愛と平和と傍観者

文字数 17,524文字

一章

私は今、三年一組前の廊下に立たされている。
勿論、宿題を忘れた訳でも、悪さをした訳でもなく、
じゃ、何がいけないのかというと、、
「めぐちゃん、私はね、貴女の為を思って言っているのよ?」
先生は、私の手をぎゅっと握りしめながら、
ゆっくりとした口調で私を問いただそうとする。
それに対し私は、ムスッとした表情で目を逸らす。
「だって私、悪くないもん」
「だけど、相手を傷つけていい理由にはならないわ」
先生が私を叱る理由は、六時間目の授業でグループ分けがあった時の事。
同じクラスの男の子が、私のノートに落書きをした。
落書きの内容は、幼稚で下品なものだった。
鉛筆なら直ぐに消しゴムで消せるからまだしも、
油性ペンで書かれたものだから、
ついカッとなってその子を突き飛ばした。
確かに、突き飛ばして怪我をさせたのは私が悪い。
けど、その子の方が悪いのに、
どうして私だけが怒られなきゃいけないのか。
私は、不条理な結果に不満を抱いた。
「先生は、どうして私だけに怒るの?」
私がそういうと、先生はにっこり笑いながら、
私の頭を撫でた。
「めぐちゃんは素直で良い子だから、
先生の気持ち、分かるでしょ?」
「うん、分かる」
「じゃ、もう二度と喧嘩はしないって約束してくれる?」
「うん」
私は先生と、互いの小指を合わせて指切りした。
「偉い!じゃ、めぐちゃんにこれあげる!
みんなには内緒よ?」
先生はそう言って、メロン味の飴玉をくれた。
「ありがとう、先生」
「どういたしまして」
やはり私も子供である。
甘い物には抗えない。
私は先生に背を向け、大人しく教室へ引き返した。
………………………………………
学校終わり、私は寄り道せずに自分の住む白色のマンションへ向かう。
もちろん、一度帰宅せずに寄り道するのは校則違反である。
家に着いても誰もいない。
お母さんは、いつもアニメの仕事で忙しく、
夜遅くに帰って来る日も珍しくない。
お母さんと言っても、本当のお父さんとお母さんは、私が五歳の時に交通事故で亡くなり、
今は、母方の叔母である“青葉春”が私のお母さんだ。
いつも、お母さんと二人で暮らしているのだが、
たまに優しい男の人が家に来たりする。
多分、彼氏だ。
彼は、家へ来る度にお菓子や可愛い物をくれる。
くれるのはいいけれど、私の好みじゃない物や、殆ど的外れな物ばかりなので、最近は有難みを全く感じない。
生意気言うなと怒られそうだが、
こればかりは仕方がない。
「さてと、今日もお姉さんの所に行こう」
私は、ランドセルを床に置き、
外出用の手提げバッグを持って家を出る。
そして、いつも優しいお姉さんに会いに行く。
左右、左右と、テンポよく近所の住宅街を歩き、
「むにゃ〜」
「ぬこさん?」
途中、道端でクラスメイトのぬこさんに会う。
ぬこさんは、担任の白井先生が飼っている白色の毛並みのメス猫で、クラスメイトの一人というか、
一匹なのだ。
彼女の目は綺麗な水色をしていて、
尻尾に付いているピンク色のリボンが特徴的な猫だ。
時々こうして、私と一緒にお姉さんに会いに行く。
いつもお姉さんがいる公園に着くと、
お姉さんは、ベンチの上に腰を下ろし、
読書をしていた。
私が挨拶をすると、直ぐに気付いてベンチを空けてくれた。
「むにゃっ」
ぬこさんも、お姉さんの膝の上に乗り、
お姉さんに撫でられて嬉しそうに鳴いている。
「今日はどんな事があった?」
私は先ほどのクラスメイトの男子と喧嘩した事、
職員室で先生に叱られた事など、お姉さんに話した。
「そっか、それは男子が悪いよね」
「そうなの!」
「でもね、だからといって、相手を傷つけるのは良くないよ」
「それ、白井先生にも言われた」
「むにゃ〜」
「ねえ、お姉さんが読んでるその本はなに?」
「これはね、“さよなら”ってタイトルで、
とある女の子の一生を描いた話なんだ、
めぐちゃんには話を理解するのはまだ早いかな」
「そんなことないもん、私だって本を読むのは好きなんだから」
「そうだ、めぐちゃんにはこの本を貸してあげる」
そう言って、お姉さんは紺色のバッグから絵本を取り出した。
「そんな子供向けの本には興味無いよ」
「子供向けの本でも、大人になってまた読み返すとまた違った解釈が出来る、それが本のいい所だ
、いいから試しに読んでみなよ」
その本のタイトルは、小さな雀の子といって、
直接読んだ事はないけど、私も内容は知っている。
「さてと、今日はここまで」
お姉さんは、読みかけの本を紺色のバッグの中にしまうと、短い髪をかきあげながらベンチから立ち上がって空を見上げた。
「そろそろ雨が降るかもしれないから、帰ろっか」
本当はもっとお姉さんと話したかったけど、
お姉さんがそう言うのなら仕方がない。
私とぬこさんは、お姉さんにお別れの挨拶をして、
公園から出る事にした。
……………………………………
家に帰ると、いつもより早く帰宅したお母さんが、
キッチンで料理を作っていた。
匂いからして、ハンバーグだと思う。
私の好物なので、今日は運がいい。
「お帰り、めぐちゃん」
私は、お母さんにただいまを言ってから、
一度自分の部屋へ向かった。
ランドセルを置き、部屋着へ着替え、
クローゼットから私の大切な桃色の日記帳を取り出すと、お母さんに呼ばれたので一旦日記帳をテーブルに置いて、そのままリビングに戻った。
「デミグラスだ!美味しそう!」
