第3話

文字数 2,752文字

 翌日、紙魚川は昨日訪れた事務所の前に立っていた。
蚈から朝の九時に事務所に来るよう昨日の別れ際に言われたのだ。現在の時刻は九時五分前。来訪する時間としては丁度いいだろう。ドアノブに手をかけゆっくりと回し事務所の扉を開く。ギィ、と音を立てて開いた扉の隙間に身体を滑り込ませ室内に入る。
室内は昨日見た時と変わりはなかった。
「おはようございますー……」
「声が小さい!」
「うわあ!」
 窺うように挨拶の言葉を紙魚川が言えば背後から少しくぐもったそれでも大きな声で怒鳴られる。
ビクリと少し身体を跳ねさせてから振り返ると、そこにはガスマスクをつけたピンク色の髪をした少女が立っていた。
「大きい声出るじゃん」
 少女はふふと笑うと事務所の奥に向かって「所長きましたよー!」と大声で呼び掛ける。すると「はいはい」と言いながら蚈が出てくる。マスクをつけていない蚈の容貌は年下なのか童顔なのかは分からないが若く見えた。
「おはようございます紙魚川くん」
「おはようございます」
 ぺこりと蚈が頭を下げるので紙魚川も同じように頭を下げる。
「この子は蛹ちゃんです、一緒に仕事することもあるかもだから仲良くね」
「蛹です、よろしく」
「紙魚川です……よろしくお願いします」
 ピースと人差し指と中指を立ててわきわきと動かす蛹に紙魚川は少し気が抜ける。悪い人じゃないのかもしれない。そもそも年下なのか年上なのか、それも分からない。まあ気にする程ではないか、と紙魚川は思うと蚈に向き直る。
「今日は何をしたらいいんでしょうか」
「必要書類に署名してもらおうかな~」
 こっちに来てくれる?と蚈が事務所の奥に歩いて行くのでその後ろをついて歩く。なぜか蛹もついてきたが蚈が何も言わないのでいいのだろう。
事務所の奥は所長室兼資料室になっているようで、両壁に備え付けられた棚にファイルがびっしりと入っていた。「ええと、蛹ちゃんあれどこだっけ」と書類を探す蚈に蛹が「引き出しの四段目ですよ」と言い「ああ、そうだった」と答える。
クリアファイルに入った書類を持ってきた蚈はソファに座ったので向かい合わせになるように紙魚川もソファに腰掛ける。蛹はいつの間にか蚈の隣に座っていた。
「えーと、これとこれ。読んで良かったら署名してね。俗に言う雇用契約書ってやつ、特殊なのだけど。まあ紙魚川くんは署名するしかないんだけど」
 ワハハと笑う蚈に紙魚川は渋い顔をしながら手渡された書面を読み始める。
内容はこんなものだった。

1.作業中に得た情報は口外しないこと。
2.作業中に視たものについて口外しないこと。
3.作業中に怪我を負った場合はどれだけ小さくても報告をすること。
4.能力は霊に関することだけに使うこと。

