第9話 常長には悪いことをしたな・・・

文字数 2,348文字

 自称伊達政宗は慶長遣欧使節について聞きたいらしい。武は自称伊達政宗に尋ねる。

「具体的に何をすればいいの?」
「これから慶長遣欧使節を進めるかどうかの会議がある」
「へー、オジ宗が独断で決めるわけじゃないんだ」
「まぁな、ワシが進めようとしても、スペインが使節団を受入れしてくれなかったら話は進まない」
「それはそうだね」
「あと、支倉常長(はせくら つねなが)が行きたくないと言ったら、無理強いできないじゃろ?」
「オジ宗にそんな人間らしいところがあるんだね?」
「当たり前じゃ! 大名たるもの、部下のモチベーションを向上させなければ、いい仕事はできん!」
「急にリーダーシップ論を語り始めたな・・・」

 自称伊達政宗は話が逸れていくことに気付いたようだ。慶長遣欧使節の話題に軌道修正する。

「お主が未来から来たと言っても誰も信じんじゃろう。だから、お主は預言者として会議に同席してほしい!」
「予言者・・・詐欺っぽくない?」
「そんなことないぞ! みんな神のお告げとか占いは大好きじゃ」
「へー。僕、子供だからそれっぽくないよ。大丈夫? 」
「いいんじゃ。異国の著名な予言者が少年に転生した、そうワシが紹介する」
「それ、完全に詐欺じゃん」
「だいじょーぶじゃ!」

 どうせ武が未来から来たと言っても信じてくれないから、自称伊達政宗にしたらどっちでもいいのだ。こうして、武は自称伊達政宗の依頼で予言者を偽ることになった。

「お主は予言者として、慶長遣欧使節がどのような結果になるか、を皆に語ってほしいのじゃ」
「慶長遣欧使節はヨーロッパに行けるんだけど、オジ宗の目論見は失敗する。それを伝えるだけでいいの?」
「それで良い! 失敗するからといって、今回の使節は中止することができぬ。どのような顛末になるかを予め知っておくことで、対策を取ることができるではないか」
「まあ、被害をゼロにはできないけど軽くすることはできる、そういうことだね」

「そうじゃ。自慢じゃないが、ワシは数々の失敗をしている」
「そうだね。知ってる・・・」
「それでも、ワシが何とか今の地位にいられるのは、失敗した時のリカバリー能力に優れているからじゃ!」
「それ、自分で言う?」
「白装束、磔柱、金ぴか帽・・・なかなかいいアイデアだと思わんか?」
「ギャグとしてはいいけど、威厳はないよね」
「ぐぬぅぅう・・・」

「ちなみに、お主が知っておる慶長遣欧使節の内容を、事前にワシに教えてくれんか」
「いいよ」

 そう言うと、武は慶長欧州使節の内容を語り始めた。

 仙台藩の慶長遣欧使節があったのは1612年と1613年。単に慶長遣欧使節という場合、1613年を指すことが多い。1616年にも慶長使節は行われているようだが、アメリカ大陸まで行ってから日本に引き返しているから、慶長使節ではあるがヨーロッパまでは行っていない(遣欧ではない)。自称伊達政宗は1回目であると示唆しているから、今は1612年。ちなみに、1612年の使節は失敗した。

 伊達政宗はキリスト教擁護派として知られているのだが、この時期(1612年3月)には江戸幕府が出した禁教令(キリスト教を禁ずる法令)によってキリスト教への弾圧が始まっている。それにも関わらず、伊達政宗は支倉常長(はせくら つねなが)を副使、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使とした慶長遣欧使節をヨーロッパへ送ろうとしていた。

 伊達政宗の目的はメキシコやヨーロッパ諸国との貿易。貿易により利益を増やそうと企んでいた。
 また、一説によれば、スペインなどの欧州諸国と組んで江戸幕府を倒すことを目論んでいたとも言われている。伊達政宗ならやりかねない。

 江戸時代においては、神道・儒教・仏教の三教が国民に広く行き渡っており、キリスト教はあくまでマイナーな宗教。伊達政宗はキリスト教を擁護していたが、本人はキリスト教には改宗しなかった。本人は臨済宗だ。

 慶長遣欧使節として派遣された支倉常長は太平洋と大西洋を横断し、スペイン国王フェリペ3世やローマ教皇パウルス5世に謁見した。しかし、常長の努力の甲斐もなくメキシコとの通商許可は得られなかった。さらに、1620年に帰国した頃にはキリスト教は禁教令による弾圧が行われており、支倉常長は失意の中死ぬことになる。

※慶長遣欧使節の行程




「はー、禁教令を無視して派遣しても無駄だったわけか。お主は失敗の原因は何だと思う?」

「スペインがオジ宗に協力しなかったのは、オジ宗がキリスト教に改宗しなかったからだと言われてる。もし改宗していたら、ヨーロッパ諸国も軍隊を派遣してくれたかもしれない」

「幕府はキリスト教を認めていないのだから、ワシがキリシタンになったら立場を追われるだけだろう。そういう意味でも、ワシが天下を目指すのは無理だったということか」

「だね。後世では、オジ宗が『10年早く生まれていたら』という話があるよ。オジ宗はセコいけど立ち回りが上手かった。信長が死んだタイミングで上手く立ち回ることができたら、歴史は変わってたかもね」

※織田信長は1534年生まれ、豊臣秀吉は1537年生まれ、徳川家康は1543年生まれです。伊達政宗は1567年9月5日生まれですから、実際には10年ではなく20年前に生まれていれば、といったところでしょうか。


「それにしても、常長には悪いことをしたな・・・」
「まあね、オジ宗は幕府に慶長遣欧使節のことは秘密にしていたから、支倉常長がヨーロッパで死んでくれることを祈っていたらしいよ」
「我ながら、人でなしじゃのう・・・」
「そうだね。クソ野郎だね」

 自称伊達政宗は落ち込んでいる。

 将来、自分が行う非情な決断を今から後悔しているようにも見えるのだが・・・
 この男が本当に反省するのだろうか?
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