食卓には、メインのデミグラスソースがかかったハンバーグと、サラダ、手作りポテト、マンゴージュースが綺麗に並べられていた。
どれもこれも好物なものばかり。
「ありがとう、お母さん!」
私は、お母さんにお礼を言って席に座り、
“いただきます”と手を合わせた。
食後のデザートも食べ終わり、
そろそろ部屋へ戻ろうかと思った矢先、
お母さんに呼び止められた。
「これは?」
お母さんがくれたのは、
ガラス細工の小さなオルゴールだった。
どこで手に入れたのか聞いてみると、
お母さんの元恋人から誕生日プレゼントとして貰ったものだそうだ。
「このガラス細工のオルゴールにはね、
純粋な心がある人にしか分からない特別な力があるの、けど、私達大人は汚れてしまった、これを見ても、ただ綺麗な物としか思えなくなった」
こうゆう時、お母さんは悲しい顔をする。
お母さんが悲しい顔をするのか、
小さな私の頭で考えるが、
どうしてなのかさっぱり分からない。
私は試しに、オルゴールのネジを回した。
すると、ワイングラスを軽く叩いた時のような綺麗な音色が聴こえた。
オルゴールから流れていた曲は、音楽好きな私でも知らない初めて聴く曲だった。
私は一言も喋らずに、音色が消えるまで聴いていた。
聴き終わった後、私は一旦部屋へ戻り、
再び桃色の日記帳を手にし、今日の出来事を書いていった。
翌朝、いつものように身支度を済ませて家を出た。
学校の校門では、怖い顔の教頭先生が、
門番のように立っていた。
私は、教頭先生に挨拶をし、教室へは行かず、
図書室の方に向かう事にした。
ひょっとしたら、昨日お姉さんが読んでいた本が、
うちの学校の図書室にも置いてあるかもしれない。
そう思ったからだ。
私は図書室に入ると、探す前にカウンターで座りながら読書をしているメガネの先生に、
“さよなら”という本がどこにあるのか聞いてみた。
しかし、図書室に無いどころか、
読んだ事も無いと言われてしまった。
おかしな話だ。
私の知る誰よりも本に詳しい先生ですら読んだ事がないだなんて、もしかしたらその本は、
とても貴重で価値のある本なのだろう。
私はますます気になったが、
今日は時間もないので、先生に挨拶をし、
朝の会のチャイムが鳴る五分前に教室へ戻る事にした。
教室へ入ると、いつもの様にクラス委員長の川島君からおはようと声をかけられた。
丸メガネをかけた彼の姿は、いかにも優等生という感じの男の子だ。
「おはよう青葉さん、
昨日、獣使いのアリスを読んだよ」
私も、獣使いのアリスは知っている。
人里離れた とある森に住む幼い少女のアリスが、
森を探検しながら、色々な獣と友達になる話。
チャイムがなり、クラスメイト達は、慌てて各々の席に座り、白井先生が来るのを静かに待つ。
そして、しばらくしてから白井先生が教室へ入ってきて、それと同時に日直の号令で、
元気よく朝の挨拶をする。
そうこうしているうちに、
あっという間に一時間目の国語の授業が始まった。
今日の授業では、将来の夢についての作文を書く事になった。
原稿用紙が一人三枚ずつ配られ、
一番後ろの席の私は、
前の席の人から原稿用紙を受け取る。
将来の夢と言われても、
なりたい職業も、なりたい自分もあって、
私は、何を書けばいいのか迷ってしまい、
結局その日は、一頁も書けずに提出した。
白井先生に、書けなかった事を謝ると、
白井先生は、時間はまだあるから大丈夫、
ゆっくり考えて、自分なりの答えを見つけてねと、
怒るどころか、私の事を励ましてくれた。
先生がここまで言っているのだから、
私もその期待に答えなければならない。
私は、その場で提出せず、
家に帰ってもう一度考える事にした。
……………………………………
次の日、お姉さんがいる公園に行くと、
お姉さんは、ブランコに座りながら、
暗い表情で俯いていた。
「どうしたの?」
私が尋ねると、考え事をしていたと彼女は答えた。
私は、お姉さんに将来の夢について聞いてみた。
「自分以外の誰かから認めてもらうこと…」
「どうゆう意味?」
「これはね、ある女の子の話、
いじめられっ子の男の子をいじめっ子達から庇った彼女、最初は彼女自身が彼の味方になってあげなきゃって思ったんだって、でもね、ある時気付いたの」
「……」
「味方が必要なのは、自分の方だって…」
私は黙ってお姉さんの話を聞いていた。
お姉さんの言いたい事は、私にもよく分かった。
「孤独は怖い、だから人は人を必要としているんだ」
「……」
「めぐちゃんは、将来どんな大人になりたい?」
「誰かを幸せに出来る大人になりたい」
「流石めぐちゃん、立派だ」
お姉さんは、私を見ながらクスクスと笑った。
「めぐちゃんは賢い、そして優しい」
「優しいかどうかはわからないけど、
賢いのは事実かもね」
なぜなら私は、
いつもテストで高得点を採っているのだから、
賢いのは当然だ。
「そっか…」
お姉さんはまた、クスクスと笑った。
私は、可笑しい事は何も言っていないはずなのに、
どうして笑うんだろう?と、不思議に思った。



二章(いつも不機嫌なおじさん)

私とおじさんが出会ったのは、雨が降る放課後の事。
いつものように、ぬこさんと近所を散歩していると、どこからか誰かの叫び声が聞こえてきた。
その声が聞こえる方に向かうと、
そこには六階建ての大きな廃棄があった。
階段を上り、やがて屋上へ辿り着くと、
そこには、白いパーカーを着た男の人がいた。
