文字数 3,647文字

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「なんだか、君と話さなきゃいけないような気がしたんだよ」
「あなたという映画だとして、あたしに伏線を感じたということね」
 彼女はちょこちょこ不思議な言い回しをする人だった。そして、その不思議な言語表現が、僕は嫌いじゃなかった。彼女のもつユーモアが、彼女のつかう言葉には素敵に滲んでいた。伏線、僕はその言葉をなんどか頭のなかでくりかえした。
「伏線は、回収したいじゃないですか」僕はスプーンで欠けたアイスをソーダに沈めて回した。「伏線、というより、鍵かもしれない」
 わお、と彼女はおどろく。「それは結構な主要人物じゃない」
 僕はきもちわるく笑ってから、うなずく。
 それから(仮)みたいな間がある。
「……って、いう手口でいつも女の子に声をかけてるの?」
「ちがうちがう。ほんとに自分でもびっくりしているんだよ。知らない子にお茶を誘うなんて。こうして自分から誘っといて、目も合わせられない」
 彼女はクリームソーダのストローを吸いながら、うんうんとうなずいた。ストローから口を離して「それは、なんとなく君を見てたらわかるかも」
「でも、君は結構慣れてる感じだね」
「あたしあんまり人見知りしないの。ナンパに慣れてるわけじゃなくて。誰とでもなんとなく喋れるだけ。あと、あたしの名前は佐原 海ね。う・み」
「すごいな」僕はさらっと彼女がとんでもないことを言っていることに驚く。人見知りをしない、と。僕には、あまり共感できない。とはいえ、今の僕もなかなかにらしくない僕であるが。「海、ちゃんね。ありがとう、教えてくれて」
「君の名前もおしえてよ」彼女が僕をみる。
 ぼくは自分の名前をいう。ついでに年齢もおしえた。
 「ありがと」彼女は僕の名前を、頭の片隅にメモするように右上のほうへ目をやり、僕の方へと戻す。「そうかなあとは思ったけど、同い年よ。あたしたち」
 かなり単純な思考ではあるが、僕は彼女に声をかけることができた自分を激しく褒めたくなった。衝動的であったとはいえ、本当にこの出会いがなにか鍵であるだとか、予感であるように感じていた。しかし、彼女本人が大体の人と会話ができると言っている。彼女と会話をしたことがある人は、大体いまの僕のような気持ちにしむけられるのかもしれない。
「君はきょう、なにかここに用事があったの?」
「ここにはないよ。なんとなく映画でも見ようかなと寄っただけ」
 ここにはない、と彼女はその言葉を掬いとった。それからストローでアイスを混ぜながらつづけた。「では、どこに用があったの?」
 僕は考える。どこに向かおうとしていたのだろう。とくにここだと決めている場所はなかった。「河川敷にでも、行こうかなと」
「かせんじき?」
「そう」僕はうなずく。「橋の下にある川の場所だよ。堤防と堤防で挟んで«くぼみ»みたいになっている場所」
「河川敷がなにかは知ってるわよ」海ちゃんは愛想で笑った。「どうして河川敷なんて場所に用事があるの? 釣り?」
「釣りでは、ないよ」
「でしょうね。釣りをする、という明確な目的があるなら映画でも見ようかななんて気持ちはチラつかないような気がするもの」
 なんというか、彼女は僕の落とす少ない言葉数から、その奥行きを見出そうとする癖があるように感じる。探偵のようだった。いつも彼女はこんな風に、いちいち人のセリフを推理しながら会話をしているのだろうか。
「質問に答える君の言葉に、説明が足りていないからでしょ」彼女は気だるそうな目で言う。「でも、目的が釣りだったとしても映画を見たくない、という理由にはならない。いまのは、あなたを束ねた言い方をしてしまっていたわ。ごめんなさい」彼女は謝った。
 なるほど、気づかなかった。いま、僕は彼女によって束ねられていたのか。……って「あのさ、佐原さん」
「海でいいよ。海がいい。で、なに?」
「海ちゃん。君のそれ、生きづらくないの?」
 結構失礼なことを言っているような気がするが、僕は彼女に訊ねた。
「それって、なに?」
「その、束ねたくない哲学」
 彼女は「ははは」と愛想の範囲を脱したように声をだして笑った。それから「すごく生きづらいわよ」と返した。
 僕はテーブルにあるおしぼりを持ち、手をふいた。手持ち無沙汰を感じたからである。それ以外におしぼりに触れたことに理由はない。
「君に言われたその、束ねたくない哲学みたいなもの。あたしにはそんな風にいろいろと意識を持ちたいものが多いの。物事の見方であったり、人とのコミュニケーションであったりね」
