トゥルーエンド

文字数 2,720文字

「トゥルーエンド、ですね」


紫月さんが不思議そうな顔をする。


「真実・・・?」

「はい。我儘ですけど、紫月さんの全てを知りたい」

「・・・フフ、仕様もない男だよ」


柔らかく笑う紫月さんと、夜を共にする。

数日後。

優君、透さんと共に帰る日がやってきた。


「文香さん」

「はい?」

「もう少しだけ、一緒に・・・」


消え入りそうな声。

でもこの声は、演技だ。


「・・・仕方のない人ですね」


紫月さんが笑う。


「優君、透さん、先に帰ってください。また会いましょう」

「・・・はい」

「そうかあ。ほな、またな」


二人は物言いたげな顔をしながらも船に乗って帰っていった。私は紫月さんの部屋に案内される。


「演技をしていると、何故わかるのかな?」

「私にもわかりません・・・」

「フフ、ハハハ。何故かな、本当に」


妖しく笑う紫月さんに私は抗う術を持たない。


「トゥルーエンド、真実、か・・・」


唇を人差し指の腹で撫でながら言う。


「俺を暴いてどうする」

「・・・わ、私、は」


責めるような口調に思わず怯む。


「姪の誠はね、俺と関係を持っていたのだよ」

「えっ・・・?」

「肉体関係さ。誠から乞われてね。というか脅迫だなアレは。あの女は一族の中で『九条グループ』の正式な後継者として扱われていたからね。彼女の気分一つで私は路頭に迷ってもおかしくなかった。だから俺が引き受けたんだよ。俺の目が見えると知るとたいそう喜んで、可愛い下着だの恥ずかしい姿勢だの、色々見せてくれたよ。品の無い女だ。吐き気がする」


私は唇を結ぶ。


「君とは大違い」


紫月さんはにこりと笑う。


「さて、平成の切り裂きジャックが戻るまで、遊んでもらおうかな」

「戻る? ここに?」


まさか。


「平成の切り裂きジャックは、船頭の九条博文さんですか?」


私の問いに、紫月さんは驚いた顔をしてぴたりと固まった。


「・・・性別は男、中肉中背、年齢は四十代。そして、意外と近くに居る。どうして今まで気づかなかったんでしょう。紫月さんの近くに居る男性は、もう船頭の九条博文さんしか居ないじゃないですか」

「は、面白い推理だね。探偵にでもなったらいいや!」


紫月さんは声を上げて、心底楽しそうに笑った。


「・・・あー、笑った笑った。久しぶりに笑ったよ」


さらり、と紫月さんの髪が揺れる。


「そうだ。平成の切り裂きジャックは九条博文だ」


ぶわ、と濃密な甘い匂いが漂った気がした。


「彼も元は君と同じ医大生。産婦人科医を目指していた。それで私は彼を可愛がっていたんだよ。彼は女性を尊敬していた。生命を産み出す神秘の女性をね。男は快楽と共に精液を出すだけだ。そう、俺と同じ考えを持っていた」


なにかを思い出すかのように、紫月さんの視線が横に滑る。


「愛していた女に裏切られて酷く落ち込んだ彼に、私はこう声をかけてしまった・・・」


博文君、一皮剥いでしまえば、人間なんて皆同じだよ。


「まさか本当に皮を剥いで確かめるとは思わないじゃあないか」


くつくつと小鍋で果実を煮るような笑い声。


「それ以来、彼は女性の内臓の虜だ。俺は彼を匿った。彼は俺を神のように崇めてなんでも話すようになったよ。医者になる道を蹴って私を守る道を選んだ。今は船頭として、私に近付く者を監視しているのさ」


私はごくりと喉を鳴らした。


「さあ、文香さん。君に面白いものを見せてあげよう。着いておいで」


紫月さんが立ち上がる。私は黙って紫月さんのあとに続いた。


「足元に気を付けて」


白杖をついて目蓋を閉じた紫月さんが屋敷の外に出る。向かったのは、屋敷の裏の納屋。納屋の中には地下に続く隠し階段。おかしい。どうかしている。こんなのまるで小説の、性質の悪いフィクションの話だ。


「お待ちしておりました」


博文さんが礼をする。


「く、おん、じ・・・」


私は叫びそうになるのを堪えながら言った。涙でメイクが崩れ、充血した目で必死にこちらを見る久遠寺。台に固定されて動くことはできず、口は銀色のガムテープで塞がれている。


「九月からの解剖実習が憂鬱だと言っていたね?」

「ま、まさか!」

「君が望んだトゥルーエンドだよ、文香さん」

「文香様。『ただし、罪人は皆、死ぬ』のです」

「博文君、始めよう」

「はい、紫月様」


ガムテープを貫通するくぐもった久遠寺の絶叫。紫月さんのイギリス訛りの英語。それに合わせて切り取られていく内臓。私は何故か、久遠寺が死んでいくことに爽快感を感じていた。しかし本物の内臓のグロテスクさと臭いには耐えられなかった。


「文香さん、吐くならそこに」

「は、はい・・・」


備え付けられた洗面台に胃の中のものを吐く。


「・・・終わりかな?」

「ありがとうございました、紫月様。いつも通り後片付けは僕が。文香様とお戻りください」

「博文君、文香さんが警察に駆け込んだらどうする?」

「罪を認めて罰を受けます。死罪でも構いません。いえ、僕は死罪でしょう。それでも構いません」


文博さんが、カブトムシを見つけた少年のように笑う。


「俺も共犯かな・・・。『九条グループ』も終わりだね」


それを受けて、紫月さんは下らないものを見るように笑った。下らないのは誰か、なにか。平成の切り裂きジャックか、自分自身か、久遠寺か、今までの被害者達か、九条グループか、私か。

私は紫月さんと共に屋敷に戻る。


「旦那様、おかえりなさいませ」


由香さんが出迎えた。


「愛の力は素晴らしいですね。引き籠りの旦那様が文香様とデートをするだなんて!」

「君は正直な子だなあ」

「うふっ。では文香様のお荷物を船まで運びますね」

「それが、少し気分が悪いようだ。少し休ませてから家に帰すよ」

「まあ! 荷物はもう一度お部屋にお運びしますね」

「そうしてくれ」


私は再び自室として与えられた部屋に戻る。紫月さんの部屋には行かなかった。食事は摂らず、一晩、部屋で過ごす。翌朝には真樹さんと由香さんに頼んで荷物を船に運んでもらった。

船頭の博文さんは気持ち良さそうに潮風を浴びている。

私は港町に、無事に帰ってきた。電車に乗って家に帰る。母と父が温かく出迎える。この人達の中にも、久遠寺と同じ内臓が。そして私の中にも、紫月さんの中にも。

九月の解剖実習は、楽しかった。

冬期休暇、紫月さんの屋敷に行く。


「おかえり」

「ただいま戻りました」


荷物は由香さんが自室に運んでくれた。あの部屋はもう私の部屋として扱うらしい。私は紫月さんの部屋に行く。ふわり、濃密な甘い匂いが香る。


「冬になると思い出すよ」


紫月さんが私をコートの上から抱きしめる。


「君がコートを脱いで私に羽織らせて、その上から抱いてくれた」


私は紫月さんを抱きしめ返す。


「やっと君と酒が飲める。今日を楽しみにしていたんだ」


月には昼も夜もない。


「さあ、一杯飲もう、文香さん」

「はい」


私は九条紫月を愛している。
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