お義母さんと同い年の男性だ。
一年前まで勤めていたアニメ制作会社を退職した後、総合病院で施設警備の仕事をしていると言っていた。
お義母さんは、お義父さんとは別の制作会社で今も働いている。
お義父さんとお義母さんは、
私と知り合う前からの付き合いだという。
興味本位で二人に馴れ初めや、
その後について色々聞いてみるが、
二人とも赤面するばかりで中々話してくれない。
もう二人とも四十路手間なのに、
まるで思春期のカップルを見ているようだ。
「それで、新婚旅行はどうするの?
私は一人でも留守番できるし、
寂しくなったら友達呼べばいいから、
安心して行ってきてよ」
私は、夕食のハンバーグを口に運びながら、
さり気なく二人に聞いた。
すると、今はそれどころじゃないとお義父さんに言われた。
大学受験を控えている私に気を使わせたくないという。
「心配しなくても、行きたい時に行くよ。
今はめぐの受験を応援しないとな」
「そうそう、旅行なんていつだって出来るし」
互いの顔を見合わせながら微笑む二人。
そんな二人を尊く思いながら、
私も将来について深く考え、
そして、二人に打ち明けるのだった。
……………………………………………
「めぐっち、おはよぉ!」
教室に入るなり、
突然後ろから抱きついてきたのは、
同じクラスの友人の“月波 奏”だ。
奏は、元気な金髪の女の子。
奏には双子の妹がいて、
その子の名前は楓という。
楓は、内向的な性格をしているが、
とっても素直で良い子。
因みに二人は、二卵性双生児なので、
容姿も性格も違う。
「もぅ、びっくりしたじゃん!」
「ごめん、ごめん!」
相変わらず、お茶目な一面を見せる奏。
周りのクラスメイトも、私たちのやり取りを見てクスクスと笑う。
いつも通りの平和な日常。
「それより、奏は宿題やってきたの?」
「あれ、今日提出だったっけ!?
「も〜」
数学の先生から、キチンと予習と復習をしてくるようにと渡された、教科書の計算問題が載っているプリント用紙。
どうやら、家に忘れてきたらしい。
念の為と思い、先生からプリント用紙を余分に貰っておいて正解だった。
校内一怖いと有名な先生なので、
何としてでも、二時間目の数学までには間に合わせなければならない。
私は予備のプリントを奏に渡し、
急いで自分の書いたやつを書き写す様に言った。
………………………………………………
月波 奏は、虚空を見つめていた。
無意識に瞳から数滴の涙を流す。
表では、責任感がとても強く、
頼り甲斐のある子供。
家でも外でも、何時でもどこでも、
良い友人、良い姉、良い娘を演じる事ができる。
それが、人から求められる理想の私。
優しいからではない。
失うのが怖いから。
否定されたくないから。
自分の為に笑うのだ。
そして、人前で泣くことすらできなくなった。
弱い子と思われたくないから…。
ふと、部屋の隅に立て掛けられたキャンバスに目をやる。
私は、ある出来事がきっかけで描くことを放棄した。
上手い下手の問題じゃない。
描き方を変えても、基礎から学び直しても、
自分の思い通りに描けなかった。
それでさ、自分には絵の才能ないんだなって、
痛いほどわかった。
それでも昔は、
時間を忘れるくらい大好きだった。
ここは、薄暗い私の寝室。
新聞紙を敷いているとはいえ、
壁や床全面が絵の具で汚れている。
ボロボロのスケッチブックを乗せた親戚から貰い受けた御下がりのイーゼルを、地面に叩きつけるように投げ倒す。
歯を食いしばり、両手が震えを抑えようとするが、体が思うようにいうことをきかない。
こういう時に限って、涙は出ない。
ただ、悔しい。
あぁ、何やってんだ私は…。
ふと、父さんが出て行った日の事を思い出す。
楓は寝室で寝ていたので当時の事をあまり覚えていないだろう。
真夜中だというのに、
大声で罵り合う両親の情けない姿を、
楓は知らないのだろう。