「おじさん、どうしてここで歌ってるの?」
「どうしてって、ただの現実逃避だよ」
「現実逃避?」
「日々の嫌なことから逃げてるんだよ」
おじさんは、不機嫌そうな顔でそう言う。
「逃げ…たいの?」
私が再び聞き返すと、おじさんは何も言わずに、
どこかへ去ってしまった。
……………………………………
次の日の放課後。
今日も、ぬこさんと一緒にお姉さんのいる公園へ向かった。
でも、今日はいつもいる公園にはいなかった。
仕方なくおじさんのいる廃屋へ向かう事にした。
その途中、墓地のある路上の近くで、
しゃがんで何かを見ているお姉さんを発見した。
お姉さんの見ていたものは、赤い花のようだった。
私は、お姉さんのそばに向かい、
お姉さんが見ていた花について聞いてみた。
「お姉さん、この花は何?」
「これはね、彼岸花ヒガンバナって言って、
毒のある花なんだ」
お姉さんによると、お墓等によく生えていて、
お墓がネズミ等の動物に掘られたりしないように、
人の手によって植えられているとの事。
私は、昨日出会った不機嫌そうな顔のおじさんについて、お姉さんに詳しく話した。
「そのおじさんは多分、逃げたかった訳じゃないと思うよ」
「どうして?」
「どうしてかな?理由は私にもよく分からない」
お姉さんは、人差し指でコメカミをくるくるさせながらしばらく考える素振りを見せる。
「これはね、ある男の話なんだけど…」
それからお姉さんは、昔話をするみたいに語りだしました。
「その男は、名もない作家のタマゴだった…」
私もぬこさんも、お姉さんの隣でしゃがみ、
彼岸花を見ながら、お姉さんの話に耳を傾ける。
「夢も希望も失った彼は、
ある時、高層ビルの屋上から飛び降りようとした、
けど、彼は死ななかった、
死ねなかったんだ、死ぬ勇気が無かった、
その後彼はいつも通りに日常を過ごす、
けど、彼の心は相変わらず晴れなかった、
その時彼は思う、
あぁ、あのまま死んだ方がマシだったなって、後悔したんだ…」
「どうして男の人は死のうと思ったの?」
「人間は弱い生き物だ、
他人に心を支配されるほど、とても繊細で脆い、
多分、耐えられなかったんだと思う、
そして全てを終わらせたかった、
その先が、虚無ではなく、幸福である事を、彼は信じていた、なぜなら彼は、教会でそう教わったから…」
「機械よりも脆いの?」
「そうかもしれない」
お姉さんはまた俯きながら、続けて言った。
「いいかい?人生とは…」
……………………………………
ある日の放課後。
私は突然、川島君に告白された。
その時、
教室には私と川島君以外は誰もいなかった。
彼は、体を縮ませながら
「好きです!付き合ってください!」と、
頭を深々と下げて言った。
「えっと…」
私は、顔を真っ赤に染めながら、「はい」と答えた。
この時の彼は、まるで初めて好きな人が出来た時の乙女みたいだった。
「こっちに来て!見せたいものがあるんだ!」
彼はそう言って、嬉しそうに私の腕を引っ張りながら走り出した。
そして、冷たい彼の手に触れながら、
たどり着いた場所は、学校の屋上だった。
「綺麗…」
空を見上げると、ベージュ色の幻想的な夕焼けが辺り一面に広がっていた。
私はふと、隣にいる彼の顔を見た。
すると、彼は、泣いていた。
どうしたの?と、私が聞くと、
彼は、今まで両親にも隠していた事を涙ながらに語り始めた。
「生まれてくるはずだったんだ…弟が…」
彼は、去年の夏に、新しい弟が生まれてくる予定だった。
それは、一人っ子だった彼にとって、
とても嬉しい事だった。
けど、生まれる当日、母親が流産してしまい、
その後、弟は死んでしまった。
「どうして私に告白したの?」
「好き…だからだよ…」
私は一つ、彼の嘘を見破った。
好きなのは本当かもしれない。
けど、彼が私に告白した理由は、
自分の心の支えになってくれる相手が欲しかったから…。
男子というのは、嘘つきな癖に単純だ。
「別にお母さんが悪い訳じゃないんだ…」
誰も悪くない、仕方がない事。
その事は、彼自身が一番よく知っている。
時折、彼はこうして放課後に屋上へ来ては、
天国にいる弟の事を思いながら、
夕空を眺めているようだ。
次の日の朝。
いつも通り、私が学校の教室に入ると、
クラスメイト達が、いっせいに私の方を見た。
「おはよう」
私はいつものように、川島君に挨拶をする。
けど、川島君は、挨拶を返すどころか、
暗い顔で俯いたままだった。
周りを見回すと、クラスメイト達が、
こちらをチラチラと見ながらヒソヒソ話していた。
私は、前の席の女子に事情を聞いてみた。
けど、いつもはちゃんと聞いてくれるのに、
今日に限って私を無視して、
教科書を開いて勉強している振りをし始めた。
「ごめん…」
隣の席の川島君から、掠れた声でそう聞こえた。
どういう事なのか、私はさっぱり分からなかった。
訳も分からず、不安と違和感を抱えながら、
とりあえず自分の席についた。
チャイムがなり、白井先生が教室へ入って来ると、
まるで、何事も無かったかのように、
いつも通りの朝の会が始まった。
朝の会が終わり、みんながざわつき始めた時、
川島君を虐めている男子達が、
私と川島君の前に来て、
わけも分からない事を言い出した。
「川島の母ちゃん、浮気したんだってさ!」
「昨日、俺の母ちゃんも川島の父ちゃん以外の若い男の人とデートしているところ街中で見たって!」
「お前、川島の事好きなんだろ?