「自分のなかにある考え方が多いんだね」僕はおしぼりを置く。
「そう。こう考えるべきなんじゃないかな、と自分にいつも課題をだしてしまうの。人って、難しいじゃない。意味不明じゃない? だからもっとあたしもいろんなことを広く解釈できる女になろうとおもってさ」
「もう充分、君はそうできているように感じるけど」
「ううん、人に言われることと、自分で感じることの間では意味が歪んじゃう」
 意味がゆがむ。僕は彼女のつかう独特な言葉に、すごく興味を惹かれた。少なからず、上映中の映画一覧よりも。
「あたしは、もっとあたしの世界を許したいの。すべての事象は、宇宙なんだって認めてあげたいの。なにをどう感じただとか、とった選択だとかを。他人の内側なんて、深淵だから。理解できることなんて、実はなにひとつとしてないように感じる。そして、その深淵は、他人からしたらあたしにもある。あたしの内側も深淵で、重なり合うことはあってもわかり合うことはできない」
 重なり合うことはあっても、わかり合うことはない。
「だけど、あたしはそれをそれでいいって思いたい。すべての出来事は、それでいいんだって。あたしと違うからといって、否定的な見方になりたくない。それはそのままの姿として、その形として事実で、それでいいんだって。そんな風に考えることができたら」
「できたら?」
「生きやすい、とおもわない?」そう言ってから、彼女はすこし恥ずかしそうに笑った。
「すごく、そう思う」僕は彼女の言葉にうなずく。「それはすごく素敵だ」
 海ちゃんはうなずく。それからクリームソーダをちゅーっと吸って飲む。青色のソーダは背丈を縮めていく。甘ったるくなってきたね、と彼女は小声でぼやき、ひかえめに笑った。
「でも君は、たまに生きづらく思うこともある」
「そっ。自分で設けた考え方に」
 それだと、本末転倒ではないか。僕は声にはださず、返答する。それを言ってしまうことは、ある種の暴力であると感じたのだ。
「本末転倒だよねえ」彼女は変わらず気だるそうな目線をながして言った。「自分を生きやすくするためのルールに、あたし自身が追いつけない。だって、感じちゃうもの。いろんなことを。全く理解できないものを、好きになれることって少ないし、腹が立って最低なことを言っちゃうことも、ある」
「だけど、人なんてそんなものじゃない?」僕は海ちゃんに言う。
「そんなものよ」彼女はうなずく。「それもわかってる。そして、そんなマイナスもネガティブも事実なんだって認めてしまえばいいってことも。でも、それができない。自分が、嫌になっちゃう。自分に嫌気がさしてしまうこれも、」
「宇宙なのにね」僕は言う。
「そう。宇宙なのに」彼女は言う。
 矛盾してしまう。彼女は、自分で設けたその式を、解けないときがある。自分で築いた国でありながら、迷子になってしまう。自分で育てた獣でありながら、喰われてしまう。そんなときがある。そして、彼女の話すその矛盾に、僕は共感していた。わかり合えてはいなくても、重なり合っていた。
「海ちゃんは、つよい人だな」なんと言っていいかわからないが、そう言った。
「つよくないから、自分にがんじがらめになってるの」
「がんじがらめになりながら、君は歩いているじゃないか」
「ぜんぜん。歩けていないのよ」
「じゃあ、転がってる」
「そう。転がってる」彼女は僕の方をじっと見ながら微笑む。呆れているようにもみえる。
「転がりながら、進んでいる」僕はつづける。「僕にはそんな風に、君がみえる」
 彼女はまた「ははは」と声にだして笑った。手で口元をすこし隠して笑っていた。それから一度クリームソーダの残りを飲み、右側の髪を耳にかけた。そして僕のことを見た。彼女と目があった。
「君って、あたしかもしれない」彼女はそう言った。「うちの洗面台の鏡にうつる女よりも、君の方がしっくりくるかも」
 僕は驚いた。僕の魂は、驚いた。そして僕は向きあった鏡にうつる姿が、彼女である場合を想像した。「海ちゃんは、なかなか驚くことを言うね」
「あたしにも、わかんないわよ」と彼女は言って笑った。「そんな気がしたの。予感がしたの。あたしという映画のなかで、伏線におもえたの。鍵だと思ったの」
 僕は笑った。そしてうれしい気持ちになった。
「それから、知ってる?」彼女はにやにやしながら僕に訊ねた。
「なにかな」
「君、もうとっくにあたしの目を見て話せてる」

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