母さんの我儘に耐えかねた父さんが離婚届を突き出し、母さんが父さんのせいにして泣き喚く。
物事を理解するのが難しい時期だった私でさえも、あまりの気持ち悪さに吐き気がした。
それから、養育費や親権について互いに弁護士を挟んで話し合い、最終的に父さんが出て行った。
私達も、何度かカウンセリングを受けたが、
そんなもので自分の心が良くなるなんて、
これっぽっちも思わなかった。
母さんは、父さん似の私にだけ厳しい人だった。
それ故に、私に対する要求も過激だった。
テストで満点を取らないと、
暴力を振るってくる。
その一方で、楓には甘い。
要するに、毒親ってわけ。
成績だけじゃない。
私生活にも口出ししてくる。
あの人が見たかったのは、
本当の私ではなく、
命令に従順なフリをしている偽りの私。
ママ友に自慢する為の材料を生成する機械。
それが、あの人にとっての理想の私。
私は、そんな母さんを心の底から軽蔑していた。
「ただいまぁ」
母さんが帰ってきた。
地獄の始まりだ。
「奏、見せなさい」
私は言われた通りに、
今日返ってきた小テストのプリント用紙を渡す。
「なんで…なんで…」
母さんのプリント用紙を持つ手が小刻みに震える。
かと思えば、
突然、鬼の形相で私の髪を掴み、
「なんでこんな事もできないんだよ!
いい加減にしてよ!
私が周りにどう思われてるのか知ってんの!?
と、捲し立てながら私を罵った。
「ごめんなさい...ごめんなさい...ごめんなさい」
腹に一発、頬を二発殴られた。
ごめんなさい、ごめんなさい、
出来損ないの娘でごめんなさい。
私は、そう何度も謝るが、
許して貰えず、今すぐ出ていけと言われてしまった。
遠巻きに見ていた楓が、
不安そうな表情を私に向ける。
大丈夫だよ、いつもの事だから。
私は、楓にそう言って家を出た。
やっぱり、あの人に愛されるべきなのは、
貴女の方なんだよ。
……………………………………………
今日は、進路指導の三者面談がある日だ。
母は仕事で来られず、代わりにたまたま仕事が休みだったお義父さんが学校に来た。
空き教室の前の廊下で待っていると、
先生とお義父さんが話をしながらこちらへ向かって来るのが見えた。
「遅い!」
「わりぃ」
「では、こちらへどうぞ」
先生に促されながら、空き教室の中へ入る。
父と私が隣同士で座り、向かいに担任が座る。
「それでは、恵美さんの進路についてですが…」
先生が、お義父さんを真剣な眼差しで見つめながら、私の成績や授業態度などを淡々と説明していく。
成績は平均からやや上で、
学校も休まず、授業にも真面目に取り組んでいる。
先生の言葉を聞いたお義父さんが、
安堵の溜め息を吐く。
「学費の事は心配するな。
独身時代にたんまりと貯蓄しておいたから、
行きたい大学があれば遠慮なく言え」
先生曰く、
私の成績なら、志望校に推薦入学も可能との事。
因みに、私の志望は都内の芸術大学だ。
私が芸術大学に行きたいと述べると、
お義父さんは二つ返事で承諾してくれた。
…………
三者面談からの帰り道、
下校中の女生徒に声をかけられた。
着ている制服は、娘と同じ学校のものだ。
「オジサン、めぐのお父さんでしょ?」
「それがどうした?」
「ちょっと、相談したい事があるんだけど」
「手短に頼む」
「実は、ウチのお姉ちゃんのことなんだけど…」
この子の名前は、月波 楓。
うちの娘(青葉恵美)とは同級生で、
妻から聞いた話では、
双子の姉、月波 奏と共に時々家へ遊びに来るそうだ。
そして、楓の話では、
どうやらその姉が、二日前から行方不明らしい。
家庭内の事情も聞いたが、
この事件には、他人が介入できない程の深刻な問題も含んでいるようだ。
「それで、その子を一緒に捜して欲しいと?」
「うん…」
「思い立ったが吉日。
力になれるか分からないが、
俺も協力させてくれ」
「ほんと!?