昨日、お前が川島に告白されている所を見たって、隣のクラスのやつが言ってたぜ!」
「だから、何?」
「浮気って、悪い事じゃん!そんな奴と付き合ってるとか、お前も同類だな!」
「だとしても、貴方達には関係ない!」
私は思わず声を荒らげてしまった。
川島君は、相変わらず俯いたままだった。
「親も親なら子も子だな、なぁ?川島君」
彼は、何も言い返せないでいた。
何も言い返せずに、
ずっと涙を堪えているようだった。
悪いのは彼じゃなく、彼のお母さんの方なのに…。
「ヒューヒュー!犯罪者カップルー!」
言い返せない事を理由に、いじめっ子達の暴言は、徐々にヒートアップしていった。
「だから、川島君は悪くないって!」
「本当にそう思うのか?」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら、
彼らは、川島君と私を近づけて、
キスさせようとしてきた。
「好きなんだろ?じゃ、キスくらいできるよな?」
「出来るに決まってんじゃん!」
その瞬間、川島君は教室を飛び出し、
足早にどこかへ行ってしまった。
「あーあ、振られちゃったな!」
「よかったじゃん!犯罪者と同じにならなくて」
私はいじめっ子達を殴ってやろうかと考えた。
けど、それはできなかった。
悔しいけど、それをしたらまた白井先生が悲しむ。
そう思ったからだ。
けど、いじめっ子達は、
黒板に相合傘で私と川島君の名前を書いたり、
犯罪者カップルと言ってきたり、
ノートや机に落書きしたりと、幼稚なやり方で、
私をからかい始めた。
それから五時間目が終わっても川島君は、
教室に戻って来なかった。
………………………………
その夜、私はお母さんと喧嘩した。
理由は、どうして私には本当の親がいないのか…。
どうしていつも仕事ばかりなのか…。
「私は、こんな事の為に生まれてきた訳じゃない!」
私を産んだ両親は事故で死に、
家に帰っても誰もいない…。
お母さんはいつも仕事ばかりで、
授業参観にすら来てくれない。
幸せそうにしている周りと比べて、
どうして私には、親がいないのか、
どうして私だけひとりぼっちなのかと、
いつも思っていた。
それに今日も学校でいじめられて…。
もう私の心は使用済みの雑巾みたいにボロボロだった。
私は、今まで心に閉まっていた本音を、
一つ一つお母さんの前で吐露する。
自分でもどうしていいのか分からなかった。
私は涙を拭いながら家を出て、気がつけば、
私の知らない場所にいた。
空は相変わらず星一つ見えず、
大ぶりの雨が降っていた。
そんな中、傘もささずに歩いていると、
おじさんとすれ違った。
「おい、何してんだ?風邪ひくぞ」
おじさんは直ぐ私に気づいて振り返り、
私を呼び止めた。
この時の私は多分、泣いていたと思う。
それから私は、おじさんが一人で住んでいる二階建てのボロアパートの201号室に案内された。
部屋へ入ると、思った以上に綺麗に片付いており、
テーブルとお布団とトランクケースくらいしかなかった。
私は、おじさんからタオルを借りて、
テーブルの前に腰を下ろした。
「んで、今日はどうしたんだ?」
「実は私、いじめられてて…」
私は、例の噂の事やいじめの事、黒板に書かれた相合傘の事などを、全部おじさんに話した。
けれど、返ってきたのは、
私の思っていたのと違うものだった。
「いい事じゃねーか、
子孫繁栄、子供を作ろうとするのは、
人間として、生物として当たり前だろ、
それに、ある程度大人になって、
結婚どころか、恋人も、
童貞処女も卒業も出来ない奴は、
世間一般では負け組扱いされる事になる、
今お前らを馬鹿にして面白がっているそいつらもいつか馬鹿に出来なくなるぞ、
それでもお前は、恋人も出来ないまま一生孤独に生きて、人生を終えたいか?」
「で、でも…」
「確かに浮気は悪い事だ、
だが、なんでそいつらは、本人じゃなく、
彼を責めたんだ?理解出来んな…」
「親も親なら子も子だって…」
「そいつら、反面教師の意味もわからんのか?
親がクズだからって、子がクズだとは限らない、逆もまた然り、教育が悪いとか言うやつもいるが、
ちゃんと愛してクズになったんならどうしようもないだろ…」
正直、おじさんの言っている事がよく分からなかった。
「で、それでも嫌なら、やり返すか?
そいつらがお前にしたのと同じように、黒板にそいつらの名前を書けばいい」
「それは、ダメ!