「これだけですか……?」
 四つの項目と右下に日付と署名、捺印をする箇所があるだけの雇用契約書と言えないものに思わず紙魚川が呟けば蚈はパチンと指を鳴らす。
「その四つが大事なんだよね、特に三番目と四番目」
 蚈の言葉に紙魚川はもう一度、三番目と四番目の項目に目を通す。
さしておかしな内容ではなく当たり前な気もするが、と蚈の方向へ視線を向けるとにこりと微笑まれる。
「きみは本当の意味での善い人みたいだね。三番目はね、幽霊との争いで受けた傷を大したことないからって放置してたら霊障になっちゃって、あれは大変だった」
「嫌本当に大変でしたね」
 何か気になることを言われたがそこは触れてはいけなさそうなので触れずにいようと紙魚川が考えていると、蚈と蛹が当時のことを思い起こしうんうんと頷き合っていた。
「四番目は……?」
「それはね、私利私欲のために使った人が居たんだよね。能力は取り上げたから今頃は記憶もなく平穏に暮らしてるはずだよ」
「もしかしてそれが前のバイトの人ですか?」
「所長、この人冴えてますね。なんで会社クビになった上に次受からないんでしょうね」
 ぐさり。と。胸に突き刺さることを言われ、紙魚川がぎゅうと眉間に皺を寄せる。そしてそれを見た蚈が蛹に向かって「そういうこと言わないの」と注意をする。
「あー、昨日も思ったんですがマスクをすることで霊感が宿るって本当なんですね」
 これは会話を変えるしか心の平穏を保てないと紙魚川は昨日から気になっていたことを蚈に質問する。それに「ああ」と蚈は言うと手の平を上に向けて説明しだす。
「そう、まあマスクと言っても特殊な方法でつくられたマスクを模したものなんだけどね。ほら、昨日見た僕のマスクと蛹ちゃんのマスクは違うでしょ?」
確かに昨晩見た蚈のマスクは黒い布だけで、蛹のようなガスマスクの形はしていなかった。こくりと紙魚川が頷けば蚈は満足そうに頷く。
「宿る能力も人によって様々なんだよ。マスクをつけた時に付与されるって言うのかな?まるで漫画の世界みたいだよね~ちなみに僕はその人のことが色々と視えるのとブースト能力って言ったらいいのかな? 色々な力が増すようになる」
「わたしは匂いに敏感になって十秒間対象の動きを止めることが出来る」
「すごいですね……」
 二人の能力の説明に紙魚川が息を吐くと二人が顔を見合わせてから蚈が口を開く。
「何言ってるの紙魚川くんにもつけてもらうから」
「え!?」
 紙魚川は戸惑うがさっさと署名してと蚈に言われてしまい質問の機会を奪われてしまう。
「書けました。で、蚈さん俺にも能力って」
「二枚目をご覧あれ」
「はあ……」
 二枚目の書類に書かれた内容は簡単に言えばこうだ。

入社した時点で自身に合ったマスクをつけ、この書面に血を垂らし能力の把握をすること。
また、この能力はマスクをつけている状態限定であることをしっかりと覚えておくこと。

「ということで署名したらマスク選びしよっか」
「いえーい」
 二人はなぜか楽しそうにハイタッチしているが紙魚川には疑問が浮かんでいた。
「あの、でも僕ある程度の霊なら眼鏡外せば見れるのでマスクは必要ないんじゃあ」
「それなんだけどね」
 と言葉を発したのは蚈だ。
「恐らくその力は君のものであって君のものじゃあないと思うんだよね。だから君を守るためとしてマスクを選んでおいた方がいい」
「……どういう?」
 曖昧で、気になることを再び呟いた蚈に紙魚川は説明を求めようとするが蛹の発言によって言葉を続けられなくなる。
「まあ看板壊したのが運の尽きってこと」
 再びぐさりとくる発言をした蛹はぴろぴろ~と言いながら両手をぶらぶらさせている。なんなんだろうか、この子は。
「じゃあ、紙魚川くん奥の部屋に行こうか」
「いってらっしゃーい」
 蚈は立ち上がるが、蛹はどうやら残るらしい。ひらひらと手を振られたので、へら、と紙魚川は下手くそな笑いを返してしまった。
そうして蚈の後ろをついて歩き物々しい雰囲気のある部屋へと入っていくのだった。
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登場人物紹介

紙魚川弥彦(しみがわみつひこ)

会社をクビという名の依願退職をし、

はした金の退職金を受け取ったものの

新しい仕事にもバイトにも受からず

深夜酒に酔っ払い路地裏で妙な看板を見つけ、

なぜかそれに異常に腹が立ち

蹴飛ばしたことから様々な事件に巻き込まれていく。

蚈(やすで)

【霊感商法やっています】という名の幽霊退治屋の所長(一応)

霊感マスクをつけることで幽霊に触れたり見ることが

できるようになり、対象の様々なことを視ることが出来るようになる。

この対象は人間も幽霊も同じである。

また肉体の力が増し、幽霊を物理で倒すことが出来るようになる。

紙魚川の雇い主であり事務所の所長。

一見、ガラが悪く胡散臭い風貌をしているが優しい。

蛹(さなぎ)

事務所の従業員

蚈と同じく霊感マスクをつけることで幽霊に触れたり見ることが

できるようになり、対象を幽霊か人間かを匂いで嗅ぎ分けるようになる。

また、十秒間対象の動きを止めることができる(クールタイムは30分)。

特注の二丁拳銃を使い、霊を退治する。

ゴシックな衣装を好んでよく着ているが

彼女が言うには戦闘服とのこと。

見た目は幼く見えるが年齢は紙魚川の三つ上である。

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