「ああ、貸し借り無しだ」
俺は、楓と指切りげんまんをした。
娘の友人の事なので、
流石の俺も無視できなかった。
俺は、周りの大人も巻き込んで、
少女の捜索活動を始めた。
…………………………………………
帰る場所を失った奏は、
都会の歓楽街を歩いていた。
楓が亡くなってから三日目の事だった。
ここに来れば、安い対価を支払う代わりに、
歪んだ表情で近づいて来る大人達が優しくしてくれた。
なんでもいいから忘れたかった。
一から全部、夢であって欲しかった。
いや、これはきっと終わらない夢なのだ。
私を裁く為に用意された舞台なんだ。
奏は、大人達から貰ったお小遣いで、
今日の分の食料と必要な物を買い揃えた。
“お前は嘆く。お前は悔いる。お前は恨む。
お前は恥じる。お前は呪う。
そして、願う事も忘れたお前は居なくなる。
一人、また一人と、
お前の前から消えていく。
お前は、残ったもので何を想う?”
純愛なんてまやかしだ。
今までも、私を護れるのは私だけだった。
私は、初めからココに居ちゃいけなかったんだ。
そう呟きながら、また夜の街を歩き続けた。
奏が辿り着いたのは、誰もいない廃墟の一室。
お金が無い中、有り合わせで作った首吊りロープ。
置いてあった椅子に登り、崩壊した天井の裏にあった木製の骨組みにロープを括り付ける。
次第に息遣いが荒くなる。
心の整理がまだ終わっていない。
とりあえず、一度深呼吸をしよう。
大丈夫、私ならできる。
過去を捨てた私なら…
首を吊ろうと縄に手をかけた瞬間、
強い力で誰かに右腕を掴まれた。
「ダメ!」
突然、大きな声が脳にまで響いてきた。
慌てて後ろを振り返ると、
そこには、物凄い剣幕で自分を睨む恵美がいた。
「どうし…て…」
どうして恵美がここにいるのか分からなかった。
今まで私以外に知られる事がなかったこの場所を、どうやって見つけたのか理解できなかった。
「私、奏がいなくなったら悲しいよ…」
「そんなのエゴだよ…」
「エゴでもいい!」
「だって、私にはもう…」
私にはもう、心の支えがないのだから。
私さ、あんたが羨ましいよ。
私に無いものを全部持ってる。
だから言えるんだよね?
死んだら駄目とか、薄っぺらい綺麗事を。
私の事、何も知らないくせに…。
そう言ってやりたかったが、
喉に力が入らなくて、上手く声が出なかった。
言葉が出ない代わりに、恵美に抱擁されながら、
嗚咽混じりの涙を流した。
……………………………………………
少女行方不明の事件発生から数日後、
少女の母親が、
殺人及び児童虐待の容疑で逮捕された。
少女はというと、娘の恵美が見つけてきてくれたおかげで無事だった。
恵美の話によると、廃墟で首を吊ろうとしていた所を恵美が見つけて止めたとの事。
妻と真剣に話し合って、
行方不明だった少女を引き取ることにした。
どうしても、少女を施設に入れたくなかった。
幸い、養育費や大学の費用などは、
今まで貯めてきた額で賄える。
その事を少女に報告すると、
大粒の涙を流しながら何度もお礼を言われた。
役所に行き、後見人の手続きをした。
その帰りに、大きめのホールケーキを買った。
少女は、“青葉”に苗字を変えた。
青葉恵美、青葉奏。
俺にとっては、掛け替えのない大事な娘達だ。


END
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