もっと酷い目にあっちゃう」
「じゃ、どうしたいんだ?」
「それは…その…」
私はもう、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。
「やっぱり、私自身が変わらない限り、虐めは終わらないのかな?」
「確かにそれもそうが、
自分を変えればみんなが変わるというのは違うだろ?」
「どうして?」
「いじめや自殺が止まないのも同じで、
自分への攻撃は止むかもしれないが、
代わりに自分以外の奴が被害に逢うだけだ」
「まぁ、確かに…」
「結局、奴らは根から腐ってる訳だからそいつら自身を変えないかぎり、現状は変わりはしない、
だったら、やるべき事はもうわかるよな?」
「洗脳しろって事?」
「別にそこまでしろとは言ってない」
「じゃ、どうすればいいの?」
「いじめの証拠とかを警察に突き出せば一発アウト、奴らは直ぐに捕まる」
「それだけはダメ」
「なんでだ?」
「仕返ししたら、それこそ虐めてる子と同じになっちゃう」
「まぁ確かに、争いは同じレベル同士でしか発生しないとも言うし、やり返せばそれこそ相手の思う壺か…」
「ねぇ、どうして人は弱い者を虐めるの?」
「それが人間だから、
子供も大人も関係ない、自分より弱い者を、
自分と反する価値観の者を痛ぶるのが気持ちいいのだろう、そして、気に入らないやつの話は間違っていると主張し、自分の言動全てが正しいと思っている、ちなみにそれを利己主義と言う」
真面目な話をする時、大人は決まって難しい単語を使い、私達子供には分からないような難しい事を言う。
そう、まるで小説のように。
「私はそんな事しないし、したくもない」
「まぁ、痛みというのは、同じ境遇に遭わないと分からないものだからな」
おじさんは、宗教も同じで、自分の信じるものが全てで、だから自分以外の人間もそれが正しいと思っていて、それを否定するものは悪で、
だから無意味な争いが起こるんだと言う。
「みんな怖いんだ、今まで信じてきたものが間違いだったなんて認めたくない、だからそいつを悪とし、叩く事で自分は間違っていないのだと自分で自分を安心させる」
「なんだかよく分からない…」
「んで、結局お前は、そのメガネ男子が好きなのか?」
「好きかは分からないけど、嫌いじゃないよ、
Loveよりlikeなのかも…」
「まぁいい、面倒事が嫌なら先生に言いな、
一応理解ある先生なんだろ?」
おじさんは優しく微笑みながら、私の頭を撫でた。
「ねぇ、パソコンで何してるの?」
「何って、ただ文章書いてるだけだが?」
「私にも見せて!」
「見た所でガキには分からんよ、
いや、多分俺以外の人間には理解出来ない」
「そんなの、読んでみないと分からないよ」
おじさんは一旦立ち上がり、
冷蔵庫からブドウジュースをガラスコップに注ぎ、
私にくれた。
「小説?」
「まぁな」
「タイトルは?どんな話なの?」
「愛と平和と傍観者、人が不幸になる話」
「なんか暗い」
「うっせー、俺は、こうゆう話しか書けないんだよ、ハッピーエンドを書けるものなら書いてるよ」
「なら、私から教えてあげようか?
私、物語書くの得意なの」
「そうか…」
おじさんは、それ以上何も言わなかった。
おじさんの表情は、相変わらず悲しそうだった。
私は、右腕の大きな傷について聞いてみた。
けど、結局傷については答えてくれなかった。
「で、他にもあるんだろ?言ってみ?」
「お母さんと喧嘩した…」
「理由は?」
「どうして私には本当のお母さんとお父さんがいないのかって…」
「義理か…生まれて来なければよかったか…子供にありがちなセリフだな、そして大人の場合、産まなきゃよかった…なんて、大人になっても言う事は同じか」
おじさんは、クスクスと笑った。
全然、笑い事じゃないのに。
「けど、それはお前が悪い、謝った方がいいな」
「でも…」
「まぁ、お前の気持ちも分かる…」
「ねぇ、おじさんはどんな大人になりたかったの?」
私は、将来の夢について書く作文の話をし、
おじさんの小さい頃、何になりたかったのか聞いてみる事にした。
「野球選手、お金持ち、科学者、芸術家、画家、歌手、イラストレーター、アニメーター、アニメ監督、作家…色々あったよ、全部諦めたけど」
「でも、その中でも本気で目指したものは、あったんでしょ?」
「なりたい自分はいる、
その為に今まで色々試したりしたけど、結局ダメだった…」
私は、その話を聞いて、
前にお姉さんが話していた男の人の事を思い出す。
「理想は理想でしかないんだ、
なりたいと思ってもなれるとは限らない、
人生ってのは、理不尽ばかりで、思い通りになる事なんてほとんどないんだよ、努力次第で変われるのなら、誰だってそうしてるさ」
おじさんはそう言いながら、もう一度私の頭を優しく撫でた。
「なぁ、めぐ、もしも君が子供を産んだ時、
子供に対して、産まなきゃよかったなんて言うなよ?」
「どうして?」
「どんな苦しいことも、子供のせいにしてはいけない
。自分の存在意義を、よりにもよって切っても切り離せない大切な人に言われた終いには…」
「そんなの分かんないよ?
それじゃ、
行き場を失った怒りをどこにぶつければいいの?
それで苦しんでいるお母さん達もいるのに…
それに、心が貧しいと、そんな事考えてる余裕がないんじゃない?」
「それも、そうだな…」
「うん…」
「俺が死んだら、この子は酷く傷ついてしまうかもしれない。
身内が死んだという事実が、
彼女の未来を壊すかもしれない。
そうならなきゃいいが…」
「どうしたの?ブツブツ呟いて」
「なんでもねーよ、良いガキ」
…………………………………
翌朝私は、みんなより早く登校して、
白井先生のいる職員室へ向かった。
白井先生の机は、入口の直ぐ前にあったので、
私が職員室へ入るのと同時に、
先生は私に気付いて、
「おはよう」と声を掛けてくれた。
「先生、相談があるの…」
私は、いじめの事を先生に話した。
彼らの言動は、誰がどう見てもやり過ぎだ。
事の顛末を話し終えると、先生は一瞬眉をひそめ、
それからこう言った。
「分かったわ、私が直接、本人達と話し合ってみるね」
「それじゃダメ、いくら注意してもまた同じ事されるに決まってるもん」
私は、先生の答えに納得がいかない。
だから先生にどうすればいいのか、
もう一度聞いてみた。
「私は終わらせたいの!お願い先生、教えて!」
「じゃ、一つだけ、先生からのお願い」
私は、真剣な目で先生の言葉に頷く。
「何があっても、川島君の味方でいて欲しい」
「もちろんだよ」
そう言って私は、先生とまた指切りをした。
「任せて、先生もめぐちゃん達の味方だから」
…………………………………
「ねぇ、どうして私達をからかうの?」
先生との話が終わり、職員室から教室へ戻ると、
いじめっ子達が、
私の机に来て、またからかい始めた。
「川島君が私を好きなことの何が悪いの!?
「だってこいつだぜ?こんなメガネ野郎の何処がいいんだよ?気持ち悪い…」
いじめっ子達は、ヘラヘラ笑いながら罵詈雑言を浴びせてくる。
もう我慢の限界。
私はついに、今まで溜めていた怒りが爆発した。
「人を好きになる事が、そんなにいけない事なの!?なら、どうして貴方の両親は貴方を生んだの!?
「お前ら二人、気持ち悪いんだよ!」
彼はそう言って、 川島君の顔を思いきり殴った。
そう、
彼は今、暴力を振るったのだ。
それは、大人でも許されない行為。
私は暴力は犯罪行為である事を知っている。
いじめというもの自体、そもそも犯罪なのだ。
彼の行動は、明らかに度を越している。
「暴力振るうなんて酷い!」
「いい加減、
周りから嫌われている事くらい自覚しろよ!」
「だからって…だからって、
人を傷つけていい理由にはならないんだから!」
私がそう言い放った瞬間、彼に突き飛ばされ、
私はそのままバランスを崩し、三歩下がった後、近くにあった机に頭をぶつけ、打ち所が悪かったせいで、その場で倒れて気を失った。
気がついた時には、
私は、保健室のベッドで寝ていた。
「めぐみちゃん、大丈夫?」
保健室の先生が、私が起きたかどうかを確認する為に、そっとカーテンを開けた。
そして、私が目を先生に向けると、
先生は「よかった」と、一言呟き、
安堵の笑みを浮かべた。
…………………………………
次の日の放課後。
私は、おじさんにお礼を言う為、
おじさんの家へと向かう事にした。
勿論、向かう途中で、ぬこさんとは会わなかった。
おじさんが住んでいるボロアパートの二〇一号室のチャイムを鳴らす。
けど、おじさんは出てこなかった。
何回か鳴らした後、
トントンと、軽くドアをノックした。
けど、結局おじさんが出るどころか、
声も、物音すらも聞こえてこなかった。
寝ているかもしれないけど、
もしかしたら、最初に出会ったあの建物にいるのかもしれない。
そう思い、私は、あの廃屋へと歩みを進めた。
しばらく歩き、やがて廃屋に着いた。
思った通り、おじさんは、屋上で歌を歌っていた。

“消えない、消えない、悲しみは
消えたい、消えたい、願わくば
人生なんてこんなもんか?
人生なんてこんなもんだ
それはきっと俺だからだ
それでも俺は生きるんだ
それでも人は生きるんだ”

歌い終えたおじさんの顔は、
後ろからでもわかるくらい、
清々しいと言わんばかりの笑顔だった。
歌詞の内容は、何を言っているのかよく分からなかったけど、少し気持ちが楽になれた気がする。
「ありがとう、おじさん」
「何がだ?」
おじさんは、振り向かなかった。
そして、空を見上げながらこう言った。
「母親とは仲直りしたのか?」
「うん、ちゃんとしたよ、私の方から謝った」
「お前、俺が怖くないのか?」
「どうして?」
私が聞き返すと、ため息をつきながら続けて話す。
「出会ったあの時も、なんも疑いもなく話しかけてきてさ…こんな怪しい不審者みたいな男を前に、
普通は近づかないでおこうとか思うだろ?」
「そんな事、全然思わなかったよ?
だっておじさん、最初から私を襲う気なんてなかったじゃん」
「流石、子供だな」
「どうゆう意味?」
その答えは教えてくれなかった。
おじさんは、続けて言う。
「青葉めぐみ…」
おじさんは、ハッキリと私の名前を言った。
今まで、ガキとしか言わなかったおじさんが、
教えてもいない私の名前を初めて呼んだ事に、
私は少し驚いた。
「お前の母親って、青葉春だろ?」
「どうしてそれを?」
「いや、知り合いってだけだ…」
私は、今までずっと気になっていた事をおじさんに聞いてみた。
「ねぇ、おじさんの本当の名前、教えてよ」
「黒澤咲月、売れない作家だ…」
おじさんはそう言いって、
まるで女の人のように微笑んだ。


3章(孤独な男の子)

私の体調が急変したのは、
おじさんと最後に出会った日から丁度一週間後の事。
いつも通り、部屋で遊んでいると、
喉に違和感を感じた。
初めは気のせいなのかもと思っていた。
「はっ…」
そして、お母さんにその事を伝えようと口を開こうとした途端、
急に喉を締め付けられたような感覚に陥った。
「あっ...えっ…」
私は、何度も声を出そうとしたが駄目だった。
「めぐちゃん?どうしたの?」
お母さんは、不思議そうに尋ねる。
私は混乱して、頭の中が真っ白になった。
視界は歪み、まるで別世界のようだった。
私はわけもわからず、一人で泣いてしまった。
私は、土曜日の昼間にお母さんに連れられて、
かかりつけの総合病院に行った。
私の担当の先生は、優しい白髪のおじいちゃんだった。
診断の結果、心因性失声症と告げられた。
私はショックで、また泣いてしまいそうになった。
それと、PTSD(心的外傷後ストレス障害)
の可能性もあるとも判断された。
他の病名とかはよく分からなかったけど、
心の病気という事だけは理解した。
私は、薬を貰って病院を出た。
この薬を飲み続ければきっと元に戻る。
私はそう信じていた。
その後、学校に行ってもクラスメイトに無視されるようにもなった。
ただ怖かったのだろう。
私に関われば不幸になる。
そんなクラスメイト達のヒソヒソ話が、
私の耳にも聞こえてくる。
けど、私にはもう、言い返せる程の声もない。
それは、今まで経験した事のない感覚だった。
私はまた、独りになった。
恐らく、本当の意味で…。
それ以来、一人で帰る事が多くなった。
いつもなら、仲のいい友達や、私と同じくらい頭のいい川島君と一緒に帰るのだが、
今日からは、私一人だ。
その後、帰宅した私は、
部屋に駆け込み、ランドセルを投げ捨て、
布団を被り、耳を塞いだ。
夢であって欲しい。
私は何度も心の中で願った。
それから私は、ノートに言葉を書いて、
自分の意思を伝える事にした。
手話も出来ないのだから仕方ない。
それに、手話を覚えたところで、
私には、話す相手もいないのだから…。
…………………………………
放課後、私は、家へ帰らず、
いつもお姉さんがいる公園へと足を運んだ。
すると、そこには男の子がいた。
彼は、暗い顔で俯きながら、前にお姉さんがいた位置で小刻みにブランコを漕いでいた。
“どうして一人でいるの?”
私がノートに書いて質問しても、
彼は、ずっと俯いたまま答えてくれなかった。
そして彼は、立ち上がり、私を無視してどこかへ行ってしまった。
私は彼を追いかけた。
そして、たどり着いたのは、二階建ての古いアパートだった。
彼は、そのアパートの階段を一段ずつ登り、恐る恐る二〇一号室のドアノブに手をかけた。
どうして怖がっているのか不思議に思っていると、
部屋の中から、中年男性の怒鳴り声と、
女性の叫び声が聞こえてきた。
恐らく彼は、私が思うよりも辛い経験をしているのかもしれない。
彼は、こんな所にいてはいけないのかもしれない。
私は、家出を提案した。
彼も、何も言わずに頷いた。
それから、私は元気のない彼を、
街中に連れ出す事にした。
街中のショッピングモールに展示されてるマネキンの前で彼の足が止まった。
そのマネキンが着ていた服は、
今流行りの白ワンピースのコーデだった。
“その服欲しいの?”
「 い、いやっ… 」
別に何着たって良いのに、男も女も関係ない。
恥ずかしがる事なんてないよと、私は彼を励ます。
“ねぇ、見せたいものがあるの”
私は、気づけば彼を色々な場所に引っ張りながら連れ出していた。
私は、前にお姉さんが言っていた言葉を思い出した。
孤独は怖い、だから人は人を必要としているんだ。
本当にその通りだ。
今になってようやくその理由が分かった。
私は、誰でもいいから、自分の隣にいてくれる存在が欲しかった。
そして彼もまた、何処でもいいから繰り返される最悪の日常から連れ出してくれる存在を待っていた。
やがて、私達二人の足が止まった。
私達がたどり着いたのは、噴水広場にある時計台の前だ。
“絵、好きなの?”
「どうしてそれを…?」
私は何となく、彼が絵を描く事、
見るのが好きだという事を察していた。
なぜなら、彼がショッピングモールに飾られていた絵を見た時、彼は今までにない驚いた顔をしていたのを知っているからだ。
あんな顔を見せられたら、誰だって彼が絵を好きな事くらい気づく。
私はまた、お姉さんが言っていた言葉を思い出す。
人生とは、料理みたいなもの。
例え失敗したとしても、工夫次第でどうにでも変えられる。
自分次第でどんな自分にもなれる。
誰もが主人公の物語。
“辛いことも悲しいことも、
全部受け止めて、
自分を大切にする。
いつかは幸せになれる。
私はそう信じている”
これは、“いつかの為に”という歌。
前に、お姉さんと一緒に考えて作った歌だ。
どうしてなのかはわからないけど、
歌う事は出来るみたいだ。
歌い終えたあとも彼は、何も言わなかった。
ありがとう。
言葉にはしていないが、
彼が心の中でそう言ったような気がした。
次の日も、私と彼は公園で会った。
私が公園に来ると、彼は、ブランコに座りながら、
読書をしていた。
私は、彼と挨拶を交わし、
彼の隣のブランコに座った。
“何読んでたの?”
「小さな雀の子の小説版、絵本版は雀だけど、
原作は、人間の男の子の話なんだ」
彼は、小説の話を私に聞かせてくれた。
“ある日、貧乏な家庭で暮らす男の子がいました。
その男の子は、学校にも行けず、靴磨きで稼ぎながら、何とか家計を支えていました。
父は他界し、病気持ちの母を支えるために必要なお金は、どれだけ働いても足りませんでした。
そんな時、彼の目の前に小さな雀が現れました。
雀は、彼に仲間を助けて欲しいから一緒に来てくれと頼みました。
彼は、雀の言葉を聞き入れ、雀の仲間がいるとされる場所へ向かいました。
やがて、一人と一匹は目的地にたどり着きました。
そこは、森の奥深くにある小屋でした。
そこにいたのは、檻に閉じ込められていた何匹もの雀達でした。
彼は、なんとかその檻を壊し、雀達を解放しました。
ありがとう。
雀は、空高く羽ばたきながら彼にお礼を言い、
去って行きました。
彼は、空高く飛んでいく雀を見上げながらこう思いました。
羨ましい…。
雀達を助け終えた彼は、森を抜け、自分の家へと戻りました。
家では、病気の母が、咳き込みながらも、彼の為に料理を作っていました。
ダメだよお母さん、寝てなくちゃ…。
彼は、無理矢理母を寝室に寝かせ、
母がしていた料理の続きをしました。
いつかは報われる。
そう信じていたのに、どうして僕のところには幸せが来ないの?
何も悪い事なんてしていないのに…。
神様は、僕のことが嫌い…なのかな…?
彼の瞳から一滴の滴が落ちた時、
彼の前に、また先程の小さな雀が現れました。
さっきは助けてくれてありがとう。
お礼にこれを受け取って欲しい。
雀は、そう言うと、彼に魔法の薬を渡しました。
これを飲めば、どんな病気でも治る。
雀は、そう言い残し、またどこかへ去っていってしました。
彼は、すぐさま寝室にいる母に雀からもらった薬を飲ませました。
すると母は、急に苦しみだし、しばらくして死んでしまいました。
嘘つき…。
薬を飲めば、病気が治るって言ったじゃないか!
彼は、あまりのショックと絶望に耐えられず、
台所にあった包丁で自分の心臓を刺しました。
次第に意識は薄れ、目を覚ますと、見知らぬ場所にいました。
誰もいない街中を、彼は、一人で歩き続けました。
すると、大きな光の球を見つけました。
そして、その光の近くには、雀達が群がる一本の木がありました。
彼は、その木に彫られた文字を読みました。
そこには、リセット、と書かれていました。
彼は、その光に左手を当てました。
すると彼の体は、光の中に吸い込まれ、
やがて彼は、光と共に消えてしまいました。
おしまい。”
「僕はね、この物語を読んで思ったのは、どんなにいい事をしても、どんなに人の為に頑張っても、報われるとは限らない、作者は、そう言いたいんじゃないかと思うんだ、
まぁ、絵本版は結構修正されて、もっとポップに書かれているんだけど、勿論、ハッピーエンドにね」
彼は、震えながら泣いていた。
私は、パーカーの裾で涙を拭う彼の隣に立ち、
困惑する彼をよそに、歌を歌い始めた。
「消えない、消えない、悲しみは。
消えたい、消えたい、願わくば。
人生なんてこんなもんか?
人生なんてこんなもんだ。
それはきっと私だからだ。
それでも私は生きるんだ。
それでも人は生きるんだ」
この歌詞は、おじさんから教えてもらったものだ。
歌詞はめちゃくちゃだし、悲しい曲だが、
それでも私は、この歌詞にはおじさんがみんなに伝えたい事、思いが詰まっていると感じた。
彼は、私の歌を聴き終えると、
今度は私にも聞こえる声で、“ありがとう”と言った。
その時の彼の顔は、嘘のない笑顔だった。
……………………………
その翌日、私はまたお姉さんに会った。
将来の夢についての発表が明日だから、その前にお姉さんからまたヒントを貰おうと思ったからだ。
“お姉さん、この前お姉さんは、将来の夢について聞いた時、自分以外の人から認めてもらうことって言ったよね?”
「うん」
“もう一度、聞きたいの”
「え?」
“お姉さんの答え…”
私は、ノートに言葉を書いてお姉さんに見せた。
「それはね…」
この時、お姉さんがなんて言ったのか、
今ではあまり覚えていない。
覚えているのは、その答えが、賢い私でも思いつけないような予想外のだったって事。
「ごめんな…」
お姉さんは、私の事を優しく抱きしめながら、
何度も謝ってきた。
その言い方は、まるで、おじさんとそっくりだった。
涙を流すお姉さんを見て、私は、どうして謝るのか、さっぱり分からなかった。
「俺、ダメだった…お前を幸せにする事が出来なかった…」
“お姉さん、何を言って…”
私が出せないなりになんとか伝えようとした瞬間、
突然お姉さんの体が光に包まれた。
その光景はまるで、ファンタジーでよくある、
悪魔が勇者の剣で貫かれ、本来の姿に戻り、
ありがとうと言いながら、
泡となり消えてしまった時のようだった。
そして、お姉さんは、
そのまま光と共に消えていってしまった。
私は、今起こった状況を頭の中で整理した。
私は、今日もお姉さんと会って、
お姉さんに将来の夢、お姉さんの答えを聞いて、
そしたら、ごめんなって、おじさんみたいな言い方で謝ってきて、私を抱きしめながら光に包まれながら消えてしまった…。
けど、
考えれば考えるほど、頭が混乱してしまう。
もしかしたらこれは、夢なのかもしれない。
私はとりあえず、自分の心を落ち着かせるために、
そう思う事にした。
…………………………………
「めぐちゃん」
私の名前を呼ぶ声がした。
「将来の夢、自分がどんな人になりたいか決まった?」
初めて聞く声に思わず振り返ると、
そこには、普段から「むにゃ〜」しか言わない白猫のぬこさんがいた。
大人のお姉さんのような声を出す彼女に、
私は少し、驚いてしまった。
彼女は続けてこう言った。
「私はね、めぐちゃんに幸せになって欲しい」
“どういう意味?”
「それは、後で分かる」
“後?”
「それじゃ、私は行くよ」
“待って!”
「いつかまた、会えるといいね」
ぬこさんは、
脇目も振らずどこかへ去って行ってしまった。
と、その時…。
キーッ!という音と共に、私は、黒く大きなものに、突き飛ばされた。
体は動かず、痛みもない。
微かに聞こえるサイレンの音と、誰かの声。
意識が朦朧とする中、私は…。
……………………………
………………
目が覚めた。
そこは、いつも見ている光景だった。
俺は、ベッドから起き上がり、鏡で自分自身を見る。
そして、夢で見たものが夢ではなかった事を知る。
「めぐちゃん、ご飯よ」
俺は、母の言葉を聞き、部屋を出てリビングへ向かう。
もちろん、彼女は、本当の母親ではない。
リビングには、焼きたてパンと、オレンジジュース。
そして、コーヒーの苦くて良い香りが、
部屋中に漂っている。
「それで、答えは見つかった?」
母が、俺に問う。
将来の夢。
その答えはまだ得ていない。
誰かを幸せに出来る大人になりたい。
それが、本心なのかもわからない。
けど、これだけは言える。
俺は今、幸せだ。
そして、今目の前にいる彼女を幸せにしたい。
「後、十年か…」
今でも、あの頃の事をよく覚えている。
それが今でも懐かしく思う。
おじさんの正体が誰なのか、
お姉さんは一体何者だったのか。
その答えは勿論分かりきってる。
後、十年。
俺らの物語は、まだ続いている。

END
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